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二鬼 輝は今日も走る3
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昨日にもまして、今日も今日で熱い日差しというのは変わりない。
まだ雲が少しだけ、昨日よりも多いというのがせめてもの救いではある。しかし、熱風が容赦なく窓から襲いかかってくるという時点では、何の改善もされていなかった。
「あぢぃ……」
室内計はすでに壊れている。
車内が何度なのか、一切わからない。
いつものように、エンジンが熱だれを起こしているおかげで、出力は全く上がらない。
当然、冷房のような高級な性能を出すと、とたんに走るパワーを失って、牛歩の歩みのようになってしまうだろう。
鬼市の三白眼が、朦朧と揺れていた。
走っているのはいつも通り京都の東側、山科だった。
よろよろと走り、エンジン音だけはいっちょ前に吐き出し続けるオンボロ車は、馴染みの漆芸店の前に止まり、息も絶え絶えの休息を得ていった。
家の扉をがらがらとあけ……
「まいどぉ、幾三商店ッス」
ひんやりとする空気を身体全体に受け、身震いと共に一時の幸福感が彼を満たしていった。
「おぉ、きっちゃん。今日も酷い格好やな。とりあえずはいんなぁ」
奥から番頭である、相羽康志が砥の粉で汚れた顔で向かえてくれた。
「康っさん、顔、顔」
「えぇ? おぉ、すまん、すまん。おおきにな」
首にかけている手ぬぐいで、それを拭うと、道を塞いでいることに、彼も気づき、気恥ずかしそうに退いていった。
鬼市はそのまま、奥の作業台へと向かうと、ちょうど一個大きめの器を塗りおえたばかりの木戸荒間が厳めしい顔をしながら座っていた。
「大将、まいど」
「おう」
木戸は鬼市に目もくれず、塗り終えた面を丹念に確認して、脇の使い古したお盆の上に置いた。
「どうしたんや? すわらんかい」
「あぁ、すんまへん」
遠目からでも塗りおえたばかりの面のつややかさに、鬼市は不覚にもほれぼれとしていた。
さすが、京都の漆器組合の中でも長年重鎮を務めてはいないわけだ。
木戸は鬼市は目の前に座ると、捌けを置いて使い古し真っ黒となった木の引き出しの中から煙草……わかばを取りだした。
そして、そのまま火をつけると、一気に紫煙を吸い込んでいった。
「大将、今日は煙管じゃないんっすね」
「ふん。葉をきらしちまってな、康の奴から一箱もろうたんや」
なるほどと、鬼市も相づちを打った。
確かに、この近辺では煙草屋があまりないのだ。だからこそ、いつも切れないようにしていたはずだが、今回はうっかりしていたらしい。
「ふぅ……なんや、景気悪そうな顔してるやんけ」
「え? わかります?」
木戸は神経質そうな目を細め、至極面倒くさそうに鬼市をジロリと睨んだ。
「昨日……だな、こんな話が飛び込んできたんや。東山の山中で人間の死体があがったそうやな。そいつは、欠から内蔵を引きずり出されて殺されてんだそうだ」
その内容に、鬼市は思わず顔をしかめていた。
まさしく、昨晩出会った妖怪の仕業に違いなかった。
「なんや、心当たりあるんかいな」
「……大将には敵わないっすねぇ」
情報好きであり、様々な情報網を持つ、この木戸に掛かれば様々な事がすぐに筒抜けとなってしまう。
ここで言わなかったら、その存在についても何も出てこないだろう。
「大将、俺の事は……」
「わぁってとるがな。俺とお前の良身や、鬼童丸の鬼夜叉組にはだまっとるさかい」
「ほんまに、頼みますよ……」
鬼市は深く深くため息をついた。
「昨日の帰り道に、おそらくそいつと出会ってるんですよ」
「ほう……ほな、すでに市内かいな」
「相手が一体かどうかも知りませんけどね」
「ちゅうことは……」
「そろそろ、ニュースで流れる可能性はありますねぇ」
東山の山中なら、人間にはまだ発見されていないかもしれないが、あんな住宅街のど真ん中なら話は別だ。
朝にはカラスやネズミが漁りにきて、大変な状態になって発見されたことだろう。
ちなみに、鬼市は人だかりが出来ているのを遠巻きに見ただけで、どうなったのかは知るよしもなかった。
「久々の、臓物の臭いって言うのは強烈でしたね。次食う肉の味がまずくなりそうやわ……」
「ははっ、お前さんでもそれをいうんやなぁ」
しかめっ面となった鬼市を木戸はおかしそうに笑った。
「大将。せやから、俺は人間なんですよ? そうそう、ほんなもんばかりお目にかかってたまりますかい」
木戸の態度にますます渋面を作ると、彼は吹き出しそうになっていた。
今日の彼はやけに饒舌で、嫌に機嫌がいい。最近、特にこれと言った話題がなかったためだろうが……
とにかく、鬼市のモチベーションがどんどん下がっていくのに、待ったは掛からなかった。そして、彼は昨日の顛末を嫌そうに語っていった。その内容を上機嫌に、木戸は聞きながら他に似たような話がなかったか、記憶を巡らせていっているようだった。
「あ~、猿顔に伸縮する腕……か。なんやっけなぁ、聞いたことある気はするんやが、思い出せん」
木戸は歳は取りたくないもんやなぁと、深々とため息をついていた。
「やけど、心当たりはあるんっすね?」
「せやなぁ。ちょいと調べとくさかい、とりあえず次の職周りいってきぃや」
そこで鬼市が時計を見ると、工房にきてだいぶ時間が経っているのに気付いた。
「……せやね。ほな、また頼みますわ」
「あいよ。おおきに」
木戸も鬼市と話ながら吸い出した五本目の煙草をもみ消し、ゆっくりと次の木地を手にしていった。
・
まだ雲が少しだけ、昨日よりも多いというのがせめてもの救いではある。しかし、熱風が容赦なく窓から襲いかかってくるという時点では、何の改善もされていなかった。
「あぢぃ……」
室内計はすでに壊れている。
車内が何度なのか、一切わからない。
いつものように、エンジンが熱だれを起こしているおかげで、出力は全く上がらない。
当然、冷房のような高級な性能を出すと、とたんに走るパワーを失って、牛歩の歩みのようになってしまうだろう。
鬼市の三白眼が、朦朧と揺れていた。
走っているのはいつも通り京都の東側、山科だった。
よろよろと走り、エンジン音だけはいっちょ前に吐き出し続けるオンボロ車は、馴染みの漆芸店の前に止まり、息も絶え絶えの休息を得ていった。
家の扉をがらがらとあけ……
「まいどぉ、幾三商店ッス」
ひんやりとする空気を身体全体に受け、身震いと共に一時の幸福感が彼を満たしていった。
「おぉ、きっちゃん。今日も酷い格好やな。とりあえずはいんなぁ」
奥から番頭である、相羽康志が砥の粉で汚れた顔で向かえてくれた。
「康っさん、顔、顔」
「えぇ? おぉ、すまん、すまん。おおきにな」
首にかけている手ぬぐいで、それを拭うと、道を塞いでいることに、彼も気づき、気恥ずかしそうに退いていった。
鬼市はそのまま、奥の作業台へと向かうと、ちょうど一個大きめの器を塗りおえたばかりの木戸荒間が厳めしい顔をしながら座っていた。
「大将、まいど」
「おう」
木戸は鬼市に目もくれず、塗り終えた面を丹念に確認して、脇の使い古したお盆の上に置いた。
「どうしたんや? すわらんかい」
「あぁ、すんまへん」
遠目からでも塗りおえたばかりの面のつややかさに、鬼市は不覚にもほれぼれとしていた。
さすが、京都の漆器組合の中でも長年重鎮を務めてはいないわけだ。
木戸は鬼市は目の前に座ると、捌けを置いて使い古し真っ黒となった木の引き出しの中から煙草……わかばを取りだした。
そして、そのまま火をつけると、一気に紫煙を吸い込んでいった。
「大将、今日は煙管じゃないんっすね」
「ふん。葉をきらしちまってな、康の奴から一箱もろうたんや」
なるほどと、鬼市も相づちを打った。
確かに、この近辺では煙草屋があまりないのだ。だからこそ、いつも切れないようにしていたはずだが、今回はうっかりしていたらしい。
「ふぅ……なんや、景気悪そうな顔してるやんけ」
「え? わかります?」
木戸は神経質そうな目を細め、至極面倒くさそうに鬼市をジロリと睨んだ。
「昨日……だな、こんな話が飛び込んできたんや。東山の山中で人間の死体があがったそうやな。そいつは、欠から内蔵を引きずり出されて殺されてんだそうだ」
その内容に、鬼市は思わず顔をしかめていた。
まさしく、昨晩出会った妖怪の仕業に違いなかった。
「なんや、心当たりあるんかいな」
「……大将には敵わないっすねぇ」
情報好きであり、様々な情報網を持つ、この木戸に掛かれば様々な事がすぐに筒抜けとなってしまう。
ここで言わなかったら、その存在についても何も出てこないだろう。
「大将、俺の事は……」
「わぁってとるがな。俺とお前の良身や、鬼童丸の鬼夜叉組にはだまっとるさかい」
「ほんまに、頼みますよ……」
鬼市は深く深くため息をついた。
「昨日の帰り道に、おそらくそいつと出会ってるんですよ」
「ほう……ほな、すでに市内かいな」
「相手が一体かどうかも知りませんけどね」
「ちゅうことは……」
「そろそろ、ニュースで流れる可能性はありますねぇ」
東山の山中なら、人間にはまだ発見されていないかもしれないが、あんな住宅街のど真ん中なら話は別だ。
朝にはカラスやネズミが漁りにきて、大変な状態になって発見されたことだろう。
ちなみに、鬼市は人だかりが出来ているのを遠巻きに見ただけで、どうなったのかは知るよしもなかった。
「久々の、臓物の臭いって言うのは強烈でしたね。次食う肉の味がまずくなりそうやわ……」
「ははっ、お前さんでもそれをいうんやなぁ」
しかめっ面となった鬼市を木戸はおかしそうに笑った。
「大将。せやから、俺は人間なんですよ? そうそう、ほんなもんばかりお目にかかってたまりますかい」
木戸の態度にますます渋面を作ると、彼は吹き出しそうになっていた。
今日の彼はやけに饒舌で、嫌に機嫌がいい。最近、特にこれと言った話題がなかったためだろうが……
とにかく、鬼市のモチベーションがどんどん下がっていくのに、待ったは掛からなかった。そして、彼は昨日の顛末を嫌そうに語っていった。その内容を上機嫌に、木戸は聞きながら他に似たような話がなかったか、記憶を巡らせていっているようだった。
「あ~、猿顔に伸縮する腕……か。なんやっけなぁ、聞いたことある気はするんやが、思い出せん」
木戸は歳は取りたくないもんやなぁと、深々とため息をついていた。
「やけど、心当たりはあるんっすね?」
「せやなぁ。ちょいと調べとくさかい、とりあえず次の職周りいってきぃや」
そこで鬼市が時計を見ると、工房にきてだいぶ時間が経っているのに気付いた。
「……せやね。ほな、また頼みますわ」
「あいよ。おおきに」
木戸も鬼市と話ながら吸い出した五本目の煙草をもみ消し、ゆっくりと次の木地を手にしていった。
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