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52 帰り道
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「彼のことは店主に頼んでおいたから大丈夫」
俺は飲んだくれるから二人で帰りなさいと、私たちはジェドさんに追い立てられた。
顔色はかわっていなかったけれど、この後また飲みだすのかと思うと心配だった。でもファーガス様が頼んでくれたのなら大丈夫だろう。
店を出る時には腰にあった手が、外に出ると自然に私に向けられて手を繋いだ。それも初めての指を絡める繋ぎ方だ。
私の小さくない手を包んでしまえるほどの、細く美しい指に大きな手。急に恥ずかしくなって、寒さで赤くなっているだろう鼻を撫でる。
城へは馬車を使って帰るのかと思ったら、ファーガス様はただ黙々と歩き続ける。すぐ横を通り抜ける馬に目をやりつつ、長い長い道のりを二人で歩く。
夜の景色の中に浮かぶのは点々とある街灯と窓からの灯り。そして月の明かり。見上げなくても、白い月が視界に入って来る。
いつもより大きく重く見えるのは、風がなく灰色の雲が前に厚いからだろうか。少しでも均衡が崩れれば、その位置はもっと低くなりそうだ。
寒い夜は見えない空気までも綺麗に見える。
ジェド様とも食事は思いもしない展開で終わったけれど、私はきっと満足しているのだ。
「パトリシア、私も白湯は好きだよ。ワインと紅茶の次にね」
果たしてそれは好きと言うのだろうか……
「あの、本当に冗談ですからお気遣いなく」
ファーガス様は白湯ショックをまだ引きずっていたようだ。どこまで本気で行っているのかわからないけどすごく神妙。
「せっかくの食事を邪魔して悪かった。後日、あのジェドにも謝っておこう。プロポーズの言葉が聞こえてしまって、頭に血が昇ってしまった。自分の気持ちを告げるのは勇気がいる。まして返事を求める相手がいるというのに、二人の世界に割り込んでしまった」
「私の方こそ謝らなくては。他の男性と食事に行ったわけですから。ファーガス様という方が……いるのに」
しきりに反省しているファーガスは新鮮だけど、彼の言う通り、男性との夜の食事はある意味特別かもしれない。
ジェドさんがどれだけ本気だったかは不明だけど、初恋の人にプロポーズされたのは事実。そのあと、ファーガス様は私を幸せにできると言ったのだ。
今頃になってその照れがやってきて暴れ出したくなった。
「耳が赤い。ジェドの言葉を思い出してた?」
「違います、全然違いますからっ」
「好きな女性をいじめるのは楽しいことだね。初めて知ったよ」
「ううっ」
事後処理や何かで忙しい身のはずなのに、彼の顔には疲れも翳りもないようで、相変わらずキラキラだ。なんだか悔しいと私は反撃する。
「夜会、とっても楽しかったんですよ」
「くっ……」
「いいんです。意地悪な女性はジェド様が退治してくれましたし、初めてのダンスも彼がリードしてくれました」
「ぐぬぬ……」
ファーガス様は悔しさを隠さずに、美しい顔をゆがめ呼吸を荒くしている。思った通り、私が夜会にジェドさんのエスコートで出席していたことはとっくに知っていたのだろう。
「でもそうやって楽しむことができたのも、被災地でのファーガス隊の活動があったから。誰も命を落とさず帰ってこられたからです」
「パトリシア……」
「本当に感謝しているんです。責任を果たして帰ってきてくれて」
確かにあの夜会は本当に楽しかった。ジェド様は自慢したくなるほどかっこよかったし、初めて出た夜会は成功だったのだと思う。
だけど……
隣にいる人を見上げる度に物足りなさを感じ、ファーガス様を思っていたのは確かだった。ドレス姿を見せたいと思ったのも、隣にしたジェドさんではなくファーガス様だった。
王子であっても無くても、騎士であってもなくても、この人はきっと自分が輝く場所にある。強く、優しく、気持ちに歪みがない人。
どうしてこれほどの人が、私を選ぶのだろう。
反省ばかりで、うじうじして、自分だけで迷い込んでは完結してばかりの私には、こんな人が頭の中で何を考えているのか想像もつかない。
「ファーガス様? 私、記憶が戻ってきています」
「そうか、それはよかった。やはり頭に異常が残っているのかと思うと心配だからね」
えっ、よかったの? ずっと記憶がない方がファーガス様にとっていいはずなのに。
意外な反応に正直そう言い出しそうになり、足が止まる。
「……だったらより、僕がどれほど君を愛しているかがわかっただろう?」
泰然と笑うファーガス様。
私はもっと慌てふためく彼を想像してきたのに。いつもいつもこの人には裏切られる。
何なのこの人……
もう私はあなたの嘘に気付いていますと告白しているのに、どうしてこう堂々としていられるのだろう。
嘘つきで、変態で、なのに王子で、近衛では隊長職……絶対におかしいから、この人。
絶句して見上げていると、その涼しい横顔が段々と小憎らしくなってくる。
「どうして、嘘をついたんですか?」
「君が好きだから」
「しかもキスするとか……」
「魅力的な唇がすぐそこにあったら、抗えるわけない」
「いつも私を、睨んでいました」
「睨んでなどいない。君の姿を目に焼き付けておくためだった」
「私のタオルとかも……」
「慎ましい君が、そっと残してくれた好意のサイン。嬉しかったよ」
「……そこは……ぶれないんですね」
最後の質問はいらなかったかもしれない。
「なぜ、私なんでしょう? 私より美しい人は沢山いるし、あなたの役に立つよき理解者となれる人だって大勢いるはずです。なのに、どうして私なのかって、ずっと思っていました」
私の質問にファーガスは片方の口許を上げる、怒らせてしまったかと思ったけれど、それは一瞬だけの事だった。
「女性と付き合うこと、特に結婚は利害関係での結びつきとしての価値しかないとずっと思っていた。相手はどこの誰であってもいいし、その時の政治によって都合が悪ければ相手は変わるのが普通だ。でも、例えそういう物であっても、僕にとって結婚は非現実だった」
ファーガス様が淡々と語る結婚観は、情熱的な彼には程遠いものに感じた。
「どうして君を愛してしまったかなんて、世の中の恋する男に正確にそれを説明できる人間が果たしているのだろうか。僕は君に恋をした。涼やかな笑顔に、清楚な出で立ちに、控えめな性格に。君と言う存在を知って何もかもを知りたくなった。たまにフッと気配をなくし消えてしまう君を探すのが、何より楽しかった」
涼やかな顔、清楚……それが自分のことを指しているのだと思うといたたまれない。私は決してそんな上等なものではない。
「自らの愛を貫き尽くせば、やがてそれは叶い本物になる……こうして、本物になった」
ファーガスは感激しているようだ。罪悪感もなにもないように。
ほんとうにもう、この人は……
その掴みどころのなさに、がっかりしたような、ほっとしたような。でもこれが、この人らしさなのだろう。
うん、ちょっと私も彼をわかってきている。
大きな体が寄り添って来て影が私に落ち、かすめるようなキスをして去った。
触れるだけのキスにぼんやりとした温度を探す。
ファーガス様が帰ってきた。
繋いでいる手より先に、刹那触れ合っただけの唇からそれを感じた。
恋はいつか冷める。
彼は私の表に出ている一部分、ある一面しか見ていないはずで、そうとは知らなかった面で彼が私に引くことも、気持ちが変わることもあるはずだ。
そして、美しい人、心優しい人、そんな私よりも素敵な人をいつか見つけるかもしれない。
突然熱した恋は、急速に冷めやすくもある。それまでに、私たちの間に、信頼や絆ができるのだろうか。
できていたとするのなら、きっとその時は……想像するのは怖いけど……どんな未来があるのだろう。
と、そこでハタと気持ちがストップをかける。
そういえば、ファーガス様は隊の人たちとは違って一足遅い帰還だったし、その後もさっぱり連絡をくれなかった。派遣先で何があったのかと思い至った所で、王城も門を抜けて、寮が間近に迫っていた。
彼の言動に対する謎は尽きない。
長い時間のはずだった帰り道が、考えているうちにもう終わりに近づいていたのだ。
寮の前までは行かず、ファーガス様は立ち止まった。
きっと私の立場を配慮してくれているのだろう。敷地内でのデートはひと目を憚らなかったけれど、今は夜も更けている。何かと誤解を与え想像させる時間だ。
「じゃあ、また後で」
頬に頬を寄せただけで、ファーガス様は大人しく帰って行った。
後でって、明日って意味だよね?
ファーガス様を見送り、私は寮に入ることにした。
俺は飲んだくれるから二人で帰りなさいと、私たちはジェドさんに追い立てられた。
顔色はかわっていなかったけれど、この後また飲みだすのかと思うと心配だった。でもファーガス様が頼んでくれたのなら大丈夫だろう。
店を出る時には腰にあった手が、外に出ると自然に私に向けられて手を繋いだ。それも初めての指を絡める繋ぎ方だ。
私の小さくない手を包んでしまえるほどの、細く美しい指に大きな手。急に恥ずかしくなって、寒さで赤くなっているだろう鼻を撫でる。
城へは馬車を使って帰るのかと思ったら、ファーガス様はただ黙々と歩き続ける。すぐ横を通り抜ける馬に目をやりつつ、長い長い道のりを二人で歩く。
夜の景色の中に浮かぶのは点々とある街灯と窓からの灯り。そして月の明かり。見上げなくても、白い月が視界に入って来る。
いつもより大きく重く見えるのは、風がなく灰色の雲が前に厚いからだろうか。少しでも均衡が崩れれば、その位置はもっと低くなりそうだ。
寒い夜は見えない空気までも綺麗に見える。
ジェド様とも食事は思いもしない展開で終わったけれど、私はきっと満足しているのだ。
「パトリシア、私も白湯は好きだよ。ワインと紅茶の次にね」
果たしてそれは好きと言うのだろうか……
「あの、本当に冗談ですからお気遣いなく」
ファーガス様は白湯ショックをまだ引きずっていたようだ。どこまで本気で行っているのかわからないけどすごく神妙。
「せっかくの食事を邪魔して悪かった。後日、あのジェドにも謝っておこう。プロポーズの言葉が聞こえてしまって、頭に血が昇ってしまった。自分の気持ちを告げるのは勇気がいる。まして返事を求める相手がいるというのに、二人の世界に割り込んでしまった」
「私の方こそ謝らなくては。他の男性と食事に行ったわけですから。ファーガス様という方が……いるのに」
しきりに反省しているファーガスは新鮮だけど、彼の言う通り、男性との夜の食事はある意味特別かもしれない。
ジェドさんがどれだけ本気だったかは不明だけど、初恋の人にプロポーズされたのは事実。そのあと、ファーガス様は私を幸せにできると言ったのだ。
今頃になってその照れがやってきて暴れ出したくなった。
「耳が赤い。ジェドの言葉を思い出してた?」
「違います、全然違いますからっ」
「好きな女性をいじめるのは楽しいことだね。初めて知ったよ」
「ううっ」
事後処理や何かで忙しい身のはずなのに、彼の顔には疲れも翳りもないようで、相変わらずキラキラだ。なんだか悔しいと私は反撃する。
「夜会、とっても楽しかったんですよ」
「くっ……」
「いいんです。意地悪な女性はジェド様が退治してくれましたし、初めてのダンスも彼がリードしてくれました」
「ぐぬぬ……」
ファーガス様は悔しさを隠さずに、美しい顔をゆがめ呼吸を荒くしている。思った通り、私が夜会にジェドさんのエスコートで出席していたことはとっくに知っていたのだろう。
「でもそうやって楽しむことができたのも、被災地でのファーガス隊の活動があったから。誰も命を落とさず帰ってこられたからです」
「パトリシア……」
「本当に感謝しているんです。責任を果たして帰ってきてくれて」
確かにあの夜会は本当に楽しかった。ジェド様は自慢したくなるほどかっこよかったし、初めて出た夜会は成功だったのだと思う。
だけど……
隣にいる人を見上げる度に物足りなさを感じ、ファーガス様を思っていたのは確かだった。ドレス姿を見せたいと思ったのも、隣にしたジェドさんではなくファーガス様だった。
王子であっても無くても、騎士であってもなくても、この人はきっと自分が輝く場所にある。強く、優しく、気持ちに歪みがない人。
どうしてこれほどの人が、私を選ぶのだろう。
反省ばかりで、うじうじして、自分だけで迷い込んでは完結してばかりの私には、こんな人が頭の中で何を考えているのか想像もつかない。
「ファーガス様? 私、記憶が戻ってきています」
「そうか、それはよかった。やはり頭に異常が残っているのかと思うと心配だからね」
えっ、よかったの? ずっと記憶がない方がファーガス様にとっていいはずなのに。
意外な反応に正直そう言い出しそうになり、足が止まる。
「……だったらより、僕がどれほど君を愛しているかがわかっただろう?」
泰然と笑うファーガス様。
私はもっと慌てふためく彼を想像してきたのに。いつもいつもこの人には裏切られる。
何なのこの人……
もう私はあなたの嘘に気付いていますと告白しているのに、どうしてこう堂々としていられるのだろう。
嘘つきで、変態で、なのに王子で、近衛では隊長職……絶対におかしいから、この人。
絶句して見上げていると、その涼しい横顔が段々と小憎らしくなってくる。
「どうして、嘘をついたんですか?」
「君が好きだから」
「しかもキスするとか……」
「魅力的な唇がすぐそこにあったら、抗えるわけない」
「いつも私を、睨んでいました」
「睨んでなどいない。君の姿を目に焼き付けておくためだった」
「私のタオルとかも……」
「慎ましい君が、そっと残してくれた好意のサイン。嬉しかったよ」
「……そこは……ぶれないんですね」
最後の質問はいらなかったかもしれない。
「なぜ、私なんでしょう? 私より美しい人は沢山いるし、あなたの役に立つよき理解者となれる人だって大勢いるはずです。なのに、どうして私なのかって、ずっと思っていました」
私の質問にファーガスは片方の口許を上げる、怒らせてしまったかと思ったけれど、それは一瞬だけの事だった。
「女性と付き合うこと、特に結婚は利害関係での結びつきとしての価値しかないとずっと思っていた。相手はどこの誰であってもいいし、その時の政治によって都合が悪ければ相手は変わるのが普通だ。でも、例えそういう物であっても、僕にとって結婚は非現実だった」
ファーガス様が淡々と語る結婚観は、情熱的な彼には程遠いものに感じた。
「どうして君を愛してしまったかなんて、世の中の恋する男に正確にそれを説明できる人間が果たしているのだろうか。僕は君に恋をした。涼やかな笑顔に、清楚な出で立ちに、控えめな性格に。君と言う存在を知って何もかもを知りたくなった。たまにフッと気配をなくし消えてしまう君を探すのが、何より楽しかった」
涼やかな顔、清楚……それが自分のことを指しているのだと思うといたたまれない。私は決してそんな上等なものではない。
「自らの愛を貫き尽くせば、やがてそれは叶い本物になる……こうして、本物になった」
ファーガスは感激しているようだ。罪悪感もなにもないように。
ほんとうにもう、この人は……
その掴みどころのなさに、がっかりしたような、ほっとしたような。でもこれが、この人らしさなのだろう。
うん、ちょっと私も彼をわかってきている。
大きな体が寄り添って来て影が私に落ち、かすめるようなキスをして去った。
触れるだけのキスにぼんやりとした温度を探す。
ファーガス様が帰ってきた。
繋いでいる手より先に、刹那触れ合っただけの唇からそれを感じた。
恋はいつか冷める。
彼は私の表に出ている一部分、ある一面しか見ていないはずで、そうとは知らなかった面で彼が私に引くことも、気持ちが変わることもあるはずだ。
そして、美しい人、心優しい人、そんな私よりも素敵な人をいつか見つけるかもしれない。
突然熱した恋は、急速に冷めやすくもある。それまでに、私たちの間に、信頼や絆ができるのだろうか。
できていたとするのなら、きっとその時は……想像するのは怖いけど……どんな未来があるのだろう。
と、そこでハタと気持ちがストップをかける。
そういえば、ファーガス様は隊の人たちとは違って一足遅い帰還だったし、その後もさっぱり連絡をくれなかった。派遣先で何があったのかと思い至った所で、王城も門を抜けて、寮が間近に迫っていた。
彼の言動に対する謎は尽きない。
長い時間のはずだった帰り道が、考えているうちにもう終わりに近づいていたのだ。
寮の前までは行かず、ファーガス様は立ち止まった。
きっと私の立場を配慮してくれているのだろう。敷地内でのデートはひと目を憚らなかったけれど、今は夜も更けている。何かと誤解を与え想像させる時間だ。
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