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第三章 ダンシング・ドルフィン
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「ふざけるなッ!」
諸正が血の槍を生み出し、美奈恵さんめがけて投げつける。
美奈恵さんは、ヒールエッジ(かかと側)に寄りかかっていた姿勢をすばやく起こしてトゥエッジ(つま先側)へと体重を移動し、前傾姿勢になる。そのまま後ろ側のつま先を海面に対し強く押し込む。
ボード裏、後端にあるフィン(ひれ)が海面に露出し、激しい水しぶきを巻き起こした。
水しぶきを喰らった槍は進路をそらされ、美奈恵さんの頭上を通過する。
一方、水しぶきはそばにいた諸正のボートに襲いかかり――
「ぶは――ッ!」
諸正を水浸しにした。
「へっへーん! 乙女の誘いをむげにするからそんな目に遭うんだよぉ~」
美奈恵さんはこにくたらしくそう言いながら、諸正に向けておしりを叩いてみせた。
「こ……この、腐れビッチがぁ!!」
まなじりをつり上げた諸正が両手に槍を生み出し、美奈恵さんに向けて射出した。
「そんなの、当ったらないよぉ~」
美奈恵さんは、迫り来る槍をスラロームでかわし、再び曳き波に向かい、跳ぶ――その下を諸正の槍が通過していく。美奈恵さんはわざわざ空中でボードをつかむまで決めた。インディというトリックだ。その着水点に飛んできた槍を危なげなくターンしてかわし、最後にその場で跳んで、足下に飛んできた槍をやりすごした。
ついでにばしゃ、ばしゃと水しぶきを上げてみせ、諸正を挑発する。
「す、すごい……」
声もない。
まだ高度な大技こそ見せていないものの、ボードを操る抜群の感覚と見事な重心の制御――お手本のようなライディングだった。
それも、ただトリックを決めてみせているだけではなく、諸正の殺意のこもった攻撃をかわしながら、なおも余裕を見せつけてすらいるのだ。
「クソがぁぁッ!」
諸正は槍での攻撃を中断し、空を飛び交う〈禽鶏〉へと指示を出す。
急降下して襲いかかってくる〈禽鶏〉は、槍とちがい、敵を認識し、攻撃の軌道を修正することもできる。
ボートの上から、真琴さんが持ち替えたM4A1カービンを構え、向かってくる〈禽鶏〉を狙って応射するが、多くの〈禽鶏〉は滑空して射軸から逃れてしまう。
「美奈恵ッ!」
真琴さんが警告する。
「わかってるよぉ」
そう言うと美奈恵さんは三度、曳き波へ向かってボードを滑らせていく。
その勢いは、これまでのジャンプの時のアプローチよりも速いばかりか、ウェイクボードとして出しうる速度を超えているように思えた。
(そうか! 〈魔法〉でボードを加速して――!)
〈魔法〉で作り上げた「ボード」を、なにも本来のウェイクボードと同じにしておく必要はないのだ。これは、ルールに基づくスポーツ競技ではなく、忌能という特殊能力を持つもの同士の、命を賭けた化かし合いなのだから。
美奈恵さんはトーイングするボートを上回るような速度で曳き波に進入し――#跳んだ。
ボードのノーズ(先端部分)を曳き波に押し込むことで得た反動を使って、美奈恵さんは自分の身体を空高く投げ跳ばす。
美奈恵さんのブーツに固定されたボードは、美奈恵さんを追うような形で宙へと跳ね上がり、美奈恵さんの身体をあっというまに追い越していく。
ボードが上、身体が下――美奈恵さんは空中で完全に天地が逆転した姿勢になった。栗色のウェーブヘアーが潮風に揺れ、花柄のワンピースは空気を孕んでふくらんでいる。昨夜は悪魔のようだと思ったあどけない笑みが、今このときだけは輝いて見えた。
が、それだけではない。
(あ、あれは……!?)
曳き波から跳ね上げられたボードが、空中に鮮やかな弧を描いている。
比喩ではない。
ボードの描く軌跡が、虹色の光の弧となって輝き、空中にまばゆい半月を形成していくのだ。
空中にある美奈恵さんの目は、ランディングポイントとなる向かい側の曳き波に向けられると同時に、襲い来る〈禽鶏〉にも向けられている。
美奈恵さんは虹色の軌跡を後に残しながら飛翔し――着水。
曳き波を利用してジャンプし、バク宙を決めるという大技、タントラムだ。
そして――
「爆っぜろぉ~!」
着水し、体勢を立て直した美奈恵さんが叫ぶと、空中に刻まれた虹色の軌跡がふくれあがり、襲い来る〈禽鶏〉に向かって爆発した。
凄まじい光が辺りを席巻する。
ぼくは操縦席のバックミラーから目をそらした。
もし直視していたら目を痛めてしまっていただろう。
空がまっ白に染まり、波頭は光を散乱してプリズムのように輝く。
尋常ではない光景が船首方向に広がるが、その光景ですら、背後で起こっている現象の余波でしかないのだ。
そして、その「爆発」が収まった後には――
「ば、馬鹿な――!」
諸正が目を見開き、愕然とつぶやく。
美奈恵さんの放った〈魔法〉は、単に襲いかかってきた〈禽鶏〉を倒しただけではなかった。
「全滅……だと!」
諸正は呆然と空を見上げている。
先ほどまで空を覆わんばかりに群れ集っていた〈禽鶏〉たちの姿がなくなっていた。
そう――美奈恵さんの〈魔法〉は、上空を旋回していた〈禽鶏〉たちをも巻き込んで、消滅させてしまったのだ。
上空から、きらきらと輝く漆黒の粒子が、ゆるやかに渦を巻きながら降り注いでくる。
粒子の渦は、ボートの頭上がいちばん濃く、爆発の余波で拡散しながら、その尾を忌み島の方角へと伸ばしていく。
その粒子の奥に――ついに忌み島がその姿を現していた。
久瀬倉さんに与えられた運命と比較したら、嘘みたいに小さな島だ。
面積としては、さすがに城ヶ崎学園の敷地よりは広いだろうが、都心のドームが十個入るかどうかは微妙、という程度で、大きな注連縄のかけられた二つの岩山の根に、神社のような建物があるのが見える。
「さぁて、執事さん♪ あたしにケンカ売ったこと、後悔してもらうよぉ?」
「……くっ!」
美奈恵さんは再び海面を滑り、諸正のボートへと近づいていく。
(――あ)
よく見ると、美奈恵さんの手にしたラインが伸びている。ボードもわずかに長くなり、幅が狭くなっているようだ。大技が終わったから、安定性重視の形状に変化させたのだろう。恒兄が見たらよだれを垂らしてうらやましがりそうな技術だ。
それはともかく、
(……終わった)
美奈恵さんが諸正を制してくれたら、長かった海上の戦いも終わることになる。
忌み島はもう眼前に迫っていて、その島影は操縦席のウィンドシールドには収まりきらないくらいの大きさになっている。
ぼくはほっと胸を撫で下ろした――のだが。
「美奈恵ッ!」
出し抜けに真琴さんが叫んだ。
美奈恵さんは諸正の乗るフィッシャーボートへ向けてターンを切っているところだった。
その諸正が――
「生け捕れと言われちゃいるが――行かせるわけにはいかないんでね!」
「う、うわ――!」
ぼくがバックミラー越しに見たのは、こちらに向けてロケットランチャーを構える諸正の姿だった。
その照準がちょうどこのミラーに当たっているせいで、ぼくはその細長い菱形の弾体を真正面から見てしまった。
諸正の動きに気づいた美奈恵さんがあわてて腕を振り上げ、真琴さんがM4を構える。
しかし、どちらもわずかに間に合わなかった。
諸正の放ったロケット弾が、風切り音を立てながら滑空、ボートへと迫る。
その瞬間――生命の危機に脳が反応したのだろう、ぼくの意識は引き延ばされた時間感覚の中に閉じ込められ、音のない、スローモーションの世界の中で、一瞬のうちに起きた出来事を正確に認識していた。
諸正のロケット弾が、ボートのトーイングタワーにぶつかり、爆発する。
が、ロケット弾は少し上にそれたらしく、ロケット弾の弾体と爆発の衝撃の多くは上方へと逃げたようだ。
視界の隅で、諸正の身体から血しぶきが上がるのが見えた。真琴さんの銃撃が命中したのだろう。
美奈恵さんは腕を振り抜いた姿勢でいるから――そうか、美奈恵さんはとっさに〈魔法〉でロケット弾の軌道をそらしたんだ。そのおかげで、ロケット弾がボートに直撃する事態は免れたのだろう。
そんな一瞬の交錯の結果、ロケット弾の爆発はトーイングタワーを破壊しただけで、幸いにもボートの船体に致命的なダメージを与えることはなかった。
しかし――
「美奈恵――ッ!!」
真琴さんの叫びとともに、ぼくの意識がもとの状態に戻る。
バックミラーのなかで、美奈恵さんの身体が宙を舞っていた。
それは、プロ顔負けのウェイクボーダーの華麗なトリックなどではなかった。
美奈恵さんは支えとするものを急に失ったかのように、無抵抗に宙に投げ出され、きりもみし、海面に激しく叩きつけられた。
(そうか――トーイングタワーが……!)
操縦席を守るウィンドシールドのすぐ後ろから後部上方へ向けて張り出したトーイングタワーは、今の諸正の攻撃でひしゃげ、破壊されていた。
当然――そこに結びつけられていた美奈恵さんのラインも……
ウェイクボードは本来、ボートや水上バイクによって牽引されてはじめて、海面を滑走することができる。動力たるボートとのつながりを断たれたウェイクボードは、もはや海面に投げ出されたただの板きれと変わりがない。
それでも、美奈恵さんの〈魔法〉ならば、体勢を立て直すことはできたのかもしれない。
しかし、美奈恵さんはボートを守るために〈魔法〉を使った直後だったし、ラインが切れてからのボードの動きは、美奈恵さんほどの熟練したウェイクボーダーにとっても予測の不可能なものだったにちがいない。
結果、美奈恵さんはボードの制御を失い、空中に投げ出され、ろくに抵抗もできないまま海面に叩きつけられた。
ぼくはあわてて今のボートの速度を見た。
かなりの高速だ。
ウェイクボードには当然適切な速度があるが、今はそんなことよりも先を急がなければならない状況だったから、ライダーの安全を考慮した速度になどなってはいなかった。
ぼくは反射的に、ボートの速度を落とし、ステアリングを切ろうとするが、
「やめろ! そのまま直進するんだ!」
操縦席に顔を突き出し、真琴さんが言った。
「でも、美奈恵さんが――!」
「あいつなら大丈夫だ! あの程度で死ぬような奴じゃない! 今はとにかく先を――」
そのときバックミラーになにか光るものが映った。
諸正が二発目のロケット弾を撃ってきたのだ。
ぼくはあわててステアリングを切るが――
「く――っ!」
ロケット弾は左舷後方付近の海面に着弾、爆発した。
が、直撃しなかったのは幸いだ。
ぼくはスロットルを押し込み、ボートの速度をさらに引き上げようとした。
「待て! まずい! エンジンが――」
ボートの後ろで爆発が起き、船体が揺れた。
「な、なにが――」
「くっ、エンジンが、やられて――」
真琴さんが苦しげにうめき、操縦席に倒れ込む。
真琴さんの背中に、エンジンの破片らしき金属片が突き刺さっていた。
「ま、真琴さんっ!」
諸正の放ったロケット弾は、直撃こそしなかったものの、ボートのエンジンにダメージを与えていたのだろう。ぼくがスロットルを押し込んだことがとどめとなってエンジンが爆発――運悪く、その破片が真琴さんに直撃してしまったのだ。
美奈恵さんがやられ、真琴さんも負傷し、ぼくらはもう戦闘が続けられる状態じゃなかった。
幸い、忌み島はもう目の前に迫っている。
エンジンはなくなったが、ボートは慣性でなおも進んでいて、なんとかかんとか、忌み島の沿岸にたどり着くことはできそうだ。
後方を見ると、諸正はボートを返し、海面に浮いた美奈恵さんのもとに向かっている。
美奈恵さんは仰向けに浮かんだまま気を失っているようだった。
諸正も、最初のロケット弾を放ったときに真琴さんの銃撃を受けて負傷している。これ以上の追撃を諦め、気絶した美奈恵さんを捕らえることを優先したのだろう。
ぼくは唇を噛みしめた。
昨夜のことで、美奈恵さんのことがすっかり苦手になってしまったが、それでも美奈恵さんはぼくらを守るために懸命に戦ってくれていたのだ。その美奈恵さんを囮にするような形で忌み島への上陸を果たすことは、心苦しいとしかいいようがない。
真琴さんの傷はかなり深いようで、銃を構えることもできず、ボートのセンターキャンパスに身をもたせかけ、荒い息をつきながら、目前に迫る忌み島を睨みつけていた。
搭乗員をひとり減らしたボートはほどなく岸辺に乗り上げた。
ぼくは真琴さんに肩を貸してボートを下りた。
ぼくの足首を、忌み島に打ち寄せる青い波が洗っていく。
忌み島――ここに久瀬倉さんと、封じられた鬼がいる。
諸正が血の槍を生み出し、美奈恵さんめがけて投げつける。
美奈恵さんは、ヒールエッジ(かかと側)に寄りかかっていた姿勢をすばやく起こしてトゥエッジ(つま先側)へと体重を移動し、前傾姿勢になる。そのまま後ろ側のつま先を海面に対し強く押し込む。
ボード裏、後端にあるフィン(ひれ)が海面に露出し、激しい水しぶきを巻き起こした。
水しぶきを喰らった槍は進路をそらされ、美奈恵さんの頭上を通過する。
一方、水しぶきはそばにいた諸正のボートに襲いかかり――
「ぶは――ッ!」
諸正を水浸しにした。
「へっへーん! 乙女の誘いをむげにするからそんな目に遭うんだよぉ~」
美奈恵さんはこにくたらしくそう言いながら、諸正に向けておしりを叩いてみせた。
「こ……この、腐れビッチがぁ!!」
まなじりをつり上げた諸正が両手に槍を生み出し、美奈恵さんに向けて射出した。
「そんなの、当ったらないよぉ~」
美奈恵さんは、迫り来る槍をスラロームでかわし、再び曳き波に向かい、跳ぶ――その下を諸正の槍が通過していく。美奈恵さんはわざわざ空中でボードをつかむまで決めた。インディというトリックだ。その着水点に飛んできた槍を危なげなくターンしてかわし、最後にその場で跳んで、足下に飛んできた槍をやりすごした。
ついでにばしゃ、ばしゃと水しぶきを上げてみせ、諸正を挑発する。
「す、すごい……」
声もない。
まだ高度な大技こそ見せていないものの、ボードを操る抜群の感覚と見事な重心の制御――お手本のようなライディングだった。
それも、ただトリックを決めてみせているだけではなく、諸正の殺意のこもった攻撃をかわしながら、なおも余裕を見せつけてすらいるのだ。
「クソがぁぁッ!」
諸正は槍での攻撃を中断し、空を飛び交う〈禽鶏〉へと指示を出す。
急降下して襲いかかってくる〈禽鶏〉は、槍とちがい、敵を認識し、攻撃の軌道を修正することもできる。
ボートの上から、真琴さんが持ち替えたM4A1カービンを構え、向かってくる〈禽鶏〉を狙って応射するが、多くの〈禽鶏〉は滑空して射軸から逃れてしまう。
「美奈恵ッ!」
真琴さんが警告する。
「わかってるよぉ」
そう言うと美奈恵さんは三度、曳き波へ向かってボードを滑らせていく。
その勢いは、これまでのジャンプの時のアプローチよりも速いばかりか、ウェイクボードとして出しうる速度を超えているように思えた。
(そうか! 〈魔法〉でボードを加速して――!)
〈魔法〉で作り上げた「ボード」を、なにも本来のウェイクボードと同じにしておく必要はないのだ。これは、ルールに基づくスポーツ競技ではなく、忌能という特殊能力を持つもの同士の、命を賭けた化かし合いなのだから。
美奈恵さんはトーイングするボートを上回るような速度で曳き波に進入し――#跳んだ。
ボードのノーズ(先端部分)を曳き波に押し込むことで得た反動を使って、美奈恵さんは自分の身体を空高く投げ跳ばす。
美奈恵さんのブーツに固定されたボードは、美奈恵さんを追うような形で宙へと跳ね上がり、美奈恵さんの身体をあっというまに追い越していく。
ボードが上、身体が下――美奈恵さんは空中で完全に天地が逆転した姿勢になった。栗色のウェーブヘアーが潮風に揺れ、花柄のワンピースは空気を孕んでふくらんでいる。昨夜は悪魔のようだと思ったあどけない笑みが、今このときだけは輝いて見えた。
が、それだけではない。
(あ、あれは……!?)
曳き波から跳ね上げられたボードが、空中に鮮やかな弧を描いている。
比喩ではない。
ボードの描く軌跡が、虹色の光の弧となって輝き、空中にまばゆい半月を形成していくのだ。
空中にある美奈恵さんの目は、ランディングポイントとなる向かい側の曳き波に向けられると同時に、襲い来る〈禽鶏〉にも向けられている。
美奈恵さんは虹色の軌跡を後に残しながら飛翔し――着水。
曳き波を利用してジャンプし、バク宙を決めるという大技、タントラムだ。
そして――
「爆っぜろぉ~!」
着水し、体勢を立て直した美奈恵さんが叫ぶと、空中に刻まれた虹色の軌跡がふくれあがり、襲い来る〈禽鶏〉に向かって爆発した。
凄まじい光が辺りを席巻する。
ぼくは操縦席のバックミラーから目をそらした。
もし直視していたら目を痛めてしまっていただろう。
空がまっ白に染まり、波頭は光を散乱してプリズムのように輝く。
尋常ではない光景が船首方向に広がるが、その光景ですら、背後で起こっている現象の余波でしかないのだ。
そして、その「爆発」が収まった後には――
「ば、馬鹿な――!」
諸正が目を見開き、愕然とつぶやく。
美奈恵さんの放った〈魔法〉は、単に襲いかかってきた〈禽鶏〉を倒しただけではなかった。
「全滅……だと!」
諸正は呆然と空を見上げている。
先ほどまで空を覆わんばかりに群れ集っていた〈禽鶏〉たちの姿がなくなっていた。
そう――美奈恵さんの〈魔法〉は、上空を旋回していた〈禽鶏〉たちをも巻き込んで、消滅させてしまったのだ。
上空から、きらきらと輝く漆黒の粒子が、ゆるやかに渦を巻きながら降り注いでくる。
粒子の渦は、ボートの頭上がいちばん濃く、爆発の余波で拡散しながら、その尾を忌み島の方角へと伸ばしていく。
その粒子の奥に――ついに忌み島がその姿を現していた。
久瀬倉さんに与えられた運命と比較したら、嘘みたいに小さな島だ。
面積としては、さすがに城ヶ崎学園の敷地よりは広いだろうが、都心のドームが十個入るかどうかは微妙、という程度で、大きな注連縄のかけられた二つの岩山の根に、神社のような建物があるのが見える。
「さぁて、執事さん♪ あたしにケンカ売ったこと、後悔してもらうよぉ?」
「……くっ!」
美奈恵さんは再び海面を滑り、諸正のボートへと近づいていく。
(――あ)
よく見ると、美奈恵さんの手にしたラインが伸びている。ボードもわずかに長くなり、幅が狭くなっているようだ。大技が終わったから、安定性重視の形状に変化させたのだろう。恒兄が見たらよだれを垂らしてうらやましがりそうな技術だ。
それはともかく、
(……終わった)
美奈恵さんが諸正を制してくれたら、長かった海上の戦いも終わることになる。
忌み島はもう眼前に迫っていて、その島影は操縦席のウィンドシールドには収まりきらないくらいの大きさになっている。
ぼくはほっと胸を撫で下ろした――のだが。
「美奈恵ッ!」
出し抜けに真琴さんが叫んだ。
美奈恵さんは諸正の乗るフィッシャーボートへ向けてターンを切っているところだった。
その諸正が――
「生け捕れと言われちゃいるが――行かせるわけにはいかないんでね!」
「う、うわ――!」
ぼくがバックミラー越しに見たのは、こちらに向けてロケットランチャーを構える諸正の姿だった。
その照準がちょうどこのミラーに当たっているせいで、ぼくはその細長い菱形の弾体を真正面から見てしまった。
諸正の動きに気づいた美奈恵さんがあわてて腕を振り上げ、真琴さんがM4を構える。
しかし、どちらもわずかに間に合わなかった。
諸正の放ったロケット弾が、風切り音を立てながら滑空、ボートへと迫る。
その瞬間――生命の危機に脳が反応したのだろう、ぼくの意識は引き延ばされた時間感覚の中に閉じ込められ、音のない、スローモーションの世界の中で、一瞬のうちに起きた出来事を正確に認識していた。
諸正のロケット弾が、ボートのトーイングタワーにぶつかり、爆発する。
が、ロケット弾は少し上にそれたらしく、ロケット弾の弾体と爆発の衝撃の多くは上方へと逃げたようだ。
視界の隅で、諸正の身体から血しぶきが上がるのが見えた。真琴さんの銃撃が命中したのだろう。
美奈恵さんは腕を振り抜いた姿勢でいるから――そうか、美奈恵さんはとっさに〈魔法〉でロケット弾の軌道をそらしたんだ。そのおかげで、ロケット弾がボートに直撃する事態は免れたのだろう。
そんな一瞬の交錯の結果、ロケット弾の爆発はトーイングタワーを破壊しただけで、幸いにもボートの船体に致命的なダメージを与えることはなかった。
しかし――
「美奈恵――ッ!!」
真琴さんの叫びとともに、ぼくの意識がもとの状態に戻る。
バックミラーのなかで、美奈恵さんの身体が宙を舞っていた。
それは、プロ顔負けのウェイクボーダーの華麗なトリックなどではなかった。
美奈恵さんは支えとするものを急に失ったかのように、無抵抗に宙に投げ出され、きりもみし、海面に激しく叩きつけられた。
(そうか――トーイングタワーが……!)
操縦席を守るウィンドシールドのすぐ後ろから後部上方へ向けて張り出したトーイングタワーは、今の諸正の攻撃でひしゃげ、破壊されていた。
当然――そこに結びつけられていた美奈恵さんのラインも……
ウェイクボードは本来、ボートや水上バイクによって牽引されてはじめて、海面を滑走することができる。動力たるボートとのつながりを断たれたウェイクボードは、もはや海面に投げ出されたただの板きれと変わりがない。
それでも、美奈恵さんの〈魔法〉ならば、体勢を立て直すことはできたのかもしれない。
しかし、美奈恵さんはボートを守るために〈魔法〉を使った直後だったし、ラインが切れてからのボードの動きは、美奈恵さんほどの熟練したウェイクボーダーにとっても予測の不可能なものだったにちがいない。
結果、美奈恵さんはボードの制御を失い、空中に投げ出され、ろくに抵抗もできないまま海面に叩きつけられた。
ぼくはあわてて今のボートの速度を見た。
かなりの高速だ。
ウェイクボードには当然適切な速度があるが、今はそんなことよりも先を急がなければならない状況だったから、ライダーの安全を考慮した速度になどなってはいなかった。
ぼくは反射的に、ボートの速度を落とし、ステアリングを切ろうとするが、
「やめろ! そのまま直進するんだ!」
操縦席に顔を突き出し、真琴さんが言った。
「でも、美奈恵さんが――!」
「あいつなら大丈夫だ! あの程度で死ぬような奴じゃない! 今はとにかく先を――」
そのときバックミラーになにか光るものが映った。
諸正が二発目のロケット弾を撃ってきたのだ。
ぼくはあわててステアリングを切るが――
「く――っ!」
ロケット弾は左舷後方付近の海面に着弾、爆発した。
が、直撃しなかったのは幸いだ。
ぼくはスロットルを押し込み、ボートの速度をさらに引き上げようとした。
「待て! まずい! エンジンが――」
ボートの後ろで爆発が起き、船体が揺れた。
「な、なにが――」
「くっ、エンジンが、やられて――」
真琴さんが苦しげにうめき、操縦席に倒れ込む。
真琴さんの背中に、エンジンの破片らしき金属片が突き刺さっていた。
「ま、真琴さんっ!」
諸正の放ったロケット弾は、直撃こそしなかったものの、ボートのエンジンにダメージを与えていたのだろう。ぼくがスロットルを押し込んだことがとどめとなってエンジンが爆発――運悪く、その破片が真琴さんに直撃してしまったのだ。
美奈恵さんがやられ、真琴さんも負傷し、ぼくらはもう戦闘が続けられる状態じゃなかった。
幸い、忌み島はもう目の前に迫っている。
エンジンはなくなったが、ボートは慣性でなおも進んでいて、なんとかかんとか、忌み島の沿岸にたどり着くことはできそうだ。
後方を見ると、諸正はボートを返し、海面に浮いた美奈恵さんのもとに向かっている。
美奈恵さんは仰向けに浮かんだまま気を失っているようだった。
諸正も、最初のロケット弾を放ったときに真琴さんの銃撃を受けて負傷している。これ以上の追撃を諦め、気絶した美奈恵さんを捕らえることを優先したのだろう。
ぼくは唇を噛みしめた。
昨夜のことで、美奈恵さんのことがすっかり苦手になってしまったが、それでも美奈恵さんはぼくらを守るために懸命に戦ってくれていたのだ。その美奈恵さんを囮にするような形で忌み島への上陸を果たすことは、心苦しいとしかいいようがない。
真琴さんの傷はかなり深いようで、銃を構えることもできず、ボートのセンターキャンパスに身をもたせかけ、荒い息をつきながら、目前に迫る忌み島を睨みつけていた。
搭乗員をひとり減らしたボートはほどなく岸辺に乗り上げた。
ぼくは真琴さんに肩を貸してボートを下りた。
ぼくの足首を、忌み島に打ち寄せる青い波が洗っていく。
忌み島――ここに久瀬倉さんと、封じられた鬼がいる。
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