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遭遇
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閉館作業を手伝うために資料館に戻り、後輩とバイトを定時で送りだし、そのまま一人きり残業をした。
やってもやっても減らない仕事があるのは、一人で抱え過ぎているからだろうかと少し考える。
機械音も人の声もない資料館は、建物全体が息を潜めているようだ。たまにどこかからミシッという音がするが、築年数を思えば幽霊のたてるラップ音とは思わない。ご愛嬌というところだ。
黒崎が取締役であることがわかりPCの掲示を遡ってチェックしていた。
役員人事の掲示を理人は軽く流し読むだけだった。役員数が多く覚えられなかったし、蓮の友人である黒崎と、社の取締役の黒崎とを結びつけることはできなかっただろう。
パソコン内の掲示板はタイトルを見てスルーすることが多い。社内報や労連の配布物は多く、軽く目を通すだけだった。
資料館担当になってからは社史にも強くなったが、最近のリリースはよくわかっていない。自分がいかに疎かったかを知り、担当の仕事だけに集中しすぎたことを反省した。
あれ以来、黒崎の姿は社内で見ていない。
蓮と友人である黒崎は、蓮の弟の立場にある理人を意識していた。世の中には弱みにつけこみ優位に立ち、心も体も弄ぶような人間はいる。でもそれは黒崎に当てはまらない。
でもきっと彼は、僕が惚れて追いかけてくる事なんて想定してないだろう。迷惑だよな。相手が楓ならともかく、出来損ないの僕だ。
性格は簡単に変わらないち西が言った通り、このネガティブさには生涯付き合っていく事になりそうだ。
画面下の数字を見れば西との約束にはまだ四十分ある。総務へ戻って片づけをすればいい時間になるだろう。
今夜は約束の通り西と二人で今夜飲み行くのだ。。
二人きりの飲み会だが主役はやはり理人になるだろう。
蓮と楓については淀みなく話す事ができた。でも黒崎に関してとなると、言葉は切れ切れになり詰まってしまっていた。それだけ黒崎という人間を説明できる材料もなく、自分の気持ちの説明のしようもなかったからだ。
その続きを話せと言われたら酷く困るだろう。
仕事終わりで駆けつけてくる西は、ここまでタクシーでやってくる事になっている。理人の会社は便利な場所でも駅近でもないし、ついでに迎えに来てくれると言うからエントランス前で待ち合わせだ。
仕事に目途をつけPCの電源を落とし管理室の電源を切り、警備システムを付ける。足早に建物内を出て鍵を閉めた。
資料館を出て外を早足で三分ほど歩けば本社ビル正面。身を震わせる凍えた空気から逃げるよう、身を縮ませて本社のガラスドアをくぐった。
温かい風を顔に受けエントランスロビーに入れば、真っ先に目に飛び込んできたのは、腕を組んで壁にもたれている大きな姿だった。
びくりとして、思わず腕にあったファイルを抱え直す。
うわっ、えっ、黒崎さん……
黒崎は誰かを待ち構えているように見えた。
こわっ、なんか怖い。
ギロリと睨まれたのは気のせいか。
仕事で何か不測の事態があったのだろうか、なかなか来ない誰かを待っているのだろうか。
何にせよその状態の黒崎に近づいていい事があるとは思えない。この前は顔が見られただけで嬉しかったはずの黒崎がすぐそこにいても、不穏な色の灰をその身から出しているように見えるのだ。今は避ける行動しかとる事ができない。
その目つきが遠くからでも鋭いのがわって、理人は黒崎を大きく避けて大股でエレベーターを目指す事にしたのだが、途中でつんのめる。
……うわっ。
後ろから肩をぐいっと掴まれてのけ反りそうになった。
「なぜ逃げるんだ。どうして連絡してこないっ」
え、僕ですか?
振り向むくと驚くほど顔の距離が近い。黒崎の形相は自分を責めているようにしか見えず、頭のてっぺんから冷や汗が噴き出すのを感じる。
やはり黒崎は自分の会社に理人の存在があるだけで嫌なのだと、後ろ向きな理人はつい考えを暴走させてしまう。
「ごめんなさい、言いません。黒崎さんが心配しなくても、僕たちにあったことは誰にも言いません。蓮さんにも社内の人にも絶対に。だから安心してくださいっ」
「は……? お前何を言いだすんだよ」
「……えっ?」
言葉をうっかり落とし転がしてしまったかのような黒崎の間抜けな呟きに、きょとんと顔を見合わせる。
黒崎さんは、今なんて言った? どうして連絡してこないか……?
理人はてっきり、二人が寝たことは内緒にするようにと、それを言うために黒崎が待ち構えていたのだと思い込んでしまっていた。
黒崎だって資料館で偶然会うまで、理人が同じ会社の社員とは知らなかったはずだ。理人がその関係について社内で口を滑らしては困ると釘を刺すのはおかしくない。
まずは自分にその度胸はない。大人しくしていると伝えなければと口を開いていたのだが、その思い込みは間違いなのかもしれない。
連絡? 何の?
茫然としているとそのまま手を引かれ、ロビーの隅に移動すると壁に追いやられる。背の高い黒崎が壁に手をつくと、隔離され追い詰めれた気分になる。
ああ、これが昔流行った壁ドンかと、この場には不適当なことを考えるほど、自分は余裕があるのではなく、余裕がないから現実逃避しているのだ。
どうして連絡してこないと問われても、それはおかしい不可能だとしか答えらえない。
「連絡って……僕達は番号、交換しなかったですよね」
理人の息は切れていた。胸のバクバクも激しくなる。
「忘れてるのか? おい、今すぐスマホ出して確かめてみろ」
ポケットに入っているスマホを取り出すと素早く黒崎に取り上げられる。
ロックはかかっていない。自分の物のように扱う黒崎は片手で器用に操作して、次には理人が寄り目にならなければいけないほど、画面を鼻先に突きつけられた。
……えぇ!
アドレスにあるのは、黒崎の文字と番号。
理人の持っているスマホには黒崎の連絡先が入っていたのだ。
「いっ、いつの間に」
「ホテルで眠る前にスマホよこせって言ったら、ホイホイ出したのは理人だろ。番号登録しといたから絶対に返せって言ったのに」
「すみません」
そのやり取りすら覚えてない。疲れていたし、眠かったし、人生初の出来事だったし。
証拠を突きつけられてはいい訳のしようもない。悪かったのはどうやら自分の方だと分かってしまったのだ。
理人はあははっと笑ってみせるけど黒崎は笑ってくれなかった。それどころか、ぎゅっと寄った眉の下の目は冷たい。
「この前食堂で男とべたべたしているのを見たぞ」
「ベタベタ……もしかして、久保のことですか? あいつは同僚だし、それになんで専務のような人が食堂に来るんですか」
社食で久保に会ったのは玉子焼きを取られたあの日だけだ。
「俺だって食堂くらい使う。役員だからって偉そうに高い弁当食べて、毎食接待、外で美味しい物を食べてるわけじゃない。あの時、理人は俺に目もくれずその久保のテーブルに座った。普通テーブルは向い合せに座るだろう。四人掛けのテーブルに男二人が肩を並べで座るなんておかしい。すぐにいちゃつき出して肌にも触れさせた」
「いや、あれは、いちゃついてないです。あいつはちょっと人との距離が近い特殊な奴で、女好きのストレートです」
「とにかくもう、ああいうことはするな。目立つし何より俺が嫌な気分になる。俺が同じ社の人間だとわかって今度こそ連絡してくるだろうと待ってたのに、まさか忘れているとはな。理人がこれほどボケているとは思いもしなかった」
「何だよボケって。否定はできないけど」
実際忘れてたわけだし。
そんなやり取りの合間にも、終業して帰って行く人はこちらをチラリと見ていく。、黒崎と言う存在に気付いたかはわからないが、何をやっているのか気になるのは当然だ。二人の距離は近い。
そういえば、この人って専務様だったんだ。ロビーの隅でこんな怪しい事してていいのか。少し距離を取ろうと横に一歩ずれるのだが、やはり黒崎もついてくる。
「もしかしたら、俺を焦らして試しているのかと思ったけど、考えたら理人はそんな小悪魔にはなれない。傷ついた理人の気持ちが落ち着くまでと見守ってきたが、その久保君との事で俺の忍耐力もいい加減切れた」
黒崎の片方の口元がくっと上がる。
怖い。理人はこれ以上ないほど固い壁に背中を密着させた。
「誰にも気を許さないって感じの態度もいい。それが壊れた時の顔もそそる。まあそのどちらも俺は好きだよ」
「何を言ってるんですか。黒崎さん、ここでそんな話は、控えましょう」
「そうだな。もう仕事は終わりだろ、飯でも行くか」
「あっ、ダメです。今日はこの後に約束があって」
「へえ、誰と?」
「知り合いです」
「幾つ、性別は、何やってる人? どこ行くの?」
「えっと、三十代の男性。僕にとってはお兄さんみたいなもので……」
「へえ、理人は蓮以外にも兄さんがいるんだ。で、どんな関係?」
「蓮さんとは違って、本当に僕の保護者みたいな人です。うちの親の会社の関係の人でいい人で、昔から何かと相談に乗ってもらってるんで」
黒崎の顔が非道になっていくのを間近でみながら、理人は必死に言い訳をしていた。
そんなふうに、二人がエントラスでぐだぐだする間に西の乗ったタクシーは到着したらしい、理人のスマホが鳴る。
約束している人が着いてしまったと、ようやくどうにか解放してもらう。
呼び出し音が切れたスマホをしまい、黒崎から逃げるように外へ出るのだが、ちらっと顔を後ろにやるとなぜか黒崎までこちらに歩いてくる。
ついてくんなっ! とも言えず、小走りになって距離を取るのが理人の精一杯だった。
思いもせず、玄関前で待たせているタクシーの脇で三人顔を合わせるという妙な事態になった。
なんてこうなるんだ。
理人の心など知らず、黒崎は対外用の上機嫌な顔を作っている。
待ち合わせ場所にやってきたら、理人と会社関係者らしい人が出迎えるように立っている。
西は理人の隣にいる目つきの悪い男は誰だろうと思うが、会社関係者な事は確かだろうと丁寧に頭を下げる。
どこか作り物めいた心のない笑顔をする男、まだ帰る準備ができていない事を詫びる理人。
西は事態をまったく飲み込めていなかったが、ある意味挑戦的な黒崎に怯む事もなく二人の様子を観察する。ここで焦っているのは理人だけだ。
「西さん、ごめんなさい。何だか面倒な事になって、あの、黒崎さんが付いてきちゃって。つい最近知ったんだけど、黒崎って同じ会社の人だったんだ」
「初めまして、突然ですみません。私、黒崎祐也と申します。理人とは比賀蓮との関係で知り合って、それから交流させて頂いています」
「ああ、あなたが黒崎さんですか。噂はかねがね理人君から聞いていますよ」
理人を押しやり黒崎が名乗った途端に、西はすべての顛末がわかったかのように笑い出す。西が理人の口から聞いた黒崎という名前を忘れるはずがなかった。
理人はあの時三人の男の名を挙げ、振られたと言っていた。
蓮と楓が将来を見据え付き合っている事に吹っ切れてすっきりしている様子だった。
楓が突然家へやってきた事も、その後のメール攻勢も、四人で食事する事になり惨めさを感じた事も、まあ、取りあえずはよしとしよう。
理人が西に何かを語る時、それは全ての事が終わった後、もしくは自分で区切りをつけた後で、相談というよりも報告に近い。
理人は大切な人に心配を掛けないようにする質がある。とすると、蓮への恋の始末を自分なりにつけた証拠と言えるのだから、そとらは気にする必要はないのだろう。
問題だったのはその後だ。
蓮の友人である黒崎と少し仲良くなったと言うが、言葉を濁すばかりで肝心な事を言わず口ごもってしまう。そうなると理人の気がかりがどこにあるのかなんて、西にとっては明白だった。
黒崎とは何かがあったのだ。とても理人が口にできない何かが。
自分の守りの外側にいる黒崎という男だからこそ、理人は内にある淀みの元を打ち明ける事をしてしまったのかもしれない。何かの弾みがあれば、あり得ない話ではないだろう。
蓮、楓、黒崎。西が実際に会った事があるのは、楓だけ。
そのうちの重要人物が突然登場した事で、もちろん驚きが一番に立っているのだが、ちょうどいいとも思った。
西は自分を値踏みする黒崎の目に安心していた。それは会ったばかりの人間にとっていい態度ではないが、黒崎がそうしてしまう感情の元に何があるかさえわかれば何てことはない。
理人が好き、もしくはすごく気になる存在なのだ。
「なんだ。心配したけど、二人は何とかなりそうなんだね」
西の言う意味を黒崎は的確にとらえたらしい。はっとした後に深く頷く。
やってもやっても減らない仕事があるのは、一人で抱え過ぎているからだろうかと少し考える。
機械音も人の声もない資料館は、建物全体が息を潜めているようだ。たまにどこかからミシッという音がするが、築年数を思えば幽霊のたてるラップ音とは思わない。ご愛嬌というところだ。
黒崎が取締役であることがわかりPCの掲示を遡ってチェックしていた。
役員人事の掲示を理人は軽く流し読むだけだった。役員数が多く覚えられなかったし、蓮の友人である黒崎と、社の取締役の黒崎とを結びつけることはできなかっただろう。
パソコン内の掲示板はタイトルを見てスルーすることが多い。社内報や労連の配布物は多く、軽く目を通すだけだった。
資料館担当になってからは社史にも強くなったが、最近のリリースはよくわかっていない。自分がいかに疎かったかを知り、担当の仕事だけに集中しすぎたことを反省した。
あれ以来、黒崎の姿は社内で見ていない。
蓮と友人である黒崎は、蓮の弟の立場にある理人を意識していた。世の中には弱みにつけこみ優位に立ち、心も体も弄ぶような人間はいる。でもそれは黒崎に当てはまらない。
でもきっと彼は、僕が惚れて追いかけてくる事なんて想定してないだろう。迷惑だよな。相手が楓ならともかく、出来損ないの僕だ。
性格は簡単に変わらないち西が言った通り、このネガティブさには生涯付き合っていく事になりそうだ。
画面下の数字を見れば西との約束にはまだ四十分ある。総務へ戻って片づけをすればいい時間になるだろう。
今夜は約束の通り西と二人で今夜飲み行くのだ。。
二人きりの飲み会だが主役はやはり理人になるだろう。
蓮と楓については淀みなく話す事ができた。でも黒崎に関してとなると、言葉は切れ切れになり詰まってしまっていた。それだけ黒崎という人間を説明できる材料もなく、自分の気持ちの説明のしようもなかったからだ。
その続きを話せと言われたら酷く困るだろう。
仕事終わりで駆けつけてくる西は、ここまでタクシーでやってくる事になっている。理人の会社は便利な場所でも駅近でもないし、ついでに迎えに来てくれると言うからエントランス前で待ち合わせだ。
仕事に目途をつけPCの電源を落とし管理室の電源を切り、警備システムを付ける。足早に建物内を出て鍵を閉めた。
資料館を出て外を早足で三分ほど歩けば本社ビル正面。身を震わせる凍えた空気から逃げるよう、身を縮ませて本社のガラスドアをくぐった。
温かい風を顔に受けエントランスロビーに入れば、真っ先に目に飛び込んできたのは、腕を組んで壁にもたれている大きな姿だった。
びくりとして、思わず腕にあったファイルを抱え直す。
うわっ、えっ、黒崎さん……
黒崎は誰かを待ち構えているように見えた。
こわっ、なんか怖い。
ギロリと睨まれたのは気のせいか。
仕事で何か不測の事態があったのだろうか、なかなか来ない誰かを待っているのだろうか。
何にせよその状態の黒崎に近づいていい事があるとは思えない。この前は顔が見られただけで嬉しかったはずの黒崎がすぐそこにいても、不穏な色の灰をその身から出しているように見えるのだ。今は避ける行動しかとる事ができない。
その目つきが遠くからでも鋭いのがわって、理人は黒崎を大きく避けて大股でエレベーターを目指す事にしたのだが、途中でつんのめる。
……うわっ。
後ろから肩をぐいっと掴まれてのけ反りそうになった。
「なぜ逃げるんだ。どうして連絡してこないっ」
え、僕ですか?
振り向むくと驚くほど顔の距離が近い。黒崎の形相は自分を責めているようにしか見えず、頭のてっぺんから冷や汗が噴き出すのを感じる。
やはり黒崎は自分の会社に理人の存在があるだけで嫌なのだと、後ろ向きな理人はつい考えを暴走させてしまう。
「ごめんなさい、言いません。黒崎さんが心配しなくても、僕たちにあったことは誰にも言いません。蓮さんにも社内の人にも絶対に。だから安心してくださいっ」
「は……? お前何を言いだすんだよ」
「……えっ?」
言葉をうっかり落とし転がしてしまったかのような黒崎の間抜けな呟きに、きょとんと顔を見合わせる。
黒崎さんは、今なんて言った? どうして連絡してこないか……?
理人はてっきり、二人が寝たことは内緒にするようにと、それを言うために黒崎が待ち構えていたのだと思い込んでしまっていた。
黒崎だって資料館で偶然会うまで、理人が同じ会社の社員とは知らなかったはずだ。理人がその関係について社内で口を滑らしては困ると釘を刺すのはおかしくない。
まずは自分にその度胸はない。大人しくしていると伝えなければと口を開いていたのだが、その思い込みは間違いなのかもしれない。
連絡? 何の?
茫然としているとそのまま手を引かれ、ロビーの隅に移動すると壁に追いやられる。背の高い黒崎が壁に手をつくと、隔離され追い詰めれた気分になる。
ああ、これが昔流行った壁ドンかと、この場には不適当なことを考えるほど、自分は余裕があるのではなく、余裕がないから現実逃避しているのだ。
どうして連絡してこないと問われても、それはおかしい不可能だとしか答えらえない。
「連絡って……僕達は番号、交換しなかったですよね」
理人の息は切れていた。胸のバクバクも激しくなる。
「忘れてるのか? おい、今すぐスマホ出して確かめてみろ」
ポケットに入っているスマホを取り出すと素早く黒崎に取り上げられる。
ロックはかかっていない。自分の物のように扱う黒崎は片手で器用に操作して、次には理人が寄り目にならなければいけないほど、画面を鼻先に突きつけられた。
……えぇ!
アドレスにあるのは、黒崎の文字と番号。
理人の持っているスマホには黒崎の連絡先が入っていたのだ。
「いっ、いつの間に」
「ホテルで眠る前にスマホよこせって言ったら、ホイホイ出したのは理人だろ。番号登録しといたから絶対に返せって言ったのに」
「すみません」
そのやり取りすら覚えてない。疲れていたし、眠かったし、人生初の出来事だったし。
証拠を突きつけられてはいい訳のしようもない。悪かったのはどうやら自分の方だと分かってしまったのだ。
理人はあははっと笑ってみせるけど黒崎は笑ってくれなかった。それどころか、ぎゅっと寄った眉の下の目は冷たい。
「この前食堂で男とべたべたしているのを見たぞ」
「ベタベタ……もしかして、久保のことですか? あいつは同僚だし、それになんで専務のような人が食堂に来るんですか」
社食で久保に会ったのは玉子焼きを取られたあの日だけだ。
「俺だって食堂くらい使う。役員だからって偉そうに高い弁当食べて、毎食接待、外で美味しい物を食べてるわけじゃない。あの時、理人は俺に目もくれずその久保のテーブルに座った。普通テーブルは向い合せに座るだろう。四人掛けのテーブルに男二人が肩を並べで座るなんておかしい。すぐにいちゃつき出して肌にも触れさせた」
「いや、あれは、いちゃついてないです。あいつはちょっと人との距離が近い特殊な奴で、女好きのストレートです」
「とにかくもう、ああいうことはするな。目立つし何より俺が嫌な気分になる。俺が同じ社の人間だとわかって今度こそ連絡してくるだろうと待ってたのに、まさか忘れているとはな。理人がこれほどボケているとは思いもしなかった」
「何だよボケって。否定はできないけど」
実際忘れてたわけだし。
そんなやり取りの合間にも、終業して帰って行く人はこちらをチラリと見ていく。、黒崎と言う存在に気付いたかはわからないが、何をやっているのか気になるのは当然だ。二人の距離は近い。
そういえば、この人って専務様だったんだ。ロビーの隅でこんな怪しい事してていいのか。少し距離を取ろうと横に一歩ずれるのだが、やはり黒崎もついてくる。
「もしかしたら、俺を焦らして試しているのかと思ったけど、考えたら理人はそんな小悪魔にはなれない。傷ついた理人の気持ちが落ち着くまでと見守ってきたが、その久保君との事で俺の忍耐力もいい加減切れた」
黒崎の片方の口元がくっと上がる。
怖い。理人はこれ以上ないほど固い壁に背中を密着させた。
「誰にも気を許さないって感じの態度もいい。それが壊れた時の顔もそそる。まあそのどちらも俺は好きだよ」
「何を言ってるんですか。黒崎さん、ここでそんな話は、控えましょう」
「そうだな。もう仕事は終わりだろ、飯でも行くか」
「あっ、ダメです。今日はこの後に約束があって」
「へえ、誰と?」
「知り合いです」
「幾つ、性別は、何やってる人? どこ行くの?」
「えっと、三十代の男性。僕にとってはお兄さんみたいなもので……」
「へえ、理人は蓮以外にも兄さんがいるんだ。で、どんな関係?」
「蓮さんとは違って、本当に僕の保護者みたいな人です。うちの親の会社の関係の人でいい人で、昔から何かと相談に乗ってもらってるんで」
黒崎の顔が非道になっていくのを間近でみながら、理人は必死に言い訳をしていた。
そんなふうに、二人がエントラスでぐだぐだする間に西の乗ったタクシーは到着したらしい、理人のスマホが鳴る。
約束している人が着いてしまったと、ようやくどうにか解放してもらう。
呼び出し音が切れたスマホをしまい、黒崎から逃げるように外へ出るのだが、ちらっと顔を後ろにやるとなぜか黒崎までこちらに歩いてくる。
ついてくんなっ! とも言えず、小走りになって距離を取るのが理人の精一杯だった。
思いもせず、玄関前で待たせているタクシーの脇で三人顔を合わせるという妙な事態になった。
なんてこうなるんだ。
理人の心など知らず、黒崎は対外用の上機嫌な顔を作っている。
待ち合わせ場所にやってきたら、理人と会社関係者らしい人が出迎えるように立っている。
西は理人の隣にいる目つきの悪い男は誰だろうと思うが、会社関係者な事は確かだろうと丁寧に頭を下げる。
どこか作り物めいた心のない笑顔をする男、まだ帰る準備ができていない事を詫びる理人。
西は事態をまったく飲み込めていなかったが、ある意味挑戦的な黒崎に怯む事もなく二人の様子を観察する。ここで焦っているのは理人だけだ。
「西さん、ごめんなさい。何だか面倒な事になって、あの、黒崎さんが付いてきちゃって。つい最近知ったんだけど、黒崎って同じ会社の人だったんだ」
「初めまして、突然ですみません。私、黒崎祐也と申します。理人とは比賀蓮との関係で知り合って、それから交流させて頂いています」
「ああ、あなたが黒崎さんですか。噂はかねがね理人君から聞いていますよ」
理人を押しやり黒崎が名乗った途端に、西はすべての顛末がわかったかのように笑い出す。西が理人の口から聞いた黒崎という名前を忘れるはずがなかった。
理人はあの時三人の男の名を挙げ、振られたと言っていた。
蓮と楓が将来を見据え付き合っている事に吹っ切れてすっきりしている様子だった。
楓が突然家へやってきた事も、その後のメール攻勢も、四人で食事する事になり惨めさを感じた事も、まあ、取りあえずはよしとしよう。
理人が西に何かを語る時、それは全ての事が終わった後、もしくは自分で区切りをつけた後で、相談というよりも報告に近い。
理人は大切な人に心配を掛けないようにする質がある。とすると、蓮への恋の始末を自分なりにつけた証拠と言えるのだから、そとらは気にする必要はないのだろう。
問題だったのはその後だ。
蓮の友人である黒崎と少し仲良くなったと言うが、言葉を濁すばかりで肝心な事を言わず口ごもってしまう。そうなると理人の気がかりがどこにあるのかなんて、西にとっては明白だった。
黒崎とは何かがあったのだ。とても理人が口にできない何かが。
自分の守りの外側にいる黒崎という男だからこそ、理人は内にある淀みの元を打ち明ける事をしてしまったのかもしれない。何かの弾みがあれば、あり得ない話ではないだろう。
蓮、楓、黒崎。西が実際に会った事があるのは、楓だけ。
そのうちの重要人物が突然登場した事で、もちろん驚きが一番に立っているのだが、ちょうどいいとも思った。
西は自分を値踏みする黒崎の目に安心していた。それは会ったばかりの人間にとっていい態度ではないが、黒崎がそうしてしまう感情の元に何があるかさえわかれば何てことはない。
理人が好き、もしくはすごく気になる存在なのだ。
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