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一年

皆クズになれば俺はクズではない:this winter

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 物価が高い理由は分かった。だが、こんだけ物価が高ければ、またいるだけでお金が貰えるなら移民だってもっと多い筈だ。

 しかし、家は高ランク冒険者の誘致が成功しているだけで、そもそも外から入ってくる人たちは少ない。商人は多いが、それでも直ぐに出ていってしまう。大抵アカサ・サリアス商会の仕入れの商人が多いし。

 低ランク冒険者だって来てもおかしくはないだろうが。

 と、そんな疑問が俺の顔に出ていたのだろう。エドガー兄さんが呆れたような表情で紺色の瞳を俺に向けた。

「あのな、セオは王都に出たことがないし、ここで暮らしているから当たり前だと思うが、普通は魔物が恐ろしいものなんだ」
「恐ろしい?」
「実際はそこまで被害がなくとも、凶悪な魔物が跋扈しているアダド森林や凶悪に近い魔物が多いバラサリア山脈が近くにあるってだけで、どんなに良い環境でも住みたくない人っていうのは多いぞ。魔物に対して恐怖心を抱いている人たちはとても多いからな」

 確かに。事故物件がどんなに立地が良くて家賃が安くてもわざわざ住みたいと思う人間はマイノリティー側だ。大多数ではない。

 だから、魔物相手に自信がある高ランクだけがくる……いや、それだけでは強い理由ではない気がする。だってお金の力は偉大だし。治安が悪い町がめっちゃ治安良くなるくらいにはお金は偉大だし。使いようだ。

「それにな、普通日常生活で魔法を使う者は少ないんだよ。というかそもそも魔力量が少ない」
「うん?」

 俺は首を傾げる。

「風呂を入れるのに魔道具に魔力を注いで水を出して、火魔法や専用の魔道具でお湯にする。あらゆる水回りは魔道具が使われてる。部屋の明かりもラート町の方では明かり系の魔道具を導入してるし、生活用品なんかも魔道具が結構組み込まれている」

 そういえば、家はそもそも魔道具すらも必要なくて魔法でどうにかしているが、それでも確かに魔法は多用している部分が多い。

 それに俺が生まれたころにアテナ母さんが魔道具作りを趣味にし始めたこともあって、それに俺も魔道具を作っていることもあって、部屋の至る所で魔道具が使われるようになった。

「そうでなくても、仕事をする際にもこの町は、まだプロトタイプとかで効率が悪いとはいえ、積極的に魔道具を使っている。アカサ・サリアス商会の技術開発と提供していたりするから、試験として使っているんだが」

 エドガー兄さんは溜息を吐く。

「まぁ、何が言いたいかといえば、魔法が使うのが得意じゃなくてもここで暮らしていくには結構な魔力量が必要になるんだ」
「選別がそこで行われてるんだね」

 ……それが良い事なのかどうか、能力主義とか何とかには繋がりそうなものだが、しかし魔物という脅威がいる時点でそういう事は言っていられないんだろう。

 この世界は前世とは違って未だに、動物的に淘汰される存在を生かす社会は作れてないし。一匹狼はそのまま野垂れ死んでしまう事が多い。残酷な世界だ。

 まぁ、そんな世界を変えようとはあんまり思わないので、俺自身どうかと思ったりもするが。周りが幸せなら、後は少しだけできるものをすればいいと思ってるし。

 それに目指すはスローライフ、もとい俺がある程度束縛されずに自由にできる環境である。家族やらといった大切な人が幸せであるならば、縛りはないし、自由もある。そう言う考えを持っていると自覚しているから、ロイス父さんが行っている政策が悪いとは思えない。

 一種の完成系にも近いと思ってしまう。まぁ、アダト森林という脅威があるからこそなのだが。

「……まぁ、物価が高い理由とかは分かったよ。それで、あれだけど領地経営の修行の一環でその書類を読んでいたんだよね?」

 そう、俺が物価調整とかそんなのに気を取られたからあれだったが、そもそもエドガー兄さんはロイス父さんの書類を読み込んでいたはず。

 それを邪魔して悪かったなと思った。

「ああ、だが、夜は無理だ。父さんの字癖もあれだが、他の人たちの字の癖もバラバラなんだ。まだ慣れてないから、疲れるんだ」
「それは確かに」

 手書きって面倒臭いよな。個人個人で綺麗さに差が出るし、文字の大きさとかも疎らだ。本を読んでいてもたまにそう感じ……

「あ!」
「うっ」

 思いついた。

 と、思って思わず大声を上げたら、目の前にいたエドガー兄さんが顔を顰めて耳を抑えた。うるさかったらしい。

「……セオ、どうしたんだ?」

 だけど、それについては一言も文句を言わず、エドガー兄さんは静かに質問してくる。できた兄さんである。

「うるさくてごめんね。……で、ちょっと思いついたんだよ」
「思いついただと?」
「うん。ほら、綺麗な字を書くのって労力いるし、時間かかるし面倒じゃん」
「そうだな。ホント。この領地用の書類なら読めればある程度汚くても良いんだが、貴族間の書類とか……あとは手紙の返事の……はぁ」

 エドガー兄さんは何かを思い出したのか、もの凄く重い溜息を吐いた。目の前にいるエドガー兄さんは来年で十歳になるというのに、既に中年のおじさんみたいな溜息だ。
 
 けど、金の短髪に遠くを見ている虚ろな紺の瞳、野性味あふれるイケメン。それでいて、心底疲れた様な雰囲気を漂わせるから、そのギャップがヤバい。

 大人女子向けの漫画に多そうなイケメンだ。やばい。

 と、そんな冗談は置いといて、エドガー兄さんが何に対して黄昏ているか分かった。エドガー兄さんだけじゃなくてライン兄さんもだったからだ。

「令嬢たちに書いた手紙、そんなに大変だった?」
「……ああ、そうだ! 本当に大変だったんだ! 適当な字で書けば、やけに張り切った母さんが弾くし、適当な文章も弾かれんだ。何だよ、ルビンの芽が大地から顔を出し、雪が溶け始めましたって! 知らねぇよ、そんなの!」

 あ、面倒な部分を引出してしまったらしい。因みにルビンの~は恋心が芽生え始めましたとかそんな感じだったはずだ。

 とある伯爵令嬢と侯爵子息の恋愛小説にそんな感じの言い回しがあったはずである。他にも風狼のうたが天の蒼華に届きますように――意、愛しています――とか、紅のグローブを私に下さい――意、今夜……――とか、色々と面倒な言い回しがある。

 貴族の令嬢や婦人、夫人に大人気だそうだ。まぁ、それだけ国が安定しているってことなのだろうが。

「まぁまぁ、それで綺麗な字を書くのは面倒だったよね?」
「……ああ、確かにそうだった。マリーさんの講義で学んだし、一応次期当主だからな。綺麗な、流麗な字は書けた方がいいだろうと努力した。だが、な。こう、細かな作業がな」

 エドガー兄さんが項垂れる。分かる。超分かる。

 魔法書を俺はよく読んでた。だからこそ、知っている。

 何故か学者の方が上品な、味のある字を書く。普通の貴族間に回っている本の字はそこまで綺麗じゃない。

 だから魔法書を書いても、それを他人に見せようとは思えなかった。

 だが、だが。

 そもそも、綺麗な字を書くのに努力する必要はあるのだろうか。社会一般的に手で文字を書くことをやめればいいのではないか。そっちの方が早く書けるし。

 つまり。

「活字を作ろう。そしてタイプライターか何かを作る!」

 歴史の教科書、いや、それだけじゃなくて俺の妹か弟かどちらかが読む本で、教科書が汚い字で書かれていたら、俺が恥ずかしい。というか、「お兄ちゃんの字、汚い」とか言われたら死ねるかもしれない。

「……何か、また新しいのが出てきたな。何だ、その『活字』ってやつは。それと『タイプライター』ってやつも」

 天を握りしめるように立ち上がり、拳を天へと掲げていた俺に、エドガー兄さんが警戒する様に訊ねる。

 そういえば、領地経営の修行の一環として俺が引き起こした面倒事を処理したんだっけ。ホント、俺も手伝ったけど大変だった。ロイス父さんとアテナ母さんにはすごく怒られるし。

 たぶん、それを警戒しているんだろ。今回は、キチンとロイス父さんに話を通すから大丈夫なのに。
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