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第五章 15歳
45 救助
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「これから俺が使うのは、心象世界を外に映し出す術だ。
通常の空間なら、心の中が映し出されて恥ずかしいだけの術だが、霊威兵装の中では違う。心の中に思い描いたものが、濃厚な魔力によって具象化するはずだ。
霊威兵装を絶対にぶっ壊す。そんな決意を強く持って、思いつく限りの強力な魔法をイメージしてくれ」
「うむ」
「了解だ」
――わかった。
ネルズィエン、ラシヴァ、ユナの前に、もやもやとした霧が生じてく
る。
ネルズィエンの前の霧は、燃え盛る業火の槍と化し、
ラシヴァの前の霧は、ぐつぐつ煮えたぎる巨大な火球と化した。
この二人のイメージは想像の範囲内だったが、ユナはさすがに格が違った。
足まで覆うほど長いアクアマリンの髪が、四方に伸びながら、透明な水の流れへと変わっていく。
その流れは周囲を覆い尽くすほどに広がった。
その一部が、竜巻のように巻き上がる。
水の竜巻は、ぶつかりあい、融合し、天を衝くほどに成長した。
その竜巻が、突如かま首をもたげる。
――ぎしゃああああっ!
竜巻の先端にできた、巨大な龍の頭が咆哮を上げた。
「おお、さすがだな」
俺は手をひさしにして、壮観な水の龍を観察する。
「お、おいおい……これ、俺が協力するまでもないんじゃねえか?」
「そうでもないぞ。ラシヴァとネルズィエンが最初にしかけて、水の魔力に相克を起こす。そこに、ユナが畳み掛ける」
「おまえはどうするのだ、エリアック」
「サンヌルの出る幕じゃないんだけどな……一応、光魔法で支援はしてみるよ。
準備がよければ行くぞ」
全員がうなずくのを見て、
「ラシヴァ、ネルズィエン!」
「おう!」
「ああ!」
二人が、火球と業火の槍を、この空間の真ん中へと解き放つ。
火球が爆ぜる。
業火の槍が、何もないように見える空間に突き立った。
二人の普段の魔法とは段違いの威力だ。
「ユナ!」
――うん!
ユナの操る水龍が、高みから猛然と急降下する。
爆発と槍でわずかなヒビの入った空間に、龍の頭が食らいつく。
龍は、牙や角でヒビをこじ開けようとする。
ぎぢっ、ぎぢっとガラスが軋むような音がした。
――硬い!
「怯むな! 絶対に壊せると思うんだ!」
そう励ましながら、俺も魔法の準備をする。
光魔法と闇魔法で、水属性魔力に干渉するのは難しい。
でも、まったくやりようがないわけじゃない。
俺は体内から光の魔力をかき集める。
さっき全員にかけた闇魔法を利用して、その光魔法を、想像の中で何百倍にも増幅する。
「『万物を燃やし溶かす太陽の輝きよ――』」
前世で聞いた夏休み科学相談室に、こんな質問があった。
『太陽に水をかけたら消せますか?』
答えは否だ。
太陽に水を撒いたら、あっというまに電子と陽子に分解され、核融合の燃料になる。
太陽にとって、水は消化剤ではなく燃料なのだ。
(俺の理解に穴はあるかもしれないが……)
これはあくまでも魔法である。
水をも燃やす光、というイメージができれば問題ない。
もっとも、現実世界でこの魔法を使った時には、ほとんど不発に近い結果だった。
たらいに汲んだ水がぶしゅっと音を立てただけ。
思い描く現象が壮大すぎて、俺の魔力では実現できなかったようだ。
だが、霊威兵装内の特殊な環境ならどうか?
「『死者を縛める異形の檻を、素粒子レベルまで灼き尽くせ!』」
目を灼くほどの光線が駆け抜けた。
駆け抜けたってのはあくまで比喩で、見た目には一瞬で手元とヒビが光で結ばれたように見えたけどな。
俺の放った光で、ヒビがガラス状に溶けていく。
「もう一押しだ!」
「こなくそぉぉっ!」
「砕け散れぇぇぇっ!」
――絶対に壊す!
火球が、業火の槍が、水龍が、光線が。
霊威兵装の内部に生じたヒビを、じわじわと押し広げていく。
――行ける……壊せる! 檻が……みんなを閉じ込めてた牢獄が……!
ピキ、ピキ、と音を立てて、ヒビが空間全体に広がっていく。
空間が無数のヒビで覆われた次の瞬間。
空間は、ガラスが砕けるような音とともに崩壊した。
「う、く……なにがどうなった……」
ラシヴァがうめく。
俺たちは、巨大な水槽の中に浮かんでいた。
薄暗い非常灯のせいで、水槽の端はよく見えない。
「これが、霊威兵装の本体なのか?」
ネルズィエンが、濡れた髪を顔に張り付かせたままでつぶやいた。
「その、成れの果て」
長いアクアマリンの髪を水面にワカメみたいに広げたユナがそう答える。
ユナの声は、今は普通に空気の振動として伝わってきた。
「……エリアック。あなたは、わたしを騙した」
ユナが恨めしそうに俺を見る。
「ん、ああ。ユナのことか」
「……どういうことだ?」
ネルズィエンが聞いてきた。
「霊威兵装を破壊したら、肉体を失ってるユナはそのまま消滅するしかなくなるだろ。ユナはそれでもよかったみたいだけど、助けられる相手を見捨てるつもりはなかったからな」
「エリアックは、最後の瞬間に、霊威兵装の魔力を使って、わたしの肉体を錬成した」
「んだと?」
ラシヴァが驚いた顔を向けてくる。
「うまくいくかは賭けだったけどな。魔力がまだ現実を凌駕してるうちに、ユナのイメージを投影したんだ。光魔法でユナの姿を立体映像として空間に焼き付ける。その上で、それがユナの肉体なのだと空間そのものに暗示をかける」
「でも、霊威兵装内では肉体は存在しえないはず」
「だな。だから、霊威兵装が崩壊する寸前にその作業を終えて、崩壊の瞬間に肉体を具象化させた」
「崩壊の瞬間に、だと? それでは時間的猶予がほとんどないではないか」
「正直、そこはやってみないとわからなかった。ユナを不安にさせたくないから黙ってたんだ。ユナは、霊威兵装が壊せれば、そのまま消滅してもいいと思ってたみたいだが」
「そう。だけど、みんなに助けられた」
「みんな?」
「霊威兵装の中にいた死霊たち。
自分たちはこれで解放される。生を諦めた自分たちにもはや未練はない。
でも、わたしはまだ若い。自分たちのためにふいにした時間を、これから生きて取り戻せ……と」
ユナが暗い水面に目を落としてそう言った。
「そうか……死霊たちがそんなことを」
ユナは、彼らに付き添い、霊威兵装が滅びる日のことを待つと決めていた。
永い時を渾然一体となって過ごしたことで、ユナと彼らは互いを魂の奥底から理解しあったのだろう。
あるいは、ユナという理解者が現れたからこそ、霊威兵装に囚われた古代の犠牲者たちも、その憤を解き、ゆるやかな諦念へと導かれたのかもしれない。
「ありがとう……みんな。せめて、安らかに……」
ユナの小さな声が、水面の広がる空間に、奇妙なほどによく響いた。
「で、どうすんだよ、この状況」
俺たちはしばし、死者たちを悼む気持ちに浸っていた。
だが、置かれた状況の厄介さにすぐに気づく。
俺たちの浮かんでる水面は、水槽のかなり深い位置にあった。
「灯り」を出して確認すると、巨大な茶筒型の水槽は、天井まで数十メートルはありそうだ。
俺が螺旋階段の底部で開いた隔壁は、天井のすぐ下にある。
前世で、ノーベル賞科学者が宇宙からの素粒子を観測するのに使った巨大な水槽の映像を見たことがある。
観測のためのレンズがないことを除けば、この水槽はそれによく似てる。
実際、観測用のレンズをつければ、チェレンコフ光を観測できそうな気もするな。
「エリアック、てめえ、空を飛ぶ魔法が使えたりはしねえか?」
濡れた赤髪を鬱陶しそうにかきあげながら、ラシヴァがそう聞いてくる。
「さすがにそれは無理だな」
光と闇の魔力で空を飛ぶ方法は、残念ながら思いついていなかった。
だが、手段がまったくないわけでもない。
「『陰渡り』で登るしかないか」
「灯り」を消してしまえば、ここはすぐに真っ暗になる。
陰を伝うのに重力は関係ない。
俺だけなら、壁を登るのは簡単だ。
「やっぱりなんとかなるんじゃねえか」
「俺だけならな。上に行って、ロープか何かを探してくる。悪いがここで待っててくれ」
「早くしてくれよ。この水、日が当たってねえもんだから結構冷てえぞ」
言われてみればたしかに冷たい。
いや、冷たいことには気づいてたのだが、例によってストレスがないため、体温のことを忘れてたのだ。
そこで、水面を暖かな風が吹き抜けた。
「わたしはジトヒュルだ。水面の上だけなら『温風』の魔法で温められる」
ネルズィエンが、温風で長い髪を乾かしながら言ってくる。
「それは助かるぜ。じゃあ、行ってくる。こんなとこでケンカしないでくれよ?」
「へっ……地面がないんじゃ殴ろうにも踏ん張りがきかねえよ」
「わたしも今は争うつもりはない」
二人の同意を取ったところで、俺は適当な陰を探そうとする。
が、それより早く、上方の開いた隔壁から、見知った顔が現れた。
「リーダー! ラシヴァ! 無事!?」
こわごわと水槽を覗き込みながらそう叫んできたのは、上に戻ったはずのミリーだった。その隣にはシズレーンの顔もある。
「ミリー! どうしてここに?」
俺は声を張り上げる。
俺の声が、巨大な水槽の中でエコーした。
「例の気配が消えたから、リーダーが何かしたんじゃないかって、みんなで!」
「魔術科の二人は帝国兵の見張りに残ってる!」
ミリー、シズレーンが上からそう叫んできた。
「悪いけど、ロープのようなものを探してきてくれないか!」
「それなら、途中で縄梯子を見かけた! すぐに持ってくる!」
数分ほどで、シズレーンが縄梯子を持ってきてくれた。
上で縄梯子を支えておいてもらって、俺たちは一人ずつ縄梯子をよじ登る。
ラシヴァ、ユナ、ネルズィエン、俺の順だ。
「ふぅ……助かったよ」
「どういたしましてー」
俺が言うと、ミリーが笑顔でうなずいた。
ネルズィエンが『温風』で濡れ鼠の四人を乾かしてくれる。
服は半分湿ってるが、これくらいは仕方がないだろう。
俺はミリーとシズレーンにユナを紹介した。
「……ユナシパーシュ=アマ=ユナシパン。ユナでいい」
常時低血圧なテンションの、アクアマリンの少女がそう言った。
「よ、よろしく」
「そうだな。常軌を逸した事情説明だった気がするが、リーダーのすることだ、もう驚く必要もないだろう」
事情を聞いて、ミリーは引きつった顔で、シズレーンは呆れたような顔でそう言った。
研究所の最初の広間まで戻り、魔術科男子二人と、ネルズィエンの副官である老将ジノフにも同じ説明を繰り返す。
「よ、よろしく、ユナさん」
「ユナ先輩ってことになるのかな……」
「わたしは霊威兵装に取り込まれた時二年生だった。先輩で正しい」
ユナが気持ち胸を張ってそう言った。
生徒騎士の制服は、今の魔術科の制服と少し違う。
ユナが一体いつの時代の生徒騎士なのかは調べないとわからないが、その時から学園の制服には若干の変化があったようだ。
制服姿のユナは、背が140もなさそうな小柄な少女だ。
中学一年生と言われても納得してしまうだろう。
アクアマリンの透き通った長い髪が、華奢な身体を足元まで包むように広がってる。
霊威兵装のことを抜きにしても、人間離れした神秘的な美少女だった。
「さて、霊威兵装の問題は片付いたけど……これからどうするかだな」
俺は、一同を振り返ってそう言った。
そう。霊威兵装の脅威は去ったものの、研究所が埋め立てられたままの状況に変わりはない。
「……ごめんなさい。わたしが洞窟を埋めたから」
ユナがしゅんとなってうつむいた。
どうしてユナは、俺たちの退路を塞いだのか?
直接聞いてはいないが、察しはつく。
(霊威兵装が朽ちるのを待つと言ってたけど、やっぱり寂しかったんだろう。それとも怖かったのか)
ひさかたぶりに人が近づいてくるのを見て、平静ではいられなかったのだと思う。
魔力が現実を凌駕する空間にいた少女は、無意識に人を求めてしまった。
その無意識の心理が、鉄砲水で研究所への洞窟を塞ぐという結果を招いた。
そんなふうに俺は想像したが、ユナに直接確かめるつもりはない。
「いいさ。
ま、俺が何もしなくても、向こうからどうにかしてくれるはずだ」
「えっ、向こうって……」
「ああ、それは……」
俺がミリーに答えようとしたところで、外から異常な音が聴こえてきた。
むりやり擬音化するなら、「ジュヴァッ!」って感じの音だ。
その音が、遠くから近くへ、徐々に近づきながら、何度も繰り返し聴こえてくる。
「な、なんの音だ?」
ネルズィエンが鞭を構えて言った。
俺は、反対に胸を撫で下ろす。
「救助が来たみたいだな」
「救助だと?」
「だいぶ近いな。
みんな、入り口から離れろ!」
俺の命令に、全員が慌てて研究所の入り口のシャッターから距離を取った。
次の瞬間、
――ジュヴァッ!
「エリア! 無事!?」
一瞬にして蒸発したシャッター(だった穴)の向こうから、ヒュルサンヌルの少女が飛び込んできた。
通常の空間なら、心の中が映し出されて恥ずかしいだけの術だが、霊威兵装の中では違う。心の中に思い描いたものが、濃厚な魔力によって具象化するはずだ。
霊威兵装を絶対にぶっ壊す。そんな決意を強く持って、思いつく限りの強力な魔法をイメージしてくれ」
「うむ」
「了解だ」
――わかった。
ネルズィエン、ラシヴァ、ユナの前に、もやもやとした霧が生じてく
る。
ネルズィエンの前の霧は、燃え盛る業火の槍と化し、
ラシヴァの前の霧は、ぐつぐつ煮えたぎる巨大な火球と化した。
この二人のイメージは想像の範囲内だったが、ユナはさすがに格が違った。
足まで覆うほど長いアクアマリンの髪が、四方に伸びながら、透明な水の流れへと変わっていく。
その流れは周囲を覆い尽くすほどに広がった。
その一部が、竜巻のように巻き上がる。
水の竜巻は、ぶつかりあい、融合し、天を衝くほどに成長した。
その竜巻が、突如かま首をもたげる。
――ぎしゃああああっ!
竜巻の先端にできた、巨大な龍の頭が咆哮を上げた。
「おお、さすがだな」
俺は手をひさしにして、壮観な水の龍を観察する。
「お、おいおい……これ、俺が協力するまでもないんじゃねえか?」
「そうでもないぞ。ラシヴァとネルズィエンが最初にしかけて、水の魔力に相克を起こす。そこに、ユナが畳み掛ける」
「おまえはどうするのだ、エリアック」
「サンヌルの出る幕じゃないんだけどな……一応、光魔法で支援はしてみるよ。
準備がよければ行くぞ」
全員がうなずくのを見て、
「ラシヴァ、ネルズィエン!」
「おう!」
「ああ!」
二人が、火球と業火の槍を、この空間の真ん中へと解き放つ。
火球が爆ぜる。
業火の槍が、何もないように見える空間に突き立った。
二人の普段の魔法とは段違いの威力だ。
「ユナ!」
――うん!
ユナの操る水龍が、高みから猛然と急降下する。
爆発と槍でわずかなヒビの入った空間に、龍の頭が食らいつく。
龍は、牙や角でヒビをこじ開けようとする。
ぎぢっ、ぎぢっとガラスが軋むような音がした。
――硬い!
「怯むな! 絶対に壊せると思うんだ!」
そう励ましながら、俺も魔法の準備をする。
光魔法と闇魔法で、水属性魔力に干渉するのは難しい。
でも、まったくやりようがないわけじゃない。
俺は体内から光の魔力をかき集める。
さっき全員にかけた闇魔法を利用して、その光魔法を、想像の中で何百倍にも増幅する。
「『万物を燃やし溶かす太陽の輝きよ――』」
前世で聞いた夏休み科学相談室に、こんな質問があった。
『太陽に水をかけたら消せますか?』
答えは否だ。
太陽に水を撒いたら、あっというまに電子と陽子に分解され、核融合の燃料になる。
太陽にとって、水は消化剤ではなく燃料なのだ。
(俺の理解に穴はあるかもしれないが……)
これはあくまでも魔法である。
水をも燃やす光、というイメージができれば問題ない。
もっとも、現実世界でこの魔法を使った時には、ほとんど不発に近い結果だった。
たらいに汲んだ水がぶしゅっと音を立てただけ。
思い描く現象が壮大すぎて、俺の魔力では実現できなかったようだ。
だが、霊威兵装内の特殊な環境ならどうか?
「『死者を縛める異形の檻を、素粒子レベルまで灼き尽くせ!』」
目を灼くほどの光線が駆け抜けた。
駆け抜けたってのはあくまで比喩で、見た目には一瞬で手元とヒビが光で結ばれたように見えたけどな。
俺の放った光で、ヒビがガラス状に溶けていく。
「もう一押しだ!」
「こなくそぉぉっ!」
「砕け散れぇぇぇっ!」
――絶対に壊す!
火球が、業火の槍が、水龍が、光線が。
霊威兵装の内部に生じたヒビを、じわじわと押し広げていく。
――行ける……壊せる! 檻が……みんなを閉じ込めてた牢獄が……!
ピキ、ピキ、と音を立てて、ヒビが空間全体に広がっていく。
空間が無数のヒビで覆われた次の瞬間。
空間は、ガラスが砕けるような音とともに崩壊した。
「う、く……なにがどうなった……」
ラシヴァがうめく。
俺たちは、巨大な水槽の中に浮かんでいた。
薄暗い非常灯のせいで、水槽の端はよく見えない。
「これが、霊威兵装の本体なのか?」
ネルズィエンが、濡れた髪を顔に張り付かせたままでつぶやいた。
「その、成れの果て」
長いアクアマリンの髪を水面にワカメみたいに広げたユナがそう答える。
ユナの声は、今は普通に空気の振動として伝わってきた。
「……エリアック。あなたは、わたしを騙した」
ユナが恨めしそうに俺を見る。
「ん、ああ。ユナのことか」
「……どういうことだ?」
ネルズィエンが聞いてきた。
「霊威兵装を破壊したら、肉体を失ってるユナはそのまま消滅するしかなくなるだろ。ユナはそれでもよかったみたいだけど、助けられる相手を見捨てるつもりはなかったからな」
「エリアックは、最後の瞬間に、霊威兵装の魔力を使って、わたしの肉体を錬成した」
「んだと?」
ラシヴァが驚いた顔を向けてくる。
「うまくいくかは賭けだったけどな。魔力がまだ現実を凌駕してるうちに、ユナのイメージを投影したんだ。光魔法でユナの姿を立体映像として空間に焼き付ける。その上で、それがユナの肉体なのだと空間そのものに暗示をかける」
「でも、霊威兵装内では肉体は存在しえないはず」
「だな。だから、霊威兵装が崩壊する寸前にその作業を終えて、崩壊の瞬間に肉体を具象化させた」
「崩壊の瞬間に、だと? それでは時間的猶予がほとんどないではないか」
「正直、そこはやってみないとわからなかった。ユナを不安にさせたくないから黙ってたんだ。ユナは、霊威兵装が壊せれば、そのまま消滅してもいいと思ってたみたいだが」
「そう。だけど、みんなに助けられた」
「みんな?」
「霊威兵装の中にいた死霊たち。
自分たちはこれで解放される。生を諦めた自分たちにもはや未練はない。
でも、わたしはまだ若い。自分たちのためにふいにした時間を、これから生きて取り戻せ……と」
ユナが暗い水面に目を落としてそう言った。
「そうか……死霊たちがそんなことを」
ユナは、彼らに付き添い、霊威兵装が滅びる日のことを待つと決めていた。
永い時を渾然一体となって過ごしたことで、ユナと彼らは互いを魂の奥底から理解しあったのだろう。
あるいは、ユナという理解者が現れたからこそ、霊威兵装に囚われた古代の犠牲者たちも、その憤を解き、ゆるやかな諦念へと導かれたのかもしれない。
「ありがとう……みんな。せめて、安らかに……」
ユナの小さな声が、水面の広がる空間に、奇妙なほどによく響いた。
「で、どうすんだよ、この状況」
俺たちはしばし、死者たちを悼む気持ちに浸っていた。
だが、置かれた状況の厄介さにすぐに気づく。
俺たちの浮かんでる水面は、水槽のかなり深い位置にあった。
「灯り」を出して確認すると、巨大な茶筒型の水槽は、天井まで数十メートルはありそうだ。
俺が螺旋階段の底部で開いた隔壁は、天井のすぐ下にある。
前世で、ノーベル賞科学者が宇宙からの素粒子を観測するのに使った巨大な水槽の映像を見たことがある。
観測のためのレンズがないことを除けば、この水槽はそれによく似てる。
実際、観測用のレンズをつければ、チェレンコフ光を観測できそうな気もするな。
「エリアック、てめえ、空を飛ぶ魔法が使えたりはしねえか?」
濡れた赤髪を鬱陶しそうにかきあげながら、ラシヴァがそう聞いてくる。
「さすがにそれは無理だな」
光と闇の魔力で空を飛ぶ方法は、残念ながら思いついていなかった。
だが、手段がまったくないわけでもない。
「『陰渡り』で登るしかないか」
「灯り」を消してしまえば、ここはすぐに真っ暗になる。
陰を伝うのに重力は関係ない。
俺だけなら、壁を登るのは簡単だ。
「やっぱりなんとかなるんじゃねえか」
「俺だけならな。上に行って、ロープか何かを探してくる。悪いがここで待っててくれ」
「早くしてくれよ。この水、日が当たってねえもんだから結構冷てえぞ」
言われてみればたしかに冷たい。
いや、冷たいことには気づいてたのだが、例によってストレスがないため、体温のことを忘れてたのだ。
そこで、水面を暖かな風が吹き抜けた。
「わたしはジトヒュルだ。水面の上だけなら『温風』の魔法で温められる」
ネルズィエンが、温風で長い髪を乾かしながら言ってくる。
「それは助かるぜ。じゃあ、行ってくる。こんなとこでケンカしないでくれよ?」
「へっ……地面がないんじゃ殴ろうにも踏ん張りがきかねえよ」
「わたしも今は争うつもりはない」
二人の同意を取ったところで、俺は適当な陰を探そうとする。
が、それより早く、上方の開いた隔壁から、見知った顔が現れた。
「リーダー! ラシヴァ! 無事!?」
こわごわと水槽を覗き込みながらそう叫んできたのは、上に戻ったはずのミリーだった。その隣にはシズレーンの顔もある。
「ミリー! どうしてここに?」
俺は声を張り上げる。
俺の声が、巨大な水槽の中でエコーした。
「例の気配が消えたから、リーダーが何かしたんじゃないかって、みんなで!」
「魔術科の二人は帝国兵の見張りに残ってる!」
ミリー、シズレーンが上からそう叫んできた。
「悪いけど、ロープのようなものを探してきてくれないか!」
「それなら、途中で縄梯子を見かけた! すぐに持ってくる!」
数分ほどで、シズレーンが縄梯子を持ってきてくれた。
上で縄梯子を支えておいてもらって、俺たちは一人ずつ縄梯子をよじ登る。
ラシヴァ、ユナ、ネルズィエン、俺の順だ。
「ふぅ……助かったよ」
「どういたしましてー」
俺が言うと、ミリーが笑顔でうなずいた。
ネルズィエンが『温風』で濡れ鼠の四人を乾かしてくれる。
服は半分湿ってるが、これくらいは仕方がないだろう。
俺はミリーとシズレーンにユナを紹介した。
「……ユナシパーシュ=アマ=ユナシパン。ユナでいい」
常時低血圧なテンションの、アクアマリンの少女がそう言った。
「よ、よろしく」
「そうだな。常軌を逸した事情説明だった気がするが、リーダーのすることだ、もう驚く必要もないだろう」
事情を聞いて、ミリーは引きつった顔で、シズレーンは呆れたような顔でそう言った。
研究所の最初の広間まで戻り、魔術科男子二人と、ネルズィエンの副官である老将ジノフにも同じ説明を繰り返す。
「よ、よろしく、ユナさん」
「ユナ先輩ってことになるのかな……」
「わたしは霊威兵装に取り込まれた時二年生だった。先輩で正しい」
ユナが気持ち胸を張ってそう言った。
生徒騎士の制服は、今の魔術科の制服と少し違う。
ユナが一体いつの時代の生徒騎士なのかは調べないとわからないが、その時から学園の制服には若干の変化があったようだ。
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中学一年生と言われても納得してしまうだろう。
アクアマリンの透き通った長い髪が、華奢な身体を足元まで包むように広がってる。
霊威兵装のことを抜きにしても、人間離れした神秘的な美少女だった。
「さて、霊威兵装の問題は片付いたけど……これからどうするかだな」
俺は、一同を振り返ってそう言った。
そう。霊威兵装の脅威は去ったものの、研究所が埋め立てられたままの状況に変わりはない。
「……ごめんなさい。わたしが洞窟を埋めたから」
ユナがしゅんとなってうつむいた。
どうしてユナは、俺たちの退路を塞いだのか?
直接聞いてはいないが、察しはつく。
(霊威兵装が朽ちるのを待つと言ってたけど、やっぱり寂しかったんだろう。それとも怖かったのか)
ひさかたぶりに人が近づいてくるのを見て、平静ではいられなかったのだと思う。
魔力が現実を凌駕する空間にいた少女は、無意識に人を求めてしまった。
その無意識の心理が、鉄砲水で研究所への洞窟を塞ぐという結果を招いた。
そんなふうに俺は想像したが、ユナに直接確かめるつもりはない。
「いいさ。
ま、俺が何もしなくても、向こうからどうにかしてくれるはずだ」
「えっ、向こうって……」
「ああ、それは……」
俺がミリーに答えようとしたところで、外から異常な音が聴こえてきた。
むりやり擬音化するなら、「ジュヴァッ!」って感じの音だ。
その音が、遠くから近くへ、徐々に近づきながら、何度も繰り返し聴こえてくる。
「な、なんの音だ?」
ネルズィエンが鞭を構えて言った。
俺は、反対に胸を撫で下ろす。
「救助が来たみたいだな」
「救助だと?」
「だいぶ近いな。
みんな、入り口から離れろ!」
俺の命令に、全員が慌てて研究所の入り口のシャッターから距離を取った。
次の瞬間、
――ジュヴァッ!
「エリア! 無事!?」
一瞬にして蒸発したシャッター(だった穴)の向こうから、ヒュルサンヌルの少女が飛び込んできた。
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元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
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旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
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『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。
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1月5日 誤字脱字修正 54話
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