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第一章 忌まわしき世界
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◇久瀬倉春姫/――
――この世界はね、ふつうの人が思ってるほど、強固なものじゃないの。
突然だけど、三峯君は、この世界が存在することをどうやって知ってる?
そうだね、手で触れ、目で見て、耳で聞いて……そうやって五感を使ってこの世界の存在を確かめてるよね。
でも、考えてみて。それら五感がとらえた刺激は、必ず脳の入口で、意識にとって扱いやすい形に変換されてから、三峯君の心に浮かんでくるよね。
ということは、三峯君の心に映る世界は、世界そのものじゃなくて、三峯君の脳が、意識にとって理解しやすいように、細部を切り捨てたり、わかりやすく強調したり、場合によっては改変したりした、世界の模造品だということになるよね? そして、三峯君の心が脳の機能によって生み出されたものである以上、三峯君が「世界そのもの」を知ることはぜったいにできない。三峯君が世界だと思っているものは、決して「世界そのもの」ではなくて、脳の生み出した世界の模造品だということになるの。
三峯君は――ううん、わたしもそうだし、脳によって外界からの刺激を有益な「情報」へと変換する、すべての高等生物がそうなんだけど――わたしたちは、世界を知らない。これからも知ることはできない。世界の模造品をためつすがめつしながら、世界の本当の姿をなんとか推測しようとしているのが、わたしたちの脳なんだね。
だけど、それだったら。
「世界そのもの」をわたしたちは結局知覚することができないのだとしたら。
「世界そのもの」を直接確かめた人が誰もいないのだとしたら。
そもそも、「世界そのもの」なんてものは存在しないんじゃないか――そんな風に考えることもできるよね。
「世界そのもの」が存在するかどうかが人間には原理的に証明しえない永遠の謎である以上、いくら荒唐無稽に思えても、この疑いを完全にぬぐい去ることはできないの。
そして、それこそがたぶん、世界の本当の姿なんだ。わたしたちの心に映る世界の模造品こそが世界であって、知覚し得ない「世界そのもの」の方が仮構なの。わたしたちにとって世界の不十分な模造品に思える心象世界こそが、わたしたちの外に広がる「世界」を形作っているものなの。
だから、わたしたちの脳は、脳の外にある「世界」を知覚して「世界」の模造品としての心象世界を作っているのではなくて、わたしたちの脳が作る心象世界こそが、「外」にある世界を作り出してるんだ。脳は外なる世界を推測する高度な生体計算機ではなくて、認識というチャネルを使って自らの外に世界を作り出す、いわば「世界創成装置」とでも呼ぶべきものだということになるの。
――そんなことあるはずないって顔をしてるね。
うん、信じられないよね。でも、その「信じられない気持ち」こそが、世界がわたしたちの脳にかけた制限なんだと言われてるの。
世界はわたしたちによって日々創造されてるんだけど、わたしたちの一人一人が好き勝手に世界を改変しだしたら大変なことになるよね。だから、わたしたちによって創造された世界は、わたしたちに対するさまざまな制限を設けてもいるの。わたしたちは創造主だけど、被造物によって厳しく制限される不自由な存在でもあるんだね。ちょうど、議会や法によって権力を制限された昔の王様みたいなものかな。
とにかく、そういうわけで、わたしたちは創造主でありながら、自らの「世界創成機能」を実感することができないの。それは、世界がそのように制限しているからで、わたしたちはいくら他人から説明を受けても、自分の王様としての権限を信じ切れないようになってるんだね。「世界創成機能」を発揮するために必要な世界認識は、心の底からの確信に支えられている必要があるから、本人が信じられないでいる限りは、その世界認識が世界に反映される恐れはないの。結果として世界は、人々が妥当だと思える範囲の中に収まっていることになるんだ。だから、ふつうに暮らしている分には、この世界は人々の期待通りの安定した、常識で割り切れる世界としてわたしたちの前に現れていて、その限りでは、わたしたちは世界の孕む本質的な不確定性を気にしないでいられるの。
――いつになったら本題に入るのかって?
だいじょうぶ。もう、すぐだよ。だって、三峯君も見たあの化け物は、わたしたちの「世界創成機能」の隙間から生まれてくるものなんだから。
さっき説明したみたいに、わたしたちの「世界創成機能」は厳しく制限されてるんだけど、その制限はやや保守的に働きすぎる嫌いがあって――つまり、「世界創成機能」が制限されすぎてしまった結果、世界の一部が揺らいで、十分な認識が行き渡らない「認識の穴」みたいな場所ができてしまうことがあるの。そういう場所では、世界はもとの姿を取り戻すことになるんだ。「もとの姿」といっても、世界はわたしたちの認識以前には存在しないんだから、もとの姿なんていうものも本当はなくて、しいていえば、そこには「虚無」が生まれることになるの。
その「虚無」の大きさはさまざまだけど、共通して、光沢のある漆黒の真円の形状を取るの。これも、「虚無」がそういう形をしてるんじゃなくて、認識の穴が人間の意識に上ってくるときに、脳によってそういうふうに表現されるっていうだけなんだけど、不思議なことに、世界中の誰が見ても「虚無」はそういう表象によって心に浮かんでくるそうなんだ。
「虚無」は、その特徴的な形から、「鏡」だとか、「窓」だとか、「満月の影」だとか、「黒い太陽」だとか、世界中でさまざまな名前で呼ばれてるんだけど、この国では古くから〈忌門〉と呼ばれてるんだ。
忌門――世界の果て、認識の狭間、わたしたちのほんとうの姿を映し出す魔鏡。
忌門は、わたしたちの「世界創成機能」の隙間に生じたものなんだから、その周辺ではわたしたちの「世界創成機能」に対する制限は弱体化してるの。というより、制限が弱体化した結果として忌門が生まれると言った方が正確かな。
だから、忌門の近くでは、わたしたちはわたしたちが本来持っている「世界創成機能」を存分に発揮することができるの。わたしたちは忌門を前にして、一時的に世界創成の神たる絶対者の地位を取り戻すの。わたしたちは、そこに生じた世界認識の隙間に、思うがままの絵を描くことができるの。
そう――ものすごく単純化して言えば、忌門は、人の願いを叶える装置なんだ。「万能の願望実現装置」――そんな風に言う人もいるね。
――でも、いいことばかりじゃないの。
たしかに忌門は、わたしたちの心に描くものを具象化するけど、それはかならずしもわたしたちの「望んでいる」ものではないの。むしろ、わたしたちが意識の底に押し隠した恐怖や不安をこそ読み取り、現実世界に具象化させてしまうの。
忌門は、願望を実現する最大にして最高の機会であると同時に、恐怖や不安を現実のものとしてしまう最悪の契機でもあるんだ。
天国への扉にして地獄の門――それが忌門と呼ばれる存在の本質なの。
――だけど、こういう言い方じゃあ、忌門の怖さが十分には伝わらないかもしれないね。
だって忌門は、天国への扉であるよりは、地獄の門であることの方がはるかに多いんだ。天国か地獄かという五分の賭けですらないの。九分九厘地獄へ通じる道のなかに、天国へ通じるか細い可能性があるかもしれない、というような、賭けとしてすらほとんど成り立たない、絶望と隣り合わせの現象なんだ。
どうしてそうなるのかって? それはね、忌門に遭遇した人は、世界認識の隙間に対して、本能的に強い恐怖や不安を抱いてしまうからなんだ。
だって、考えてもみて。突然目の前に、見慣れない、明らかに不自然な漆黒の真円が現れて、こっちの姿を映してるんだよ。怖がるのがむしろふつうの反応だよね。だからなおさら、忌門により具象化されるものは、負の性格を帯びたものになりやすいと言われてるの。
――とはいえ、忌門に真っ向から対峙することになる人はすくなくて、たいていの場合、忌門は誰も気づかないうちに周囲の人々の害のない世界認識を取り込んで消滅してしまうと言われてるの。ジグソーパズルのピースの欠けた部分に、隣のピースをコピーしてむりやりはめこんでも、遠目にはわからないのと同じ。忌門の大部分は誰にも気づかれないうちに消滅するの。認識の隙間に対して世界の側から働く自己修正機能だって言う人もいるね。
それに、そもそもヒトは認識の隙間を本能的に避けるようにできてるし、忌門の方でも人を遠ざけるような一種の斥力を発してるらしいんだ。もしそうじゃなかったら、もっとたくさんの人が忌門に遭遇してるはずだし、世界の持つ本質的な不確定性も世の中にもっと広く知られてないとおかしいものね。忌門は人知れず発生し、人知れず消滅するようになっていて、そのおかげで人々は安定した日常生活を送ることができてるんだね。
でも、まれには忌門に遭遇する人が出てきてしまうし、そうして具象化されてしまった「恐怖」や「不安」こそが――そう、三峯君も見た、あの化け物――〈忌獣〉なんだ。
忌獣は、人々の恐怖の対象――神話の怪物だとか、妖怪だとか、幽霊だとか、獰猛な動物だとか、危険な機械だとか、そういうイメージを取り込んで、現実のものとして物質化したものなんだ。だから、人間にとっては本能的におそろしい存在であり、事実、そのおそろしさに見合うだけの現実的な脅威でもあるの。
現実の存在として具象化している以上、妖怪とか幽霊とかとはちがって、物理的な手段で対抗できるんだけど、生半可な武器は通じない。もし通じるようなら、その程度の脅威でしかないということになるから、そもそも人々の恐怖の対象とはならないものね。だから忌獣は、人々の無意識が想像しうる常識的な対抗手段については、そのほとんどすべてを防いでしまう。もしそのまま放っておいたら、場合によっては街一つが壊滅的な被害を受けるようなこともあるの。
――でも、忌門が生み出すのは、忌獣だけじゃないんだ。
忌門に遭遇した人が抱くのは、かならずしも恐怖や不安だけではなくて、たとえば、目の前にある脅威に対抗する力がほしいと願う人もいるし、そもそも忌門になんか構っていられない、それ以上に心を占める何かがあって、それ以外のことは考えられない、という人もいる。
九分九厘の絶望のなかで残り一厘の可能性に行き着くことができた点では、たぐいまれな幸運の持ち主なのかもしれないけど、どうなのかな。忌門に遭遇して生き残ることができるほどにまともじゃなかった、と言うこともできるし、事実、忌門に遭遇してなおも生き残った人たちって、その後社会への適応に苦しんでる場合が多いみたいなんだよね。犯罪者になったり、狂気にとらわれてしまったりする人もいるし……。
でも、とにかく、遭遇者が忌門を前にして恐怖や不安を抱かなかった場合、忌門は忌獣とはちがったものを生み出すことになるんだ。
なかでも比較的よく見られるのが――〈忌能〉。
忌門に遭遇した人が、その願望に見合った、なんらかの超常的な能力を手に入れる、という現象なんだけど、忌獣の発生に続いて起きやすい忌門現象なんだ。といっても、忌獣百に対して忌能は一出ればいいくらいの確率なんだけどね。
忌能のあり方はさまざまで、とても説明しきれないんだけど、この国には忌累統制機関という政府組織があって、忌能を獲得した人間――〈忌能者〉を保護し、監視下に置いてるの。
でも、忌累機関に属さない忌能者も存在するし、忌累機関ができる前に獲得した忌能を秘匿している人たちもいる。
久瀬倉家は後者で、太古から城ヶ崎市に根付く巫女の一族なんだ。
久瀬倉家の母系には、忌能者の忌能とは性質を異にする特殊な能力が伝わっていて、その力を使って、この地に封じられた〈鬼〉を抑え続けているの。
――この世界はね、ふつうの人が思ってるほど、強固なものじゃないの。
突然だけど、三峯君は、この世界が存在することをどうやって知ってる?
そうだね、手で触れ、目で見て、耳で聞いて……そうやって五感を使ってこの世界の存在を確かめてるよね。
でも、考えてみて。それら五感がとらえた刺激は、必ず脳の入口で、意識にとって扱いやすい形に変換されてから、三峯君の心に浮かんでくるよね。
ということは、三峯君の心に映る世界は、世界そのものじゃなくて、三峯君の脳が、意識にとって理解しやすいように、細部を切り捨てたり、わかりやすく強調したり、場合によっては改変したりした、世界の模造品だということになるよね? そして、三峯君の心が脳の機能によって生み出されたものである以上、三峯君が「世界そのもの」を知ることはぜったいにできない。三峯君が世界だと思っているものは、決して「世界そのもの」ではなくて、脳の生み出した世界の模造品だということになるの。
三峯君は――ううん、わたしもそうだし、脳によって外界からの刺激を有益な「情報」へと変換する、すべての高等生物がそうなんだけど――わたしたちは、世界を知らない。これからも知ることはできない。世界の模造品をためつすがめつしながら、世界の本当の姿をなんとか推測しようとしているのが、わたしたちの脳なんだね。
だけど、それだったら。
「世界そのもの」をわたしたちは結局知覚することができないのだとしたら。
「世界そのもの」を直接確かめた人が誰もいないのだとしたら。
そもそも、「世界そのもの」なんてものは存在しないんじゃないか――そんな風に考えることもできるよね。
「世界そのもの」が存在するかどうかが人間には原理的に証明しえない永遠の謎である以上、いくら荒唐無稽に思えても、この疑いを完全にぬぐい去ることはできないの。
そして、それこそがたぶん、世界の本当の姿なんだ。わたしたちの心に映る世界の模造品こそが世界であって、知覚し得ない「世界そのもの」の方が仮構なの。わたしたちにとって世界の不十分な模造品に思える心象世界こそが、わたしたちの外に広がる「世界」を形作っているものなの。
だから、わたしたちの脳は、脳の外にある「世界」を知覚して「世界」の模造品としての心象世界を作っているのではなくて、わたしたちの脳が作る心象世界こそが、「外」にある世界を作り出してるんだ。脳は外なる世界を推測する高度な生体計算機ではなくて、認識というチャネルを使って自らの外に世界を作り出す、いわば「世界創成装置」とでも呼ぶべきものだということになるの。
――そんなことあるはずないって顔をしてるね。
うん、信じられないよね。でも、その「信じられない気持ち」こそが、世界がわたしたちの脳にかけた制限なんだと言われてるの。
世界はわたしたちによって日々創造されてるんだけど、わたしたちの一人一人が好き勝手に世界を改変しだしたら大変なことになるよね。だから、わたしたちによって創造された世界は、わたしたちに対するさまざまな制限を設けてもいるの。わたしたちは創造主だけど、被造物によって厳しく制限される不自由な存在でもあるんだね。ちょうど、議会や法によって権力を制限された昔の王様みたいなものかな。
とにかく、そういうわけで、わたしたちは創造主でありながら、自らの「世界創成機能」を実感することができないの。それは、世界がそのように制限しているからで、わたしたちはいくら他人から説明を受けても、自分の王様としての権限を信じ切れないようになってるんだね。「世界創成機能」を発揮するために必要な世界認識は、心の底からの確信に支えられている必要があるから、本人が信じられないでいる限りは、その世界認識が世界に反映される恐れはないの。結果として世界は、人々が妥当だと思える範囲の中に収まっていることになるんだ。だから、ふつうに暮らしている分には、この世界は人々の期待通りの安定した、常識で割り切れる世界としてわたしたちの前に現れていて、その限りでは、わたしたちは世界の孕む本質的な不確定性を気にしないでいられるの。
――いつになったら本題に入るのかって?
だいじょうぶ。もう、すぐだよ。だって、三峯君も見たあの化け物は、わたしたちの「世界創成機能」の隙間から生まれてくるものなんだから。
さっき説明したみたいに、わたしたちの「世界創成機能」は厳しく制限されてるんだけど、その制限はやや保守的に働きすぎる嫌いがあって――つまり、「世界創成機能」が制限されすぎてしまった結果、世界の一部が揺らいで、十分な認識が行き渡らない「認識の穴」みたいな場所ができてしまうことがあるの。そういう場所では、世界はもとの姿を取り戻すことになるんだ。「もとの姿」といっても、世界はわたしたちの認識以前には存在しないんだから、もとの姿なんていうものも本当はなくて、しいていえば、そこには「虚無」が生まれることになるの。
その「虚無」の大きさはさまざまだけど、共通して、光沢のある漆黒の真円の形状を取るの。これも、「虚無」がそういう形をしてるんじゃなくて、認識の穴が人間の意識に上ってくるときに、脳によってそういうふうに表現されるっていうだけなんだけど、不思議なことに、世界中の誰が見ても「虚無」はそういう表象によって心に浮かんでくるそうなんだ。
「虚無」は、その特徴的な形から、「鏡」だとか、「窓」だとか、「満月の影」だとか、「黒い太陽」だとか、世界中でさまざまな名前で呼ばれてるんだけど、この国では古くから〈忌門〉と呼ばれてるんだ。
忌門――世界の果て、認識の狭間、わたしたちのほんとうの姿を映し出す魔鏡。
忌門は、わたしたちの「世界創成機能」の隙間に生じたものなんだから、その周辺ではわたしたちの「世界創成機能」に対する制限は弱体化してるの。というより、制限が弱体化した結果として忌門が生まれると言った方が正確かな。
だから、忌門の近くでは、わたしたちはわたしたちが本来持っている「世界創成機能」を存分に発揮することができるの。わたしたちは忌門を前にして、一時的に世界創成の神たる絶対者の地位を取り戻すの。わたしたちは、そこに生じた世界認識の隙間に、思うがままの絵を描くことができるの。
そう――ものすごく単純化して言えば、忌門は、人の願いを叶える装置なんだ。「万能の願望実現装置」――そんな風に言う人もいるね。
――でも、いいことばかりじゃないの。
たしかに忌門は、わたしたちの心に描くものを具象化するけど、それはかならずしもわたしたちの「望んでいる」ものではないの。むしろ、わたしたちが意識の底に押し隠した恐怖や不安をこそ読み取り、現実世界に具象化させてしまうの。
忌門は、願望を実現する最大にして最高の機会であると同時に、恐怖や不安を現実のものとしてしまう最悪の契機でもあるんだ。
天国への扉にして地獄の門――それが忌門と呼ばれる存在の本質なの。
――だけど、こういう言い方じゃあ、忌門の怖さが十分には伝わらないかもしれないね。
だって忌門は、天国への扉であるよりは、地獄の門であることの方がはるかに多いんだ。天国か地獄かという五分の賭けですらないの。九分九厘地獄へ通じる道のなかに、天国へ通じるか細い可能性があるかもしれない、というような、賭けとしてすらほとんど成り立たない、絶望と隣り合わせの現象なんだ。
どうしてそうなるのかって? それはね、忌門に遭遇した人は、世界認識の隙間に対して、本能的に強い恐怖や不安を抱いてしまうからなんだ。
だって、考えてもみて。突然目の前に、見慣れない、明らかに不自然な漆黒の真円が現れて、こっちの姿を映してるんだよ。怖がるのがむしろふつうの反応だよね。だからなおさら、忌門により具象化されるものは、負の性格を帯びたものになりやすいと言われてるの。
――とはいえ、忌門に真っ向から対峙することになる人はすくなくて、たいていの場合、忌門は誰も気づかないうちに周囲の人々の害のない世界認識を取り込んで消滅してしまうと言われてるの。ジグソーパズルのピースの欠けた部分に、隣のピースをコピーしてむりやりはめこんでも、遠目にはわからないのと同じ。忌門の大部分は誰にも気づかれないうちに消滅するの。認識の隙間に対して世界の側から働く自己修正機能だって言う人もいるね。
それに、そもそもヒトは認識の隙間を本能的に避けるようにできてるし、忌門の方でも人を遠ざけるような一種の斥力を発してるらしいんだ。もしそうじゃなかったら、もっとたくさんの人が忌門に遭遇してるはずだし、世界の持つ本質的な不確定性も世の中にもっと広く知られてないとおかしいものね。忌門は人知れず発生し、人知れず消滅するようになっていて、そのおかげで人々は安定した日常生活を送ることができてるんだね。
でも、まれには忌門に遭遇する人が出てきてしまうし、そうして具象化されてしまった「恐怖」や「不安」こそが――そう、三峯君も見た、あの化け物――〈忌獣〉なんだ。
忌獣は、人々の恐怖の対象――神話の怪物だとか、妖怪だとか、幽霊だとか、獰猛な動物だとか、危険な機械だとか、そういうイメージを取り込んで、現実のものとして物質化したものなんだ。だから、人間にとっては本能的におそろしい存在であり、事実、そのおそろしさに見合うだけの現実的な脅威でもあるの。
現実の存在として具象化している以上、妖怪とか幽霊とかとはちがって、物理的な手段で対抗できるんだけど、生半可な武器は通じない。もし通じるようなら、その程度の脅威でしかないということになるから、そもそも人々の恐怖の対象とはならないものね。だから忌獣は、人々の無意識が想像しうる常識的な対抗手段については、そのほとんどすべてを防いでしまう。もしそのまま放っておいたら、場合によっては街一つが壊滅的な被害を受けるようなこともあるの。
――でも、忌門が生み出すのは、忌獣だけじゃないんだ。
忌門に遭遇した人が抱くのは、かならずしも恐怖や不安だけではなくて、たとえば、目の前にある脅威に対抗する力がほしいと願う人もいるし、そもそも忌門になんか構っていられない、それ以上に心を占める何かがあって、それ以外のことは考えられない、という人もいる。
九分九厘の絶望のなかで残り一厘の可能性に行き着くことができた点では、たぐいまれな幸運の持ち主なのかもしれないけど、どうなのかな。忌門に遭遇して生き残ることができるほどにまともじゃなかった、と言うこともできるし、事実、忌門に遭遇してなおも生き残った人たちって、その後社会への適応に苦しんでる場合が多いみたいなんだよね。犯罪者になったり、狂気にとらわれてしまったりする人もいるし……。
でも、とにかく、遭遇者が忌門を前にして恐怖や不安を抱かなかった場合、忌門は忌獣とはちがったものを生み出すことになるんだ。
なかでも比較的よく見られるのが――〈忌能〉。
忌門に遭遇した人が、その願望に見合った、なんらかの超常的な能力を手に入れる、という現象なんだけど、忌獣の発生に続いて起きやすい忌門現象なんだ。といっても、忌獣百に対して忌能は一出ればいいくらいの確率なんだけどね。
忌能のあり方はさまざまで、とても説明しきれないんだけど、この国には忌累統制機関という政府組織があって、忌能を獲得した人間――〈忌能者〉を保護し、監視下に置いてるの。
でも、忌累機関に属さない忌能者も存在するし、忌累機関ができる前に獲得した忌能を秘匿している人たちもいる。
久瀬倉家は後者で、太古から城ヶ崎市に根付く巫女の一族なんだ。
久瀬倉家の母系には、忌能者の忌能とは性質を異にする特殊な能力が伝わっていて、その力を使って、この地に封じられた〈鬼〉を抑え続けているの。
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