矢車菊の花咲く丘で

六道イオリ/剣崎月

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 卒業式当日――在校生だけで行われる式が終わり、講堂から出ると、

「姫さま」
「その声は、お前なの?」
「はい」

 綺麗に撫でつけられた黒髪に、帝国の礼服と思しき、サファイアに似た美しい青を基調とした、仰々しい服を着用したトリスタンが声をかけてきた。

「ちゃんとした服、持ってるのね。あと髪もまとめることができたのね」
「俺もびっくり」
「なんでお前がびっくりするのよ。まあ、お前らしいけれど。ああ、少し屈みなさい。襟がかしいで無様から、わたくしが直してあげるわ」
「姫さまに直していただけるとは」

 トリスタンは中腰になり、カサンドラに顔を近づけてきた。カサンドラはその象牙色の頬に手をそっと添えてから、襟を直してやった。
 カサンドラの視界の端にフレデリカの手を取りながら、カサンドラのほうを見て驚く
エーリヒが見えたのだが、

(あの男、なんでおどろいているのかしら? もしかして、自分がエスコートを断ったから、わたくしが会場に来ないとでも思ったのかしら?)

 エーリヒに特に声を掛けることもなく、トリスタンにエスコートされながらすぐにパーティー会場であるホールへと向かう。

「準備は整ったの?」

 カサンドラは総黒檀製の扇を三分の一ほど開き、わざとらしく口元を隠してトリスタンに尋ねる。

「パーティー開始直後に動き出す段取りだ」
「そう。そう言えばあの似顔絵師も、会場に来ているのね」

 カサンドラが会場入りしたときには、すでにカエターンとメリザンドは会場入りしていた――彼らは卒業式にはなんら関係ないので、まっすぐこのパーティー会場へと足を運んでいたため、カサンドラよりも先に会場にいたのだ。

「カエターンのパートナーという名目で」
「二人とも今日はフードを被っているのね」
「目立つから」

 神代の太陽の王家の血の濃さからくる、目も眩むような金髪を、二人とも意匠を凝らした布で作ったフードを被って隠していた。

「頭髪だけではないのだけれど」

 神代の王家の血を引いていない者はそれでが、カサンドラのように神代の別の血を濃く引いているために共鳴してしまう者にとっては、頭髪の色など些細なことだった。
 とくにこのカサンドラの隣にいる男などは――

「なにかな、姫さま」
「早くパーティーが始まらないかしらと思っているのよ。わたくしは知らない相手だったけれど、いろいろなことがあったから、これでやっとあの者アルノワが、両親の元へ帰れるのだと思うとね」
「姫さまに、そのようなお優しいお心あったの?」
「お前ねえ……あるわけ、ないでしょう。あると思ったの?」

 カサンドラはぱちんっ! と音を立てて扇を閉じた。

 パーティーの最中に、最大の証拠であるノーラ・アルノワの遺体を掘り起こし、その証拠で犯人を逮捕する。
 被害者が平民で犯人は貴族なので、出来る限り穏便に……という方向で、このような手段が執られたのだが、

「フレデリカ・ティミショアラ! 出てこい!」

 卒業パーティーが始まってすぐ、グラスを片手に在校生、卒業生が混じり歓談を始めようとしていた時に、卒業生の一人ハルトヴィンがいきなり大声で婚約者のフレデリカの名を叫び出した。

「お前、あの愚者が何をしようとしているのか、分かる?」

 カサンドラは彼女の隣に立っている、ムカデ入りの琥珀で作られたカフリンクスで飾られている、トリスタンの袖口を引っ張る。

「分かる」
「分かるの。……で、何をする気なの」
「断罪して婚約破棄するそうだ」
「……何を言っているの、お前」
「俺もあの愚者こと王子と側近たちが、夜な夜な寮から抜け出し、ひそひそと話し合っていたのを、盗み聞いただけだから。まあ、見守ってあげようよ、姫さま」
「知っていたのなら、教えなさいよ」
「別にいいかなと思って」

(ノーラの遺体を掘り出すタイミングだと知っているのに……)

 卒業パーティーは学園の卒業生の家族や類縁なども招待される。パーティー会場には、卒業生の一人であるハルトヴィンの生母の実家――隣国の大使も出席していた。
 もちろんバーズグレイズ国王も。
 そんな彼らもハルトヴィンが何をしようとしているのかは分からないようで、虚を突かれたといった表情を浮かべていた。

 ハルトヴィンは傍らに男爵令嬢のナディアを、反対隣には護衛のデュドネ、そして男爵令嬢のうしろに側近のジョスラン。

「早く出てこい! フレデリカ!」

 苛立ちを隠さず叫ぶハルトヴィンに、要人警護たちが一斉に警戒レベルを引き上げる。

 そして国王たち――息子、あるいは甥がおかしなことをしでかしそうだが、彼らは動かなかった。
 驚いて動けないのではなく、何ごとが起こるか分からないので、警護が彼らの周囲を固めたので、動けなかったのだ。

 警護というのは、そういうもので――イレギュラーな騒ぎが起こった場合、視線を集めている人物たちとは、違う方向に注意を払い、警護対象に動かぬよう指示を出す。

 ただ急いで会場を立ち去るほどではないと、ハルトヴィンの伯父にあたるオルフロンデッタ国王は視線を向けただけ。

 念のために身辺警護の視線を受けた、会場内にいる警護の数名が、脱出の準備を始める。

 静まり緊張に包まれた会場で、ハルトヴィンはエーリヒにエスコートされてやってきたフレデリカに、ナディアを虐めたのを恥じろ、そして婚約破棄すると叫んだ。

「あの愚者、もう悪酔いしているのかしら? パーティーは始まったばかりなのだけれど」
「もともと、自分に酔ってるヤツだからなあ」

 訳の分からないことだが、武力などが使われる気配がないので、要人警護たちはこの茶番を黙って見守る。

 フレデリカは「そんなことはしておりません……」と弱々しく意見を述べるものの、ハルトヴィンは聞き入れなかった。

「会場から出て行け!」

 ”このわたくしの背筋に悪寒が走るほど、おそろしく馬鹿なことをしている”と思い眺めていたカサンドラだったが、ハルトヴィンの最後の台詞に眉をひそめる。

「いま出ていかれたら、困るわよね」

 フレデリカとハルトヴィン、そしてエーリヒのことなど、カサンドラはどうでもよかった。だがこの騒ぎで、会場から人が出ていかれると困る――更に内容も、国の行く末に関わることなので、会場に居る者たちが一斉に散らばることになる。

「困るな。せっかく人の動きが制限できるから、このタイミングで掘り起こすことにしたんだから」

 床に座り込んでしまったフレデリカの肩を抱き、立ち上がらせようとしているエーリヒ。その姿を見て、オデットがにやにやと嗤い――ロザリアも似たような笑いを浮かべ、こっそりと二人を指差す。

(ひどい顔。まあわたくしも、当事者でなければ、嗤いますけれどね)

「あの二人、言われた通りに退出すると思う?」
「そりゃあ、王太子殿下の御言葉だから下がる……もんなんじゃないの? うちの国でこういうこと起こったことないから分からないな」

 トリスタンがにやつきながらカサンドラに顔を近づけ、小首を傾げる。よくもここまで上手に馬鹿にした態度ができるなと感心するほどだが、このトリスタンの態度でも、ハルトヴィンは足りないほどの馬鹿をしでかしていた。

「どこの国でもないと思うわ……掘り返しは、まだ時間が掛かるのかしら?」
「始まったばかりだ。ただ掘り返すだけなら、五分も必要ないが、証拠品が破損しないよう、遺体が傷付かないよう注意を払い確認しながらだから、通常より遙かに時間がかかる」
「そういうこと……仕方ないわよね?」
「仕方ないだろうな」

 エーリヒに体を預けるようにして立ち上がったフレデリカの顔色は、血の気が完全に引いていた。
 そしてフレデリカをそっと守るエーリヒの姿は、誰が見ても親しい間柄――カサンドラは視線を感じてそちらに目をやると、フレデリカの叔父ティミショアラ公が深々と頭を下げた。

「婚約者殿が、よその女の肩を抱いているがいいの」

 言いながらトリスタンはカサンドラの肩に手を置こうとしたので、カサンドラは持っていた扇で、手の甲に太陽を図案化した刺繍が施されている手袋をはめた手を弾く。

「どうでもいいことくらい、お前なら知っているでしょう」
「それはまあ」
「お前。わたしとエーリヒの婚約がなくなったら嬉しい?」
「それはもう。俺は実だけよりも、名実ともに欲しいタイプなんで。姫さまはご存じでしょう」
「そう。じゃあ、協力なさい」
「はい、姫さま。お望みのままに」

 トリスタンが手を叩き――衆目がカサンドラたちに集まり、国王たちの警護が、先ほどまでとは桁違いに険しい表情となり、緊張を見せた。
 そんな警護を無視し、カサンドラは扇を開いて口元を隠して微笑さげすんだ――

「お前たち、ここは卒業を祝うパーティー会場よ。そんな晴れがましい場所で、こんな醜態をさらして恥ずかしくないのかしら、ハルトヴィン」

 壇上にいてフレデリカを責め立てていたハルトヴィンは傲慢だった。だがカサンドラはもっと傲慢だった――ハルトヴィンの傲慢は後天的なもの、即ち教育によってもたらされたものだが、カサンドラの傲慢は生まれついてのものだった。

「ライヒシュタイン、口を慎め!」

 ハルトヴィンではなく、護衛のデュドネが叫ぶも、

「お前が口を慎んだほうがいんじゃないのか? 俺はお前よりずっと強いぞ」

 トリスタンに言われたデュドネは言い返すことができず、握り拳に力を込めながら歯を剥き出しにする。

「下品な顔だわ。まあいいけれど。いろいろな思惑があるのでしょうけれど。そこにいる宰相の養子」

 カサンドラは激昂するデュドネを無視し、ハルトヴィンの後に控えているジョスランに声をかけた。

「ジョスラン・ギヌメールです」
「お前の名前なんて、わたくしにとってはどうでもいいわ。ねえ、宰相の養子。これで満足かしら?」
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