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36 施設
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目指す施設はすぐにわかった。
民家が点在する中、真っ直ぐ進むさきに造りの違う建物があったからだ。学校にも見えなくもない大きな建物が緑の中に埋もれている。
予想通り、馬車はその建物の門を通り抜け、玄関の前で止まる。
四角くて石造りで飾りけがなく、正面には窓がたくさん付いている建物。それの全部が入所する子どもの個室なのかと思いながら、下から一番上の五階までに目をやった。
レーンは一足先に降り、迎えに出てきた男性二人と握手を交わす。それに対してようやくのっそり降りた俺は、三人に見守られながら歩き、差し出された手を順に握った。
足元はふわふわしてるのに、握られた手は普通の感覚がある。
五十代の白髪の混じった男性とその息子と思わしき三十代男性。顔が似ているから誰が見ても親子だとわかる。それ以上に持っている雰囲気の柔らかさが同じ色のような気がする。
レーンは大して喋りもせず事務的な言葉を幾度か交わして、この場を去る意思を伝えていた。
「じゃあな」
「もう行くの」
「言っただろ。弱った子豚は俺の調子を崩すと」
「ああ、そうだったね。そりゃ大変」
これで最後なのに案外言葉はプツプツとしか出てこないものだなと思いながら、何の感慨もなく出されたレーンの手を握った。
もう二度と会うこともないと思うからか、これまでレーンに対して持っていた良いも悪いも消え、本当にゼロに戻った感じがする。
「……そうだ、レーン。奴隷が必要になったらいつでもなってやるよ。約束だし何でもするからな」
受けた恩は返さなきゃならんと、さらっと最後に付け足した。
レーンは馬車の方向を変えジェイクに会わせてくれた。初めて俺に折れてくれたんだ。結末がどうなるかわかっていながらしてくれたんだ。感謝はしておこう。
「下品な事を言うなと言っただろう」
「冗談は言ってない」
奴隷って言葉に施設のおっちゃん二人がぎょっとしていた。レーンはそれに焦ればいいのにそうでもないから可愛げがない。
二人の男性に何でもないのだと頷き見事に繕っていた。こっちは冗談なんかじゃないのに。
「トモエ、用意しておいた荷物はもう部屋に入っているそうだ。他に必要な物があればこのベケット先生に言えばいい」
「それは、先生を通してジェイクが負担してくれるってこと? 荷物もそうなの?」
「遠慮は必要ない」
レーンはそれに答えずに、二人の先生によろしくと目礼し、結構あっさりと帰っていった。
俺はその場でベケットの白髪爺ちゃんの方に、服についていた土埃を払われ、ハンカチで顔をこすられ、手櫛で髪を整えらえた。
ガサガサの大きな手にそんな事をされて、俺はなすがまま。
それから子供のように手を引かれ、施設長の部屋に案内された。
レーンと喋ってるとわからなくなるけど、俺のなりは子供だったんだな。
椅子に座らされてお茶を飲まされ、菓子を食わされ説明を受けたけれど、何だかそこからもぼうっとして聞き逃しばっかりだった。
このベケット二人に対する印象は最初から変わらない。悪くない人だと思う。
施設なんてどこも一緒だと思っているけど、流石にジェイクが選んで、レーンがいい場所だと言った所だけあってきっちりしてると思った。
今日はたまたま施設長である爺ちゃんベケットがいるけど、普段は忙しく国中をあちこちと行き来しているらしい。
どうやらここから養子へと全国に散らばった子に不自由がないか追跡調査しているそうだ。それは挨拶がてらというより、はっきり虐待を受けていないか大事にされているかが目的みたいに感じた。
この爺ちゃんは本気でここを卒業した子が気になってしまう心配性らしい。
それには息子のおっさんベケットも呆れているみたいで、交通費がばかにならないと嘆いている。もはや一緒に暮らす必要がないほど、各々が独立した家族みたいだ。
だから居ない人はあてにしないで、普段はおっさんベケットがここの責任者として、爺ちゃんの奥さんであるベケット夫人は食堂なんかの裏方を担って、三人家族で切り盛りしているらしい。
規模が大きいので通いで人を雇っていて、学校に行かなくても教師が派遣されて毎日授業があると言う。
大きいと聞いて百人くらいいるのかと思ったら、施設にいる子供は二十人ほど。それも男子ばかり。
引き取り先が決まると出ていってしまうし、新たに入ってくる子もいるから数字は流動的だ。
それでも俺には少人数な印象がある。学校のひとクラスより少ない。
年齢の幅は四歳~十四歳まで。離島の小規模小学校だと思えば楽しくなりそうな気もする。
建物の構造は単純でわかりやすい。
一階は風呂や食堂、図書室、談話室、授業室、施設長室などのパブリックスペース。本館と廊下で繋がっている平屋の建物が、管理者であるベケット家の陣地らしい。
五階は立入禁止。物置みたいになってるみたいで、興味を持って上を探検してもなにも出てこないらしい。
上がってすぐに足元は埃が積もっているから、もう誰も入る気を起こさないんだと。体が痒くなるだけだだし、覗きに行ったとしても好奇心はさほど満たされないし損だと注意を受けた。
歴史がある建物らしく、それほど百年分が溜まっているんだと。
そうなる前に誰も掃除をしようと思わなかったのだろうか。やっぱりここは大らかすぎる。
二階から四階は個室になっていて、日当たりのいい場所から子供を入れていて、空き部屋も多いみたいだ。
俺の部屋は三階の階段を上がってすぐの部屋。
建物の真ん中にある階段を登れば、そこから左右に伸びる廊下がある。そして廊下を挟むように個室が両脇に並んでいる。
全階が同じ設計だとすると、ワンフロアに十数部屋あり、各階に共同のトイレと洗面があることになる。
個室はドアを開けると十畳ほどの長方形があって、正面にある唯一の窓のすぐ下には壁に沿うようにベッドが配置されている。右には勉強机、左にはチェスト。
チェストの下にはカバンが三つ置かれていて、ここまで案内してくれたおっさんベケットによると、前もって送ってこられた俺の荷物だと言うことだった。
見た事ない鞄だけど、俺の物らしい。
ベケットは俺が持って来た鞄二つをそこに加える。
「さて、一緒に荷解きでもするか」
「いえ、今はいいです。明日から一人でゆっくりやりますから」
「そうか。移動は疲れただろうし少し休むといいね」
「そうさせてもらいます」
一緒にするのが当たり前みたいに言うベネットを制して、一人がいいのだと告げる。
「けれど、休むにしても着替えはした方がいい。ちょっと荷物開けていいかな。着替えはこっちに入ってるよね」
今日病院から持って来た方の鞄に手をかけ、俺が頷くのを確認すると、中から適当に服を引っ張り出す。
そして、ぼさっと見ているだけの俺の服を脱がして、シャツとズボンを着替えさせてくれる。
手をあげてとか、今度はこっちの足ねとか、声も掛けてくれるし、すごく手際がいい。
「私は教員室か食堂か、探せばすぐに見つかる場所にいるから、落ち着いたら来てくれるかな? 明日はこの施設のかかりつけ病院に一緒に行って健診だ。きっと注射はないから安心してね」
「わかりました。でも俺、注射も平気ですよ」
「それは頼もしいね。病院ってだけで怯えちゃう子が多いから、抵抗がないなら今度小さな子たちの補助を頼もうかな」
「喜んでやらせてもらいます」
ここへ到着してからの俺の頭はどうかしていて、ベケット二人の前だといい子モードが入ってくる。
疲れているからそこに笑顔は付けられないけど、捨てられてここへ来た子供の態度としてはさほど悪くない方だろう。とりあえず、打ちひしがれているのは本当だし、気力がないのも演技じゃない。
そのうち本来の言葉の悪さも解禁されるかもしれないけど、色いろ面倒なのに今は敬語が自然についてしまう。
これもここで上手くやっていくための防衛本能ってやつだろうか。子供の頃にいつの間にか身に着けた物だと思うと、自分のことながら湿っぽくなる。
ベケットに今夜は一緒に寝るかと聞かれたけれど、俺は丁寧にお断りした。
「じゃあ、あとでね」
ベケットが出て行ってパタリと扉が閉まると小さくほっとする。
ここも土足禁止にしなきゃ。
そこまで考えて、ジェイクと暮らし始めた頃を思い出した。
ジェイクはベニーと、恐らく王都。そして俺は、ここでやっていく。それでいい、それを受け入れた。
枯れたはずの涙がまだ出てきてベッドに飛び込んだ。
天井の木目には人の顔が隠れているというけれど、この部屋には顔じゃなくて目ばかりが多い。天井だからと安い部材で誤魔化したのだろうか。
この目は俺をどう見ているのだろう。
今だけは可哀想な子って、そう見ていいぞ。
そんな多くの目に見下ろされながら俺は目を閉じた。
民家が点在する中、真っ直ぐ進むさきに造りの違う建物があったからだ。学校にも見えなくもない大きな建物が緑の中に埋もれている。
予想通り、馬車はその建物の門を通り抜け、玄関の前で止まる。
四角くて石造りで飾りけがなく、正面には窓がたくさん付いている建物。それの全部が入所する子どもの個室なのかと思いながら、下から一番上の五階までに目をやった。
レーンは一足先に降り、迎えに出てきた男性二人と握手を交わす。それに対してようやくのっそり降りた俺は、三人に見守られながら歩き、差し出された手を順に握った。
足元はふわふわしてるのに、握られた手は普通の感覚がある。
五十代の白髪の混じった男性とその息子と思わしき三十代男性。顔が似ているから誰が見ても親子だとわかる。それ以上に持っている雰囲気の柔らかさが同じ色のような気がする。
レーンは大して喋りもせず事務的な言葉を幾度か交わして、この場を去る意思を伝えていた。
「じゃあな」
「もう行くの」
「言っただろ。弱った子豚は俺の調子を崩すと」
「ああ、そうだったね。そりゃ大変」
これで最後なのに案外言葉はプツプツとしか出てこないものだなと思いながら、何の感慨もなく出されたレーンの手を握った。
もう二度と会うこともないと思うからか、これまでレーンに対して持っていた良いも悪いも消え、本当にゼロに戻った感じがする。
「……そうだ、レーン。奴隷が必要になったらいつでもなってやるよ。約束だし何でもするからな」
受けた恩は返さなきゃならんと、さらっと最後に付け足した。
レーンは馬車の方向を変えジェイクに会わせてくれた。初めて俺に折れてくれたんだ。結末がどうなるかわかっていながらしてくれたんだ。感謝はしておこう。
「下品な事を言うなと言っただろう」
「冗談は言ってない」
奴隷って言葉に施設のおっちゃん二人がぎょっとしていた。レーンはそれに焦ればいいのにそうでもないから可愛げがない。
二人の男性に何でもないのだと頷き見事に繕っていた。こっちは冗談なんかじゃないのに。
「トモエ、用意しておいた荷物はもう部屋に入っているそうだ。他に必要な物があればこのベケット先生に言えばいい」
「それは、先生を通してジェイクが負担してくれるってこと? 荷物もそうなの?」
「遠慮は必要ない」
レーンはそれに答えずに、二人の先生によろしくと目礼し、結構あっさりと帰っていった。
俺はその場でベケットの白髪爺ちゃんの方に、服についていた土埃を払われ、ハンカチで顔をこすられ、手櫛で髪を整えらえた。
ガサガサの大きな手にそんな事をされて、俺はなすがまま。
それから子供のように手を引かれ、施設長の部屋に案内された。
レーンと喋ってるとわからなくなるけど、俺のなりは子供だったんだな。
椅子に座らされてお茶を飲まされ、菓子を食わされ説明を受けたけれど、何だかそこからもぼうっとして聞き逃しばっかりだった。
このベケット二人に対する印象は最初から変わらない。悪くない人だと思う。
施設なんてどこも一緒だと思っているけど、流石にジェイクが選んで、レーンがいい場所だと言った所だけあってきっちりしてると思った。
今日はたまたま施設長である爺ちゃんベケットがいるけど、普段は忙しく国中をあちこちと行き来しているらしい。
どうやらここから養子へと全国に散らばった子に不自由がないか追跡調査しているそうだ。それは挨拶がてらというより、はっきり虐待を受けていないか大事にされているかが目的みたいに感じた。
この爺ちゃんは本気でここを卒業した子が気になってしまう心配性らしい。
それには息子のおっさんベケットも呆れているみたいで、交通費がばかにならないと嘆いている。もはや一緒に暮らす必要がないほど、各々が独立した家族みたいだ。
だから居ない人はあてにしないで、普段はおっさんベケットがここの責任者として、爺ちゃんの奥さんであるベケット夫人は食堂なんかの裏方を担って、三人家族で切り盛りしているらしい。
規模が大きいので通いで人を雇っていて、学校に行かなくても教師が派遣されて毎日授業があると言う。
大きいと聞いて百人くらいいるのかと思ったら、施設にいる子供は二十人ほど。それも男子ばかり。
引き取り先が決まると出ていってしまうし、新たに入ってくる子もいるから数字は流動的だ。
それでも俺には少人数な印象がある。学校のひとクラスより少ない。
年齢の幅は四歳~十四歳まで。離島の小規模小学校だと思えば楽しくなりそうな気もする。
建物の構造は単純でわかりやすい。
一階は風呂や食堂、図書室、談話室、授業室、施設長室などのパブリックスペース。本館と廊下で繋がっている平屋の建物が、管理者であるベケット家の陣地らしい。
五階は立入禁止。物置みたいになってるみたいで、興味を持って上を探検してもなにも出てこないらしい。
上がってすぐに足元は埃が積もっているから、もう誰も入る気を起こさないんだと。体が痒くなるだけだだし、覗きに行ったとしても好奇心はさほど満たされないし損だと注意を受けた。
歴史がある建物らしく、それほど百年分が溜まっているんだと。
そうなる前に誰も掃除をしようと思わなかったのだろうか。やっぱりここは大らかすぎる。
二階から四階は個室になっていて、日当たりのいい場所から子供を入れていて、空き部屋も多いみたいだ。
俺の部屋は三階の階段を上がってすぐの部屋。
建物の真ん中にある階段を登れば、そこから左右に伸びる廊下がある。そして廊下を挟むように個室が両脇に並んでいる。
全階が同じ設計だとすると、ワンフロアに十数部屋あり、各階に共同のトイレと洗面があることになる。
個室はドアを開けると十畳ほどの長方形があって、正面にある唯一の窓のすぐ下には壁に沿うようにベッドが配置されている。右には勉強机、左にはチェスト。
チェストの下にはカバンが三つ置かれていて、ここまで案内してくれたおっさんベケットによると、前もって送ってこられた俺の荷物だと言うことだった。
見た事ない鞄だけど、俺の物らしい。
ベケットは俺が持って来た鞄二つをそこに加える。
「さて、一緒に荷解きでもするか」
「いえ、今はいいです。明日から一人でゆっくりやりますから」
「そうか。移動は疲れただろうし少し休むといいね」
「そうさせてもらいます」
一緒にするのが当たり前みたいに言うベネットを制して、一人がいいのだと告げる。
「けれど、休むにしても着替えはした方がいい。ちょっと荷物開けていいかな。着替えはこっちに入ってるよね」
今日病院から持って来た方の鞄に手をかけ、俺が頷くのを確認すると、中から適当に服を引っ張り出す。
そして、ぼさっと見ているだけの俺の服を脱がして、シャツとズボンを着替えさせてくれる。
手をあげてとか、今度はこっちの足ねとか、声も掛けてくれるし、すごく手際がいい。
「私は教員室か食堂か、探せばすぐに見つかる場所にいるから、落ち着いたら来てくれるかな? 明日はこの施設のかかりつけ病院に一緒に行って健診だ。きっと注射はないから安心してね」
「わかりました。でも俺、注射も平気ですよ」
「それは頼もしいね。病院ってだけで怯えちゃう子が多いから、抵抗がないなら今度小さな子たちの補助を頼もうかな」
「喜んでやらせてもらいます」
ここへ到着してからの俺の頭はどうかしていて、ベケット二人の前だといい子モードが入ってくる。
疲れているからそこに笑顔は付けられないけど、捨てられてここへ来た子供の態度としてはさほど悪くない方だろう。とりあえず、打ちひしがれているのは本当だし、気力がないのも演技じゃない。
そのうち本来の言葉の悪さも解禁されるかもしれないけど、色いろ面倒なのに今は敬語が自然についてしまう。
これもここで上手くやっていくための防衛本能ってやつだろうか。子供の頃にいつの間にか身に着けた物だと思うと、自分のことながら湿っぽくなる。
ベケットに今夜は一緒に寝るかと聞かれたけれど、俺は丁寧にお断りした。
「じゃあ、あとでね」
ベケットが出て行ってパタリと扉が閉まると小さくほっとする。
ここも土足禁止にしなきゃ。
そこまで考えて、ジェイクと暮らし始めた頃を思い出した。
ジェイクはベニーと、恐らく王都。そして俺は、ここでやっていく。それでいい、それを受け入れた。
枯れたはずの涙がまだ出てきてベッドに飛び込んだ。
天井の木目には人の顔が隠れているというけれど、この部屋には顔じゃなくて目ばかりが多い。天井だからと安い部材で誤魔化したのだろうか。
この目は俺をどう見ているのだろう。
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