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ドワーフの魔術師と弟子

第26話 雨と氾濫

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 ナギと出会って六年が経ち、本格的な夏がやってきました。

「ん? 急な雨だな」

 セイランが尖がった耳をピコピコとさせます。私は辺りを見渡しますが、地平線が見える平原のど真ん中。雨宿りできる場所はありません。

 ナギが黒の短剣を抜き、魔術を行使します。

「〝土は我が想いフラーウム・に応えその意思をクァットゥオム・示す――土操ヘルシャフト〟」

 圧縮して固められた半円球の土。その間がくりぬかれ、雨宿りができる洞穴が生まれます。

 私たちはその中へと移動しました。

 しばらくして、青々と晴れ渡っていた空に深い灰色のヴェールが覆いかぶさり、雨が降ってきました。急変という言葉を端的に表すほど、一瞬でした。

「本降りですね。夕立にしては早いですし、夜まで続くでしょうか?」
「数日ほど続くな」

 尖がった耳を可愛らしく何度も動かしながら、セイランがそう予測しました。なら、明日まで続くのでしょう。

 今日はここで夜を越すのがよさそうです。

 早速私はナギと一緒に土魔術でテーブルなどを作り、快適な環境を用意します。

 昼過ぎで昼食は先ほど済ませたことで手持無沙汰となったため、私とナギは一緒に魔術具を作っていました。

 しばらくしてセイランが紅茶を淹れてくれたので、休憩することにしました。ティーカップに口をつけていたナギがふとセイランに首を傾げました。

「前から思ってたですけど、セイラン様はどうして雨が分かるですの?」
「ん? そりゃあ風の音を聞けば分かるぞ」
「どんな音ですの? わたしが分かるのは雨の匂いとかですけど、それだって今回のような急な雨は分からないですわ」

 どうやらナギはエルフ特有の天気予報に興味があるようです。水を差します。

「ナギ。聞いても無駄ですよ。エルフは風についてグワーとかガーとか要領の得ない言葉しかいいません。論理的な説明は期待しない方がいいですよ」
「それはそうですけど、擬音ばかりの話でも聞いてみたいですわ」
「んなっ! アタシは違うぞ! 確かに他のエルフはそうかもしれないが、アタシには溢れんばかりの知性があるからな! 論理的な説明ぐらいできる!」

 どうだか。私はもちろん、ナギもセイランの言葉に肩を竦めました。セイランが顔を赤くして頬を膨らませながら、巾着袋から紙と羽ペンを取り出しました。

「お前ら、そこへなおれ! アタシが雨について知性溢れる言葉で論理的に説明してやる!」

 説明されました。確かに論理的でした。

「――そして水蒸気はさっきいった理由で発生する上昇気流によって空の高いところまで移動し、冷えて大きな水滴となる。それが雲だ。その水滴がさらに大きくなると気流では持ち上げられなくなり雨粒となって落ちてくるのだ」

 セイランが紙に数式を書いていきます。その数式は私も知っており、気体中の水分の量と気温等々から雨が降る確率を計算するものでした。

「つまりだ。雨は急に発生するものではなく、必ず予兆がある。ナギが雨の匂いがすると言っていたが、それも予兆だ。雨が降り始める前は湿度が高くなる場合がある。その際、土が空気中の水分と反応して特有の変化をみせ、ある匂いを発生させる。それが雨の匂いだ」
「でも、今回は雨の匂いはしなかったですわ」
「雨にもその時々で状況が変わる。必ずしも湿度が高くなるとは限らないのだ」
「じゃあ、セイラン様はどうやってその予兆を感じているですの? 雨が降る理屈は理解しましたけれど、セイラン様がそれを感じ取る理屈は話されてないですわ」
「う、それは」

 セイランが口ごもりました。

「それは、なんですの?」
「いや、そうだな。アレだ。洞窟の奥底の泉のように静寂で、ヒバリとスズムシを合わせたような歌声が風から聞こえるのだ」
「「はぁ?」」

 イタい年頃の子が言いそうなイタいことを言いだしたセイランに片眉をあげます。そしてナギと顔を見合わせ、肩を竦めました。

 擬音がイタい文章に変わっただけで、要領を得ないことには変わりありませんでした。

「っ! お前らはそう言うがな、他にどうしろと言うのだ!」
「何も言ってませんが」
「うるさい! これは感覚なのだ! ナギだって雨の匂いが具体的にどんなものか説明できるかっ? グフウだって鉄の音がどんな音か説明できるかっ? できないだろう! アタシだってできない! できるわけなかろう!」

 開き直りましたよ、この人。さっきはあんな大口叩いてたのに。

「っというか、そうだ! 自然と享受の女神フォルゲナーデさまを祭神にすれば、アタシの感覚も分かると思うぞ! グフウは無理だが、ナギはちょうどいい年齢じゃないか!」

 いいことを思いついたと言わんばかりに目を輝かせるセイランに注意します。

「こら、セイラン。そんな理由で祭神を勧めてはいけませんよ」
「いいだろう。祭神は死ぬまでに選ばなければならないが、どんな理由で祭神を選んだとしても神々は認めてくださるのだ。もちろん、その誓いによって加護が変わったりはするが」
「祭神……」

 ナギが真剣な表情で聞いてきます。

「祭神は、どうやって決めればいいですの?」

 少し悩みました。

 セイランの言葉ではありませんが、祭神を選ぶ理由は決められていません。本当になんでもいいのです。

 だから、私はナギの頭の上に手を置きました。

「自分の心に従って決めなさい。後悔だけはしてはいけません」
「だな。さっきのは冗談だったが、結局アタシたちが言えることはそれだけだ。あとは……そうだな。神々は試練を与えるのものだからな。誓いの内容は軽めがいいぞ。若気の至りで重い誓いを立てると、必ず後悔する」
「だからと言って、キノコを沢山食べるなんてアホみたいな誓いは立てない方がいいとは思いますが」
「おい」

 ジト目を向けてくるセイランを無視して、ナギに微笑みます。

「重要なのは、誠実であることです。過去と今と未来に、己の全てに。だから、悩みなさい」
「……分かったですわ」

 ナギが望んでいた答えではなかったと思います。それでも彼女はしっかりと頷きました。


 Φ


 雨は想像以上に強く長く降り続けました。それはもう十年に一度あるかどうかという嵐でした。

 最初に作った洞穴では浸水してしまうため、途中で洞穴を作り変えて魔術で結界を張り、強い雨風やり過ごしました。

 そして雨宿りを始めて四日。

「よくやく晴れました」
「昨日までの天気が嘘のようですわ」
「きゅりきゅり」

 雲一つない空は群青に満たされ、草花が身に着けた露のアクセサリは燦々さんさんと燃える太陽に反射しています。

 息を大きく吸えば、力強くゆる草花と雨上がりの匂いが胸を満たしました。

 嵐のあとの快晴は、格別なものです。私もナギも笑みを溢します。ショウリョウは嬉しそうに平原を走り回っていました。

 そして野を駆けまわるほど一番嵐のあとの快晴を喜ぶはずのセイランは、しかしその顔を小さく歪めていました。

「どうしたのですか?」
「いや、少しな。それより次の街へと急ごう。パンも少なくなっているし、ここらで一番大きな都市だ。長めの休息を取りたい」
「……それもそうですね」

 私もナギもセイランの様子がおかしいことには気が付いていましたが、彼女が詳しく話すまでは尋ねないことにしました。

「これは……」
「酷い……ですわ……」
「きゅり……」

 そして二日が経ち目的の街にたどり着き、いえその前から魔力探知で分かってはいました。

 けれど、街の様子をみて、変わらぬ現実を突きつけられた私たちは唖然としました。セイランだけはやはり、と言わんばかりに片手で顔を覆い天を見上げました。

 街は、流されていました。

 交易の要所としてその街の発展に大きく貢献したはずの河が、街に牙をむいて飲みこんだのです。

 外壁はもちろん中央の高台以外の建物のほとんどが崩れ、今まで存在していたはずの人々の営みは土砂と瓦礫に埋め尽くされていました。

 私たちは街だったナニカへと足を踏み入れました。

 沢山の人がいました。

 怒鳴り叫び必死になって瓦礫を撤去する人。負傷者を運ぶ人。膝を抱えてじっと座っている人。人の名を大声で呼び走る人。

 そして骸となった人。人手が足りていないのか、そこらに放置されていました。

 私は僅かに目を伏せ、またナギが辛そうな顔で私たちを見てきます。

「ナギ。気持ちは分かるが、まずは教会だ。助けられる者も助けられなくなる」
「……はいですわ」

 ナギを安心させるように優しく微笑んだセイランの表情は、しかしどこか強張っています。

 それに気が付いたナギは溢れる感情を飲みこむ様に逡巡し、頷きました。

 私たちは教会に向かいました。

 聖なる結界で守ったのでしょう。街の建物のほとんどが水に押し流されたのに、教会だけはまるで不変であるかのように佇んでいました。

 その周りには多くの人だかりができています。

 入り口付近に建てられた掲示板のような者には人が集まり、そこに張ってある紙に書かれた文字に斜線をひいたり、新たに付け足したりしています。

 泣いたり、膝から崩れ落ちたり、誰かと抱き合っている人もいました。

 それを尻目に教会の敷地内に足を踏み入れます。避難所になっているためか、様々な人が座り込んだり、身を寄せ合っていたり、行き交っていたりしています。

 そんな彼らの合間を縫って教会の奥へと進めば、争いの声が聞こえてきました。

悪魔デーモンの手下め!」
「どうしてそんなことが言えるんだ!」
「私たちがこんなに苦しんでいるのに!」
「早く聖棺を用意しなさいよ! それができる神父さまもいるじゃない!」
「お前たちは死神に与するのか!」
「落ち着いてください! 終りと流転の女神カロスィロスさまは死神ではありません。どうか話を聞いて――」
「うるさい! 早く妻を――」

 不安と怒りを浮かべた大勢の人が一人のシスターに詰め寄っていました。そして一人の老人が彼女に手をあげようとしました。

「ダメですよ」
「なっ。誰だお前!」

 割って入り、老人の手を掴みました。

「ドワーフの魔術師、グフウと申します。〝我が想いはカエルフラ・一輪の咲いドゥアエ・――想花ブルーメ〟」
「……」

 魔術で鏡月華という蓮華の一種の花を咲かせます。その花粉には強力な沈静効果があり、私は軽く鏡月華を揺らして花粉を舞わせます。

 老人も含めシスターに詰め寄っていた人々が呆けます。

「皆様方。お話はこの私がお聞きします。どうぞ奥へ」

 同時にセイランとナギが呼びにいった教会の偉い神父が現れ、人々を連れて行きました。
 
 私はシスターに振り返り、先ほど咲かせた鏡月華を渡します。

「お怪我はありませんか?」
「は、はい。その、ありがとうございます」
「いえいえ」

 たっぷりと蓄えたひげの下で柔らかく微笑めば、セイランが私の名を呼びます。

「グフウ。災害対策本部の偉いやつと話をつけた。詳しい話を聞きにいくぞ」
「あの短時間に?」
「どうやら極彩百魔ごくさいびゃくまのダンジョンの攻略で、わたしたちの容貌と名前がかなり広まっていたようでして、すぐに話が通ったのですわ」
「なるほど」

 にこやかにシスターに微笑んで別れを告げ、私たちは災害対策本部がある部屋へと向かいました。
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