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早春

その雪降る黄金に:アイラ

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 曇天の空。

 体内時計で考えるのならば、もう少しで夕方になるだろう。

 早春だが、今日はいつもより一段と寒い。体感的に一回りくらいだろう。

「はぁーー」

 だからか、耐寒設備が整っている馬車の中でも寒さが堪え、アイラは右手に息を吹きかけた。
 
「アイラ様」

 それを見かねたリーナが急いで魔法でお湯を作り出し、それを手のひらサイズの卵型の金属の中に注いでいく。
 
 まぁつまり湯たんぽみたいなものだ。

「ありがとう、リーナ。けど、私は既に持っているし、リーナが使って?」
「……では、こういたしましょう」

 ただ、アイラは差し出されたアカサ・サリアス商会が売り出している火傷しない湯たんぽを受け取りはしなかった。
 
 こういう時、リーナが何か言ってもアイラは受け取らないだろう。

 それに今日は、バールク公爵家とのお茶会があり、しかしそこでアイラは手ひどい失敗をしてしまった。
 
 ということで、アイラは自分攻め攻めモードなのだ。自分に罰を与えたい感じなのだ。悪循環に陥ってしまうタイプである。

 赤ちゃんの頃からアイラを見ているリーナはそれが分かっていたのだろう。というか、湯たんぽを差し出す時から分かっていた。

 なので、アイラが断った瞬間に、向かい合って座っていたリーナは、アイラの右手側にするりと移動し、そしてアイラの右手を自分の左手に重ねた。
 
 内側には手のひらサイズの湯たんぽがあった。

「これなら、二人で温まれるでしょう」
「……そうね」

 アイラが観念したように、また温かく零れる微笑みを浮かべたのを見ながら、リーナはどこからともなく取り出したブランケットを一緒に羽織る。

「失礼いたします」

 が、ただ肩をくっつけるだけではあれだと思ったリーナは、アイラの肩を二回叩いた後、右の脇と左の太ももらへんに手を入れ、アイラを持ち上げた。

 そして自分の膝の上に乗せ、そのうえで抱きしめるようにブランケットを羽織った。リーナはスッポリと、まるで定位置のようにそこへおさまった。

 あったかい。

 アイラはそう思った。

 凍えていた身体が、冷たく固くなっていた心がじわりじわりと溶けていく。芯から温かい何かが湧き上がってきて、ああ、優しいな、嬉しいなと思う。

 もにょもにょした何かが「ふぅー」と吐かれた吐息からあふれ出ていた。

 そんなアイラの様子を知ってか知らずか、リーナは抱きしめたアイラの右腕をゆっくり、ゆっくり揺り篭のような優しい手つきで撫で続ける。

 何度も何度も何も言わず、撫で続ける。

 アイラはそれを感じながら、温かい気持ちで今日を思い返す。

 今日は二年前のアレから初めて公の場に出た。社交界の場へでたのだ。

 バールク公爵家の当主は父の側近であり、財務大臣もしている。

 為政者としての感性を持ち合わせてはいるが、しかしながらバールク公爵家は温和な心根を持っているのをオリバーは知っていた。

 だから、アイラの二度目の社交界デビューとして、オリバーはバールク公爵家のお茶会、つまり多くの令嬢婦人が集まる場を選んだ。

 もし、アイラが何か失敗しても上手くフォローしてくれるだろうし。

 ただそれは親の心。子供はどちらかといえば、失敗せずに完璧にやりたいと思う。父親が自分を思ってよい環境を用意してくれたなら猶更。

 怖かった。二年前に言われた言葉を思い出して怖かった。

 今も言われ続けている言葉を想って悲しかった。

 失敗したら嫌だな。もしかしたら、お父様やお母様に愛想を付かされるのではと不安が付き纏い、リーナまで愛想をつかされたらもう嫌だなと不安に駆られた。
 
 やっぱり外に出るのは怖いな。

 左手も右足も無くて、常人とは違う視界を持っていて、魔法もなんでも使える私は異端で、いらないのかな。

 嫌われるのはまだいいけど、無視は嫌だな。

 ずっとぐるぐるとそんな考えが頭の中をめぐっていた。冬にオリバーから家庭教師の話を聞いて、外に出る決意を秘めたけど、怖いのはどうしようもなかった。

 でも頑張った。

 恐怖に竦む心と体に鞭打って、王城を出た。バールク公爵家の屋敷へと行った。

 そして頑張った。気を張り、顔は分からなくても、一度聞いた名前と魔力の色を照らし合わせて会話をした。

 幸い、リーナやオリバーに加えて、母であるカティアや姉であるハティア、それに二人の兄とも朝食時に会話をしていたため、コミュニケーション自体はそこまで問題はなかった。
 
 少しだけ話すのが下手だなと思うくらいだった。

 引きこもって閉じこもりがちな七歳の女の子にしては、頑張っていて上手くいっていた方だった。小さなミスはあったけど、問題はなかった。

 けれど最後の最後で失敗した。

 アイラはそれをまだ思い出したくない。だから、ここでは述べない。
 
 けれど、主催者の娘であり、自分の小さなミスをフォローしていてくれた一つ歳が上のルーシー・バールクにとんでもない粗相をしてしまった。

 ああ、こんな私にあんな優しくしてくれたのに。少なくとも他の令嬢と違って、忌憚なく私に接してくれたのに。避けなかったのに。

 嫌われた。

 ありありとそれが分かるくらい、ルーシーの魔力の波長が変化したのだ。

 人が持つ魔力は感情によって色は変化しないが、温かみや冷たさ、そういう波長が変化することをアイラは知っていた。

 だから、粗相をした際にルーシーの魔力の波長が変化して、自分に嫌悪を向けられたのだと知った。

 もう嫌で、嫌で、閉じこもりたかったけど、一度自分が口にしたことは曲げられなくなって、凍えて固くなって冷たくなっていた。

 けれど、ああ優しいなと思う。リーナの手が優しくて、聞こえる呼吸と胸から伝わる鼓動が優しくて、少し冷たいメイド服も優しくて。

 ああ、嫌だったし、悲しかったし、苦しいし、辛いし、そして不安だけどまた頑張ろう。家庭教師であるクラリス・ビブリオ様がいらっしゃる前に、最低限の事はしておこう。

 そう思えた。

 そう思った時、アイラを抱きしめていたリーナがハッと顔を上げた。そして馬車の窓から外を見た。

「あ、アイラ様。外、外が見えますか!?」
「え、ええ。どうした――」

 リーナの視界には白が、そしてアイラの視界には――常人の色彩に直すなら――黄金が映っていた。

 しんしんと、ふわりゆらりと、小さな白が、黄金が落ちていた。

「――え? り、リーナ。あれは何なのかしら!?」
「雪です。アイラ様! アイラ様が見たいとおっしゃっていた雪です!」

 興奮したように言ったリーナは、そのままアイラをいったん自分の脇に置き、するりと寒い風が入ってくる扉を開けて馬車を降りた。

 そして数秒もかからないうちに馬車が止まった。

「アイラ様。外に出て、触れてみましょう!」
「え、ええ。……ええ!」

 御者に少しだけ止まってもらい、また馬車の後ろに乗っけていた車いすに乗せられて、アイラは外へ出た。
 
 貴族街の街中であり、一般人はあまりいなかったため街道の中心で止まっても問題はあまりなかった。
 
 それに馬車に刻まれた紋章から王家の馬車であることが分かり、問題があっても問題にはならなかった。

「わぁ! ふわぁってしてるわ! 触っても冷たくない! 直ぐに消えて溶けているわぁ!」

 リーナに押されながら貴族街の街道を動き回るアイラは、右手で振ってくる黄金を掴もうと必死になるが、捕まえても捕まえても溶けてなくなるばかり。

 リーナは、真っ白なそれこそ雪のような頬を紅潮させ、右手を空へと伸ばすアイラをほほえましく思い――

「アイラ様!」

 ――一瞬で防御結界を張った。

 そして次の瞬間、街道沿いにあった一つの屋敷で爆発が起こった。

「何がっ!」

 リーナは感知能力を全開にして、何が起こったのかを確かめる。

 と、それと同時に巡回していた騎士たちが瞬時に爆発に反応して、屋敷へと突っ込んでいく。
 
 リーナは馬車にアイラを乗せるかどうか、いま馬車に乗せて、逃げ切れるかを考える。

「アイラ様、捕まってください!」

 が、屋敷へと飛び込んだ騎士の一人が吹き飛ばされたのを見て、アイラを抱きかかえて逃げられる準備を整える。

 ついでに。

「――風は揺り篭。暖かな風は春が運ぶ。――〝風籠〟」

 吹き飛ばされた騎士を風魔法で上手に着地させた。また、全身に魔力をめぐらせて身体強化をしていく。

 そして、御者に、逃げる準備を、と声をかけようとしたとき。

――グァギャァァァァーー!

 地鳴りのような獣の叫びがと轟いた。

「ひぃ!」

 抱きかかえていたアイラがその声に顔をそむけ、リーナの胸に顔を突っ込む。

「大丈夫ですよ、アイラ様」

 リーナは優しくアイラを抱きしめて、魔力感知で捉えた魔力反応に舌打ちする。

「暴走従魔ですか。しかも、この巨体だと違法従魔ですかね!」

 爆発の煙の中から現れたのは、小さな家ほどある紅い狼。

「アイラ様、舌を噛まれないように!」
「ひゃ、ひゃい!」

 それを見た瞬間、リーナは反転。アイラを抱きかかえていない手で御者を掴み、そして駆け出した。

 紅い巨狼は、そんなリーナを、いやアイラを睨みつけた。

 やはりですか。

 その視線を感じ取ったリーナは、面倒なと思うながらも一目散に街道を突っ走る。リーナが紅い巨狼の相手をする必要はない。

 やるべき事は、紅い巨狼から逃げ切り、アイラを守ること。

 ただ、それもむなしく、アイラと御者に強い衝撃を与えないために、全速力では走れなかったリーナは、怒りに身体を滾らせた紅い巨狼に一瞬で追いつかれてしまった。

「チィッ! ――〝風籠〟」

 リーナの判断は早かった。
 
 抱きかかえていたアイラと御者を風魔法で優しく包みながら放り出し、襲い掛かる紅い巨狼の凶爪を風魔法で受け止めようとする。

「り、リーナーーー!」

 優しい緑に包まれて、飛ばされたアイラは、優しく暖かな茶色の魔力が、どす黒い紅に侵されるのを見た。

 ああ、さっきまで嬉しかったのに、神様はホント酷い。

 刹那の思考でそう思ったアイラは、しかし――

――ッッッッッッッァギャァァーー!

 ――しんしんとではない黄金の閃光がどす黒い紅を貫くのを見た。

 と、同時に。

「幼子を投げるとは何事かの」

 優しい黄金に抱きしめられた。

「あ、アイラ様! ――あ、貴方は!」

 紅い巨狼が急に閃光に撃ち抜かれて死んだのを見て驚いていたリーナは、しかしながら直ぐにアイラの方を見て、驚いた。

「ぬ? おぬしはあの時のメイドかの? おお、大きくなったの。二十歳かの?」
「え、ええ。……あれは、貴方様のですか?」
「うむ。久しぶりに王都にやってきたら、急に魔物が暴れておるからの」
「そうですか」

 アイラは二人の会話に置いてけぼりにされた思いを持って、さっきの悲壮さなど彼方へ飛ばし、リーナに訊ねた。

「あの、リーナ。どいう事なの。というか、この私を抱きかかえている方は……」
「あ、すみませ。リーナ様。……そうですね。この方は――」

 抱きかかえられていたアリアは、反転させられ、しっかりとした黄金の輪郭を、顔を見た。

 ここまではっきりと輪郭が分かるのはリーナ以外で初めてだった。

「――儂はクラリス。クラリス・ビブリオ。おぬしの家庭教師だの」

 それが黄金との二度目の出会いだった。
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