イヴィル・バスターズ ―STEEL LOVES FLOWER―

天宮暁

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天崎あまさき真琴まこと/七年前

 もう、七年も前のことになる。忘れもしない、ゴールデンウィーク翌週の日曜日。場所は当時住んでいた街の郊外にある市営の自然公園。
 夕闇が濃くなり、行き交う人々の顔も、タイル敷きの歩道のくまも、歩道沿いに茂る照葉樹の樹影も、一様に濃くなり、誰とすれ違い、どのような模様のタイルの上を歩み、木々の影には何が隠れているのかもわからない――そんな時間帯だ。
 夕暮れの自然公園は、夜光灯が点るまでの束の間、昼とも夜とも、この世ともあの世ともつかない、曖昧でぼやけた、世界そのものの不確定性を訴えるかのような、薄暗い、夢幻の世界を現出させる。
 わたしは公園入口のビジターズロッジにある自販機で買った三人分の飲み物を抱えながら、足早に展望台への緩やかな登りを進んでいた。
 昼は五月としては暖かく、汗ばむほどだったが、日が傾き始めた頃から気温が急に下がり始め、日暮れ前の今はむしろ肌寒いくらいだ。
 二人は、どうなったのだろう。
 幼なじみである美奈恵と、弟の拓真と、三人でやってきた自然公園だが、今日の目的はわたし以外の二人だった。
 美奈恵は昔から拓真のことを気にしていた。そんな美奈恵に拓真に関する相談事を持ちかけたのは、ひょっとすると、美奈恵の返してくる答えを無意識に予想して、それを期待していたからなのかもしれない。
(……卑怯だな、わたしは)
 拓真が中学生になった頃から、わたしに向けてくる視線が変わった。
 はじめは気のせいだと思った。次に、そういう時期なのだから仕方がないのだと思おうとした。
 しかし、拓真がついに決定的な行動に及ぼうとするに至って、わたしも問題から目を背け続けることができなくなった。
 かわいい弟かというと、よくわからない。
 拓真は小さい頃から物静かで、一人遊びを好んだ。
 両親に言われて、わたしはそんな拓真を遊びに誘うこともあったが、たいていの場合拓真は乗り気でなく、ちょっと目を離した隙にひとりで家に帰ってしまう。
 率直に言って、かわいげのない子どもだったと思う。だけど、それはわたしにしても同じで、拓真ほどではないにしても、愛嬌のない、大人びた子どもだと言われることが多かった。
 だから拓真の気持ちもなんとなくわかり、目に見えて困っているような時こそ助けはするものの、他の時はなるべく拓真に干渉しないようにしていた。自然、姉弟の距離は次第に開き、いつしか言葉を交わすことすら稀になった。
 その程度の仲の姉弟だったから、拓真の気持ちに気づいたときには驚いた。
 驚いて、動揺した。
 が、両親に相談することが正しいとも思えなかった。両親はわたしたち姉弟の愛想のなさに深い挫折感と恨みのような感情を抱いていて、わたしたちにとって安心して打ち明けごとのできる相手ではなかった。
 問題を扱いかねたわたしは美奈恵を頼った。
 当時から男遊びが激しく、その手の経験が豊富な美奈恵ならよいアドバイスをしてくれるのではないかと思ったのも確かだが、それ以上に、このような繊細な相談事を共有することで、わたしから離れていく美奈恵を繋ぎとめられるのではないかという計算もあった。
 わたしは、年々女としての魅力を獲得し、近づきがたくなっていく美奈恵に対し、ある種の嫉妬と憧れとを募らせていた。美奈恵は、中学でも高校でも、同世代の女の子が憧れるような男をいともたやすく射止め、射止めたあとは振り回し、結局はものの数ヶ月で別れる、ということをくりかえしていた。
 美奈恵の心情が当時のわたしにわかるはずもなかったが、わたしでは満たすことのできない何かを求め、男から男へと渡り歩いているのだということはなんとなくわかった。
 と同時に、美奈恵は、わたしの弟に奇妙に執着してもいた。
 拓真は、たしかに美形ではあるものの、無口で何を考えているかわからない子どもだったし、時折訳もなく笑みを漏らすなどの奇癖もあって、周囲からは敬遠されがちだった。同世代の男子からは苛められやすく、女子からは毛嫌いされた。
 そんな拓真に、選ぶ男に困るはずのない美奈恵が執着しているのは、わたしの見るところでは、たんに拓真が美奈恵に靡こうとしないから――というだけの理由でしかなかった。
 美奈恵の理由は明らかに不健全なものだったし、ますます奇矯さと不気味さを増していく弟を美奈恵に近づけたいとも思えなかった。
 それでも、日々疎遠になっていく美奈恵を繋ぎとめておくためにわたしが使える手段は、もはやそれしかなかった。
 そう――結局、わたしにとって、弟の問題は、美奈恵を繋ぎとめるための餌でしかなかったのだ。そのことの残酷さに身震いしながらも、わたしは困り果てた様子を装って美奈恵に相談を持ちかけた。
 案の定、美奈恵はわたしの話に食いついてきた。
「じゃあ、あたしが拓真ちゃんを誘惑してあげる♪」
 美奈恵はとびきり魅力的な笑みを浮かべてそう言った。
 そして今日、わたしは拓真を誘い出して自然公園にやってきた。
 拓真の目的はもちろんわたしなのだろう。珍しくめかしこんだ拓真は、確かに美奈恵が見込むだけのことはある美男子だった。わたしとのデートを喜んでいるらしく、ふだんの拓真らしからぬ無邪気な笑みを浮かべている。無防備なその笑顔は、ごく幼い頃の拓真を彷彿とさせるもので、ここ数年の拓真へのわだかまりがいくぶん和らいだような気さえした。
 が、その笑顔にわたしは危惧も覚えた。この「デート」はいわば騙し討ちだ。そうと知った時に拓真がどのような反応を見せるのか。美奈恵は自信たっぷりに「大丈夫だよ」と言っていた。男性経験の豊富な美奈恵の言うことだから間違いないと思う反面、拓真がこれまで美奈恵に興味を示してこなかったことも事実として認めないわけにはいかない。
「拓真ちゃん、童貞でしょ?」
 わたしの部屋のクッションを抱きしめながら、そんなことをあっけらかんと聞いてくる美奈恵に呆れつつも、「そうだと思う」とわたしは答えた。
「じゃあ、大丈夫だよ~。そういうのチラつかされたらぜったい我慢できないもん」
 美奈恵のコケティッシュな笑みは拓真に向けられたもので、わたしに向けられたものではなかったが、それでも、そうして笑う美奈恵を今独占しているのはわたしなのだと思うと、後ろ暗い喜びを感じずにはいられなかった。
 夕暮れの歩道がふっと明るくなった。夜光灯が点ったのだ。すぐ近くにあった公園の時計を見て、わたしは足を速める必要を感じた。
 展望台にはほどなくついた。
 街を一望する展望台は自然公園のある丘陵から突き出している。夕日が地平線に沈みつつある今、テラスになった展望台は足の下から夕日を受ける状態で、オレンジ色に染まった空を背景に、展望台は真っ暗な影に包み込まれていた。
 だから、遅れた。
 そこにあるものに気づくのに。
 夜を先取りしたような影の中にたたずむ小柄な人影を見つけて、わたしは近づいた。
「拓……」
 呼びかけ、気づいた。
 影法師と化した拓真の背中――その足下に、花柄のワンピースをまとった女の子が倒れている。
 ゆるくウェーブのかかった栗色の髪が地面に花のように広がり、剥きだしの手足はあちこちが紫色に腫れ上がり、白い部分にも無数の切り傷、擦り傷が見えた。ワンピースは無残にも破れ、まくれあがったスカートのあいまからは白い太腿がのぞいている。
 その太腿のあいだ、翳りに隠された部分から零れ出しているのは――
「……っ!」
 息を呑む。
 わたしの腕から三人分の飲み物が零れ落ち、展望台の地面にぶつかって鈍い音を響かせた。
 その音で、拓真が振り返る。
「……姉さん。遅かったね」
 そうつぶやいた拓真の顔は逆光で見えなかった。
「拓……真?」
 拓真がわたしに向かって一歩踏み出す。
 わたしは無意識に後じさった。
「美奈恵……は……」
 からからに乾いた喉から声を絞り出す。
「美奈恵さん? 見ての通りだよ。僕を誘惑しようとなんてするから、望み通りにしてあげたんだ」
「……望み通りに?」
「ふふっ。『めちゃくちゃにしていいよ』なんて言うから」
「……っ」
 怒りが、わたしをその場に踏みとどまらせた。
「美奈恵は……っ! おまえのことを……!」
「好きだったって? 聞いたよ。でも、姉さんだって知ってるでしょ? 僕が好きなのは――」
「そんなの、おかしいだろう! わたしたちは姉弟なんだ!」
「関係ないよ、そんなこと。だけど、確かにそういうしがらみはあるよね。僕にはそれがずっと邪魔だったんだ。でも――」
 拓真は言葉を句切り、後ろを仰ぐように振り返った。
「神さまは僕にすばらしいプレゼントをくれたんだ」
 拓真の視線を追う。そこには――
「何だ……これは」
 そこには、闇が垂れ込めていた。
 そうとしか言いようがない。丘陵から展望台にかけては沈みゆく夕日によってひときわ濃い影に覆われているが、拓真の後ろ、数メートルの所にある「闇」の暗さは、影などの比ではなかった。
 直径三メートルほどの漆黒の円。その表面には不気味な光沢があって、展望台の光景を鏡のように映し出している。黒みがかった風景の中にいるのは、わたしと、倒れた美奈恵と、そして――
「――ッ!」
「あは、やっと気づいた? そう。これが僕の得た力なんだ」
 拓真がわたしへ向かって一歩を踏み出し――その顔があらわになった。
 拓真の顔は、漆黒の鏡が映し出していたのと同じ、異形のものだった。
 なにより異彩を放つのは真っ赤な目だ。そのなかでそこだけ黄色い虹彩の中には、猫の目のように縦に細い楕円形の瞳孔がある。
 だが、拓真の姿をわかりやすく説明しているのは、むしろ別の箇所だろう。
 唇からのぞく鋭い犬歯――そして、額の左右、生え際に生えた二本の短い角のようなもの。
 それはまるで――
「そう。僕は〈鬼〉になったんだ。姉さんを手に入れるために」
 拓真は歯を剥きだしにして笑った。
 人気のなくなった自然公園に響くその声は、恐ろしいはずなのに、まるで赤子の泣き声のように、不思議に哀しく聞こえた。

 それが、すべての始まりだった。
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