こうもりのねがいごと

宇井

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「なっ……どうして魔布の中に塵ごみが入っている……ロミーの嫌がらせか……いや……人か?」

  ごみ……って……

 コウは塵じゃないけれど、身にまとっているのは普通の人が雑巾にするにも躊躇する見た目に汚れた服だ。まめに洗い清潔にしてはいるが間違えるのも仕方ないのかもしれない。

 「それに……なぜか美味そうな匂いが……ん?……よくみたら小さく可愛い生物……焼けても煮えてもいないというのに、やはり美味そうな匂い……」

  かわいい?美味い? 
  僕が、僕が……!? おいしいって言ってる!? この人は蝙蝠肉が好きなの!?

 「あの、待ってください……食べちゃだめですっ。絶対に美味しくないので、お腹壊しちゃうかもしれないので、どうか食べないでください……!」

  震える声でささやかな抵抗というか、お願いをする。
  袋状になった布がとうに解かれていて、眩しさに目を細めると、はるか頭上で若い男、二十代後半と思わしき男がそんな物騒なことをつぶやいていたのだから恐ろしい。

  塵って言われるのはいいけれど、美味しそうって……塵なのに美味しそうって……

 コウが食べないでくれと見上げ目が合うと、男はなぜか下顎をがくっと落とした後、急いで口を塞いでいた。
  これが、声の主様がいっていた自分の主となる人だろうか。

  男の手には長く太い照りのあるリボンがある。それはコウをくるんでいた布の口を閉じていたものだろう。
  コウが固くなった関節と筋肉を無理に動かし、上体を起こすと全身からバキバキと音がした。コウは正方形の大きな布の真ん中で、自分が記念日の贈り物のようになっているのだがその自覚はない。
  腰が抜けているのが力が入らず、うっと呻くだけでどうにもならなかった。

 「あ……えっ……ここは……そうだ、食べ物じゃないって、声の主様のことも説明しないと……」

  自分がここへ来た経緯を説明しなければいけないのに口が上手く動かない。

  それにしても、ここってどこ、神域の中……?

  辺りは緑に囲まれており、まさに森の中にいる。
  崖の上ではないとわかるのは、季節が突然変わったかのように囲む空気が心地よいからだ。
  寒いさむいと、肩を上げて身を縮める必要がまったくない。

  神域……?それとも……やっぱり天国?

  コウの視界に自分の荒れた手が入る。
  冬になると必ず手にできるあかぎれはチリチリ痛んで、油がしみこんだ指先は黒いままだ。
  自分の手を見て、やはり自分はさっきまで冬の寒さの中にいたのだと知る。

  見下ろしてくる男の後ろには木の板でできた、大きさはあるが粗末な印象の平屋の小屋がある。
  小屋の前には前庭と呼べる広いスペースがあり、コウ達はそこにいるのだ。
  周囲には男の背より少したかい位の木が茂っている。その木々の中でも異彩を放つ巨木が小屋の左にある。
  巨木は空を突くほど高い木で途中からぐわんと大きく幹の腰を曲げ、小屋周りの空間を守るかのように覆いかぶさって、巨大な半円のドームを作っている。
  周りの木と枝を交互に編むように絡ませ、まるで籐の蓋を被されているようだ。それでいて適度な木漏れ日がさし明るい。

  神域は雲海だったのに……雲で覆われているはずのここにはお日様の光が届いてる。不思議。
  雲で蓋をされているのならば暗いはずなのに、ここはとても明るい。
  木だってそうだ。人間の力ではこんな木々の造作などできない。力任せに曲げても幹や枝が折れるだけだろう。
  そしてもう一つ、大きな違和感がある。

  そうだ。気配がない。

  小鳥の声も、虫の鳴らす音もない。風もなく草葉が揺れず、川のせせらぎも聞こえない。
  ここにはコウと、男が立てる音しか存在しないのだ。
  不思議で、あり得ない場所。
  本当に神様が住む場所があったのだとコウは思った。
  コウが周りに驚いている間に、男は冷静になっていったようだ。

 「お前は?」
 「……蝙蝠です。こんな状態ですみません、今は立てそうもなくて……」
 「わかっている、そのままで構わない。で、崖の上の者か」
 「はい。崖の上の国に住み、工場で働いていました」
 「で、その工場の工員がどういう訳でここにいる。まさか……ジイに無理矢理攫われたのではないだろうな!?」
 「えっと、ジイというのが声の主様でしたら、それは違います。僕は攫われたのではなく、落ちそうになっている所を助けていただいて、その後に、こちらで使用人として働かないかと、親切に勧誘されただけです」

  天に向かって控えめに指さすと、男は大げさに溜息をついた。

 「なるほど。お前の言う『声の主様』は『ジイ』で間違いない。ジイはジイイの意味、ジイサンのジイだ。まさかあいつ、別れてから一時間足らずで見つけてきたと言うのか。あの無茶振りに応えるというのか」

  納得いかないと男はぶつぶつと言う。
  男の怒りが向かうのは声の主だろう。しかしその怒りはコウを怯えさせた。
  男は体が大きい。コウよりずっとずっと高く、コウの知る誰よりも背が高い。コウはまだ腰が抜けて立てないが、並んでみれば頭二つ分の差があるだろう。
  筋肉はそれほどついていないのか、横幅は城にいる蝙蝠の警備使たちより細い。
  額にかかる髪を横に流していて、その下にある紫の瞳は深く濃く、じっと見ていると魅入られてしまいそうだ。
  服装はブラウスとズボン。腰には幅広の帯を巻いている。それはコウのいた場所では見たことがない着こなしだ。
  帯は複雑な文様が編み込まれ、ずっと見つめていたら目がちかちかしてしまうだろう。
  男がひと通り文句を言い尽くすのを待ちながらコウは男の顔を見る。
  男は美しい。
  コウは美しいものが好きだ。何の娯楽もない生活の中で、足元にある草や花をめで、星空を眺めるのが救いだった。
  コウはそんな自然の中にある美しさを男の中に感じていた。

 「……ん、どうした。この顔がそれほど珍しいか。お前の国にはない顔形でもしているのか」
 「そういう訳ではないのですが、あなたはとても綺麗です。だから、つい見惚れてしまいました」

  男は十分嫌味を込めたつもりだった。だがコウにその意図は伝わらなかった。それどころか大きな目をきらきらと輝かせている。

  一体なんなんだ、こいつは……

 少年期を過ぎているはずなのに頼りない体を持ち、その中身は少しもひねくれた所がなくまるで無垢のようだ。着ている物はボロでくすんだ銀色の髪も自分で切ったのかざんばらだが、こちらに向ける茶の瞳はまったく濁りがない。
  だから言葉で傷つけようとした自分が罪悪感を持ってしまう。

  参ったな。どう対応していいものやらわからない。

  男はまず視界からコウを外すために一度目を閉じた。
  コウはといえば、自分の言葉がどうやら男の機嫌を損ねてしまったのを何となく察する。

  どうしてだろう。綺麗なものを綺麗だと言っただけだのに。

  コウにはわからないが、男にとって美しい顔を褒められるのは幼い頃からのことだった。大人になってからも周りの賛辞はまずそこに集中し、かなりむかっぱらが立つ。
  そしてがっかりする。それを発した者とは二度と顔を合わせたくないとさえ思う。
  しかしどうしてだろう、媚びることも恥ずかしがることもなく、ただ思いを口にしたままのコウを見ていると、いつものような嫌悪はわかないのだ、なぜか。
  決して表に出してこなかったが、この男は子供が嫌いだ。
  我がままで真っ直ぐで、小賢しく小狡く逃げ足も早い。最後は泣けば何とかなると思っている。
  だから子供のようななりのコウも受け入れられないはずだが……

「すみません。僕はよくないことを言ってしまったようです。ごめんなさい」
 「いや謝る必要はない。お前はただジイに丸め込まれ連れてこられてしまっただけで非はない。それも突然のことだったのだろう。しかしお前にとっては不運だったとか言えん。すまないが、私はこの場所に他人を入れる気はないのだ。ここにあるのは小さな小屋のみ。その狭い空間で他人と暮らすなど考えられん」
 「そうなんですね……もしかしたら、受け入れられないかもしれないかもと聞いていました。こんな形で突然お邪魔したのでは、しょうがないです……」

  目の前の男は綺麗すぎて、自分が塵と間違えられたことにも納得がいく。
  しかし最初から断りを入れられてしまうことに、コウは少なからずショックを受ける。
  その可能性を声の主に言われては来たが、やはり人に拒否されるのは悲しい。
  コウのがっかりする顔をみて男の胸が痛む。まるで何の咎めもないはずの小動物を木の枝の先で無暗につつきいじめているようだ。
  どうしたものか、小さなバラの棘が男の心臓に刺さってしまったかのように、うずくように痛み続ける。
  コウを拒否するならこのまま無視してしまえばいいものを、男はまたうっかり優しく口を開いてしまっていた。

 「……お前、名前は?」
 「コウです。コウ・エル。十六歳の男です。蝙蝠です。でも黒蝙蝠ではありません。黒ではないのです」

  一生懸命に喋るコウが愛らしい。
  コウは黒蝙蝠でないことを気にしているようだが、男にとってはこだわる意味がわからない。

 「お前が何蝙蝠であろうと構わない。私の名はアスラン。龍だ。コウ、何度も言うが、私はジイが無理にここに人をやろうとするのを諦めさせる為に無理難題を言ったのだ。出す条件を持つ者を見つけてくれば受け入れを考えてもいいとな。私も大人だ。ジイの言うことを素直に受け入れられはせん。一人暮らしは初めてだが、誰の世話にならず、番つがいがなくともやっていける」

  龍と言われてもコウはその姿を想像できない。でもきっと声の主様と同じ大きな体で、キラキラした鱗を持つ獣なのだろうと想像するしかない。
  神域の空で呼び止められたということは、きっと空を飛ぶ種族なのだろうと当たりをつける。
  しかし、諦めさせるためと聞きいてしまうと、龍の正体が何であるかなんてことは吹き飛んでいた。

  アスラン様の言う通りだ。

  アスランは大人だ。それもコウとは比べものにならないほど立派な人だろう。自分一人の面倒など難なくできて当たり前なのだ。お世話係などいらないのだ。

 「……元々、雇うつもりはなかったのですね。諦めさせるために注文をつけたのに、声の主様がそれに気付かず、真に受けてしまった。そう言うことなんですね……」
 「その通りだ」

  アスランと名乗った男はコウの次の言葉を待ったが、コウは顔をこわばらせるだけだった。
  声が小さくなり、その身も小さくしているコウに、アスランの心に刺さる棘が一つではすまなくなっている。それを誤魔化すように無駄な咳払いをする。

 「……しかし……あれだ……一応、コウのことを聞かせてもらおうか……」
 「はい、もちろんです。何でも聞いてください。僕、頑張ってお仕事します」
 「早まるな、条件が合っても雇う気はない」
 「でも、僕のことを知りたいと思ってくれたのなら、嬉しいです」
 「うぬ……知りたいと思った訳ではないぞ。コウのこの先の身の振り方を考えるためでもあるのだ。ここに来たのだから地上での職はないのだろう」
 「はい、仕事は、失ったことになるのだと思います。会ったばかりの僕の先のことまで考えてくださって嬉しいです。ありがとうございます」

  コウはまっすぐにアスランの瞳を見る。アスランがたじろいでしまいそうに真っ直ぐな目だ。
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