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第二部 八章:どうか自らに灯火を

プロローグ Where There's A Will, There's A Way――a

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 そして。

「ぃゃ……なんで……なんで……」

 トレーネはライゼに握られた手を振り払うように震わせる。 
 やはり顔を駄々を捏ねるように横に振り、瞳には不安が浮かんでいた。

 彼女はまだ、導を見つけていないのだ。いや、導を見つける事を覚悟できていないのかもしれない。
 フリーエンの不器用ながらも尊い薫陶とトレーネがゆっくりと育んできた心根はとても優しく、慈しみに溢れている。女神の使徒としての、信者としての純然たる心があるけど、導がないのだ。

 迷える子羊なのだ。

 ライゼに拘ったのはたぶん、それ。
 分かりやすい憎しみであれば良かった。感情一つで、復讐一つで行動すべてを定義づけられるなら良かった。

 けどそうじゃなかった。
 とても単純で、誰かを一瞬でも喜ばせたいという、なんでもない目標で、その目標に己が命すらも天秤に乗せてしまう。
 単純で理解しにくい導。

 『くだらない魔法』はあくまでそのための手段。
 ライゼ自身がそれに気が付いているかどうかは俺には分からないが、けど、やっぱり魔法というのは手段で、目標は、誓いは、意思は誰かを一瞬でもいいから喜ばせたいなんていう、単純で簡単そうで。

 自分が今、最も欲しいもので、理解できなもの。
 一歩を踏み出すために意思。どうしようもない理不尽を覆す誓い。

 心は意志と性格に在る。
 性格は、生来の才能とそして環境による。育てた者の心根、触れた人々の心根、書物や遺物の心根、社会の心根。来歴にある。

 けれど意志は、未来にある。
 いや、現在と未来にあり続けると言えばいいか。

 意志は過去に依らない。
 過去がどうだったか、過去をどうしたいかではない。
 
 今をどうしたいか、そして未来をどうしたいかに依る。
 昔など、こう言ってはいけないかもしれないがどうでもいい。
 
 トレーネは女神の信者だ。
 信者としての、その意志に従ってきた。彼女の意志がそれに寄り添っているかは置いておいて。

 いや、少なからず寄り添ってはいたのだろう。
 でなければ、神聖魔法は使えない。

 けれど、誓いを立てたわけではないのだろう。
 女神に、己が信ずるものを貫き通すと、その手段が女神の信者であると誓いを立てたわけではないのだろう。

 まぁ、話は逸れた。
 大いに逸れた。俺の勝手な予測ですらない妄想が入り混じってしまった。

 けど、分かる事がある。

 トレーネはまだ子供なのだ。
 そんな子供が、フリーエンが持っていたトレーネの未来に対しての哀しみを、トレーネを残して自分が死んでしまうどうしようもない現実に対しての哀しみを、歪曲して受け取って、子供ながらに自分を押し込めて逃げた。

 フリーエンがもうすぐ死ぬ。
 何故、それをそんな正確な日をライゼが知っているかは疑問が残る。
 けれど、フリーエンに育てられて、フリーエンと同じく優しいトレーネはフリーエンの心の動きを想う。

 自分に向けられていたフリーエンの瞳を見つめ思い返す。
 フリーエンが自分に何を想っていたのか、心から自然と考えてしまう。

「トレーネ、フリーエンさんの弟子にして子のトレーネ。女神の使徒。アナタは何がしたい。何を望む? フリーエンさんが生きている今、何を願う?」
「……私は」

 トレーネが自らの服に目を落とした。
 純白で何物にも染まらない、けれど黒の意匠が少しだけ彩るシスター服。

 そして、部屋の隅に立て掛けてあった黒の金棒を見る。
 見ながら、迷って迷って、息を吸っては吐いてを繰り返す。

「……私は、私は……」
「うん」

 声が濡れる。
 手が震える。

「……安心……させたい」
「うん」

 声が震えている。
 手は強くライゼの手を握りしめている。

「私は、フリーエン様を……私を育てて下さったフリーエン様を……安心させたい。大丈夫だよと言いたい」
「うん」

 声が真っ直ぐになった。
 揺れて伏せられていた黄金の瞳がゆっくりとライゼを見る。

「私はフリーエン様を安心させたい。……やっぱり私は未熟なんです。喧嘩して勝手に飛び出しても、私は巣立っていないのです。フリーエン様のような強くて優しくて少しだけ弱い背中を見せたい。フリーエン様がいなくても、自らの足で立派に歩けるのだと、自らの翼で大空を羽搏けるのだと示したい」
「うん、分かった」

 ポロポロと大粒の涙を零すトレーネにライゼは背中をゆっくりとゆっくりとさすりながら、包み込むように呟く。
 トレーネの方が身長が高いが、けれどライゼはお兄さんに見える。

 そしてようやく零した望みは嗚咽となって何度も何度も虚に消えていき、それでもトレーネの心を温めていく。
 褐色の肌でも分かるくらい頬が赤く染まっていって、赤く腫れた金の瞳には迷いはなく、嗚咽はいつしか優しい息遣いへ変わっていく。

「ライゼ様」

 そして、そしてトレーネはライゼの名前を呼んだ。
 顔を上げて、芯の通った黄金の瞳がライゼを射貫く。顔を覆い隠していた夜空の美しい長髪が、割れた海の様にトレーネの決意を秘めた表情を映し出す。

「私はSランク冒険者になります。後、一年でSランク冒険者になります。そうすれば、私はフリーエン様を安心させられると思うのです」
「……そっか」

 ライゼは少しだけ眉を下げた。俺も尻尾を下げる。
 そこに行きつくか。トレーネが選んだことだし、アレだが……意地なのだろう。

 ただ、本当にそれは難しい。
 トレーネがSランク冒険者になる事は難しくない。それほどの実力と才能はある。いずれは辿り着くだろう。

 けど、時間はない。
 一年でSランク冒険者になるのは本当に難しい。
 Bランクになったばっかりだし、そもそもあの『竜の魂渡り』ですら、未だにAランクなのだ。というか、パーティーだし。

「二人でSランク冒険者パーティーじゃだめ……だよね」
「はい、もちろんです」
「……分かった。うん、分かった。協力する。どうせ、Sランクにならなければ会わないって言うつもりでしょ?」
「はい」

 意地っ張りだ。
 フリーエンの悪いところを受け継いでしまったかもしれない。レーラーが泣いても意志を曲げなかった、自分が間違ったことを選択していると何となく思っていても意志を変えなかったところを受け継いでいた。

「……親子だな……うん、分かった」

 眩しいものを見るようにライゼは頷いた。
 親子という言葉がライゼにとってどれだけのものかは知らない。が、それでもライゼですら少しだけ羨むようなもので。

「じゃあ時間が惜しい。一年しかないんだ。長くても一年と四ヶ月……うん、本当にアレだね……まぁ、けど、間に合うよ。Bランクになってるからね。受けられる依頼の制限は殆ど無くなってるし、うん、間に合わせるよ。……トレーネ」
「はい」
「という事で、今すぐこの宿屋から出よっか。それでハーフン王国に向かおうよ。あそこならダンジョンがあるし、道中に魔境とかがあるから、そこで討伐依頼が受けられる」
「はい」

 そして俺達は逃げるように宿屋を出た。
 宿屋の回りには、溢れんばかりの兵士や冒険者たちが集まっていた。トレーネの魔力と闘気、まぁ大半は魔力に引き付けられたのだろう。闘気を感知できる人はそこまで多くないし。

 なので、本当に逃げるようにこの町を出た。
 最近、夜逃げみたいに色々な場所を出るな。ライゼに変な癖が付かないといいんだが。
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