イヴィル・バスターズ ―STEEL LOVES FLOWER―

天宮暁

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第二章 失うことなしには

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◆天崎真琴/事務所二階、真琴の書斎

 わたしは書斎でひとり、久瀬倉家から拝借してきた古文書を読み込んでいる。
 そもそも今夜久瀬倉家の別邸に潜入したのは、久瀬倉家の様子を偵察するためであるのと同時に、依頼人からこれらの古文書を借り受けるためでもあった。
 古代から鬼を封じてきたという久瀬倉家の資料には、忌累機関ですら把握しきれていない忌門にまつわる事件・事故や、忌門現象を解釈するための独自の理論なども記載されており、その多くは時代遅れのものではあるが、時折興味深い事実や見解も見受けられる。
 忌門関連の資料としては一級品といっていいだろう。基本的には忌能者に好意的ではあるが、時に怪しげな動きを見せる忌累機関に対して一定の優位性を築いておく意味でも、この資料は今後貴重なものとなるにちがいない。
 にもかかわらず、いまひとつ集中しきれていないのは、むろん、美奈恵と瞬のことが気になっているからだ。
 いくら必要なこととはいえ、他の男に抱かれにいく美奈恵を送り出さなければならないのは切ない。これまでに何度も同じようなことがあったにもかかわらず、わたしはいまだこの切なさに慣れることができないでいる。
 脳裏に浮かぶのは、七年前の鬼――そして、その足下に転がる美奈恵の姿。
 何度となく夢に見た。最近になってようやく、あれはもう終わったことなのだと思えるようにもなってきたが、思い出せばやはり悲しく、辛く、苦しく、後悔の念に圧倒される。
 今はちょうど久瀬倉家の鬼について調べている最中でもあり、否が応でもあの日の光景が蘇ってきて、そのたびにわたしは古文書から目を離し、深呼吸をし、心を落ち着けなければならなかった。
 が――そのような苦労も、今回に限っては役に立つ面がないでもなかった。
 記憶の中の鬼と、久瀬倉家の古文書に語られる「鬼」。
 ふたつを比べると、どうにも違和感がぬぐえないのだ。
 もう一度、整理してみる。
 久瀬倉家の開祖である巫女は、おそらくはなんらかの忌能を使って、忌門から出現した強力な鬼を封印した。
 だが、その封印は不完全なものであり、鬼は十年に一度の頻度で復活してしまう。
 そのたびに久瀬倉家は、贄姫と呼ばれる巫女の末裔を生け贄に捧げ、鬼を鎮め、封印し直してきた。
 その生け贄と封印の儀式こそが〈万代〉――久瀬倉家の秘祭である。
 一見、筋が通っているように見える。
 が、細かく掘り下げてみるとおかしな部分が意外なほど多く見つかるのだ。
 まず、
(十年に一度、というのは頻度が高すぎないか?)
 人間が次の世代を生むために要する時間は、時代にもよるが、おおよそ二十年強といったところだろう。
 贄姫が生け贄として捧げられてから次の世代の贄姫が育つまで、急いだとしても十五年から二十年。一世代から複数の贄姫を捧げなければ封印を維持できない計算になるが、久瀬倉家の一族が特別に子沢山というわけではない以上、十年に一度の贄姫の供給が、古代から現代まで途絶えることなく続いてきたのは奇跡に近いように思える。まして、贄姫の能力は母系に遺伝するということなのだから、贄姫の適格者のうち最低一人は生き残り、次の世代を産まなければならないことになる。
 それに、
(封印が追いつかないほど強力な鬼が、なぜ贄姫をなぶりものにした程度で・・・おとなしく封印されるんだ?)
 生け贄に供される贄姫にとって〈万代〉が最悪の儀式であることはまちがいないが、鬼の側に立てば、人間の小娘ひとりなぶったところで、どれほどの満足を得られるのか疑問に思えてくる。
 そもそも鬼とは何か。
(忌累機関によって忌的災害指定を受けた強力な忌獣、だ。いや……そうか)
 忌累機関の歴史は浅い。久瀬倉家が封じてきたとされる鬼は、忌累機関が設立されるはるか以前から存在している。ならばそもそも、忌累機関でいう鬼と、久瀬倉家のいう「鬼」とを同じような存在だと考えること自体が間違いなのではないか。
 では――
(久瀬倉家のいう「鬼」とは、なんだ?)
 贄姫の能力については、当代の贄姫である春姫自身が「鬼に食われることで鬼を食う」能力だと説明している。そして、春姫は瞬の見守る前でその能力を使って実際に忌獣を倒して見せている。
 ということは、久瀬倉家のいう「鬼」には、少なくとも忌獣が含まれていることになる。
 そこから想像すれば、久瀬倉家の封じているという「鬼」にしても、忌門現象とまったく無関係の存在であるとは考えにくい。
 しかし、古文書を読んでいて、どうにも違和感がぬぐえないのだ。
 わたしの記憶に刻まれた鬼と、久瀬倉家の「鬼」――。
 どちらも強力な忌的存在であることは確かなのだが、その性質には微妙にして決定的な違いがあるように思えてならない。
(しかし――それ以上のこととなるとな)
 その「違い」が具体的に何なのかと問われたら、言葉に詰まってしまう。
 時間があれば、借り受けた古文書を読み込み、分析することもできるのだが、〈万代〉はもう明日の夜に迫っている。
 元の依頼人からの依頼を完遂するためにも、また今日新たに依頼人となった三峯瞬の要請に応じるためにも、たとえ十分な情報を手に入れられなかったとしても、明日、わたしと美奈恵は久瀬倉家の拠点へと乗り込まなければならない。そしてもちろん、情報不足のまま忌的現象との対峙を迫られれば、ろくな抵抗すらできずに命を落とすような事態すらありうる。忌門によって引き起こされる現象は多様で、事前に予測することが難しく、目の当たりにしてもその意味すら理解できないことも稀ではない。
 そんな状況の中で、一般人の少年を守りながら戦わなければならない。
 それもこれも美奈恵のせいだ。
 美奈恵が対価を受け取ってしまった以上、瞬が「自分を連れて行け」と言い出したら、それを断ることはもうできない。
 素人である瞬を守りながら、久瀬倉家の有する完成度の高い忌儡や、今日出くわした攻撃系忌能を使う執事と戦い、贄姫・久瀬倉春姫を救出し、場合によっては久瀬倉家の聖域に封じられた太古の鬼にも対処しなければならない。
 不可能とは言わないが、無理難題に類することであるのはまちがいない。
 が、こうして美奈恵に無理を押しつけられることが決して嫌いではない自分がいる。
 美奈恵がわたしを信頼している証であり、わたしに対する遠慮のない甘えでもあるからだ。
(こんなことをしていては、いつか死ぬな)
 美奈恵と一緒ならそれもいいか――浮かんできた危険な考えを首を振ってなんとか追い払う。
 と、机の上の携帯が震えた。
「……美奈恵か」
 わたしは携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
 押して、後悔した。
『や、やめて……ください! 美奈恵お姉様ぁ!』
『むふふ。夜はまだこれからだぞ、瞬君』
 じゅぷじゅぷと何かが絡みつくような水音が聞こえる。
「――美奈恵」
『瞬君、気持ちイイなら無理しなくていいんだよぉ?』
『ぼ、ぼくは気持ちよくなんて……! こんなむりやりされて――』
「――美奈恵っ!」
『あ、ごめん、真琴ぉ。ちょっとだけおすそわけだよぉ。ほら、瞬君の声、とってもかわいいでしょ?』
『――ッ、美奈恵さん、まさか真琴さんに――ぁっ!』
『はむはむ。もう瞬君! あたしのことは『美奈恵お姉様』って呼びなさいって言ったでしょ?』
『ご、ごめんなさい、美奈恵お姉様。でも、その電話、真琴さんと――』
『興奮するでしょぉ? 真琴にもちゃんと挨拶するんだよ? ほら――』
 美奈恵は瞬になにごとかを耳打ちしたらしい。
『――ッ。わかりましたよ……言えばいいんでしょうッ!』
『その通り。だいじょうぶ、真琴は優しいから怒ったりしないって』
『ま、真琴さん、ぼくは今夜、美奈恵お姉様の一晩限りの奴隷です。今美奈恵お姉様にとてもかわいがってもらっていて、気持ちよすぎて頭がおかしくなりそうです――くぅっ』
「おい、美奈恵――」
『あ、真琴ぉ? そういうことだから、明日がんばろうね♪』
「ああ……」
『よかったね、瞬君。真琴も手伝ってくれるってさ』
『あ、ありがとうございます――真琴さん、いえ、真琴お姉様』
「いや、わたしのことは別に――」
『じゃあね、真琴! これからあたしたち、た~っぷり楽しむからぁ』
『ぼ、ぼくも……お姉様に存分にかわいがって……もらいます……』
「勝手にしろッ!」
 わたしの怒鳴り声よりも先に通話が切れた。
 どうしようもないいらだちをもてあまし、わたしは机の上に山積みになった本や資料をなぎ払い、金切り声を上げた。
 悔しい。悲しい。辛い。切ない。
 わたしの気持ちが一方通行であることはよくわかっていたつもりだったが、こんな風に心を踏みつけにされて傷つかないはずがなかった。
 美奈恵はそんなわたしの心情を知らずにやっているのか、あるいは、薄々知っていて、わたしを傷つけることで暗い喜びを得ているのか――どちらにせよ、わたしは美奈恵にとって快楽を得るための生きた玩具にすぎないのかもしれない。
 わたしは泣き叫び、書斎を荒らし、最後には膝に力が入らなくなって、資料の散乱した床にへたりこんだ。
 それからどれだけの時間、わたしは泣いていたのだろう。
 泣きはらした目で時計を見ると、もう日付の変わる時刻になっていた。
 美奈恵と瞬は今夜はもう帰ってこないだろう。
 わたしは気を落ち着けるために何かを飲もうと立ち上がりかけ――床についた手の下に久瀬倉家から借り受けた古文書を見つけた。乱暴に扱ったせいで、古くなっていた綴じ紐がちぎれ、頁が零れてしまっている。
(借り物だというのに……)
 舌打ちしながら古文書を拾い上げる自分は惨めだった。
 が、
(……ん?)
 その頁はさっきまで読んでいたのとは別の箇所だったが、妙にわたしの興味を惹きつけた。
 わたしはあわててデスクに座り、その箇所を熟読する。
 そして――
(そういうことか……)
 わたしは久瀬倉家の秘祭〈万代〉について、ある仮説を思いついたのだった。
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