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ドワーフの魔術師と弟子

第32話 弟子と旅立ち

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 私たちは街の前で静かに立っていました。じっと、ぐっと、祈るように待っていました。

 太陽が昇りだしたばかりですが、激しい戦闘の音を聞きつけて街の人が集まっていました。

 そしてひと際大きな魔力の反応があり。

「「っ」」
「きゅり」

 私たちは走り出そうとしました。けれど、その寸でのところで踏みとどまりました。

 私たちはぐっとこらえて待つのべきなのです。師匠として弟子を信じるならば、耐えなければなりません。

 心配で不安で焦りだけが募ります。

 時はそう経ってはいません。それでも長い長い月日が過ぎたような感覚でした。

「「あ」」
「きゅ」

 私たちは声をあげました。それはまるで呆然とするようなものでした。

 そしてしばらくして、見えました。

 東に昇る太陽を背に、ナギがこちらに向かって歩いてきました。その足取りはフラフラで、メイド服は酷くボロボロで血で赤く染まっています。

 彼女は私たちに気が付き、少し走り出しました。私たちはもう駆けだしていました。 

「グフウ様、セイラン様、ショウリョウ!」
「「ナギ!」」
「きゅり!」

 崩れ落ちるように胸に飛び込んできたナギを私とセイランはギュっと抱きしめました。ショウリョウはゆっくりと寄り添います。

 私たちはナギの温かみを確かめました。酷く安堵しました。

 言葉にならない感情が込み上げる中、ナギが私たちの腕の中で顔をあげます。 

「……もう、グフウ様もセイラン様も顔が酷いですわよ」
「それはっ、あなたっ」
「だって、お前が心配でっ」

 私たちの反応にナギはくしゃりと顔を歪め、そして目一杯笑って言いました。

「ただいまですわ」
「……おかえりなさい、ナギ」
「……よくかえってきた。おかえり」
「……きゅり」

 私たちはもう一度ナギを抱きしめました。ナギはその腕の中で寝息を立て始めました。


 Φ


 ようようお月様が黒の空でそっと微笑みだし、お星さまがきらきらと輝き始めました。

 夏の夜の涼しい風が平原を通り抜けて辺りを照らす焚火の炎を揺れ、そんな炎の明かりにヒダマリ花が淡く照らされました。

「みな、注目して欲しい」

 ボウカの声が平原に響き渡りました。集まった街の人たちが注目します。

 視線の先にはナギと遺体保存の魔術がかけられた焔禍竜の亡骸がいました。

 領主は焔禍竜の亡骸とナギを交互に見やりながら、演説をしていました。ナギは少し恥ずかしそうに目を伏せながらも、街の人に手を振っていました。

 街の人は歓声に沸きました。

 それを私とセイランは少し離れたところで見ていました。ショウリョウの体を布で拭いていたセイランが口を開きます。

「大きくなったな」
「……そうですね。立派になりました」

 静かに頷きました。街の人たちの歓声は遠く、私たちは感慨深げに空を見上げました。

 しばらくして、焔禍竜との戦いで亡くなった人への祈りが行われました。

 また、流石は災禍の竜と言うべきか。亡骸でありながら畏怖に満ちたそれに、人々は自然とこうべを垂れてました。

 私たちも瞑目しました。

 そしてそれからは祭りでした。

 飲んで食べて歌って踊って。人々の賑やかな声が夜空の下に響き渡りました。

「ハァアアアア!!」
「「「「「おおおおお!!!」」」」」

 命を奪ったのであれば、食して糧とするべし。その考えに従って、焔禍竜の肉は皆に振舞われることになりました。

 しかし竜の中でも災禍の存在。その鱗を断ち切れるものは街にはいません。ですので、セイランがその大剣と巨斧で焔禍竜の亡骸を輪切りにしていました。

 人々はそれに歓喜と驚きの声をあげます。

 焔禍竜の体はとても大きいです。けれど、数万を越える人数であれば一晩で食べきれることでしょう。

 そのほかの骨や鱗、牙や内臓などについては王家や冒険者ギルド、教会を中心に管理するそうです。

 流石に災禍の竜となればその亡骸でさえも争いの元になるようですので。

 もちろん討伐者であるナギにはそれ相応の褒賞が与えられるでしょう。そしてその名声は今以上に多くの国々に伝わり、魔術も更に広まるでしょう。

 魔術師として悔しくないわけではありませんんが、それとは別に誇らしさがありました。私たちの弟子は凄いことをしたのだ、立派なのだと嬉しくなります。

 ……寂しくもありました。

 もう、彼女に教えられることは何もないのだと、強く確信しました。

 私は街の料理人と一緒に焔禍竜の肉を調理して多くの人に振舞いながら、ふとそんなことを思いました。

 そうしてお月様がそらの最も高いところに昇った頃。喧騒の外で地べたに座りながらドワーフ特製の火酒をあおっていると、ナギがやってきました。

「離れても大丈夫なのですか?」
「みんなたくさん酔っぱらって、もう好きに騒ぐだけですわ」
「そうですか」

 色々な人に感謝を伝えられ、揉みくちゃにされていたナギは疲れたように私の隣に腰を降ろしました。

 私の膝のほうを見やりました。膝の上ではセイランが寝息を立てて寝ていました。

「先ほどようやく落ち着いたのです。泥酔ですね。まぁ、今回は祝いの場だったのもあってか、暴れはしませんでしたが絡みが酷くて。ずっと引っ付かれて大変だったんですよ」
「……はぁ」

 セイランの頭を撫でながら軽く愚痴をいえば、ナギが深いため息を吐きました。ジト目を向けられます。

 何故?

「本当にこの二人は……まぁいいですわ。似た者同士のようですし、じっくりやってくださいですわ」
「なにがですか?」
「何でもないですわよ。ったく」

 呆れたようにため息を吐いたナギは、私の近くにあった火酒を指さします。懐から聖魔ガラスで作られた蒼のグラスを取り出しました。

「これはドワーフ用で、ヒューマンにはかなり強いですよ?」
「一度飲んでみたかったのですわ。グフウ様は美味しそうに飲みますし」
「そういうことなら。氷はいりますか?」
「お願いするですわ」

 魔術で作った氷をグラスに入れ、火酒をゆっくりと注ぎました。私も自分のグラスに注ぎなおします。

 乾杯をしました。二人で同時に火酒をあおりました。

「こほ。けほっ。けっほっ!」
「ほら、言わんこっちゃない」

 ナギが大きく咳き込み、私はその背中を撫でました。しばらくして、ナギは落ち着きを取り戻しました。

「大丈夫ですか?」
「……まぁ、大丈夫ですわ。ちょっとくらくらしますけど」

 そう言いながら、ナギはチビチビと火酒を飲み始めました。

「グフウ様はこんなお酒を飲んでいたのですわね。美味しいですわ」
「それはよかったです。私もこのお酒を弟子と一緒に飲めて嬉しいです」

 もじゃもじゃひげの下で頬が緩むのを自覚しました。ナギも嬉しそうに微笑んでいました。

 そうして私たちは静かにお酒を飲み進めました。話したいことは沢山ありましたが、こんな素敵な夜には無粋かと思いました。

 けれど、私もお酒を飲み過ぎていて、口が緩んでいたのでしょう。少ししてナギの横顔を見て、ふと口が開いてしましました。

「ナギはこれからどうするのですか?」
「これから……」

 ナギはキリコから頂いた蒼のグラスを見つめながら、遠い目をしました。少しばかりの沈黙の後、ナギはゆっくりと口を開きだします。

「達成感があったですわ。誇らしさも、嬉しさも、感謝も。コチお姉さまたちの報いを果たせたと、自分を少しは許せたと思うですわ」

 焔禍竜を倒したからこそ得た感情に、しかし戸惑うような様子でした。

「けど、それ以上に何かを喪ったようで。今まであった気持ちが消え失せるようで。空っぽですわ」

 ナギはその夜空よりも美しい黒髪をまとめていた蝶のバレッタを手に取りました。

「コチお姉さまたちがいた時には戻れない。あの時の心は帰ってこないんだなって、思って……」

 ナギは静かに頬を濡らしました。

 私は黙って手を伸ばしてナギの頭を撫で続けました。いつの間にか起きていたセイランも同様にナギの頭を撫で続けました。

 私たちはここにいるよと訴えるように抱きしめました。
 
 落ち着いたナギは火酒を飲みきり、夜明けまで蝶のバレッタや蒼のグラスを見つめていました。

 そしてナギは東雲の空に祈りました。


 Φ


 一ヵ月が経ちました。ナギは王様や冒険者ギルドの偉い人、教会の偉い人から褒賞をいただき、勇者になりました。本当に多くの人にその名が知れ渡りました。

 そしてある日の明け方。

「ナギ」
「どこにいくのだ?」
「きゅり」
「っ、どうして」

 一人で旅立とうとしたナギに声をかけました。ナギは私たちを見て非常に驚いた顔をしました。本人は魔力も闘気も完全に隠蔽して、バレないと思っていたのでしょう。

 私たちは呆れます。

「どうしてって、私たちは貴方の師匠ですよ。何を考えているのかも、どこにいるのかも、全部は分かりませんがだいたいは分かります」
「まったく。シマキの時と変わってないじゃないか」
「っ」

 息を飲むナギにセイランは近づき、抱きしめました。

「アタシの可愛いナギ。お前がまだまだ心配だ」
「っ、セイラン様っ! わたしは――」
「分かっている。もう子供ではないだろう?」

 セイランはからかうように、それでいて少し寂しそうに笑って、ナギから離れました。

 私は尋ねます。

「やりたいことができたのですね?」
「……はい」

 ナギはゆっくりと話し出しました。

「わたしは、魔術を教えたいですわ」
「魔術を……」

 少しだけ予想外の答えに驚きました。

「焔禍竜を倒して、わたしはやりたいことを喪ったですわ。だからといって、何も考えずにグフウ様たちについていっては、後悔すると思った。己に誠実じゃなきゃ、光の道を歩めないって」

 ナギは魔法書をかばんから取り出しました。

「あの日、コチお姉さまは未来を信じてわたしに魔法書の読み方を教えてくれたですわ。そしてグフウ様もセイラン様も、たくさんのことを教えてくださった」

 ナギはわたしたちを見やりました。その眼差しに少しだけ目頭が熱くなってしまいます。

「だから、わたしも教えたいと思ったのですわ。わたしみたいな何かを諦めなければならない人に、可能性を伝えたいと思ったのですわ」
「それで魔術ですか?」
「はい。だって、魔術は才能がない人でも魔法を使えるようにと創り出されたものですわ。ぴったりだと思った。それに魔術を教えるのは、恥ずかしかったけれど存外嫌じゃなかったのですわ」

 ナギは思い出すように目を細めました。少し黙りこくっていたセイランが口を開きます。

「どこにいくのだ?」
「……最初はヴィントシュティレ辺境伯領に戻ろうと思っているですわ。そこに顔を見せたあとは……そうですね。シマキ様のところに向かおうかと。本物の勇者を騙《かた》って」

 ナギは悪戯を企む少女のように笑いました。

「そしてシマキ様に魔術を教える学校を用意してもらうのですわ。わたしのお願いなら断らないでしょうし、例え断られたとしても、聖女のお付きとして旅をすれば多くの人に魔術を伝えられるですわ」

 教会が謳う聖女は神々の教えを伝える存在でもあります。そんな彼女と共に行動すれば、確かに魔術を多くの人に伝えられるでしょう。

「だから……だから、わたしはグフウ様たちとはもう、旅を……することはできない……ですわ。いままで、ほんとうにありがとうございました、ですわ」

 こらえるように深々と頭をさげたナギに、私たちもこらえるように頷きました。

 そよ風が私たちの間を走り抜けました。ナギの黒髪が揺れます。

 セイランが口を開きました。

「ナギ。こっちにきなさい。せっかくの旅立ちだ。おめかしをしなくちゃいけない」
「セイラン様……」

 ナギはかばんから黒の櫛を取り出してセイランに渡しました。私は土魔術で椅子を二つと水鏡を作りました。

 セイランは黒の櫛でナギの髪を優しく梳きました。それからヒダマリ花モチーフのイヤリングを取り出して、ナギの耳に着けました。

「……綺麗になったな」
「セイラン様……ありがとうですわ」

 ナギはしばらくセイランをぎゅっと抱きしめました。

 そしてわたしたちはナギと向き合いました。

「ナギ、これを」

 私は二冊の本を差し出しました。

「……本ですの?」
「はい。急でしたので大したものは用意できませんでしたが、私がいつか世の中に出そうと書いていた魔術の教科書です。基礎を全て網羅してあります。知識は全て持っているでしょうが、それでも貴方の将来に役立つと思います。そしてもう一つは料理のレシピです。美味しいご飯を沢山食べてください」
「……ありがとう、ですわ!」

 ナギは嬉しそうに本を抱きしめました。

「アタシからはこれだな」

 セイランは短剣を差し出しました。

「最近はもっぱら解体の時にしか使っていなかったやつだが、丈夫で切れ味もいい。おまけに砕けても魔力を注げば復活する魔法や魔力を増幅する魔法が込められている。お前の力になるだろう」
「……え? 待ってくださいですわ。再生して魔力を増幅するって神話級の魔法具アーティファクトじゃないですのっ!?」
「まぁ、確かに神話にも出てくる銘があるが、まぁアタシが持っていても宝の持ち腐れだ。使い倒してくれ」
「……大切に使うですわ」

 ナギは喜びながらも、恐る恐る短剣を懐にしまいました。心なしかセイランに呆れた目を向けてもいました。

 そしてショウリョウがナギの隣に立ちました。

「やはり、貴方はナギと一緒にいくのですね?」
「きゅり」
「っ、ショウリョウ!」

 ナギはショウリョウが自分についてこないと思っていたようで、感涙していました。

 いや、ナギ。貴方はショウリョウの名付け親なのですよ? ついていかないわけないでしょう。

 まったく。少々心配になってしまいます。

 そう微笑みながら私はナギを抱きしめ、彼女の顔を見上げて言います。

「ナギ。私たちはいつまでも貴方の師匠です」
「……いつまでも師匠面はさせません。もっと修練を積んで、いずれはグフウ様に魔術で勝つですわ」
「受けて立ちます。容赦はしません」

 にこりと微笑んで離れます。

 セイランがナギを抱きしめました。

「アタシから言えることは一つだ。もう少し素直に気持ちを伝えろ。あと、手紙を送ってくれ」
「……そっくり同じ言葉をセイラン様に返すですわ。お二人の進展は必ず手紙に書いてくださいですわ」
「や、だから、それはお前の勘違いで――」
「言い訳はいいですわ!」

 ナギがセイランから離れました。セイランはまだ何か言いたそうでしたが、ふっと頬を緩めました。

 そしてナギは鞄を背負いなおし、私たちに手を振りました。

「グフウ様、セイラン様。また会いましょう」
「はい、またいつか。そう遠くないうちに」
「元気にやるんだぞ!」

 私たちは笑顔で送り出しました。

 少し歩いたナギは振り返って一度だけ深々と頭を下げた後、真っすぐ前を向きました。その黒の髪がずっとなびいていました。

 そしてナギの背中が見えなくなりました。

 弟子が、旅立ちました。

「グフウ」
「うるさいです。だまっていてください。だいたい、あなただって人のこと言えないでしょう」
「うるさい。だって、ナギが、あのナギがだぞ。あんなに小さくて可愛かったナギが大きく綺麗になって……立派に、立派に……」
 
 空は驚くほど晴れていたのに、視界はぐちゃぐちゃでした。

 けれど、それは決して嫌なものではありませんでした。

 寂しさはあるけれども、とても誇らしいのです。弟子が旅立つ姿がこんなにも嬉しいものだとは思いませんでした。

 ナギを弟子にして、よかった。

 ……ああ、だからこそ、後悔が生まれました。

 私もナギのように師匠のもとから旅立てていたのなら、師匠は私と同じ気持ちになったのでしょうか。

 そう、されられたのではないか。おこがましくも思ってしまいます。

 そして師匠は、そんな自ら旅立つ決断をできなかった私をどう思っていたのでしょうか。どんな気持ちで逝ったのでしょうか。

 もう、分からないことです。過去には戻れないのです。

 それが悲しくて、無情で。師匠といつまでも一緒に魔術の研究ができると楽観していた自分が恨めしくて。

 ああ、後悔ばかりが募ってしまいます。

「グフウ」

 優しい声音が耳朶じだに響きました。顔を見上げれば、セイランが優しい眼差しで微笑んでいました。

 頭を撫でてきます。

 しばらくの間それを受け入れた私は濡れたひげが乾いたころ、思い出したようにセイランの手を払いのけました。

 彼女は元気になってよかった、と言わんばかりにニッと笑いました。

「じゃあ、行くか」
「そうですね」

 師匠が亡くなって十年。九年間のナギとの旅が終わった夏。

 力強い草木の匂いをのせた風が青々と輝く空へと高く舞い上がる中、私たちも新たに旅立ちました。
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