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第一部 幕間:gear
いつか貴方との約束を
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夜も更け、満月が中天にかかった頃、派手ではないが、しかし、見る者が見れば逸品物だと分かる家具や装飾品が添えられた簡素な部屋で、これまた質のいい単調な色の服に身を包んだ中肉中背の中年が落ち込んでいた。
茶髪で茶目の中年はどこにでもいるくたびれたおっさんだ。
「はぁ」
中年は溜息を吐く。
日夜、常日頃から張りつめなければならい神経を唯一緩められる夜中に、とても深く疲れた溜息を吐く。
「はぁ……」
中年は天井を仰ぐ。
唯一気を緩められる時間であるはずなのに、とても重苦しく気落ちしている。
と、そんな中年の溜息が響く一室に、扉を叩く音が聞こえる。
中年は、少しだけ不審に思いながらも、先程のくたびれた雰囲気とは正反対の厳然たる雰囲気を身に纏う。
「誰だ」
「……お父様、私ですわ」
「……アウルラか」
今、一番会いたくない人物が来てしまった。
いや、会いたくないのではなく、中年、ツァールト・アイファングには娘に合わせる顔がないのだ。
なんせ、今回は全面的な自分のミス。
しかも、それによって生きる英雄や娘の恩人に対して感謝の一つも言わず、この国から追い出したのだ。
合わせる顔がないのだ。
だが、しかし、自分は父親であり、国王である。
自分の為した行動に対して、責任と自信を持たなければならない。でなければ、誰も付いてこない。
「入れ」
「……失礼しますわ」
紫の寝巻用ドレスを纏ったアウルラが粛々と上品に簡素な部屋に入る。
艶やかな銀髪が、夜中なのか美しく煌き、柴水晶の瞳は若干眠たそうにトロンでいる。
そして、ツァールトはそんな娘が自分の前に座ったのを確認すると、鋭く眼光を光らせ、アウルラの瞳を見る。
問う。
「して、何用だ」
公でないとは言え、目が何処にあるかは分からない。
まぁ、一部の上層部しか知らない特別な執務室であるここに目や耳を張る者はいないが、それでもこの先、王族としての未来があるアウルラには慣れて欲しいと願っている。
それに家族らしいコミュニケーションは妻がやってくれていると知っているので、ツァールトは嫌がられる役を引く受けるのだ。
「……この度の件、私の不手際により国王陛下には多大な迷惑をおかけしました。ここに謝罪を申し上げます」
ただ、その役を引き受けたが故に、罵倒の一つや二つあるだろうと思っていたツァールトは、娘から出てきた言葉に瞠目する。
しかし、それも一瞬。アウルラが頭を上げる前には、威厳ある父の表情へと戻る。
「うむ。しかと受け取った」
そして、国側のミスではあるが、国王がミスを認める時は、家臣か民衆によって首を斬られる時だけである。
例え娘であろうと、ツァールトを国王として向き合ったアウルラに対しては、国王としての態度で受け取ることがよい。
そう判断した。
そう判断したはいいのだが、ツァールトは内心困り果ててしまう。娘と面と向き合って座るなど、数年ぶりである。
前国王が制定した貴族子息法によって定められた王立魔法学園や貴族学園におていの講義内容などに関する苦情や反乱にも近い行動が、特に中級貴族を中心に多かったのだ。
それらを、公爵家や侯爵家などに魔法利権を流し、水面下で中級貴族の調略、また、下級貴族である男爵家や騎士爵家などに冒険者の擁護を進めさせることによって、武力面を中心とした戦力を付けさせ、上からも下からも締め付けを行っていた。
それが、ようやく終わったのが、一年前。
しかし、その後も魔法学園においての貴族の子息たちの教育状況の把握や価値観の形成などの進行状況などの把握で忙しく、仕事漬けだった。
だから、目の前でジッと自分を凝視する柴水晶の瞳に対してどう対処すればいいか分からなかったのである。
「……それだけか」
そしてようやく絞り出した言葉がそれである。会話にすらならないと思う。
「……いえ、まだございます」
アウルラは確かに否定した後、再びツァールトの茶目を見つめ、深く深呼吸した後、覚悟が宿った瞳を向ける。
ツァールトは思わず身構えてしまう。大抵、こんな目をする奴は、とんでもない言葉を放つからだ。行動を起こすからだ。
「なんだ」
「……私は女王になる必要があります。ですので、私が成人する四年後から、一般的な婚期が終わる八年後までの間に、国王陛下の王位を奪わせてもらいます」
「………………ぇ?」
国王としての毅然とした態度は何処へ行ったのか。ツァールトは間抜け面をアウルラに晒す。
しかし、しかし、今まで踏んできた数々の修羅場によって培った鋭利さが、呆然としているツァールトに平静を呼び戻す。
そして、怒りの表情を露わにする。内心は、怒っていない。
「……なかったことにしてやる。失せろ」
永久凍土すら、生ぬるい凍えた言葉がツァールトから発せられる。
当たり前だ。
王位を簒奪するという事はすなわち、反逆者である。娘であろうと、例え冗談であろうと決して発しては行けない言葉だ。
それを聞かなかった事にするというのだ。
「いいえ、失せませんわ。何度でも申し上げますわ。私は女王になりますわ」
「……」
アウルラの言葉は冗談ではない。軽薄でもない。
どんな暗闇でも突き進む覚悟を持った重い言葉だ。
そもそも、女王はこの世界にはいない。国王は全て男だ。お伽噺では、はるか遠い昔の歴史においてはいたが、しかし、今はいない。
そんな時代で女王になるという事を、誰かの前で宣伝すること自体、とても重い言葉なのだ。
「……お前に王位継承権はない。持っているのは第一王子であるルクと第二王子であるガルクスだ。女は国王にはなれん」
「なら、私がその常識を打ち破って見せますわ。そして変革を為してみせますわ」
内心、今の会話を誰かに聞かれていないか戦々恐々のツァールトは、しかし、仁王もかくやと言うべき形相でアウルラを訝し気に見る。
「変革だと?」
変革とは社会制度を変える事だ。
だが、アウルラが言っている変革は女王になる事ではない。女王になった後に、社会を国を根本的に変えると言ったのだ。
「ええ、そうですわ。この国から貴族がなくなり、国王という存在がなくなり、階級制度がなくなり、あらゆる種族が公平な権利をもち、主権をもち、行使できる国を作りますわ」
貴族がいなくなるという事は、国を守る者がいなくなる。
それでも国が成り立つようにするには至難の業だ。というか、不可能に近い。洗練された、代々強く強く力を持つために作られた貴族は、守るという義務がある。
責務がある。
だから、力がある。
その貴族が貴族でなくなった時、残るのは力だけだ。責務の責任もない、強欲で制御できない力が野に放たれるのだ。
妄言である。
「……今更エルピスの戯言か。それを口にして許されたのは彼の者が勇者であったからで、お前は死刑だぞ」
「重々承知ですわ。ですが、私は誓いましたの。一生を掛けてでも、勇者エルピスが為そうとした、実現しようとした国を作り上げると誓いましたの」
ツァールトには思い当たりがある。娘の恩人は勇者に育てられた。
そして溜息を吐く。
「……不可能だ。そしてもう一度言う。失せろ」
もう一度溜息を吐く。
「ここでお前が発言した全てをなかったことにしてやる。だから、失せろ」
再度、溜息を吐く。
「そしてお前が死ぬか、それとも私が死ぬまで、私の前でその言葉を紡ぐな。それをしなければ、勝手にしろ」
「……感謝しますわ」
そして、十数年後、確かに世界に変革が齎された。
無血だった。
茶髪で茶目の中年はどこにでもいるくたびれたおっさんだ。
「はぁ」
中年は溜息を吐く。
日夜、常日頃から張りつめなければならい神経を唯一緩められる夜中に、とても深く疲れた溜息を吐く。
「はぁ……」
中年は天井を仰ぐ。
唯一気を緩められる時間であるはずなのに、とても重苦しく気落ちしている。
と、そんな中年の溜息が響く一室に、扉を叩く音が聞こえる。
中年は、少しだけ不審に思いながらも、先程のくたびれた雰囲気とは正反対の厳然たる雰囲気を身に纏う。
「誰だ」
「……お父様、私ですわ」
「……アウルラか」
今、一番会いたくない人物が来てしまった。
いや、会いたくないのではなく、中年、ツァールト・アイファングには娘に合わせる顔がないのだ。
なんせ、今回は全面的な自分のミス。
しかも、それによって生きる英雄や娘の恩人に対して感謝の一つも言わず、この国から追い出したのだ。
合わせる顔がないのだ。
だが、しかし、自分は父親であり、国王である。
自分の為した行動に対して、責任と自信を持たなければならない。でなければ、誰も付いてこない。
「入れ」
「……失礼しますわ」
紫の寝巻用ドレスを纏ったアウルラが粛々と上品に簡素な部屋に入る。
艶やかな銀髪が、夜中なのか美しく煌き、柴水晶の瞳は若干眠たそうにトロンでいる。
そして、ツァールトはそんな娘が自分の前に座ったのを確認すると、鋭く眼光を光らせ、アウルラの瞳を見る。
問う。
「して、何用だ」
公でないとは言え、目が何処にあるかは分からない。
まぁ、一部の上層部しか知らない特別な執務室であるここに目や耳を張る者はいないが、それでもこの先、王族としての未来があるアウルラには慣れて欲しいと願っている。
それに家族らしいコミュニケーションは妻がやってくれていると知っているので、ツァールトは嫌がられる役を引く受けるのだ。
「……この度の件、私の不手際により国王陛下には多大な迷惑をおかけしました。ここに謝罪を申し上げます」
ただ、その役を引き受けたが故に、罵倒の一つや二つあるだろうと思っていたツァールトは、娘から出てきた言葉に瞠目する。
しかし、それも一瞬。アウルラが頭を上げる前には、威厳ある父の表情へと戻る。
「うむ。しかと受け取った」
そして、国側のミスではあるが、国王がミスを認める時は、家臣か民衆によって首を斬られる時だけである。
例え娘であろうと、ツァールトを国王として向き合ったアウルラに対しては、国王としての態度で受け取ることがよい。
そう判断した。
そう判断したはいいのだが、ツァールトは内心困り果ててしまう。娘と面と向き合って座るなど、数年ぶりである。
前国王が制定した貴族子息法によって定められた王立魔法学園や貴族学園におていの講義内容などに関する苦情や反乱にも近い行動が、特に中級貴族を中心に多かったのだ。
それらを、公爵家や侯爵家などに魔法利権を流し、水面下で中級貴族の調略、また、下級貴族である男爵家や騎士爵家などに冒険者の擁護を進めさせることによって、武力面を中心とした戦力を付けさせ、上からも下からも締め付けを行っていた。
それが、ようやく終わったのが、一年前。
しかし、その後も魔法学園においての貴族の子息たちの教育状況の把握や価値観の形成などの進行状況などの把握で忙しく、仕事漬けだった。
だから、目の前でジッと自分を凝視する柴水晶の瞳に対してどう対処すればいいか分からなかったのである。
「……それだけか」
そしてようやく絞り出した言葉がそれである。会話にすらならないと思う。
「……いえ、まだございます」
アウルラは確かに否定した後、再びツァールトの茶目を見つめ、深く深呼吸した後、覚悟が宿った瞳を向ける。
ツァールトは思わず身構えてしまう。大抵、こんな目をする奴は、とんでもない言葉を放つからだ。行動を起こすからだ。
「なんだ」
「……私は女王になる必要があります。ですので、私が成人する四年後から、一般的な婚期が終わる八年後までの間に、国王陛下の王位を奪わせてもらいます」
「………………ぇ?」
国王としての毅然とした態度は何処へ行ったのか。ツァールトは間抜け面をアウルラに晒す。
しかし、しかし、今まで踏んできた数々の修羅場によって培った鋭利さが、呆然としているツァールトに平静を呼び戻す。
そして、怒りの表情を露わにする。内心は、怒っていない。
「……なかったことにしてやる。失せろ」
永久凍土すら、生ぬるい凍えた言葉がツァールトから発せられる。
当たり前だ。
王位を簒奪するという事はすなわち、反逆者である。娘であろうと、例え冗談であろうと決して発しては行けない言葉だ。
それを聞かなかった事にするというのだ。
「いいえ、失せませんわ。何度でも申し上げますわ。私は女王になりますわ」
「……」
アウルラの言葉は冗談ではない。軽薄でもない。
どんな暗闇でも突き進む覚悟を持った重い言葉だ。
そもそも、女王はこの世界にはいない。国王は全て男だ。お伽噺では、はるか遠い昔の歴史においてはいたが、しかし、今はいない。
そんな時代で女王になるという事を、誰かの前で宣伝すること自体、とても重い言葉なのだ。
「……お前に王位継承権はない。持っているのは第一王子であるルクと第二王子であるガルクスだ。女は国王にはなれん」
「なら、私がその常識を打ち破って見せますわ。そして変革を為してみせますわ」
内心、今の会話を誰かに聞かれていないか戦々恐々のツァールトは、しかし、仁王もかくやと言うべき形相でアウルラを訝し気に見る。
「変革だと?」
変革とは社会制度を変える事だ。
だが、アウルラが言っている変革は女王になる事ではない。女王になった後に、社会を国を根本的に変えると言ったのだ。
「ええ、そうですわ。この国から貴族がなくなり、国王という存在がなくなり、階級制度がなくなり、あらゆる種族が公平な権利をもち、主権をもち、行使できる国を作りますわ」
貴族がいなくなるという事は、国を守る者がいなくなる。
それでも国が成り立つようにするには至難の業だ。というか、不可能に近い。洗練された、代々強く強く力を持つために作られた貴族は、守るという義務がある。
責務がある。
だから、力がある。
その貴族が貴族でなくなった時、残るのは力だけだ。責務の責任もない、強欲で制御できない力が野に放たれるのだ。
妄言である。
「……今更エルピスの戯言か。それを口にして許されたのは彼の者が勇者であったからで、お前は死刑だぞ」
「重々承知ですわ。ですが、私は誓いましたの。一生を掛けてでも、勇者エルピスが為そうとした、実現しようとした国を作り上げると誓いましたの」
ツァールトには思い当たりがある。娘の恩人は勇者に育てられた。
そして溜息を吐く。
「……不可能だ。そしてもう一度言う。失せろ」
もう一度溜息を吐く。
「ここでお前が発言した全てをなかったことにしてやる。だから、失せろ」
再度、溜息を吐く。
「そしてお前が死ぬか、それとも私が死ぬまで、私の前でその言葉を紡ぐな。それをしなければ、勝手にしろ」
「……感謝しますわ」
そして、十数年後、確かに世界に変革が齎された。
無血だった。
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