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第一章 忌まわしき世界
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◆天崎真琴/城ヶ崎市、久瀬倉家別邸
「なんだ……あのガキは?」
賽野良仁から情報を得た翌日、わたしと美奈恵は依頼のために城ヶ崎市内にある久瀬倉家の別邸に潜入していた。
高い塀に囲まれてはいるが、外部の業者を使えないらしく、セキュリティ自体はそうたいしたものではなかった。〈忌儡〉――忌門を利用して使役しやすいように生産された忌獣――による監視網は存在するようだったが、さすがに忌累機関ほどの警戒態勢を敷くには至っていない。
久瀬倉家が諱忌ネットワークと関わりを持っているとしても、忌累機関に隠れて大人数の忌能者を抱えることはほぼ不可能と言っていい。主要な忌能者は本邸に回さざるを得ないことを考えれば、別邸の警備はどうしても甘くなる。
その上、わたしたちには依頼人から得た内部情報もあった。これでは見つかる方が難しい。
「さっきの〈警報〉はあの子みたいだね」
美奈恵が小さく庭を指さした。
こんな任務の際にも美奈恵は普段着の華やかな花柄のワンピースで、わたしはスーツを模した忌累機関製の戦闘服だった。美奈恵は手ぶらだが、わたしは入手した資料を持ち運ぶためにジュラルミンのケースを持っている。
べつに、美奈恵の服装に文句をつけるつもりはない。美奈恵の忌能を考えれば、どんな服を着ているかなど、さして問題にはならないからだ。反対にわたしは、フォワードとして接近戦をこなさなければならない都合上、戦闘服と銃器は必須の装備である。
対照的なわたしたちの格好だが、深窓の令嬢とその護衛、あるいはプリンセスとその騎士を思わせるその取り合わせは、わたしに無限の力を与えてくれるものでもある。
「そのようだな。空き巣、というわけでもなさそうだが……?」
わたしたちは別邸の屋根の上にいる。
美奈恵の〈魔法〉で忌儡の監視から目をくらます結界を張っているから見つかる恐れはない。
わたしは屋根の縁に膝を突いて眼下の光景を観察した。
整備の行き届いた石庭を少年が必死の形相で駆け抜けていく。
その背後には、砂紋を蹴立てて追いすがる犬型忌儡の姿が見える。
手頃な戦力として諱忌ネットワークの住人たちに重宝されている忌儡だが、単純な馬力はともかくとして、「走る」「跳ぶ」といった複雑な機構と制御とを要する運動は苦手であることが多い。
忌儡生産の要諦は、忌門を前にしていかに正確に生産したい忌儡のイメージを思い描けるかなのだが、それを行うのが人間である以上、思い描けるイメージの複雑性には自ずと限界が存在する。したがって、自然界の生物に備わっているような複雑な機構を忌儡に付与することは難しく、ある程度の単純化を行う必要が出てくる。
現に、眼下で少年に襲いかかる忌儡も、複雑な毛皮の代わりに安いCGのようなテクスチャー化された表皮を持っているが、これは忌儡には体温保持のための体毛が必要ないという以上に、柔軟に形を変化させる皮膚を再現することは熟練の忌儡生産者にも難しいからである。おそらくはその表皮が外骨格にもなっており、その代わりに身体内部の複雑な骨構造もまた、大胆に省略されているのだろう。きちんと機能する感覚器官を作ることも難しいため、目は赤い複眼、鼻はなく、口にはまるでディズニーアニメのように単純化されたギザギザの牙があるだけだ。
そうした単純化は、自然界の生物が進化の過程で獲得した構造の妙を犠牲にするものだから、当然の結果として運動能力は似たような自然界の生物に比べていくらか劣ることになる。少年を追う忌儡の走力は、同じくらいのサイズの犬に比較して相当に劣っているようで、そのおかげで少年はいまだ噛み殺されずに済んでいる。
「なかなかかわいい子じゃない♪」
美奈恵が唇を尖らせて息を吐く。口笛を吹こうとして失敗したらしい。
「食い殺されちゃうのはもったいないねぇ」
あっけらかんとした美奈恵の物言いにわたしは顔をしかめる。
が、美奈恵の言うことは事実だ。たしかにこの忌儡は単体としてはさほどの脅威ではないが、それはこの忌儡がどちらかといえば監視や偵察のためにデザインされているからである。久瀬倉家はむろん戦闘用の忌儡も用意していることだろう。
いや、
(そんなもの、持ち出すまでもないか。さっきの〈警報〉で他の忌儡がすぐに集まってくる)
犬型忌儡には忌的感覚を利用した独自の警報機能が備わっているらしい。わたしと美奈恵が忌儡の動きに気づいたのもそのためだ。
とはいえ、
「……殺しはしないだろう」
「ま、ね。ちょっと噛まれて、おとなしくなったところで御用って感じかな」
久瀬倉家の秘密がなんであれ、さすがに侵入者を見境なく殺すような真似はしないだろう。久瀬倉家はこれまで裏の顔を注意深く隠し続けてきたことになるが、だからこそ疑惑を招くような行動は極力避けようとするはずだ。
「素人だな」
「だね。忌累の気配は感じないよ」
忌累の気配を感知することにかけて、美奈恵の右に出る忌能者はいないと言っていい。
日常生活にせよ任務中にせよ、そうせずにはいられないかのようにトラブルを起こす美奈恵だが、〈魔法〉の威力と忌的気配の感知に関してだけは信頼できる。
「……なんか失礼なこと考えてるでしょ?」
美奈恵が頬をふくらませる。
「そんなことはない。ただ、せっかくのS級忌能なんだから、もうすこし有効に活用できないものかと思っただけだ」
「ぶーっ。あたし、十分役に立ってるじゃん。この結界も」
「それはそうだが、その粗忽ささえなければ、単独でも超一流の忌能者になれるのに、と」
「いーんだよ。超一流の忌能者? そんなのになったって、忌累絡みの厄介ごとがわんさか降ってくるだけだって。それに……」
「それに?」
「あたしには真琴がいるし♪」
美奈恵がわたしに抱きついてくる。
「お、おい、作戦中だぞ!」
「そんなこと言っちゃって~。ほれほれ、身体は素直だぞ~♪」
「あっ……っ……やんッ」
わたしの口から、自分のものとは思えない声が溢れてしまう。
他ならぬ美奈恵の愛撫だから、というのは勿論だが、豊富な「経験」で鍛え上げられた美奈恵の指は、わたしの弱いところをあっというまに探り出し、的確な刺激を送り込んでくるのだ。
「くふふっ。真琴はかわいいなぁ」
「や、やめ……ッ」
正直なところ、わたしが本気になって抵抗すれば、体術で劣る美奈恵の腕から逃れることはできた。
でも、こんな機会は滅多にないのだ――美奈恵が自分からわたしに迫ってくるような、こんな機会は。
わたしは形ばかりの抵抗を示しつつも、その実、美奈恵の愛撫を貪っている。仕事中――それも隠密性の求められる潜入調査の真っ最中であることは、わたしの興奮を煽りこそすれ、鎮めはしない。
それでも完全に身体をゆだねてしまわないのは、美奈恵に完全に主導権を握られたくないという意地と、眼下で繰り広げられている捕り物のせいだ。
が、その一方で、少年が数を増した忌儡に包囲され、太腿に牙を突き立てられ、地面に引きずり倒される様を見ながら、わたしは、美奈恵に完膚無きまでに叩きのめされ、地べたに這いつくばり、惨めに許しを請う自分を想像して興奮している。
最低だ――そう内心でつぶやきながら、自らにぶつけたその悪罵によってさらに昂ぶっていくわたしはどうしようもない変態なのかもしれない。
「あ、誰か来る」
美奈恵がわたしへの愛撫を止め、そう警告してくる。
わたしは蕩けた意識を締め直しながら、周囲の気配を探る。
美奈恵が「気づいた」ということは、やってくる「誰か」は忌累の気配を纏う人間――すなわち忌能者に他ならない。
「わお、イケメン」
美奈恵が目を輝かせる。
わたしは美奈恵の言葉に顔をしかめたが、実際、現れた男は「イケメン」ではあった。
背丈はわたしと同じくらいで、男性としてはやや小柄か。色黒の肌と後ろへ撫でつけられた銀髪のコントラストがまぶしい。顔立ちは確かに整っているが、いったいいくつくらいの男なのか、人の容姿を識別する訓練を受けたわたしにもよくわからなかった。
「……執事、という奴か?」
男が身にまとっているのは、時代がかったタキシードだった。
「ハマってるね~」
美奈恵は男に高評価をつけたがっているようだが、わたしの見立ては違う。
鋭く切れ上がった目尻。射貫くような視線。秀麗な顔だが眉間には深い縦皺が刻まれている。相当な修羅場をくぐってきた男なのだろう。必要とあらば人を殺すことをも躊躇しない、そういう男だとわたしは見る。
なにより、美奈恵の結界越しにも感じられる、冷たい瘴気のような気配が、男の本性を現している。忌門の申し子たる忌能者の身体には自身の精神生活が色濃く反映される。忌能者ではなくても人を殺し続ければ人相が変わるが、忌能者の場合にはより露骨な変化を見せる。怒りや憎しみ、恐れ――そうした強い負の感情は、忌能者にしかわからない気配のようなものとして忌能者の身体から立ち上るようになるのだ。
むろん、忌累に対する鋭敏な感覚を持つ美奈恵がそれに気づいていないはずはないのだが、美奈恵は男の危険な側面にこそ男らしさが宿っていると考えるタイプの女で――つまるところ、あの男はおそらく美奈恵の好みのタイプなのだ。
「あんなのが趣味なのか?」
吐き捨てるように言うと、
「あら~? 真琴、ヤキモチ焼いてる?」
「なっ……」
絶句するわたしに、美奈恵は鮮やかな流し目をくれながら、
「ああいう危険な感じの男はたしかに好みだけど、あの人はちょっとないかな」
「なぜだ?」
「あの人は、女を求めてないから。優しく抱きしめる対象としても、激しく責め苛む対象としても」
そう語る美奈恵の目は遠くを見ている。その目に映っているはずの何かは、わたしには見ることができない何かなのだろう。
わたしには見えないものが見える美奈恵に頼もしさを感じると同時に、美奈恵に見えるものを見ることができないことに寂しさを感じもする。
といって、そのために男に身を任せようとは思わないし、たとえそういうことをしたとしても、わたしが美奈恵のようになれるわけでもない。
「音を拾うから、注意してね」
美奈恵の結界は内側の音を漏らさないようにするのと同時に、外側からの音の伝達をも遮断してしまう。
融通無碍な美奈恵の〈魔法〉ならば、その気になれば外側の音だけを拾い、内側の音を漏らさないこともできるはずなのだが、美奈恵によれば「めんどくさい」とのこと。
今美奈恵が行った操作も、結界の防音機能を半ば以上カットするもので、外側の音が拾える一方、こちらからの音も相手側に漏れてしまう。
わたしは改めて気配を殺し、眼下に広がる光景に注意を集中した。
やがて、銀髪の男と少年の言い争う声が聞こえてきた。
「なんだ……あのガキは?」
賽野良仁から情報を得た翌日、わたしと美奈恵は依頼のために城ヶ崎市内にある久瀬倉家の別邸に潜入していた。
高い塀に囲まれてはいるが、外部の業者を使えないらしく、セキュリティ自体はそうたいしたものではなかった。〈忌儡〉――忌門を利用して使役しやすいように生産された忌獣――による監視網は存在するようだったが、さすがに忌累機関ほどの警戒態勢を敷くには至っていない。
久瀬倉家が諱忌ネットワークと関わりを持っているとしても、忌累機関に隠れて大人数の忌能者を抱えることはほぼ不可能と言っていい。主要な忌能者は本邸に回さざるを得ないことを考えれば、別邸の警備はどうしても甘くなる。
その上、わたしたちには依頼人から得た内部情報もあった。これでは見つかる方が難しい。
「さっきの〈警報〉はあの子みたいだね」
美奈恵が小さく庭を指さした。
こんな任務の際にも美奈恵は普段着の華やかな花柄のワンピースで、わたしはスーツを模した忌累機関製の戦闘服だった。美奈恵は手ぶらだが、わたしは入手した資料を持ち運ぶためにジュラルミンのケースを持っている。
べつに、美奈恵の服装に文句をつけるつもりはない。美奈恵の忌能を考えれば、どんな服を着ているかなど、さして問題にはならないからだ。反対にわたしは、フォワードとして接近戦をこなさなければならない都合上、戦闘服と銃器は必須の装備である。
対照的なわたしたちの格好だが、深窓の令嬢とその護衛、あるいはプリンセスとその騎士を思わせるその取り合わせは、わたしに無限の力を与えてくれるものでもある。
「そのようだな。空き巣、というわけでもなさそうだが……?」
わたしたちは別邸の屋根の上にいる。
美奈恵の〈魔法〉で忌儡の監視から目をくらます結界を張っているから見つかる恐れはない。
わたしは屋根の縁に膝を突いて眼下の光景を観察した。
整備の行き届いた石庭を少年が必死の形相で駆け抜けていく。
その背後には、砂紋を蹴立てて追いすがる犬型忌儡の姿が見える。
手頃な戦力として諱忌ネットワークの住人たちに重宝されている忌儡だが、単純な馬力はともかくとして、「走る」「跳ぶ」といった複雑な機構と制御とを要する運動は苦手であることが多い。
忌儡生産の要諦は、忌門を前にしていかに正確に生産したい忌儡のイメージを思い描けるかなのだが、それを行うのが人間である以上、思い描けるイメージの複雑性には自ずと限界が存在する。したがって、自然界の生物に備わっているような複雑な機構を忌儡に付与することは難しく、ある程度の単純化を行う必要が出てくる。
現に、眼下で少年に襲いかかる忌儡も、複雑な毛皮の代わりに安いCGのようなテクスチャー化された表皮を持っているが、これは忌儡には体温保持のための体毛が必要ないという以上に、柔軟に形を変化させる皮膚を再現することは熟練の忌儡生産者にも難しいからである。おそらくはその表皮が外骨格にもなっており、その代わりに身体内部の複雑な骨構造もまた、大胆に省略されているのだろう。きちんと機能する感覚器官を作ることも難しいため、目は赤い複眼、鼻はなく、口にはまるでディズニーアニメのように単純化されたギザギザの牙があるだけだ。
そうした単純化は、自然界の生物が進化の過程で獲得した構造の妙を犠牲にするものだから、当然の結果として運動能力は似たような自然界の生物に比べていくらか劣ることになる。少年を追う忌儡の走力は、同じくらいのサイズの犬に比較して相当に劣っているようで、そのおかげで少年はいまだ噛み殺されずに済んでいる。
「なかなかかわいい子じゃない♪」
美奈恵が唇を尖らせて息を吐く。口笛を吹こうとして失敗したらしい。
「食い殺されちゃうのはもったいないねぇ」
あっけらかんとした美奈恵の物言いにわたしは顔をしかめる。
が、美奈恵の言うことは事実だ。たしかにこの忌儡は単体としてはさほどの脅威ではないが、それはこの忌儡がどちらかといえば監視や偵察のためにデザインされているからである。久瀬倉家はむろん戦闘用の忌儡も用意していることだろう。
いや、
(そんなもの、持ち出すまでもないか。さっきの〈警報〉で他の忌儡がすぐに集まってくる)
犬型忌儡には忌的感覚を利用した独自の警報機能が備わっているらしい。わたしと美奈恵が忌儡の動きに気づいたのもそのためだ。
とはいえ、
「……殺しはしないだろう」
「ま、ね。ちょっと噛まれて、おとなしくなったところで御用って感じかな」
久瀬倉家の秘密がなんであれ、さすがに侵入者を見境なく殺すような真似はしないだろう。久瀬倉家はこれまで裏の顔を注意深く隠し続けてきたことになるが、だからこそ疑惑を招くような行動は極力避けようとするはずだ。
「素人だな」
「だね。忌累の気配は感じないよ」
忌累の気配を感知することにかけて、美奈恵の右に出る忌能者はいないと言っていい。
日常生活にせよ任務中にせよ、そうせずにはいられないかのようにトラブルを起こす美奈恵だが、〈魔法〉の威力と忌的気配の感知に関してだけは信頼できる。
「……なんか失礼なこと考えてるでしょ?」
美奈恵が頬をふくらませる。
「そんなことはない。ただ、せっかくのS級忌能なんだから、もうすこし有効に活用できないものかと思っただけだ」
「ぶーっ。あたし、十分役に立ってるじゃん。この結界も」
「それはそうだが、その粗忽ささえなければ、単独でも超一流の忌能者になれるのに、と」
「いーんだよ。超一流の忌能者? そんなのになったって、忌累絡みの厄介ごとがわんさか降ってくるだけだって。それに……」
「それに?」
「あたしには真琴がいるし♪」
美奈恵がわたしに抱きついてくる。
「お、おい、作戦中だぞ!」
「そんなこと言っちゃって~。ほれほれ、身体は素直だぞ~♪」
「あっ……っ……やんッ」
わたしの口から、自分のものとは思えない声が溢れてしまう。
他ならぬ美奈恵の愛撫だから、というのは勿論だが、豊富な「経験」で鍛え上げられた美奈恵の指は、わたしの弱いところをあっというまに探り出し、的確な刺激を送り込んでくるのだ。
「くふふっ。真琴はかわいいなぁ」
「や、やめ……ッ」
正直なところ、わたしが本気になって抵抗すれば、体術で劣る美奈恵の腕から逃れることはできた。
でも、こんな機会は滅多にないのだ――美奈恵が自分からわたしに迫ってくるような、こんな機会は。
わたしは形ばかりの抵抗を示しつつも、その実、美奈恵の愛撫を貪っている。仕事中――それも隠密性の求められる潜入調査の真っ最中であることは、わたしの興奮を煽りこそすれ、鎮めはしない。
それでも完全に身体をゆだねてしまわないのは、美奈恵に完全に主導権を握られたくないという意地と、眼下で繰り広げられている捕り物のせいだ。
が、その一方で、少年が数を増した忌儡に包囲され、太腿に牙を突き立てられ、地面に引きずり倒される様を見ながら、わたしは、美奈恵に完膚無きまでに叩きのめされ、地べたに這いつくばり、惨めに許しを請う自分を想像して興奮している。
最低だ――そう内心でつぶやきながら、自らにぶつけたその悪罵によってさらに昂ぶっていくわたしはどうしようもない変態なのかもしれない。
「あ、誰か来る」
美奈恵がわたしへの愛撫を止め、そう警告してくる。
わたしは蕩けた意識を締め直しながら、周囲の気配を探る。
美奈恵が「気づいた」ということは、やってくる「誰か」は忌累の気配を纏う人間――すなわち忌能者に他ならない。
「わお、イケメン」
美奈恵が目を輝かせる。
わたしは美奈恵の言葉に顔をしかめたが、実際、現れた男は「イケメン」ではあった。
背丈はわたしと同じくらいで、男性としてはやや小柄か。色黒の肌と後ろへ撫でつけられた銀髪のコントラストがまぶしい。顔立ちは確かに整っているが、いったいいくつくらいの男なのか、人の容姿を識別する訓練を受けたわたしにもよくわからなかった。
「……執事、という奴か?」
男が身にまとっているのは、時代がかったタキシードだった。
「ハマってるね~」
美奈恵は男に高評価をつけたがっているようだが、わたしの見立ては違う。
鋭く切れ上がった目尻。射貫くような視線。秀麗な顔だが眉間には深い縦皺が刻まれている。相当な修羅場をくぐってきた男なのだろう。必要とあらば人を殺すことをも躊躇しない、そういう男だとわたしは見る。
なにより、美奈恵の結界越しにも感じられる、冷たい瘴気のような気配が、男の本性を現している。忌門の申し子たる忌能者の身体には自身の精神生活が色濃く反映される。忌能者ではなくても人を殺し続ければ人相が変わるが、忌能者の場合にはより露骨な変化を見せる。怒りや憎しみ、恐れ――そうした強い負の感情は、忌能者にしかわからない気配のようなものとして忌能者の身体から立ち上るようになるのだ。
むろん、忌累に対する鋭敏な感覚を持つ美奈恵がそれに気づいていないはずはないのだが、美奈恵は男の危険な側面にこそ男らしさが宿っていると考えるタイプの女で――つまるところ、あの男はおそらく美奈恵の好みのタイプなのだ。
「あんなのが趣味なのか?」
吐き捨てるように言うと、
「あら~? 真琴、ヤキモチ焼いてる?」
「なっ……」
絶句するわたしに、美奈恵は鮮やかな流し目をくれながら、
「ああいう危険な感じの男はたしかに好みだけど、あの人はちょっとないかな」
「なぜだ?」
「あの人は、女を求めてないから。優しく抱きしめる対象としても、激しく責め苛む対象としても」
そう語る美奈恵の目は遠くを見ている。その目に映っているはずの何かは、わたしには見ることができない何かなのだろう。
わたしには見えないものが見える美奈恵に頼もしさを感じると同時に、美奈恵に見えるものを見ることができないことに寂しさを感じもする。
といって、そのために男に身を任せようとは思わないし、たとえそういうことをしたとしても、わたしが美奈恵のようになれるわけでもない。
「音を拾うから、注意してね」
美奈恵の結界は内側の音を漏らさないようにするのと同時に、外側からの音の伝達をも遮断してしまう。
融通無碍な美奈恵の〈魔法〉ならば、その気になれば外側の音だけを拾い、内側の音を漏らさないこともできるはずなのだが、美奈恵によれば「めんどくさい」とのこと。
今美奈恵が行った操作も、結界の防音機能を半ば以上カットするもので、外側の音が拾える一方、こちらからの音も相手側に漏れてしまう。
わたしは改めて気配を殺し、眼下に広がる光景に注意を集中した。
やがて、銀髪の男と少年の言い争う声が聞こえてきた。
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