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早春

ようやくセオは知ろうとした:glimpse

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「……チッ」

 俺は思わず舌打ちをしてしまう。そうでもしないとこの苛立ちを抑えきれないからだ。

 治癒魔術で何度も何度も傷を癒しているのにも関わらず、変な魔力が纏わりついているせいで、塞いだ傷がすぐに開いてしまう。それはレモンも同様で、苦々し気な表情をしている。

「ねぇ、ねぇ、ねぇ、セオ!? レモン!? どういうことなの!?」

 てっきり俺とレモンに任せていれば治ると思っていたライン兄さんは、癒しの光に包まれても、何度も何度も傷が塞がっては開いている一進一退の様子に狼狽える。

「落ち着け、ライン」
「そうよ、セオに任せておけば大丈夫よ。だから、落ち着きなさい」
 
 そしてその狼狽えようはとてもひどい。冷水の川に飛び込んだ時よりも、真っ青になっていて、体から命の点滅のように翡翠の魔力が漏れでている。しかも、それはとても不安定だ。

「でも、でも!」
「……しょうがない」

 翡翠の瞳は明らかに正気を保っておらず、錯乱した様子にエドガー兄さんはため息を吐き、ライン兄さんの首をトンとして意識を奪った。

 へぇ~、エドガー兄さんって首トンできるんだ……と現実逃避気味にそれを思い浮かべながらも、いくつかの魔術展開を停止し、“研究室ラボ君”に変な魔力の解析をしてもらう。

「レモン」
「分かっています」

 だが、状況はさらに悪い。しかも、この白蛇に纏わりついている魔力が、上空に現れたのだ。

 ユリシア姉さんとエドガー兄さんが、冷えた体を無理やり鞭打って立ち上がって警戒しているが、それでも芳しくないだろう。

 だからといって、レモンがこの場を離れれば確実にこの白蛇は命を落とす。ライン兄さんのあの反応から、並々ならぬ事情があるはずだ。命を落とされるのはまずい。

 それに、ライン兄さんには笑ってもらいたいし。

「どうしたものかな……」

 既に膨大な魔力を放って、アテナ母さんたちに救難信号を送っているが、それでも向こうは向こうでアダド森林に――

「あ」

 ――と、思った時。

「エドガー、ユリシア!」
「レモン、どういうことだい!?」

 空中へ飛び上がり、どす黒い魔力を纏った巨大鳥に立ち向かったエドガー兄さんとユリシア姉さんを庇うようにアテナ母さんが。

 白蛇を治癒している俺たちのすぐ横にロイス父さんが転移してきた。

「この白蛇の治癒を! あと、瘴気です!」
「なるほど、アテナ!」
「ええ!」

 それを一瞬で確認したレモンは、端的に状況を説明し、ロイス父さんとアテナ母さんはそれよりも短い意思疎通をする。

「セオ、貸しなさい」

 そして二人は入れ替わるように一瞬で転移し、アテナ母さんは白蛇を恭しく抱きしめ、優しい神聖な魔力を包ませる。

 また、ロイス父さんはフラリとしていたエドガー兄さんとユリシア姉さんを抱きかかえ、どす黒い魔力を纏った巨鳥に向かって神聖な魔力を放つ。

 すると、共に纏っていた変な厭な魔力が消え去り、白蛇は安定して回復し、巨鳥はハッと驚いたように啼き、ロイス父さんによってそっと地面に降ろされたエドガー兄さんたちを我が子のように包み込んでいく。

「……セオ、瘴気相手によく治癒したわね。偉いわ」
「……瘴気って何?」
「その前に事態の収拾が先ね」
「……分かった」

 そして俺たちは、その後やってきたソフィアやほかの冒険者たちと共にラート町に帰ったのだった。


 Φ


「容態は落ち着いているよ」
「そう」

 熱が出てしまったライン兄さんは自室にて寝かされている。それを確認したロイス父さんはリビングへと降りてきた。

「……結局、あれはどういうことなの?」
「……そうね」

 白蛇は今もアテナ母さんの手元で大事に抱かれている。一定のテンポで神聖魔力を注がれていて、こっちの容態もだいぶ安定してきた。

 ソファーに座っているアテナ母さんは、そんな白蛇を人差し指で優しく撫でながら、暖炉の炎を見る。

 その近くではエドガー兄さんとユリシア姉さんが肩を寄せ合いながら寝息を立てていて、レモンが二人に毛布をかけていた。

「まずは、死之進行デスマーチについて話しましょうか」
「……死之進行デスマーチって、四、五年に一度アダド森林から魔物が溢れるっていう」
「ええ、本当は二、三年に一度のペースなのだけれども、結界で無理やり抑えているの」

 ロイス父さんがアテナ母さんの隣に座った。

「けど、何で魔物が急激に増加してアダド森林から溢れるかは、一般的に知られてないんだ」

 一般的に、ということは、つまり一般的でない人は知っている。そして俺の目の前にいるロイス父さんたちは一般的という常識からはかけ離れている存在だ。

 そして、直感的にその原因に思い至った。というか、これだけの状況証拠が残っているのだ。思い至らない方がおかしい。

「……もしかして、あの瘴気って言っていた変な魔力?」
「うん、そうだよ」

 ロイス父さんが鷹揚に頷く。

「じゃあ、あの瘴気って何? 何で神聖魔力じゃなきゃ……」
「ああ、やっぱり気が付いていたのね」
「だって、その白蛇にも、あと外にいる巨鳥にも纏わりついていた瘴気を神聖魔力で祓っていたでしょ?」
「ええ」

 そして今も神聖魔力を注いでいる。巨鳥の方は成体であり、瘴気に冒されていた時間も短かったらしく、アランの介抱だけで済んでいるため、外でゆっくりと羽を休めている。

 と、エドガー兄さんとユリシア姉さんに毛布をかけ、楽な体勢で眠れるように、もう一つの方のソファーへ二人を移動させたレモンが暗い顔でこっちへやってきた。

「ロイス様、アテナ様、本当に申し訳ございません」
「うん。分かった。……けど、あんまり自分を責めないで」
「そうよ、運が悪かっただけなのだから」

 そういえば、レモンも神聖魔力を持ってたよな。でも、あの時……いや、そもそもその前から……

「ですが、予想はできていたことです。それに対して何も対策せずに出向いてしまった事が何より……も」
「それでもだよ。そもそも、瘴気の発生は春の終わりごろっていう見解を出した僕の方が悪いのだしね」
「あら、それを言ったら演算した私もかしら」

 二人はクスリと苦笑する。

「まぁ、けど、うん。その謝罪は受け入れるよ。それにみんな無事だったんだし、終わったことについてとやかく言うのもね」
「そうね。それよりも、今後の対策を練らなくてはいけないわ。そのために、レモンには精一杯働いて貰うわよ」
「……かしこまりました」

 働くなんて一番嫌いそうな言葉なのに、レモンは本当に感謝するように頭を下げた。それと同時に、ユナが温かなミルクをもってリビングへ入ってきた。

「ああ、エドガー様たちは寝てしまったのですね」
「悪いね、ユナ。二人のために作ってもらったんだけど」
「いえ。それに、皆様の分もありますし、エドガー様たちの分は……私とレモンで飲んでしまいましょう」

 間がいいというか、何というか、ユナが持ってきたホットミルクからハチミツのいい匂いが漂っていて、先ほどまでの暗い雰囲気は紛れ去ってしまった。

 そうやってユナからホットミルクを受け取り、口につけているとレモンが俺の横に座った。

「訊ねないのですか?」
「……大まかな理由は分かったし、そもそも人は万能じゃないからね」

 レモンは、俺たちの護衛以外にもユキの母親への子守唄を唄っていた。そしてその子守唄は神聖魔力による魔力波動だ。

 そして、半日ほど俺たちの護衛をしながら子守唄を唄っていたレモンの神聖魔力は、たぶん尽きたんだ。

 レモンやロイス父さんたちは、普通の魔力と神聖魔力の二つを別々に保有しているんだと思う。状況観察でそう思っただけで、キチンと確認してないし、解析していないからアレだが、たぶんあっているだろう。

 そしてレモンは普通の魔力は充足にあっても、神聖魔力は尽きていた。だから白蛇に纏わりついていた瘴気を祓うことができなかったのだと思う。

 何かをすれば、何かができなくなる。人は万能じゃない。ましてや全能でもない。万能に見える人も、万能に見せているだけで実際はできていなかったりするのだ。

 だから、それを補えなかった俺の方にも原因はあるだろう。瘴気という存在だって事前に確認することはできていたし、それ……

 ……はぁ、ライン兄さんのあんな表情を見たから少しだけナイーブになっているな。

 ふぅ。終わったことだし、アテナ母さんの言う通り次からうまくやればいい。次の対策をするのが優先だ。

「……ねぇ、それで瘴気って何で生まれるの? あと、死之進行デスマーチって実際どういう物なの? キチンと確認したい」
「……分かったわ。けど、セオ。今回の死之進行デスマーチ、アナタは見学よ。まだ年齢が年齢だし、魔術があって戦えるかもしれないけど、それでも駄目よ」

 真面目くさった表情と声音で訊ねたのが悪かったのだろう。アテナ母さんはてっきり俺が戦いに臨むために聞いたのだと思ったのだろう。
 厳しくきっぱりと、けれど心配と慈愛に満ちたアテナ母さんの声音に、俺は嬉しくなって苦笑する。

「……アテナ母さんも知っての通り、俺は戦うのが苦手だよ。それよりもサポートの方かな」
「そう。なら良かったわ」

 そうして、アテナ母さんは瘴気について話してくれた。
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