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6 父の狂気に震える俺

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 退院してからの父さんは何だかバタバタとしていた。そして何度も俺にあっちの世界に行く覚悟はあるのか聞いてくる。

「歩に最後の確認。あっちの世界は日本みたいな娯楽は一切ない。とにかく何にもない。現代から過去の不便な時代にタイムスリップする事になるのと同じ。それでも、一緒に行くんだね?」
「もちろん行くよ」
「わかった。もうこれ以降は聞かない。あっちの生活がどうしてもダメになったら、時間はかかるだろうけど歩だけ日本に帰してもらおう」
「うん、どうしてもの時にはね」
「もうすぐだからねっ。もう歩に不自由させないから。家族で、暮らせるから」

 あれいる、これいらん……
 ぶつくさ言いながら荷造りする姿はちょっと怖くて、気楽に話しかけられない。
 異世界に持って行きたい物は身に着けておけばいいらしい。そうすれば一緒に運んでくれるって。その為の荷造りらしい。
 よくわかんないけど、わかったふりをする。
               
 まず教科書はいらないだろ、小説は少し持っていこう……
 リュックが三つと大型のスーツケース二つに、絶対に持って行きたい荷物をギュウギュウに詰め込んで準備完了。
 父さんは必要な書類を取り寄せて記入して投函し、身近な人には手紙を書いて、物の少なくなった部屋の机にスタンバイしていた。
 仕事は退職。銀行口座と保険は全部解約。お札は紙くずだからと金銀プラチナに変えた。硬貨はそのまま持って行く事にした。服や食器も最小限を残して処分。
 処分処分処分……
 なんか、俺達って、夜逃げでもするのでしょうか?
 そんな気持ちにさせるほど、父さんの断捨離ぶりは徹底していた。
 タイミングよくその時がやってきて、二人そろって、もちろん荷物抱えて、うまいこと異世界へ行けるといいけど……
 俺はだめだった時の策を頭に描いて、ダメージをいかに軽減するかも考えておかなきゃいけない。
 
「そろそろだ……数日中とみた」

 目をすっと細め、腕を組んで天井を仰ぐ、そんなポーズで時を見極めた父さんは、そろそろ学校に行かなくていいと俺に宣言した。
 この和室と異世界が繋がる日はもうすぐらしい。
 俺はここでようやく川ちゃんに引っ越しを告げる事を決心した。ずっと延ばしのばしにしてたけど、もう限界だ。

 川ちゃんはアルファの男性だ。
 背が高く足長で何をしてる訳じゃなくても目立つ。荒れて尖っていた小中学生時代の評判もあって同級生からは距離を置かれていたけど、今ではその印象もいい方へ変わってきている。
 部活はやらずに生徒会活動をしているせいか顔は広く知られていて、他学年の女子生徒からは人気を集めているらしい。

 話がしたいと改めて誘ったのは授業が終わってから。川ちゃんのクラスにお邪魔して、空いている窓際の席を借りた。
 教室に人がいなくなるまでと、父さんの入院話とか、購買のパンが値上げしたとか、そんな話をした。
 
「で、改まった話があるんだろう。どうしたんだ?」

 三階からグラウンドを見下ろして、トラックを走る陸上部を夢中で見てしまっていたけど、教室を見渡せば人が消えていた。

「うん、実はさ、引っ越す事になったんだ。父さんは仕事辞めたし、俺も近々高校辞める。たぶん」
「それって国内を移動するんじゃなくて、簡単には行けないような場所に行くって話?」

 用心深い言い回しに、うんうん頷く。

「もう準備は終わってる。俺まだ半信半疑って言うか、父さんを信じてない訳じゃないんだけど、頭で1%だけ否定してる感じも残ってる……」

 父さんを信じてるのに、どこからか煮え切らない思いが生まれてきたりする。
 俺の不安を受けとめるみたいに、川ちゃんが大きく頷く。

「もう出発するだけなら、考え過ぎないで気楽にいけよ。歩がもう一人の父親と一緒に暮らせるのならいい事だ。旅立ちに不安はつきものだろう」
「うん、川ちゃんにそう言ってもらえると、ほっとするな」
「もし上手くいかなければ帰ってくればいい。侑李さんは再就職して、歩はまた学生をする。面倒だけど難しくはないだろ。俺はずっとここにいると思うし、その時は何だって協力する。それがわかってれば、怖さも少しはなくなる」
「うう……川ちゃん……」

 力強い言葉にうるっとくる。そうだよ、ダメなら帰ってくればいい。単純な話じゃん。

「俺はさ、初めて歩を見た時にわかったんだ。いつかここを離れる人間だなって」
「初対面は小学生の時だよな。二年生。その時にそう思ったのか?」
「ああ、その後歩から異世界の話を聞いて、やっぱり勘は正しいって思った。俺の鋭さを俺は信じてる。異世界はあるし歩は異世界ハーフ。絶対にあっちでも幸せになれる」
「さすが。やっぱ川ちゃんは頼もしいわ」

 自信満々に言い切って、にっと笑うからつられちゃった。
 
「でも歩に会えなくなるのは、さみしいな。それはやっぱり嫌だ」

 川ちゃんが顔を隠すように横を向いてしまう。でも目をぱちぱちさせて涙が流れるのを阻止してるのがわかる。それがわかって俺まで泣きそうになってしまう。
 涙する川ちゃんの姿なんて、これまで見た事がなかった。いつも堂々としていて俺の前をずんずん歩く人だから。

「歩に会うのは、これが最後になりそうだ」

 静かな言葉だと思った。
 川ちゃんはたまにアルファの能力ってだけじゃ説明がつかない勘を働かせる。だからその言葉はきっと現実になる。
 俺達は今日で最後だ。

「川ちゃんがそう言うなら、今日でお別れか」
「うん、元気でな」
「あっちでも頑張るよ。川ちゃんも元気で」

 俺は川ちゃんの手をとって強く握る事しかできなかった。

「あーあ。歩がオメガだったら、この場でプロポーズするんだけどな。悪いけどそれで異世界行きは阻止する。で、すぐに結婚して、将来的に子供は五人とか産んでもらうの。友情婚ってのもいいだろ?」

 空気を換えるみたいに軽く言う。

「友情婚、も悪くはないよ。むしろ川ちゃんなら気を使わないぶん大歓迎」
「だよな。でもマジで言うなら俺はアルファ性が強いから、相手は絶対にオメガじゃないきゃ受け止めきれないんだよな」
「川ちゃんなら五人産んでくれるパートナー見つけて大切にできる。俺を守ってきた実績もある事だし、そこは保証できる」

 そこで川ちゃんが首をひねった。

「何言ってるんだ。ずっと守られてきたのは俺の方だろ。すぐに手も足も出る乱暴者に構う奴なんて、歩しかいなかった。俺が熱くなった時いつも上手に納めてくれたのは歩だろ」
「そう、だったっけ?」

 川ちゃんが振り上げる腕にしがみついて、まあまあ穏便に行こうよってヘラヘラ笑ってただけなんだけどな。

「とにかくそうなんだよ。歩には人を和ませる力がある。その力には随分世話になってきた」
「そっか。俺達二人って最強に相性が良かったんだな」

 今になってようやくそれに気付いた。
 握ったままの川ちゃんの手を見ていると、名残惜しすぎてもう離せない気がしてきた。

「おい、鼻水ふきたいから、手、そろそろ放せ」
「おおっ、ごめんごめん」

 それは大変とようやく手を解放して、ちょっと見つめ合って、ちょっと微笑んだ。
 それから何事もなかったかのように一緒に帰る事にした。
 駅まで歩いて電車に乗って、窓の外を見ながら適当な会話をして、着いた駅からまた歩いて……ばいばいって手を振って別れた。

 将来は五人の子のパパか……イケメン父ちゃんになるんだな……
 俺がじんわり川ちゃんを思っている横で、父さんは高校の退学届を黙々と記入していた。
 その姿を見た時、不安のピークが突如やってきた。それはやっぱり俺の最後の砦なんだと思い知った感じ。
 俺って高校中退になるの……?
 なんか俺も少しだけ調子に乗って準備してたけど、目の前にある退学届は衝撃的だった。それまでかかっていた魔法が嘘みたいに冷めて震えました。
 そんな目で改めて見る父さんの姿は、常軌を逸している。
 異世界異世界言っている父さんは相当ヤバイ。今更ながらヤバイ。
 これはもう別の病院に連れていった方がいいのではないかと、父さんはとっくにガチでヤバイ世界の住人かもと思ったその時だった。

「ん…………キターッ、歩! 早く早く! いまいまっ。すっごい目が回るうぅぅ。たぶん、これこれ。覚えてるのとおんなじぃ」
「ちょっと、思ったよりはやいんじゃないの。まじで、まじで、言ってる……?」

 父さんの悲鳴に近い命令で荷物を抱え、かなりのパニック。俺達は父親のいる異世界へと送還される時を迎えようとしていた。

「きっ、気持ちわるっ……これ、大事、歩、持って、うえっ」

 えづく父さんに準備していたすべての荷物を押し付けられ、俺は重みにふらつく。
 リュックを前後に担ぎ、もう一つを肩にぶら下げる。他の荷物を脇に抱え手にもどうにか持っている状態。なんでか父さんだけ手ぶら。気持ち悪いのわかるけど、一個だけでも持って。もう何十キロもの重みが俺にかかって潰れそう。
 重みにふらふらしていると、父さんが俺の膝にすがりついてくる。
 周囲の景色が歪んで、その中心に頭から吸い込まれていった。
 ぎゅーんって!
 これってチェスの駒じゃなくて掃除機じゃん。そう訴える余裕なんてなかった。


 耐えきれずに目を閉じた次には、石造りの立派な建物を遠くに見ながら地面に膝をついていた。
 究極の気持ち悪さに耐えたのは、体感でいえば五秒ほどだ。
 芝っぽい草の地面と土はふかふかで、体重のかかった膝はさほどダメージを受けていない。
 それよりもゲル状の波が作るマーブル模様の渦に飲み込まれて、おでこがぎゅーっと伸びて、体がぐにゃんぐにゃんになって別世界へ来てしまった方の事が衝撃だ。
 耳がキーンとなったのは飛行機に乗った時の気圧の影響を受けた時みたい、ってのは見栄をはった嘘。飛行機に乗ったことない。でも観光バスで山を越えた時みたいにキーンってツーンってなった。
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