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第1章・天使降臨

◆ 6・父の帰還 ◆

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「お帰りなさい、お父様」

 館のエントランスは両側に伸びる階段と来訪者を迎え撃つ、もとい迎え入れる広いスペースがある。
 中心に立つ私の後ろにはズラリと並んだメイドたち――中には勿論ミランダ・オットーの姿もある。

 迎え撃たれた側といえば明るい青の瞳とオールバックにしたミルクティー色の髪、モスグリーンのスーツ、上品なアスコットタイにはエメラルドのブローチをつけていた。

 同じ色合いのドレスを選んでしまった事を悔いて舌打ちをしたくなる。
 天使出現やらで服の色を失念していた。

「ただいま、愛する娘1!」
「シャーロットです、どんな略ですか!」

 緩い笑みと共に吐かれる略式挨拶に突っ込みをいれるも、そんな程度では怯まないのが我が父ヨーク侯爵テレンス・ハリーである。
 服の色さえ同じ物を選びたくないくらいには苦手な人物だ。

 彼は己の価値を十二分に理解し利用するタイプの人間だった。最悪な事に、顔も家柄も頭も良い中年男で社交界の華と名高い。
 かつての私もソレを誇りに思っていた時分がある。

「それにしても随分お早いお帰りでしたね? お昼頃だと連絡を頂いておりましたのに」

 勿論、嫌味ではない。
 理由を開示してもらわねば、後ろに控えるミランダの信用を得る事ができないからだ。

「ねえ、愛する娘、お前のお母様はどうしたんだい? 姿が見えないと顔を忘れてしまいそうだよ、ハハハッ」

 いや、全然面白くないし、その性格が問題をややこしくしている。

「忘れたんですか? 昨晩、お父様の浮気を疑って実家に戻ってしまわれたじゃないですか」

 この問答は毎回バリエーションが少ない。
 やりなおすうちに、幾つかの中継地点というものが存在すると知った。

 地点AスタートでBにはパターンが色々あり、そこには1から5までの方向性を決定付ける選択がある。然しその何番目を選ぼうとも、CやDを経由せずとも、毎回ほぼ同一のE地点が常に巡ってくる。そうしてまた分岐が始まるのだ。


 父との対面はどのパターンを選んでも存在してた。
 場所は様々だし、『ただいま、●●』の掛け声も一緒。序盤でミランダ殺害後の血まみれベッドでも同じだったくらいだし……。
 うん、父は紳士だから取り乱さないとか、そんなんじゃない、普通に狂っている!


「あー、忘れてたねぇ。そっかそっか、実家って王城? まさかお婆様のいらっしゃった実家じゃないよね? あっちは苦手なんだよねぇ」
「勿論、王太后様のいらっしゃった侯爵家ですよ。苦手な方ですねー」
「うわ……」

 本当に苦手らしく顔を顰める父。
 ひそかに気持ちが上向く。

「困ったね……。私だって誠実であろうと思っているんだよ、娘1。ただ、女性と話したり触れ合うのが大好きなだけなんだよね。浮気だなんてとんでもない、ただの出来心なんだよ? ……全員『ハニー』だし、名前どころか他の何にも興味はなくて、ただただ正直な感情が起こす一夜なんだけどなぁ」


 いや、最低か???


「大丈夫だよ、娘1。エマには私が若い頃に書いた詩でも送っておこうと思う。きっと彼女は私の恥ずかしい秘密を手に入れたと大喜びして茶化しにくるだろう」
「お父様が、人名苦手なの分かってますけど。せめてグレイスくらい覚えませんか? 2文字が限度ですか?」
「うん……ごめんね? お前の妹は2文字のミドルネームを付けられてよかったよ。お前に関しては、お婆様の実家がアレコレ言って長くなっちゃったから苦肉の作なんだよね、『最初の娘』とか『うちのご令嬢』とかバリエーション貧困ってお前が言うから、今回父様もちょっと捻ってみました」


 反応待ちがなんてウザいんだろう……。


「ほんと、それでよく仕事できますね」
「価値が生まれると父様覚えちゃうみたい」


 私には価値がないと?!?!


「あ、今のは言葉の綾だよ? お前は第一王子様と婚約中の最高に価値高い娘さ! ただ、間違えて嫌な思いさせるよりは、この人苦手なんだねって方が許してもらえそうじゃないか、それに可愛いってモテるしね」
「……そ、れ、で! お父様はどうして早く帰られたんですか?」

 父とのどうでもいい話を打ち切り、本来の目的へと誘導すれば相手も乗ってくる。
 この辺りの引き時を外さないのがモテ男の秘訣なのだろうか。

「あぁ、それね。王妃様がお前の誕生会にいらっしゃるんだよ。あ、勿論、父様も流石に王妃様には手を出さないよ? 父様、こうみえて友達は大事にするタイプなんだ。友の嫁には手を出さない」

 キリっと顔を引き締める男に冷たく返す。

「そうですか」
「殿下と一緒に来られるから、ちょっと早く着くだろうなぁと思ってね。父様も一応出迎えの用意をと思って、早めに戻ったんだ」

 殿下とは第一王子にして私の婚約者コンクエスト公アレクサンダー・カール・ジェームズ・メープルワイト。人呼んでプリンス・オブ・コンクエスト――別名カエル王子だ。

 比喩でも何でもない、本当にカエルである。

 どこからどう見ても、誰が見ても両生類な蛙人間で蛙が服を着て人語をしゃべっている。
 彼の両親はキラッキラの金髪に晴れた空色の瞳をしているので、きっと彼も本来は期待できる姿をしている可能性もなきにしもあらずで。

 ただ、なぜカエルなのかどうしてカエルなのかは――興味もなければ暇もなかったので知らない。噂だけは飛び交っていたのでたくさん知っている。

 まぁ総じて呪われてでもいるのだろう。
 ちなみに同い年である。

「お父様、何度も言わせていただきますけど、結婚は嫌です。同じ家名ですし、妹に譲りたく存じます」
「そんな可哀想な事を言ってはダメだよ。それにお前は父様の血を分けた子だ」

 かつてこの言葉に感動を覚えたこともあった。
 だが、この先の言葉を私は知っている。

「父様と同じくらい遊び方も覚えられるさ」


 そうですね。
 心根が天使なフローレンスには無理でしょうね、ええ、分かってますよ。
 まぁいい、目的は果たした。ミランダは先ほどの予見が当たったと思っている事だろうし?
 今までとは別ルートを歩む意味でも、フローレンスの精神救済行動に移るとしよう。


「お父様、私の誕生日の宴ですが、取りやめる方向でお願いします」
「え? 今更???」

 驚く父。
 無理もない、この宴はシャーロット・グレイスの人生最大のイベントだと騒ぎに騒いで贅を凝らしてきた。
 いっそ取りやめる方が金がかかる可能性だってある。

 だが、この宴はまさに貴族の闇が集まっていた。 父の浮気相手が正妻面で場を取り仕切り、母の欠席事由もその女の存在が故に仮病疑惑を強め、王子への陰口に妹が耐えかねて割り込むも相手は第二王子の婚約者、第一王子と第2王子の確執は深まり、王妃が倒れ毒殺騒ぎ。

 その後の展開は、母の病悪化や浮気相手殺害に自殺、妹の方でも流言飛語を苦に家出に自殺、中には毒殺犯にされた事だってあった。
 ちなみに国としても第一王子の廃嫡やらなんやらあったが――そこは私には関係ないと思うのであまり気にしていない。

 恐らく宴を取りやめても避けられないのは母の病だけだろう。

「人生最大イベントだから盛大に執り行いたいって言ってたじゃないか? どうしたんだい? 父様が相談に乗れる事なら聞くよ?」
「私にも色々あるのです。相談は浮気お父様の取り成しついでに、お母様にします。仲修復に尽力するので、宴中止でお願いできませんか?」

 とは言うものの、この宴を取りやめようとした事はコレが初ではない。
 なぜなら――。


「旦那様っっ!!!! 馬車がっっ、王子殿下の馬車が!!!」

 飛び込んで来たのは我が家の御者である。

「……早いね」

 そう、父の言う通りだ。
 次のターンが早すぎて、その直前に話していた子供のお願いなど聞き分けのない子の駄々扱いになるのだ。
 父はさっさと外へと向かう。


 待って待って待って!!!!


「待って、お父様! 宴中止を決めてからにしてっっ」
「ハハハッ、それは無理かなぁ」

 正門からまっすぐにやってくる2頭引きの馬車は、黒塗りで王家の紋章が入っている。


 どうするどうするっ。
 このままじゃ、折角の新ルート開拓も元に戻される可能性が……っ。


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