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一年

閑話:アイラ3

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「リーナ。空ってどんな感じなの?」

 黒紫のドレスに身を包んだ銀髪の幼女は、隣にいた茶髪のメイドに訊ねる。儚く幼く可愛らしい顔立ちと目を閉じている彼女は、妖精だ。

「……えっと」

 本を読み聞かせていたリーナは、仕える主であるアイラに問われた内容に戸惑う。いくら言葉を探しても最適な答えが出せない。

 何故なら、色の概念を教えることはできないから。アイラがどういう世界を見ているか分からないから。彼女がどういう風に空を捉えているか分からないから。

「空には色っていうものがあるのでしょ。私が見てる魔力の波とは違うものがあるんでしょ。どんな感じなの?」

 アイラは常人とは違う世界を見ている。違う世界を見る事しかできない。

「……色は……ハティア様の魔力の色ではないでしょうか」

 アイラの銀の瞳は魔力を視る瞳。魔力しか視えない瞳。彼女は、世界を魔力でしか捉えることができないのだ。
 
 そして、常人は魔力を視ることはできない。できる人など片手で数えられるかどうか。しかも、いたとしても大抵は通常の視界も見える人。

 アイラは魔力を視ることができる“天魔眼”が肉体に固定されてしまったのだ。通常は意識的に切り替える事によって発動する“天魔眼”が常時発動しているのだ。

 それは一生続く。一生魔力しか視る事ができない。

 もちろん、目が見えない人は多くいる。冒険者の中には魔物の血が目に入り、失明した者も多い。だけど、彼らは見えないのだ。

 見えないことが良いか悪いから置いといて、彼らは何も見えることはない。だからこそ、そういうものだと諦める事ができる。再度言うが、それが良いものどうかは置いておいて。

 けれど、アイラは魔力を見ている。そして、この世界の万物には魔力を籠っている。多かれ少なかれ魔力が含まれているのだ。

 だから、アイラが見ている魔力の世界の輪郭は常人と同じだ。まぁ、魔力がどれだけ含まれているかで、その輪郭がぼやけたりと変わるが。

 けれど、色は違う。

 色は、太陽光が物体にあたり含まれる電磁波が波長別に吸収されたり反射されたりする事によって決まる。反射された電磁波の波長を網膜が受け取り、脳が色という情報に変換している。

 もちろん細かい所はもっと違うが、しかし、大雑把に言えば色は光に依るのだ。

 そして、魔力にも魔力なりの色がある。空気中に漂う魔力にも色があり、無機物が含む魔力にも色があり、人が持っている魔力にも色がある。

 けれど、その色は多種多様すぎるのだ。

 例えば、赤いリンゴがある。常人の視界では多くのリンゴは赤に見える。品種が違えば多少なりとも色は変わるが、それでも赤という分類の中にはいる。

 けれど、魔力の色は違う。品種が同じでも、見える色は全く違う。

 常人の視界で例えるが、そのリンゴは赤だったり、青だったり、緑だったり、紫だったりする。同じ色に見える赤のリンゴも違う色に見えるのだ。

 含まれている魔力の色が違うのだ。

 それはアイラが、赤が緑に見える色眼鏡を掛けているわけではない。アイラは赤がランダムに緑だったり、黄色だったり、紫だったりに見える色眼鏡を掛けているのだ。

 アイラは色という概念を知っている。彼女が彼女だけの色という概念を持っている。けれど、その概念は常人と共有することはできない。

 色という存在は知っているが、色の概念を共有できないのだ。

 知っている概念が、同じだと思ってしまうような概念が共有できない。アイラはその歯がゆさを一生抱えなければならにのだ。

 しかも、運よく色の概念が一致することがあり、それは彼女が諦めることを許してくれない。

 ただ、アイラの不幸はそれだけではない。

「そうなの。じゃあ、ハティア姉様の所にいきましょう」

 椅子に座っている五歳の幼女はメイド服の少女に右腕を伸ばす。左腕は……

「……かしこまりました」

 メイド服のリーナは椅子に座っているアイラを抱きかかえた。そして、近くにおいてあった木製の車いすに座らせる。

 アイラの片足は根元からなくなっている。歩くことはできない。

 アイラは自力で移動する事ができない。車いすに乗っていても、幼女であり、そして片腕しかない彼女は車いすを移動させることができない。

 リーナは四六時中アイラに仕えている。彼女の手となり、足となり、目となる存在なのだ。

 
 Φ


「そうです。アイラ様」

 リーナとアイラは花々が咲き誇る庭園にいた。

 木製の車いすに乗っているアイラの右手の掌の上に蠢く水球が浮かんでいる。水魔法である。

 メイド服に身を包み、艶やかな茶髪を腰まで垂らしたリーナはそんなアイラを手放しで褒める。

「リーナ、これはどう?」

 瞳を閉じているアイラは可愛らしい表情で顔を向け、右手の掌の水球を蠢かせて、分裂させる。

 その水球は次々に分裂し、そしてアイラの周りを埋め尽くした。

 それから、水球は更に蠢き、水の蝶々へと姿を変えた。

 水の蝶々は花畑を舞い、その姿はまるで生きているようで、また、太陽の光に煌いていてとても美しい。

 そして水の蝶々のモデルは、さっきアイラが見かけた蝶である。光凜魔蝶といって、魔力の粉を漂わせながら舞う希少な蝶々である。

 そしてその蝶は魔力を多分に含んでいたため、アイラには明瞭に輪郭を知ることができたのだ。

 何故、そんな蝶々が庭園にいるかといえば、アイラの父親であるオリバーが世界中に掛け合って、光凜魔蝶の卵を僅かばかり譲り受け、それを丁寧に育てて放ったのだ。特別な契約で光凜魔蝶が逃げないようにして。

 もちろん、それは魔力の濃度によって世界の輪郭がぼやけるアイラのために、通常の蝶ではぼやけた輪郭しか分からないから、蝶の輪郭を知ってもらうために取り寄せたのである。

 リーナはそれを知っているのか喜ばし気に微笑む。

「アイラ様。凄いです」

 そして褒める。

 実際に凄い事なのだ。詠唱もなしに、数十もの小さな水の蝶を浮かせ、それらがまるで生きているかのように動かすのは。

 できるのは一握りだ。

 アイラはそれを弱冠五歳でありながら実現したのだ。

「ふふ、じゃあもっとね」

 その言葉に気を良くしたアイラは更に水の蝶々を増やし、増やし、そして、庭園が太陽に煌く水の蝶に埋め尽くされた。

 そして、それは水の蝶が茜色に染まるまで続いた。それが、アイラが唯一楽しめる、他の人と共有できる遊びだった。
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