うたかた謳うは鬼の所業なり

源蔵

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二鬼 輝は今日も走る2

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 紀三と別れた輝は、そのままいつも事務所代わりとして使わせてもらっている老舗の喫茶店へとやってきていた。

 店員も彼女の姿を認めると、何も聞かずにカウンターの中で仕込みをしている店長へと知らせにいった。

 アンティーク調の広々とした店内は、調度品と合わせ光量が抑えめとなっていた。長年使い込まれ、染み渡った香ばしいコーヒーの香りが鼻孔をくすぐってきていた。

 浮気調査の写真と資料を取り出しながら、輝はため息をもらした。

「どうかされたのですか?」

 顔を上げてみれば、水を持った店主が和やかに彼女を見下ろしていた。

「あんまりため息ばかりつかれると、幸運が逃げてしまいますよ」

「店長……いつもありがとうございます」

「いえいえ、輝さんは小さい頃から知っていますからね。これくらい何でも無いですよ」

 水を置き、ゆっくりと店長はカウンターへと戻っていった。

「せやな。これくらいで悄気てたら、あの糞お姉に笑われてまうわ」

 そう眉間に力を入れながら、輝は呟くと早速できかけの資料を作成していった。

 そうしていると、店に幾人かの客が入ってきて、店長と言葉を交わしていった。だいたい、この時間からやってくるのは常連の客ばかりだった。輝もまた、そのうち二人は見たことがある顔があった。

 軽く会釈し、そのまま作業に没頭していく。

 それはテーブルの隅に香ばしいブラックのコーヒーとサンドイッチを置かれていったことにも気が付かないほどだった。

 そうして、二時間が経過し、やっと報告書をまとめると、とたんに息が抜けると共に、お腹の音が盛大になっていた。

「……あ」

 そこでようやく、鼻孔をツナマヨネーズの臭いがくすぐった。

 反射的に口の中が潤うのと同時に、手が伸びていた。

「……うんまぁ、やっぱりここのサンドイッチは美味いんよねぇ」

 ほれぼれしながら咀嚼していると、すっと影降りてきた。

「?」

 店は……まだまだ客入りはあまりなく……

「こんな所で、奇遇ですね」

 声に釣られ、顔を上げてみるとそこには輝の見知った人物がいた。

「あ……晴羅(せいら)さん」

「輝さん、こんにちわ。仕事に精が出ているようですね」

 長い黒髪にすらっとした身長、いつもと同じ落ち着いた黒を基調とした服装が目につく。

 鼻立ちはくっきりとしており、穏やかでいて意志の強そうな黒い瞳がそこにあった。

 街ですれ違えば、皆が振り返るのではないかというほどの美女であった。

「こんにちわ。晴羅さんは、これからお仕事ですか?」

「ええ、午後から店に入る予定になっているの。今日は特に暑いから、お茶の一杯でも飲みたくなったのよ」

 彼女はそう言いながら、向かい側にゆっくりと、優雅に腰掛けた。

 本名は知らないが、晴羅は祇園界隈で有名な占い師だった。

 幸福なことだけでなく、不幸なことも占い、その的中率の高さから、祇園の黒姫となぜか、違う方向へと想像してしまいそうな渾名がつけられていた。

 場所が場所だけに、店の名前であり、そこのママがやっているのではと、勘違いする人も結構多かったりした。

 少し前に仕事の関係で、たまたま知り合ったのを機に色々と交流が持てている人物だった。

「なにか悪いものでも見ましたか?」

「え? なんのことですか?」

 突然の晴羅の言葉に輝はすぐに反応することができなかった。

「あぁ、すみません。色々と見えてしまうものでして」

「み、見えてですか。晴羅さんらしいですね……」

 何が見えるのかは少し怖く、それ以上追求することが出来なかった。

「それにしても毎年のことですけど、今年も今年で暑いですよねぇ」

「えぇ、特に今年は色々な意味で暑くなりそうですね」

 ちょうど、店長がアイスコーヒーを持ってきてくれていた。

「ありがとうございます」

 晴羅は恭しく頭を少し下げると、優雅にその黒い液体に口をつけていった。

「ふぅ……やはり、しっかりと豆を煎って入れてくれるコーヒーは美味しいですね」

「そうですね。ここの店長は新しい機械とか嫌いなんで、ずっと昔ながらのやり方を通しとるんです」

「店の雰囲気が歴史を語ってくれています。ここを守護するものたちも、非常に穏やかですからね」

 言葉の端々に、思うところはあるが、輝は突っ込みを入れることはなかった。

 輝もまた、少しだけならそういったことが分かる。

 ここに漂う空気は非常にやさしいものであり、来る人々を歓迎しているのだ。

 だからこそ、暗い店内だというのに、空気は非常に柔らかい。

「ところで、輝さん」

「はい?」

「貴方の後ろに、三つの影が見えます」

「!?」

 言われた瞬間、空気が変わったような気がした。

 それまで穏やかに喋っていた晴羅の瞳も様相がわかっていた。

「あ、あの……せ、晴羅さん?」

「一つは、小さな人型……いえ、"猿"のような形をしています。もう一つは異形ですね……"蟲"? あと一つは、大きな大きな人型ですね」

 それを喋る彼女に表情はなく、黒く大きな瞳は何処も見ていないかのように焦点が輝へとむけられていなかった。

「みんな、貴女を目指しています……黒い……黒い意志? その中の二つからとても……とても、邪悪な気配が……」

「せ、晴羅さん?!」

 場所が場所だけに、輝は思わず声を荒げてしまった。

 彼女が醸し出す、まさに負のオーラと言ってよいのか、とても一般の人が耐えられそうにないような陰湿な空気が一瞬にして広がっていた。

 こういった雰囲気は仕事柄、よくよく知っていて慣れている輝だったが、恩人でもあるこの店でその雰囲気を出されるのは勘弁してほしかった。

「あっ……すみません。私としたことが」

「い、いえ、私は平気です。でも、この店ではあまり……」

 空気を察したのか、室内の何人かは二人のほうを見ていた。

「ごめんなさいね。でも、見えてしまったのは本当なのよ」

「晴羅さんのゆうことやし、そない外れるとも思ってません。気をつけます」

「そうしていただけると助かるわ。いくら、華峰院家の本家の出身とはいえ、異形の者達を相手にするのは人間にとってマイナスしかないのですから」

「はい……それもわかってます」

 少し声のトーンを落とし、輝は応えた。

「最近、華峰院家が府の執政にも、少し協力するようになったと言いますね」

「はい……」

「まだまだ、闇の存在……異形の妖怪などの存在は基本的には、一般の人々には伏せられていますが、なにかと物騒になってきたものですね」

「わ、私はもうあの家とは関係あらへんのです。そんなことは知りません」

「それでも、血の存在は消えないものなのよ? それだけは憶えておいて」

「血……ですか」

「そう、長年……永遠と続くような過去からの螺旋は……その流れからは逃げられないの」

「晴羅……さん?」

 どこか遠くを見るような彼女の言葉に、違和感を憶えてしまった。

「あ、ごめんなさいね。歳を取るとどうも、説教臭くなってしまうものなの」

 申し訳なさそうに彼女は謝った。

「いえ……」

 それからしばらく話した後、晴羅は祇園のほうへと脚を向けていった。

 輝もまた、先ほどの言葉の中にあったもの……猿の存在について考えていった。


 そして、彼女もまた祇園のほう……京都の東側へと自転車を走らせていった。


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