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収穫祭と訪問客
人はどこまでいっても無知だ:a funeral
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昼食を食べてから、忙しかった。
数千人近い人たちが香流しをしているため、時間がかかる。それこそ、数時間近い。むしろ、数千人で数時間で済むのだから、ペースはかなり早い方だろう。
その数時間の間、既に香流しが終わった人や、まだ香流しまで時間がある人たちが小麦を刈っていた。
喪服を着た人たちが、シトゥラさんが眠る棺からラート街まで一直線に伸びるように広がり、黄金の小麦を刈り取る。
それから稲架にも似た木の枠組みに刈り取りある程度まとめた小麦の束をひっかけて乾燥させていく。
普段農業に従事していない主婦や男衆、あと冒険者たちや商人の一部といった人たちも最初は慣れていない様子だったが、アランや他の農業従事者たちが指導したおかげか、たった数時間でかなりの腕前になっている。
それが数千人近く。魔法で刈り取ったりもしているためか、それが茜に染まるころにはラート街近くの小麦のほとんどが刈り取られ、束にされ、乾燥させられていた。
圧巻だった。
俺は分身体でその小麦の刈り取りを手伝い、また俺自身は夜に行われる大規模な献杯の料理を手伝っていた。
小さい体でも、料理はそれなりにできるからな。まぁ、それでも力がいる部分は大人たちに任せているが。
ロイス父さんたちは収穫された小麦を急いで計測し、どれくらいの小麦を出荷するか、貯蔵するかなど色々と慌てて計測と計算をしていた。
もともと、小麦の収穫は二週間近くかけて行うつもりだったらしいからな。それを半日で短縮したのだ。
そういう意味では人海戦術は恐ろしいまでである。
そうして黄昏。この世とあの世が曖昧になる、刹那のひと時。
香流しは佳境を迎えていた。
黄金の小麦のほとんどが刈り取られ、広々となった農地。小麦の足だけが残り、低く広がる黄金は少し寂しい。
そこに汗と疲労と神妙な心に満たされた喪服を着た人たち。手には無属性魔法の〝光球〟を模した魔道具を握りしめ、見上げる。
見上げる先は夕日が沈むアダド森林に伸びる天翔ける川。その川を流れる聖雪鳥の籠から淡く灯る清魔香蝋の灯。灯籠。
まるで、祈りがあの世へ消えていくかのように幻想的だった。
そして俺たちはシトゥラさんが眠る水の棺の前に立っていた。
目の前にはシトゥラさんのお嫁さんであるヒュエトスさんと、彼らの家族と思しき人族の大人たちがいた。
ただ、見た感じもだが、血はつながっていない様に思えた。だけど、今は関係ない。
「……ロイス様。アテナ様。ありがとうございます。このような素晴らしい、多くの人が集まってシトゥラを弔ってくださった葬式を準備してくださり、本当にありがとうございます」
想像通り、とても澄んだ水色の瞳を伏せながら、ヒュエトスさんは雫のようにか細く、それでいて透き通った声音で感謝を述べる。
「僕たちはシトゥラさんにとてもお世話になった。僕たちだけじゃなくて、多くの人たちが」
「私たちだけが準備したわけではない」
そう言いながらも、火を灯した清魔香蝋を入れた聖雪鳥の籠を持ちながら、ロイス父さんたちは頷く。
「けど、どういたしまして」
「受け取るわ」
それからロイス父さんとアテナ母さんは少し寂しそうに微笑む。
「こちらこそ、僕たちにシトゥラさんを弔わせてくれてありがとう」
「あなた一人でもよかったのに」
……どういうことだろう? 一般的な意味か?
ロイス父さんとアテナ母さんの言葉に少し疑問を持つ。だが、流石にこの場で尋ねることはできないので口をつぐんでおく。
そして、何度かロイス父さんたちとヒュエトスさんたちが言葉をかわす。特にアランは何度もヒュエトスさんと言葉を交わしていた。
それから水の棺に眠るシトゥラさんに一言、二言ほど言葉をかける。
そして、空のほとんどが藍色に染まり、黄色がかった淡紅が地平線だけに広がった時。
「じゃあ、流そうか」
ロイス父さんのその言葉とともに、俺たちはそれぞれ手に持っていた灯籠を水の棺の足元から流れている天翔ける川へと流す。
それはどんどん夜空へと舞い上がり、淡く、まるで生まれたての幼い星のように夜空を照らす。
川の水底に反射して、少しだけぼやける。
そして、最後にヒュエトスさんと家族の人たちが灯籠を流した後。
「ありがとう、シトゥラ」
水の棺に眠るシトゥラさんの額に軽くキスをしたヒュエトスさんは、淡く澄んだ魔力をうねらせる。
「では、失礼します」
「うん」
「ええ」
ロイス父さんたちに頭を下げたヒュエトスさんは、何とも言えない表情……哀しさと寂しさと優しさに満ちたような表情をし、美しい瞳から一滴の涙を流した。
同時に、チラリと俺の方を見て、
「……セオくん。きみの蝶、綺麗だったよ。ありがとう。だけど、最後に送るのは私だから。私だけのものだから」
そういった。
瞬間。
ヒュエトスさんが無数の水の蝶に変わろうとする。徐々にその清らかな水の髪から順に、無数の水の蝶が羽ばたき、ヒュエトスさんが消えていく。
そしてヒュエトスさんが完全に消え、数えきれないほどの水の蝶が舞い、シトゥラさんが眠る水の棺を覆ったその時。
「あ」
水の蝶に包まれ、誘われながら、シトゥラさんが眠る水の棺が天翔ける川を流れ始めた。
直ぐに天高く舞い流れ、夜空に瞬く灯籠たちに囲まれ、天翔ける川を流れていくまたそれらが通り過ぎた後、天翔ける川は霧の様に散り、消えていく。
そうして、数分も経たないうちに灯籠も、水の棺も、水の蝶も、天翔ける川も、アダド森林の奥へと消えてしまった。
夜が降りた。
Φ
「精霊は……妖精はさ、命の考え方がかなり違うんだよ」
「ですから、その子である私たち妖人族もその価値観を受け継いでいることが多いんです」
献杯。
ヒュエトスさんはいない。
残された家族の人たちは特に親しかった人たちに挨拶しに周っている。
夜空の下。数時間前まで黄金の小麦が実っていた広大な畑で、喪服を着た人たちがどんちゃん騒ぎをしていた。
急ごしらえのため、料理の方はあまり充実していないが、何故かお酒は余るほどあるらしい。
今日、葬式に参加した人の半分以上が献杯に参加しているが、まぁ足りない料理をお酒で補ったせいか、ただの宴に変わっている。
ロイス父さんたちはそんな宴で問題が起きないように走り回っている。エドガー兄さんやユリシア姉さん、ライン兄さんはそんな宴の中に紛れ込んでいる。
同年代の友達と話しているのだろうか?
いつの間にか三人とも消えていたからな。この人数と広さだから、三人の魔力を正確に把握するのも難しいし、それに把握する理由もあまりない。
なので、俺は一人ぼーっと宴を眺めていたのだが、それを見かねたソフィアとルルネネさんが俺に構ってくれているというわけである。
にしても自由ギルド長と放浪兵団副団長っていう珍しい組み合わせだなとは思うのだが、まぁ俺が知らないだけで二人とも仲がいいのだろう。
「それってルルネネさんも?」
そう思いながら、俺はルルネネさんに首をかしげる。
灰の精霊の子を祖に持つ妖人族、灰霊族であるルルネネさんは首を横に振る。
「灰の精霊は人間に近いところで生まれたため、価値観は人間に近いです。そこらへんは千差万別ですね」
「そうなんだ」
俺は頷く。それから、ポツリと尋ねる。
「ヒュエトスさんは帰ってくるの?」
「……どうだろうね」
ソフィアが首を横に振った。
「シトゥラの肉体が朽ちて、アダド森林の一部となって、草花を芽吹かせ、そして朝露を実らせて……やがて大きな雫を垂らしたとき、ヒュエトスはそのそばを離れるだろうけど……それがいつかは分からない。数週間かもしれないし、数年かもしれない、数百年かもしれない」
「ヒュエトスさんは雫の精霊の直系の子ですから、寿命は数千年以上ありますしね。分かりません」
「……そうなんだ」
だからか。
たぶん、ヒュエトスさんにとってシトゥラさんの死を弔うことは、自分だけのものだったんだろう。誰にも弔わせない、そういうもの。
だけど、俺たちに合わせてくれた。葬儀という形をとってくれた。
だから、ロイス父さんたちはああ言ったんだろう。
疑問を一つ解消し、納得しながらも、俺は溜息を吐いた。
何で、それを俺はもっと前から知ろうとしなかったんだろう。
数千人近い人たちが香流しをしているため、時間がかかる。それこそ、数時間近い。むしろ、数千人で数時間で済むのだから、ペースはかなり早い方だろう。
その数時間の間、既に香流しが終わった人や、まだ香流しまで時間がある人たちが小麦を刈っていた。
喪服を着た人たちが、シトゥラさんが眠る棺からラート街まで一直線に伸びるように広がり、黄金の小麦を刈り取る。
それから稲架にも似た木の枠組みに刈り取りある程度まとめた小麦の束をひっかけて乾燥させていく。
普段農業に従事していない主婦や男衆、あと冒険者たちや商人の一部といった人たちも最初は慣れていない様子だったが、アランや他の農業従事者たちが指導したおかげか、たった数時間でかなりの腕前になっている。
それが数千人近く。魔法で刈り取ったりもしているためか、それが茜に染まるころにはラート街近くの小麦のほとんどが刈り取られ、束にされ、乾燥させられていた。
圧巻だった。
俺は分身体でその小麦の刈り取りを手伝い、また俺自身は夜に行われる大規模な献杯の料理を手伝っていた。
小さい体でも、料理はそれなりにできるからな。まぁ、それでも力がいる部分は大人たちに任せているが。
ロイス父さんたちは収穫された小麦を急いで計測し、どれくらいの小麦を出荷するか、貯蔵するかなど色々と慌てて計測と計算をしていた。
もともと、小麦の収穫は二週間近くかけて行うつもりだったらしいからな。それを半日で短縮したのだ。
そういう意味では人海戦術は恐ろしいまでである。
そうして黄昏。この世とあの世が曖昧になる、刹那のひと時。
香流しは佳境を迎えていた。
黄金の小麦のほとんどが刈り取られ、広々となった農地。小麦の足だけが残り、低く広がる黄金は少し寂しい。
そこに汗と疲労と神妙な心に満たされた喪服を着た人たち。手には無属性魔法の〝光球〟を模した魔道具を握りしめ、見上げる。
見上げる先は夕日が沈むアダド森林に伸びる天翔ける川。その川を流れる聖雪鳥の籠から淡く灯る清魔香蝋の灯。灯籠。
まるで、祈りがあの世へ消えていくかのように幻想的だった。
そして俺たちはシトゥラさんが眠る水の棺の前に立っていた。
目の前にはシトゥラさんのお嫁さんであるヒュエトスさんと、彼らの家族と思しき人族の大人たちがいた。
ただ、見た感じもだが、血はつながっていない様に思えた。だけど、今は関係ない。
「……ロイス様。アテナ様。ありがとうございます。このような素晴らしい、多くの人が集まってシトゥラを弔ってくださった葬式を準備してくださり、本当にありがとうございます」
想像通り、とても澄んだ水色の瞳を伏せながら、ヒュエトスさんは雫のようにか細く、それでいて透き通った声音で感謝を述べる。
「僕たちはシトゥラさんにとてもお世話になった。僕たちだけじゃなくて、多くの人たちが」
「私たちだけが準備したわけではない」
そう言いながらも、火を灯した清魔香蝋を入れた聖雪鳥の籠を持ちながら、ロイス父さんたちは頷く。
「けど、どういたしまして」
「受け取るわ」
それからロイス父さんとアテナ母さんは少し寂しそうに微笑む。
「こちらこそ、僕たちにシトゥラさんを弔わせてくれてありがとう」
「あなた一人でもよかったのに」
……どういうことだろう? 一般的な意味か?
ロイス父さんとアテナ母さんの言葉に少し疑問を持つ。だが、流石にこの場で尋ねることはできないので口をつぐんでおく。
そして、何度かロイス父さんたちとヒュエトスさんたちが言葉をかわす。特にアランは何度もヒュエトスさんと言葉を交わしていた。
それから水の棺に眠るシトゥラさんに一言、二言ほど言葉をかける。
そして、空のほとんどが藍色に染まり、黄色がかった淡紅が地平線だけに広がった時。
「じゃあ、流そうか」
ロイス父さんのその言葉とともに、俺たちはそれぞれ手に持っていた灯籠を水の棺の足元から流れている天翔ける川へと流す。
それはどんどん夜空へと舞い上がり、淡く、まるで生まれたての幼い星のように夜空を照らす。
川の水底に反射して、少しだけぼやける。
そして、最後にヒュエトスさんと家族の人たちが灯籠を流した後。
「ありがとう、シトゥラ」
水の棺に眠るシトゥラさんの額に軽くキスをしたヒュエトスさんは、淡く澄んだ魔力をうねらせる。
「では、失礼します」
「うん」
「ええ」
ロイス父さんたちに頭を下げたヒュエトスさんは、何とも言えない表情……哀しさと寂しさと優しさに満ちたような表情をし、美しい瞳から一滴の涙を流した。
同時に、チラリと俺の方を見て、
「……セオくん。きみの蝶、綺麗だったよ。ありがとう。だけど、最後に送るのは私だから。私だけのものだから」
そういった。
瞬間。
ヒュエトスさんが無数の水の蝶に変わろうとする。徐々にその清らかな水の髪から順に、無数の水の蝶が羽ばたき、ヒュエトスさんが消えていく。
そしてヒュエトスさんが完全に消え、数えきれないほどの水の蝶が舞い、シトゥラさんが眠る水の棺を覆ったその時。
「あ」
水の蝶に包まれ、誘われながら、シトゥラさんが眠る水の棺が天翔ける川を流れ始めた。
直ぐに天高く舞い流れ、夜空に瞬く灯籠たちに囲まれ、天翔ける川を流れていくまたそれらが通り過ぎた後、天翔ける川は霧の様に散り、消えていく。
そうして、数分も経たないうちに灯籠も、水の棺も、水の蝶も、天翔ける川も、アダド森林の奥へと消えてしまった。
夜が降りた。
Φ
「精霊は……妖精はさ、命の考え方がかなり違うんだよ」
「ですから、その子である私たち妖人族もその価値観を受け継いでいることが多いんです」
献杯。
ヒュエトスさんはいない。
残された家族の人たちは特に親しかった人たちに挨拶しに周っている。
夜空の下。数時間前まで黄金の小麦が実っていた広大な畑で、喪服を着た人たちがどんちゃん騒ぎをしていた。
急ごしらえのため、料理の方はあまり充実していないが、何故かお酒は余るほどあるらしい。
今日、葬式に参加した人の半分以上が献杯に参加しているが、まぁ足りない料理をお酒で補ったせいか、ただの宴に変わっている。
ロイス父さんたちはそんな宴で問題が起きないように走り回っている。エドガー兄さんやユリシア姉さん、ライン兄さんはそんな宴の中に紛れ込んでいる。
同年代の友達と話しているのだろうか?
いつの間にか三人とも消えていたからな。この人数と広さだから、三人の魔力を正確に把握するのも難しいし、それに把握する理由もあまりない。
なので、俺は一人ぼーっと宴を眺めていたのだが、それを見かねたソフィアとルルネネさんが俺に構ってくれているというわけである。
にしても自由ギルド長と放浪兵団副団長っていう珍しい組み合わせだなとは思うのだが、まぁ俺が知らないだけで二人とも仲がいいのだろう。
「それってルルネネさんも?」
そう思いながら、俺はルルネネさんに首をかしげる。
灰の精霊の子を祖に持つ妖人族、灰霊族であるルルネネさんは首を横に振る。
「灰の精霊は人間に近いところで生まれたため、価値観は人間に近いです。そこらへんは千差万別ですね」
「そうなんだ」
俺は頷く。それから、ポツリと尋ねる。
「ヒュエトスさんは帰ってくるの?」
「……どうだろうね」
ソフィアが首を横に振った。
「シトゥラの肉体が朽ちて、アダド森林の一部となって、草花を芽吹かせ、そして朝露を実らせて……やがて大きな雫を垂らしたとき、ヒュエトスはそのそばを離れるだろうけど……それがいつかは分からない。数週間かもしれないし、数年かもしれない、数百年かもしれない」
「ヒュエトスさんは雫の精霊の直系の子ですから、寿命は数千年以上ありますしね。分かりません」
「……そうなんだ」
だからか。
たぶん、ヒュエトスさんにとってシトゥラさんの死を弔うことは、自分だけのものだったんだろう。誰にも弔わせない、そういうもの。
だけど、俺たちに合わせてくれた。葬儀という形をとってくれた。
だから、ロイス父さんたちはああ言ったんだろう。
疑問を一つ解消し、納得しながらも、俺は溜息を吐いた。
何で、それを俺はもっと前から知ろうとしなかったんだろう。
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