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第三章 ダンシング・ドルフィン
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「美奈恵っ!」
「あいよ~」
美奈恵さんはステアリングを切り、ボートの進行方向を槍の射線から逸らせた。
諸正の放った血の槍は、トーイングタワーの支柱をかすめ、そこに血糊をべったりとこびりつけながら、後方へと抜けていった。
その間に諸正も舵を切ってボートを旋回させている。
二台のボートはすれ違い、ぼくらの乗るボートを諸正のボートが追いかける形になった。
「チッ! 後ろにつかれたか!」
相対速度が落ちたため、諸正は冷静に狙いをつけて槍を放ってくる。
M4A1カービンを手に取った真琴さんがサイドシートから応射する。
諸正の放った槍が空中で飛散した。
揺れるボートの上だというのに、真琴さんは飛来する槍を数度の応射で撃墜してしまった。
「美奈恵! エンジンをやられるとまずい! 適当に船尾を振りながら進んでくれ!」
このボートのエンジンは、船体後端に本体が露出している船外機タイプだ。諸正の槍が直撃して大破するようなことでもあれば、ぼくらは大海原の中心で立ち往生することになってしまう。
「そんなことしたら、向こうに着くのに時間がかかるよぉ?」
「それでも、その前に沈められたらお終いなんだ!」
「わ、わかったよぉ~」
美奈恵さんが返事をすると同時に、ボートが右へ左へ激しく揺れはじめた。
船尾から伸びる曳き波は白く粟立ち、左右に蛇行しながら、風のないべた凪の海面を荒らしていく。
ぼくは振り落とされないように必死でデッキにしがみつく。
蛇行して速度が落ちた分、諸正はぼくらのボートとの距離を詰めてきたが、美奈恵さんの不規則な進路変更のせいで照準を決めかねるらしく、槍の射撃精度が目に見えて悪くなった。トーイングボートの作り出す大きな曳き波が、諸正の乗る小型のフィッシャーボートを激しく揺さぶっているせいもあるだろう。
それでも時々飛んでくる槍は、真琴さんが冷静に撃ち落とす。
ボートが蛇行をはじめたのに合わせて、真琴さんは射撃をセミオートからフルオートへと切り替える。削岩機のような発砲音が響くたびに、飛び来る槍がぼろぼろにちぎれ、海の上に赤黒い血が振りまかれていく。
膠着した戦況は、たぶんこちら側に有利だ。
ぼくらの目的は忌み島で、忌み島に到着すればボートを操縦している美奈恵さんも戦闘に参加できる。ぼくらは単に忌み島まで逃げ切るだけでいいのに対して、諸正はそれまでのあいだにぼくらを倒すか、ボートを破壊するかしなくてはならない。
ボートの激しい揺れに耐えながら、ぼくは安堵の息を漏らしかけたのだが――
「忌儡か!」
真琴さんが叫び、カービンを上空に向けて乱射する。
揺れるボートの上でぼくがなんとか顔を上げると、上空には無数の海鳥が集まってきていた。
いや――あれはやっぱり、海鳥なんかじゃない。
上空を旋回するそれは、全身が黒一色で覆われている。その黒は日の光を反射して不気味にぬらぬらと光っている。
昨日、久瀬倉家の別邸で襲われたあの〈地狗〉とかいう犬型の忌儡と同じ、光沢のある漆黒。
かもめに似たやや下脹れの胴体から大きな翼が伸びているが、その翼の形状は、昨日の〈地狗〉同様単純化されていて、全体としてはデルタ翼の戦闘機を彷彿とさせる無機的なデザインをしている。
真琴さんの言うように、あの海鳥――のようなもの――はまぎれもなく忌儡なのだろう。
「〈禽鶏〉ッ! やつらを啄め!」
ボート同士の距離が近づいたことで、諸正の怒声が聞き取れるようになった。
「貴様らがどれだけ強かろうが、海の上じゃ身動きひとつできねえだろうがッ!」
叫び、再び血の槍を放ってくる諸正。
真琴さんは銃口を振りながら射撃してなんなくその一撃を凌ぐが、その隙に海鳥――〈禽鶏〉の一群がボート目がけて急降下してくる。
「うわっ!」
ぼくはあわてて身を低くする。
狭い視界の中で、真琴さんがカービンを投げ出し、フロアカーペットの上に転がっていたサブマシンガン――MP5のグリップを掴むのが見えた。
激しい発射音とともにボートの床に薬莢が続々と降ってきた。
発射音が一段落してから顔を上げると、先を急ぐボートの背後――曳き波の周囲で、漆黒の微小な粒子がきらきらと陽光を跳ね返しながら散っていくところだった。
「ハンッ! いつまでそれが続くかな!?」
諸正が叫ぶのと同時に、〈禽鶏〉の群れが再びボートを襲う。
ぼくは身をかがめ、真琴さんはMP5を振り回す。
襲いかかった〈禽鶏〉を薙ぎ払った真琴さんは、MP5のマガジンを排出し、サイドシートに転がっていた別のマガジンを装着した。
(まずい……かも)
真琴さんが用意してきたMP5のマガジンは五、六本しかなかったはずだ。忌累機関から銃器を借りるにも一定の上限が決められていると言っていた。今のペースで〈禽鶏〉が襲う度にフルオートで吐き出していては弾があっというまに尽きてしまう。
現状、忌み島はまだ視界に入ってきてすらいなかった。
諸正の追撃をかわすためにボートを蛇行させてしまったので、ひょっとしたら方角がずれてしまっている可能性もある。
真琴さんの様子をうかがうと、眉間に厳しくしわを寄せていた。
戦っているときの真琴さんはいつだって真剣な面持ちだけど、今の真琴さんの表情にはそれ以上の厳しさが浮かんでいるように見えた。
「行けッ!」
諸正が叫び、〈禽鶏〉の群れが再び襲いかかってくる。
さらに――
「ハッ! ついでだッ!」
諸正は両手をぼくたちの乗るボートへ向けて広げた。
諸正の手や腕が膨らみ、十本近い数の血の槍が現れる。一本一本はいままでのものより細く小さいが、それでも直撃すれば致命傷になりかねない。
諸正の放った槍が、急降下して襲いかかる〈禽鶏〉の背後に隠れるようにして迫ってくる。
そのうちのいくつかは〈禽鶏〉にぶつかり、槍は血と化して四散、〈禽鶏〉も漆黒の粒子となって消滅したが、ほとんどの槍は無傷のまま、〈禽鶏〉たちに紛れるようにしてぼくたちのボートに迫ってきた。
「――くっ!」
真琴さんはMP5の銃口を左右に振りながらそれらを撃墜していくが、その全てを落とすことはできなかった。
槍の一本が真琴さんの肩をかすめて、左舷のウィンドシールドを砕き、撃ち漏らした〈禽鶏〉が操縦席でステアリングを握っている美奈恵さん目がけて飛びかかる。
「美奈恵さ――」
思わず悲鳴を漏らしたが、
「えい」
美奈恵さんはステアリングから離した左腕を一閃、襲いかかった〈禽鶏〉をボートの外へと弾き飛ばした。見れば、美奈恵さんの腕には虹色の光がまとわりついて、ボクシングのグローブのようになっている。
波間に墜落した〈禽鶏〉を真琴さんが銃撃。〈禽鶏〉は例のごとくに砕け散り、すぐそばを通過したボートの曳き波に揉まれて見えなくなった。
「すまん、美奈恵!」
真琴さんが言いながら、MP5を諸正めがけて一射する。
牽制のためだったのだろう、諸正がボートに身を沈めると真琴さんの銃撃は空を切った。
「ハッ! ジリ貧という言葉を知ってるかぁ!? イヴィル・バスターズ!」
諸正が哄笑する。
上空には続々と〈禽鶏〉が集まってきていて、真琴さんがあれだけ撃墜したにもかかわらず、その数はむしろ目に見えて増えている。
〈禽鶏〉たちはどうやら忌み島の方から飛んできているようだ。さすがに無尽蔵に湧いてくるようなことはないだろうけど、このままのペースでは真琴さんの弾薬が尽きる方が早い。
と、
「もぉ~! 見てらんないよぉ!」
美奈恵さんが髪をかきむしりながら操縦席から立ち上がった。
「おいっ! 美奈恵!」
「あたしが出るっ! ほら、瞬君は操縦席ぃ! 忌み島は方位一一五度、今の進路から少ぉ~し取り舵ぃ!」
「わ、ちょっと――!」
美奈恵さんはぼくをむりやり操縦席に押し込み、ハンドコンパスを押しつけると、センターキャンパスを乗り越えボート後部に移動する。そして――
「行っくよぉ~!」
「お、おいっ!」
制止する真琴さんを振り切って、美奈恵さんはボート後部のデッキから白波立つ海面めがけて飛び出してしまった。
「み、美奈恵さん――!?」
仰天するぼくを尻目に、美奈恵さんは花柄のワンピースをなびかせながら滑空する。
これには諸正も度肝を抜かれたようで、とっさに反応できないでいる。
その隙に美奈恵さんは、ボートに向かってなにかを投げるような仕草で右腕を振り抜いた。
美奈恵さんの腕の先から虹色の光の束が生まれ、ボートの上部にさし渡されたトーイングタワーまでまっすぐに伸びていく。光の束はバーのまわりをくるくると回り、ひとりでにもやい結びの形に収まった。
そして――
「出でよ! ウェイクボードぉ!」
美奈恵さんがものすごく大雑把な呪文――らしきものを叫ぶと、美奈恵さんのブーツの底から虹色の光が溢れだした。その光は一瞬のうちに面積を広げ、美奈恵さんの肩幅よりひとまわり、ふたまわり大きい楕円形の板を形成する。
呪文の通り――ウェイクボード、なのだろう。そのまえに放った光の束は、ライダーを牽引するためのロープ――ラインの代わりか。ラインはボートと美奈恵さんのあいだでピンと張り、いつのまに生み出したのか、美奈恵さんの手元にはラインに接続された三角形のハンドルが握られていた。
「ま、〈魔法〉でウェイクボードを……っ!?」
聞いてはいたけど、むちゃくちゃな忌能だ。
がくん、とボートが揺れた。
「おい、瞬! ステアリングを握れ! 操縦は任せる!」
「は、はい――!」
ぼくは慌ててステアリングを握る。
一応、恒兄にひととおりのことは教わっているし、実のところ、すこしだけ操縦させてもらったこともあった。恒兄によれば「車より全然カンタンだよ」とのことだけど、たしかに何時間か操縦すれば感覚はつかめてしまう。……本当は法律に引っかかるんだけど、恒兄はそういうところはいい加減な人なのだ。
(進路は――)
美奈恵さんは「少ぉ~し取り舵」と言ったが、実際その通りで、目をこらすと進行方向やや左に島影らしきものが見えてきていた。渡されたハンドコンパスを向けてみると、美奈恵さんの言ったとおり一一五度――東南東の方角だ。
今の速度でいけば、時間的には一〇分強で到着といったところだろう。
ちゃんと操縦してたんだな、と本人が聞いたら怒り出しそうな感想を抱いてしまう。
ぼくはボートの姿勢を取り戻しながら、「少ぉ~し取り舵」――舵を船尾から見て左側にすこしだけ切る。
そうしながら操縦席のバックミラーで美奈恵さんの様子をうかがう。
美奈恵さんは空中から海面へ鮮やかな着水を決めると、海面の状態を確かめるように左右に軽くスラロームを打った。
トゥサイド、ヒールサイドともになめらかに動くあたり、美奈恵さんがウェイクボードの経験者――それもかなりの熟練者であることがわかる。
海面の状態を確認した美奈恵さんは、今度は曳き波に向かってボードを傾け――跳ぶ。
美奈恵さんはボートの船尾から伸びる二本の曳き波を飛び越え、反対側に着水した。
曳き波への入り方、リリースのタイミング、空中での姿勢、そしてランディング――どれをとっても鮮やかで、はっきり言って恒兄より断然上手かった。
美奈恵さんはターンをかけながら諸正のボートに近づき、
「さあ……遊びましょ? 執事のお兄さん♪」
そう言って投げキッスを送った。
「あいよ~」
美奈恵さんはステアリングを切り、ボートの進行方向を槍の射線から逸らせた。
諸正の放った血の槍は、トーイングタワーの支柱をかすめ、そこに血糊をべったりとこびりつけながら、後方へと抜けていった。
その間に諸正も舵を切ってボートを旋回させている。
二台のボートはすれ違い、ぼくらの乗るボートを諸正のボートが追いかける形になった。
「チッ! 後ろにつかれたか!」
相対速度が落ちたため、諸正は冷静に狙いをつけて槍を放ってくる。
M4A1カービンを手に取った真琴さんがサイドシートから応射する。
諸正の放った槍が空中で飛散した。
揺れるボートの上だというのに、真琴さんは飛来する槍を数度の応射で撃墜してしまった。
「美奈恵! エンジンをやられるとまずい! 適当に船尾を振りながら進んでくれ!」
このボートのエンジンは、船体後端に本体が露出している船外機タイプだ。諸正の槍が直撃して大破するようなことでもあれば、ぼくらは大海原の中心で立ち往生することになってしまう。
「そんなことしたら、向こうに着くのに時間がかかるよぉ?」
「それでも、その前に沈められたらお終いなんだ!」
「わ、わかったよぉ~」
美奈恵さんが返事をすると同時に、ボートが右へ左へ激しく揺れはじめた。
船尾から伸びる曳き波は白く粟立ち、左右に蛇行しながら、風のないべた凪の海面を荒らしていく。
ぼくは振り落とされないように必死でデッキにしがみつく。
蛇行して速度が落ちた分、諸正はぼくらのボートとの距離を詰めてきたが、美奈恵さんの不規則な進路変更のせいで照準を決めかねるらしく、槍の射撃精度が目に見えて悪くなった。トーイングボートの作り出す大きな曳き波が、諸正の乗る小型のフィッシャーボートを激しく揺さぶっているせいもあるだろう。
それでも時々飛んでくる槍は、真琴さんが冷静に撃ち落とす。
ボートが蛇行をはじめたのに合わせて、真琴さんは射撃をセミオートからフルオートへと切り替える。削岩機のような発砲音が響くたびに、飛び来る槍がぼろぼろにちぎれ、海の上に赤黒い血が振りまかれていく。
膠着した戦況は、たぶんこちら側に有利だ。
ぼくらの目的は忌み島で、忌み島に到着すればボートを操縦している美奈恵さんも戦闘に参加できる。ぼくらは単に忌み島まで逃げ切るだけでいいのに対して、諸正はそれまでのあいだにぼくらを倒すか、ボートを破壊するかしなくてはならない。
ボートの激しい揺れに耐えながら、ぼくは安堵の息を漏らしかけたのだが――
「忌儡か!」
真琴さんが叫び、カービンを上空に向けて乱射する。
揺れるボートの上でぼくがなんとか顔を上げると、上空には無数の海鳥が集まってきていた。
いや――あれはやっぱり、海鳥なんかじゃない。
上空を旋回するそれは、全身が黒一色で覆われている。その黒は日の光を反射して不気味にぬらぬらと光っている。
昨日、久瀬倉家の別邸で襲われたあの〈地狗〉とかいう犬型の忌儡と同じ、光沢のある漆黒。
かもめに似たやや下脹れの胴体から大きな翼が伸びているが、その翼の形状は、昨日の〈地狗〉同様単純化されていて、全体としてはデルタ翼の戦闘機を彷彿とさせる無機的なデザインをしている。
真琴さんの言うように、あの海鳥――のようなもの――はまぎれもなく忌儡なのだろう。
「〈禽鶏〉ッ! やつらを啄め!」
ボート同士の距離が近づいたことで、諸正の怒声が聞き取れるようになった。
「貴様らがどれだけ強かろうが、海の上じゃ身動きひとつできねえだろうがッ!」
叫び、再び血の槍を放ってくる諸正。
真琴さんは銃口を振りながら射撃してなんなくその一撃を凌ぐが、その隙に海鳥――〈禽鶏〉の一群がボート目がけて急降下してくる。
「うわっ!」
ぼくはあわてて身を低くする。
狭い視界の中で、真琴さんがカービンを投げ出し、フロアカーペットの上に転がっていたサブマシンガン――MP5のグリップを掴むのが見えた。
激しい発射音とともにボートの床に薬莢が続々と降ってきた。
発射音が一段落してから顔を上げると、先を急ぐボートの背後――曳き波の周囲で、漆黒の微小な粒子がきらきらと陽光を跳ね返しながら散っていくところだった。
「ハンッ! いつまでそれが続くかな!?」
諸正が叫ぶのと同時に、〈禽鶏〉の群れが再びボートを襲う。
ぼくは身をかがめ、真琴さんはMP5を振り回す。
襲いかかった〈禽鶏〉を薙ぎ払った真琴さんは、MP5のマガジンを排出し、サイドシートに転がっていた別のマガジンを装着した。
(まずい……かも)
真琴さんが用意してきたMP5のマガジンは五、六本しかなかったはずだ。忌累機関から銃器を借りるにも一定の上限が決められていると言っていた。今のペースで〈禽鶏〉が襲う度にフルオートで吐き出していては弾があっというまに尽きてしまう。
現状、忌み島はまだ視界に入ってきてすらいなかった。
諸正の追撃をかわすためにボートを蛇行させてしまったので、ひょっとしたら方角がずれてしまっている可能性もある。
真琴さんの様子をうかがうと、眉間に厳しくしわを寄せていた。
戦っているときの真琴さんはいつだって真剣な面持ちだけど、今の真琴さんの表情にはそれ以上の厳しさが浮かんでいるように見えた。
「行けッ!」
諸正が叫び、〈禽鶏〉の群れが再び襲いかかってくる。
さらに――
「ハッ! ついでだッ!」
諸正は両手をぼくたちの乗るボートへ向けて広げた。
諸正の手や腕が膨らみ、十本近い数の血の槍が現れる。一本一本はいままでのものより細く小さいが、それでも直撃すれば致命傷になりかねない。
諸正の放った槍が、急降下して襲いかかる〈禽鶏〉の背後に隠れるようにして迫ってくる。
そのうちのいくつかは〈禽鶏〉にぶつかり、槍は血と化して四散、〈禽鶏〉も漆黒の粒子となって消滅したが、ほとんどの槍は無傷のまま、〈禽鶏〉たちに紛れるようにしてぼくたちのボートに迫ってきた。
「――くっ!」
真琴さんはMP5の銃口を左右に振りながらそれらを撃墜していくが、その全てを落とすことはできなかった。
槍の一本が真琴さんの肩をかすめて、左舷のウィンドシールドを砕き、撃ち漏らした〈禽鶏〉が操縦席でステアリングを握っている美奈恵さん目がけて飛びかかる。
「美奈恵さ――」
思わず悲鳴を漏らしたが、
「えい」
美奈恵さんはステアリングから離した左腕を一閃、襲いかかった〈禽鶏〉をボートの外へと弾き飛ばした。見れば、美奈恵さんの腕には虹色の光がまとわりついて、ボクシングのグローブのようになっている。
波間に墜落した〈禽鶏〉を真琴さんが銃撃。〈禽鶏〉は例のごとくに砕け散り、すぐそばを通過したボートの曳き波に揉まれて見えなくなった。
「すまん、美奈恵!」
真琴さんが言いながら、MP5を諸正めがけて一射する。
牽制のためだったのだろう、諸正がボートに身を沈めると真琴さんの銃撃は空を切った。
「ハッ! ジリ貧という言葉を知ってるかぁ!? イヴィル・バスターズ!」
諸正が哄笑する。
上空には続々と〈禽鶏〉が集まってきていて、真琴さんがあれだけ撃墜したにもかかわらず、その数はむしろ目に見えて増えている。
〈禽鶏〉たちはどうやら忌み島の方から飛んできているようだ。さすがに無尽蔵に湧いてくるようなことはないだろうけど、このままのペースでは真琴さんの弾薬が尽きる方が早い。
と、
「もぉ~! 見てらんないよぉ!」
美奈恵さんが髪をかきむしりながら操縦席から立ち上がった。
「おいっ! 美奈恵!」
「あたしが出るっ! ほら、瞬君は操縦席ぃ! 忌み島は方位一一五度、今の進路から少ぉ~し取り舵ぃ!」
「わ、ちょっと――!」
美奈恵さんはぼくをむりやり操縦席に押し込み、ハンドコンパスを押しつけると、センターキャンパスを乗り越えボート後部に移動する。そして――
「行っくよぉ~!」
「お、おいっ!」
制止する真琴さんを振り切って、美奈恵さんはボート後部のデッキから白波立つ海面めがけて飛び出してしまった。
「み、美奈恵さん――!?」
仰天するぼくを尻目に、美奈恵さんは花柄のワンピースをなびかせながら滑空する。
これには諸正も度肝を抜かれたようで、とっさに反応できないでいる。
その隙に美奈恵さんは、ボートに向かってなにかを投げるような仕草で右腕を振り抜いた。
美奈恵さんの腕の先から虹色の光の束が生まれ、ボートの上部にさし渡されたトーイングタワーまでまっすぐに伸びていく。光の束はバーのまわりをくるくると回り、ひとりでにもやい結びの形に収まった。
そして――
「出でよ! ウェイクボードぉ!」
美奈恵さんがものすごく大雑把な呪文――らしきものを叫ぶと、美奈恵さんのブーツの底から虹色の光が溢れだした。その光は一瞬のうちに面積を広げ、美奈恵さんの肩幅よりひとまわり、ふたまわり大きい楕円形の板を形成する。
呪文の通り――ウェイクボード、なのだろう。そのまえに放った光の束は、ライダーを牽引するためのロープ――ラインの代わりか。ラインはボートと美奈恵さんのあいだでピンと張り、いつのまに生み出したのか、美奈恵さんの手元にはラインに接続された三角形のハンドルが握られていた。
「ま、〈魔法〉でウェイクボードを……っ!?」
聞いてはいたけど、むちゃくちゃな忌能だ。
がくん、とボートが揺れた。
「おい、瞬! ステアリングを握れ! 操縦は任せる!」
「は、はい――!」
ぼくは慌ててステアリングを握る。
一応、恒兄にひととおりのことは教わっているし、実のところ、すこしだけ操縦させてもらったこともあった。恒兄によれば「車より全然カンタンだよ」とのことだけど、たしかに何時間か操縦すれば感覚はつかめてしまう。……本当は法律に引っかかるんだけど、恒兄はそういうところはいい加減な人なのだ。
(進路は――)
美奈恵さんは「少ぉ~し取り舵」と言ったが、実際その通りで、目をこらすと進行方向やや左に島影らしきものが見えてきていた。渡されたハンドコンパスを向けてみると、美奈恵さんの言ったとおり一一五度――東南東の方角だ。
今の速度でいけば、時間的には一〇分強で到着といったところだろう。
ちゃんと操縦してたんだな、と本人が聞いたら怒り出しそうな感想を抱いてしまう。
ぼくはボートの姿勢を取り戻しながら、「少ぉ~し取り舵」――舵を船尾から見て左側にすこしだけ切る。
そうしながら操縦席のバックミラーで美奈恵さんの様子をうかがう。
美奈恵さんは空中から海面へ鮮やかな着水を決めると、海面の状態を確かめるように左右に軽くスラロームを打った。
トゥサイド、ヒールサイドともになめらかに動くあたり、美奈恵さんがウェイクボードの経験者――それもかなりの熟練者であることがわかる。
海面の状態を確認した美奈恵さんは、今度は曳き波に向かってボードを傾け――跳ぶ。
美奈恵さんはボートの船尾から伸びる二本の曳き波を飛び越え、反対側に着水した。
曳き波への入り方、リリースのタイミング、空中での姿勢、そしてランディング――どれをとっても鮮やかで、はっきり言って恒兄より断然上手かった。
美奈恵さんはターンをかけながら諸正のボートに近づき、
「さあ……遊びましょ? 執事のお兄さん♪」
そう言って投げキッスを送った。
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