うたかた謳うは鬼の所業なり

源蔵

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二鬼 輝は今日も走る5

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 コースケという不思議な青年と別れた輝は、そのまま裏路地の探索にもどった。
 とはいうものの、うだるよな暑さは彼女のやる気と体力を分刻みでえぐり取っていく。

 彼女はぼんやりとし出した頭でコースケのことを少し思い出した。自分よりも、少し年上のような風貌だったが、雰囲気はそれよりも幼く感じた。どこか子犬を思わせる無邪気さを感じる表情は、地を駆け回る自由さを感じる。

 髪も灰色がかった珍しい感じであり、それをウルフヘアよろしくざんばらと無造作にセットされている。

 とはいえ彼女自身、しつこくナンパされたものの、後少しでもコースケの乱入がなければ実力を行使するところだった。そういう意味では、彼女がその力を一般人に使うのは非常に理性的ではない。そう言った意味では、本当に助けてもらったとも言えた。

 それに……

「ちょっと、かっこよかったかな?」

 いい男に助けてもらうのは悪い気はしない。

 だからこそ……だからこそ、何度もそれが起きてしまった彼に惚れてしまったという側面もある。

 最初は嫌悪だった。

 それはそうだ。助けてくれた彼は、輝からすれば憎むべきに値する存在だったのだ。それなのに、何度も何度も偶然が重なったとは言え、助けられてしまった。興味を持ったのはそれからだった。彼は溶け込もうとしていた。輝達が厳然として生活する人間社会に……

 そう、宮酒鬼市は人間ではない。彼は鬼と人間とのハーフだった。そして、羽根井輝は闇を狩る側……陰陽師の一族の末裔だった。今はとある問題で、実家と決別し独立という形を取っているが、元々は良家のお嬢様に違いなかった。慣れない一人での暮らしに泣いたこともあった。だが、そのたびに紀三など親友達に助けられて来ていた。

 独りで生きていく力も、慣れていけば身につくもの。それは誰にだって可能なことだ。しかし、彼女が行使する力は慣れなどでは身につけることなど敵わない。

 だからこそ、そこから先は彼女の領分だった。

「少し反応がある?」

 周囲に漂う残留思念のようなものを彼女は見つけた。

 一般の人からは、長細い紙を地面に向けてかざしているだけにしか見えないかもしれない。そこには書かれている文字すらも見える者は希有だ。なぜならば、そこに書かれている奇怪な文字のようなものは霊力によって書かれているもの。ある程度の素質がないと、彼女達が使う護符というものは、白紙の紙切れにしか見えはしない。

 そして今、その護符の文字がじんわりとだが、光り出していた。

 光から発せられる増幅された妖力の波動を彼女は詠んでいった。

 しかし……

「あかん。見たことない波動やなぁ」

 その汗が滴る小綺麗な眉間にしわを寄せながら彼女は顔をしかめた。

 様々な妖力の波動を見させられてきた。

 特定は出来なくても、種別くらいはわかるものだった。だが、今回はよくわからない。獣系とは思うが、それ以上特定することが出来なかった。

「噂なら、猿っぽいってことやし、やっぱり獣には違いないんよね」

 軒下の日陰に入りながら、彼女は考え込むように反応がでた符を見た。

 そうしている間にも身を焦がす光線が分厚いケーキのような雲で遮断されていった。

 変わりやすい夏の天候が京都の一部を覆い隠す。

 だが、考え込む彼女はそんなことにすら気付いてはいなかった。

 暗くなったと同時に、すこしだけひんやりとした空気が流れていた。通りに人がいるのならば、あまりに変わった空気に飛び上がっていたかもしれない。

 辺りは、曇りの灰色の光景から次第に暗く黒い闇へとだんだんと変化していく。

 その過程になり、ようやく彼女は変化に気付いた。

「……だれ?」

 誰かに発したわけではない、急激な雰囲気の変化に伴い無意識に出てしまった言葉だった。

 そして、そう言った雰囲気を輝は知っている。

 この暑さの中、汗とは違った冷たい汗がそれに混じって、彼女の柔らかく美味しそうな肌を滴っていく。

 いつも、空気に敏感になれと教わってきた。ならば、この空気は明らかに異質なものだ。

 息を呑むのと同時に、輝は懐から紙を引き出し投げていた。

 紙は水の中を泳ぐ魚のようにうねりながら空中を進んでいく。一枚は彼女の正面、もう一枚は背後……今来た道へと飛んでいく。

 そして、背後の紙はしばらく飛んだところで、突如雷に打たれたかのように発行し燃えてしまった。

「やっぱり、結界やね」

 妖怪が張る人界とを遮断する結界、此所はもう現世にいるのに孤独な異界となっている。結界を張れると言うことは、それなりに妖力が高いものか、知力に優れている妖怪ということだろう。

 しかし、いきなりの大物が現れ、しかも彼らの毛嫌いする日中に仕掛けてくるとは思いもよらなかった。

 輝は自分の迂闊さ加減を呪った。

「もっと、ちゃんとした式を持ってくればよかったな」

 未だに相手の存在が分からない。

 見えないというのは人にとって、それだけで、恐怖の対象となる。


 恐れはそれだけで心に隙を作る。


 恐れは妖怪を増長させる。


 恐れは陰陽道にはいらない。


 恐れは……恐れは……


 "だから、あんたはあかんねんッ!!"


 輝の脳裏に最も不快な怒鳴り声が鳴り響いた。瞬間、彼女は目を見開き、力一杯踵で石畳を打ち鳴らした。

「出てきや!!」

 凜とした叫びが、無音の空間に響いた。

「いるのは分かってるんや! 私を神隠しにあわせようなんてええ度胸やな!」

 数枚の紙……護符を取り出し、彼女は油断なく構えた。

 数瞬の間がそこにあった。

 その短いはずの時、輝には永遠ほどに感じられた。

 そうしていると、どこからか息遣いが聞こえてきた。

 湿気を纏う足音が静かに、無音の空間に響き渡るのを捕らえていた。

 次の瞬間、輝はみずからの視界の端……真上にかかる屋根瓦から何かが伸びているのを見た。

「そこ!」

 条件反射のように彼女は紙を投げた。

 紙は手を離れるとすぐに淡く光、小さな鳥へと変化した。鋭い嘴をした鳥が弾丸のようにその伸びる奇っ怪な腕を攻撃した。

「ッ!」

 嘴が掠った瞬間、腕は震え、まさに軟体動物のような気味の悪い動きで引っ込んでいった。

「なっ……なんやそれ」

 文字通り、輝は言葉を失った。

 今まで渡り合ってきた妖怪とは明らかに異質な動き、というよりも生理的に嫌悪感を憶えてしまう動きだった。

 そんな彼女になつくかのように鳥が肩に止まった。鮮やかなグリーンが目立つカワセミのような鳥だった。


 あかん、のまれるな!


 輝は息を大きく吸い込むと、そのまま身を翻すように冷たい空気を切り裂き、己の大事な身体を屋根の上が見える道のど真ん中へと踊り出した。それと同時に、肩に止まっていた式神も飛び立ち、彼女への不意打ちがないかどうか警戒に当たっていた。

 結果からいうと、屋根の上に妖怪はいなかった。

 その代わりに、彼女から少し離れた道のど真ん中に何かが落下してきた。それはしけった音と共に、静かに着地し猫足のようにつま先立ち、そして膝を短く折りたたみ、腰を丸く曲げて屈むような奇妙な姿勢で立っていた。全高のトップは丸く曲がった背中であり、頭部は背よりも少し下がった位置から、輝をぎょろりと見ていた。


 猿

 
 顔だけを言うと、まさにそれだった。

 だが、その両手は毛が生えているのにもかかわらず軟体動物のようにうねり、身体は毛がありそうだが、ウナギのようにヌメッとしていた。

 まさしく奇っ怪にして、気持ちの悪い容姿がそこにある。

 そして、なによりも、それが漂わせているのか、非常に生臭い臭いが漂ってきていた。

「……風呂ぐらい入りや」

 吐き気を催してくるが、それをぐっとこらえる。

 改めて、その姿を見ると、確かに噂されてもおかしくない外見だ。そして、その体から立ちこめるような瘴気と邪気は間違えなく、人間に害を与えるために発生している。

 言葉を交える必要は無い。

「その魂が黒から白へ変わるくらいに滅したる」

 輝の過激な発言は、邪気の濃さに負けないための一念だった。

 そうでないと、現状の軽装備で相手をするには危険だと感じたからだった。

 彼女は気合いと共に、式を飛ばし、さらに新たな符も投げた。符は空中で光り輝くと、その質量を肥大させた。

 それに反応するように猿もまた、奇声を上げながら腕を伸ばした。そう、文字通りゴムのように伸ばしたのだった。それは少し後ろの屋根の縁を掴み、その奇っ怪な存在を宙へと飛ばす。

「なんっ!?」

 常識離れした動きに、弾丸となって飛ぶ鳥が即座に対応しようとするが、残る腕を鞭のようにしならせてなぎ払ってしまった。その一撃で式は粉々に砕け散り、元の紙へともどった。

 だが、その頃には新たな式も姿を完璧に現し、地を這っている。そう、相手は空中にいるのに、それは地を這っていたのだ。

「あかん、やっぱ持ってくるもの……」

 地を這うそれは、濃いカカオをふんだんに入れ込んだような苦そうなチョコレート色をしていた。そして、鋭く凶刃な頭部の鋏を振りかざしながら、屋根に掴まりぶらぶらと宙にうかぶそれを威嚇している。

 そう、それはまさしく巨大な巨大なクワガタの姿をしていた。

 体長一メートル半あろうかという巨体だった。その鋏に掴まれれば、人間など即座に真っ二つにされてしまうだろう。

 通常ならば、ほかの式と共に使うはずのものだが、今日に限っては昼間だということもあり、ちゃんと符を持ってきてなかったのだ。

 クワガタの様子をみて、猿はニタっと笑った。それはそれは、赤いザクロのような口をひん曲げ、邪悪に笑っている。

 そして、無造作に、先ほど鳥の式を破壊したときと同じように、腕を鞭のように振るい正面からクワガタをつぶさんとたたき付けた。

 轟音と共に、土煙が上がり石畳が意図も容易く砕け散った。

「あぁ!?」

 その破片を浴び、輝は微かな悲鳴をあげ、猿はいそいそと地面に降り立ち、舌なめずりするかのように、自らの獲物である輝をみていた。だが……

 急に、扇風機のような音がするかと思うと、その土煙の影から黒々とした物体が猿めがけて飛び出していった。

 これには猿も、度肝を抜かれたのか飛び出すすんでで察知出来なかったら、あっさりとクワガタの鋏の餌食になっていただろう。

 輝はそれを見て舌打ちをした。

 予想以上に相手の反射神経がいい。長期戦になれば、今のクワガタ……クワマンでは不利になる。元々は、攻撃用というよりかは、防御用に用いている式だった。残りの手持ちはあまりない。今し損じれば、たちまち形勢に問題が……

 猿は忌々しそうに、飛びかかってくるクワマンを腕ではじき飛ばしていく。しかし、クワマンの動きはその巨体、そして鈍重な甲虫であるという点から動きがやはり鈍い。猿からすれば易々と払いのけれてしまう。

「なら、もう一度」

 輝は紙を投げ、それは先ほどの鳥へと変化する。クワマンに気を取られている猿の頬をそれはかすめていった。

 瞬間、それは猛烈な怒気をまき散らしながら吠えた。動物園のゴリラだって、そんな吠え方はしないだろう。まさに銅鑼のような叫び声に、輝の鼓膜が悲鳴をあげる。

 猿は狂ったように腕をしならせ、苛烈な攻撃を加えてくる。

 クワマンは地面にたたき付けられ、嵐のような乱打に脚はへし折れ、その自慢の鋏さえも、片方を失っていった。

 断末魔のように、つぶれていない不自由な右目を赤く光らせ、最後の突撃を慣行せんとするが、広げた翼はあっさりともぎ取られそれさえも敵わない。それを阻止せんと、鳥……カワッチも(カワセミに似ているからそう渾名している)飛ぶが、嵐のような乱打に巻き込まれ、あっさりと砕け散っていった。

「あかん……」

 結界さえ破れれば、こんな所すぐに逃げおおせるのだが、今はそれを破るようの式すら持ち合わせていない。

 全ての脅威がいなくなり、猿が目をいやらしく細めながらゆっくりと地面に降り立った。もはや勝利を確信しているのか、陽気にそして不気味にその場を飛び跳ねている。

 自分がそうも易々と死ぬとは思っていない。でも眼前に迫るものは明らかに死を与えるものだ。思わずツバを飲み込み、知らず知らずのうちに後ずさっている自分すらも気が付かなかった。

 武器さえあれば……効果的な手段さえあれば……

 口惜しさに思わず唇を跡がつくくらいに噛んだ。

 たしかに並以上に強力な力を蓄えていた。おそらくはその臭気からも分かるが、たくさんの人間を喰ってきているのだろう。このまま輝が喰われれば、彼女の力は猿の血肉となり、さらなる被害者を呼ぶだろう。そんな身の毛もよだつような想像を一瞬だけ脳裏に過ぎり、思わず無様な恐怖の悲鳴をあげさせた。

 猿は輝の反応がよっぽど嬉しいようで、黄ばんだ汚らしい牙を見せつけながらゆっくりと、恐怖心を与えるように近づいていった。


 だが……


 そんな猿の顔に警戒の色が出た。

 猿は不意に、顔を巡らせ周囲を見回しだした。その時点で、輝も気付いた。

 呆れと言うか、怒気というか、つかみ所のない気配が、全く隠す様子もなく、ゆっくりと近づいてきている。


 そう、輝からすれば、正面……猿のさらに奧にある十字路の角から、面倒くさそうに宮酒鬼市が作業着姿で現れた。


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