子豚の魔法が解けるまで

宇井

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58 王都

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※1万字程度ですがアップします。不定期なので完結はまだまだ先となります。





 別れの時はすぐにやってきた。
 半年後には二人で様子を見に行くと言うからまた会える。だけどその後はまたお別れだ。
 アイザックは絶対に泣くんじゃないかと覚悟していたのに、ふたを開けてみればイノセが静かに男泣きしていた。
 だから調子の狂った俺まで泣かされて、この世の終わりみたいにしんみりして馬車に乗り込んだ。
 必用な荷物は先に送ってあるから手にした荷物は大きなバックひとつ。着ている服は近所のおばちゃんが作ってくれたシャツにズボンにベスト。この日のために入手した型紙でわざわざ作ってくれたものだ。
 見送りしてくれるみんなに腕がちぎれるほどに手を振って、でも姿が見えなくなったら心は落ち着いた。

 旅の仲間は王都に近い町で馬方をしているおじさん。俺の乗った車は王都の方向からやってきたことになる。
 田舎道の悪路に体を揺らしながら、馬を変えつつ四日移動。その間はその土地の宿にお世話になった。
 のんびりゆっくり行くのかと思いきや、馬車はめっちゃ急ぎで駆けていく。
 車窓を楽しむ余裕なんてなく、上下に跳ねる体が天井にぶつからないように支えるの必死。俺はこの移動にぐったりうんざりしていた。
 そしてベケット先生のいる懐かしい施設でも一泊お世話になった。
 爺ちゃんベケットは相変わらず留守で国を渡り歩いている。ベケット先生は白髪交じりのロン毛になっていた。子供達は当然みんな入れ替わっていて、俺の知る顔はなかった。
 そしてまだ日が明けない頃に出発しまた一泊して王都へ入った。



 王都は都会。それはわかっていた。だけど思っていたより規模が大きくて驚いた。
 都の一番外側にあるのは万里の長城のような城壁。
 城壁の手前は見慣れた田園と住宅が広がっているのに、突然目の前に巨大な建造物が立ちはだかる。
 壁は三階建て位の高さで奥行は十メートルもあるから、壁と表現するより立派な建物と言っていい。
 この巨大な壁は十キロにも渡る。途中でただのペラペラな壁になる場所もあるが大陸随一の要塞都市。

 壁には昔から人が住んでいて、国の兵士たちはそこに住みながら戦に備えていたらしい。
 今では転用され商店や民家になっている。それでも戦の影として、部分部分が修復され補強されているのが、色や形の違いからわかる。
 それでも年月を経ても崩れる事なく歴史を伝えている。きっと昔は国で一番の堅牢な建造だったのだろう。
 最初の砦のせいか、窓は小さく入り口も小さくて住むには適さないと思うけれど、辺りは人でにぎわっていた。
 城壁の中にあるのはごく普通の低めの建物が並ぶ町だ。
 通路脇にはテーブルが置かれ、その上には鉢花が置かれている。そこで人が飲み食いしている。
 壁を過ぎてから馬車はぐんとスピードを緩め、ゆっくりと周りを観察することができた。

 しばらく進むと第二の壁があって、最初と同じく人が住んでいるのがわかった。
 第一の壁とは違い修復の跡はなく、こちらは襲撃されなかったのだろうと想像する。
 こちらも大きくない建物が並んでおり、どれも密集していて細い路地があちこちにある。
 歴史的な建物が多く、見所がありすぎてきょろきょろしてしまう。
 町の中心に向かってなだらかに上がっていく坂。坂の行き止まりには王城があり、城の後ろには大河がある事になる。
 初めての景色……どこにも同じものがない、唯一の景色だ。
 田舎者丸出しで呆けているうちに馬車は目的地へ到着した。

 人だらけじゃん!
 馬車が集まる停留所。王都交通の要になる中央停留所は人だけでなく物まで集結する。
 一応、人と物との発着場所は区別されているけれど逞しい体で荷を運ぶのを職業とする人と一般の利用客が混じり合っている。
 だから場所によっては肩と肩とがぶつかるほど混み合っている。王都の洗練された、みたいな雰囲気はなくて雑多な感じでちょっとだけほっとしてしまう。
 その停留所の端っこで降ろされて、ここからは本当に一人になった。
 
 城壁の内側はわかりやすい作りになっている。
 第一と第二の壁の間は複雑に入り組み袋小路まであるけれど、そこから城のある方角までは升目で区切られたようになっている。どの通りにも名前が付けられ番号がふられていて、通りさえ正確にわかれば目的地がはっきりして迷子になりにくい。
 とは言っても、王都の広域地図をみると小さな文字が並び過ぎていて集中力がいるけどね。
 とりあえず今は寮までたどり着くのが目標だ。
 寮までの道のりは徒歩。場所までのルートはあらかじめ確認してあるけれど、まずは方向感というか自分の位置を正確に把握する必要がある。
 表札表札……と。
 通り名を調べられる道標を探すため、きょろきょろと目を動かす。
 着替えやら何やらが入った鞄をしっかり握って。泥棒に取られることのないように警戒心もしっかりもっている。
 なかなか目標が見つからず、邪魔にならないように流れにのってゆっくりと歩きだす。

「あ、えっ……ハリド?」

 初めて訪れた場所で知った顔を見つけ、思わず声をあげてしまった。
 俺の場所からは十メートルは離れているかも。そこもまずまずの人混みだけど、俺は目がいいから自信があった。
 あれは絶対にハリドだ。
 しかしハリドらしき男性は後頭部を見せたまま動かない。まあこの人ごみだし声は届かないのかも。
 特徴的な褐色の肌なら人の多い王都なら珍しくないのかもしれない。髪も以前と違ってかなり刈り込んであるようだ。
 だったら人違いだろうか。首をひねった所で奴がうちの領では犯罪者であって、 領への出入りと俺への接触が禁止されていることを思い出した。
 他でも何か犯罪まがいの事をやってるかもしれない。こっちから接近することはないよな。
 ここへ来ることへのきっかけを作ってくれた礼を言ってもよかったけれど、あっちが無視するのを無理に追いかけることもないだろう。
 幸先がいいんだか悪いんだか。
 気を取り直して道標探しに戻ると、カバンを持っていない左手の甲がパチッと軽く弾かれた気がした。
 ん? なんだ? 静電気か?

「……おいっ、きさま、インマだろう!?」
「は?」

 手の痛みを作っただろう人間が俺を、はるか下から見上げて睨みつけてくる。
 
「僕はだまされないぞ。みんな平気で素通りしているけれど、貴様が異教の淫魔だってことはお見通しだ!」
「あのな。小さな子供が淫魔淫魔言うな。意味がわからないから、そんな大声が出せるんだろう。それにいきなり人を叩くなんて間違ってる。俺が淫魔であってもなくても、打たれた手は痛いんだ。まずそれを知れ、そして謝れ」
「くそぉ、子供だからってバカにするな」
「バカにしていないから、こうしてきっちり話をしてるんだろう。ここでお前が言うべき言葉はなんだ? わかるだろう?」

 真面目な顔を崩さずに向き合う。返事を待っているうちに子供の興奮は少しおさまったようだ。

「うっ……えっ……あの」
「うん、言ってみ? 怒らないから」
「えっと、痛かったのなら……ごめんなさい」

 推定年齢六、七歳の小さな坊ちゃんは、反省しながらも悔しそうに言う。
 頬がパンパンに膨らんでいるのは、すねて空気が入っているからではなくて、脂肪がのっているから。
 手足はそれほどでもないのにお腹が少々ぽっこりしているのが服の上からでもわかる。
 いい物食べてるんだろうな。
 いいとこの坊ちゃんなのがわかるのは体型だけでなく、着ている服が何だかか折り目正しい。俺がこれまで接してきた子供とは明らかに違う。
 一番上までしっかりボタンを留めたシャツ。裾が折り返してあるひざ丈ズボン。ピカピカに磨かれた革靴。
 興奮しているせいかうっすら汗をかき始めている。
 ぽっちゃりした王子さま、だな。
 でも素直に謝るし、物怖じしない活発な子らしい。仲良くなれば楽しく遊べそうな子だ。

「ところでさ、お前の言う淫魔って何だ?」
「淫魔って言うのは、顔が綺麗で人を惑わす存在だ。いつもは僕達人間に紛れて暮らしているけれど、見る人が見ればわかるイケイなんだ」

 異形か。
 何だか納得してしまう言葉だ。
 異国の人とは違う意味がきちんと意味している。
 普段は集団に紛れることができる。でも自分達とは違う。そもそもの構造が違う、異形。
 俺はまったく別の場所から来た人間だから、異世界人だから、その条件に当てはまってもおかしくない。
 ジェイクも俺に出会った頃に言っていた。俺もこの年までこの世界で生きてきてわかった。

 ――この世界に、俺のような顔立ちの人間は存在しない。

 アジア人種がここにはいない。本来ならこの顔立ちは集団の中にあっても目立つだろう。なのに天使の加護があるから皆がそれと認識しないだけなんだ。
 だけど子供の中にはわかっちゃう子がいるってことかな。俺がなんか違うって。

「つまりは俺が綺麗って認めてくれてるのか?」
「綺麗だ。だけど普通の綺麗じゃないんだぞ。だから隠したってそんなのお見通しなんだ。すぐにわかったから、捕まえてやろうって、追いかけてきたんだ」

 追いかけた。だから汗をかいているのか。

「お前って度胸があるな。行動力もある。異教徒の淫魔を見つけたから成敗してやろうって思ったのか? 偉いな。エライエライ。でも、父ちゃんと母ちゃんはどこ行った? 今頃心配してるだろ」
 
 坊ちゃんの髪を撫でくり回してやる。
 やめろやめろと言うけれど、その割に追い払う手に力が篭ってなくて可愛い。
 このお坊ちゃんの髪質が猫っぽくていい。俺に遊ばれてろよ。存分うりうりしてやる。癒しをくれ。
 可愛いけれどこんな人混みで子供を見失った親御さんはきっとこの子を探しているだろう。

「俺の名前はトモエ・ダンパー。お前の名前は?」
「僕は……」

 返事を待っていると、突然だ。後ろから羽交い絞めされた。

 次はなんだよ……!

 ハリドの時とは違ってうめき声さえ出ない。二度目のケーズ来訪の時のハリドが本気じゃなかった事がわかる乱暴さ。
 後ろにある気配は単独ではなく複数だ。

 殺される。苦しい……!

 強盗? 何? なに? 俺になにが起こってる?!
 手から荷物が離れる。服やらの日用品にお金、他にも大切なものが入っている大事な鞄だ。だけど今はそんな事にこだわっていられない。自分の命がかかっているから。
 涙目の視界の中には目を見開く小さなお坊ちゃんがいる。
 いつの間にか俺を囲う男が四人もいて、周囲には何事が起こっているのかと立ち止まる人もいる。
 目がかすんで耳鳴りが始まる。声が聞こえなくて、口の端からよだれが垂れる。こちらを見る人々の声は聞こえず口パクをしているようにしか見えない。
 いま自分の頭がどこを向いているのかわからない。上なのか下なのか……わからない……

「こらあっ、僕の淫魔を連れていくなっ」

 かろうじて理解できたのは、ぽっちゃり王子の言っていることだけだった。
 体は乱暴に引きずられてどこかへ連れていかれる。けれど周りが止めに入らない。どうしてだ?
 強盗じゃないってことは警察? 俺を連れて行こうとしているのは警察的な何か? それとも市民が関わっちゃだめなマフィア的組織?
 でも俺、何も悪いことしないんですけど!
 くっそ声が出ない。息ができない。
 子供を誘拐しようとしたわけでも、異教徒の淫魔でもないって言い訳ができない。
 なんか首は苦しいし肩は痛いし、って言うか全身痛いしで足をもつれさせていると、途中で引きずるのが面倒とでも思われたのか、逞しい青年に前抱っこされる。
 ここでようやく普通の呼吸ができた。
 空気を吸い過ぎたのが激しくせき込む。咽から鉄の味がするのに咳がとまらない。
 でもやっぱり耳は戻ってこないし、パニックおさまらないし。涙と涎が同時に垂れる……四肢に力が入らない。
 もう何でもいいわって大人しく誘拐されることにした。
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