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序章 異世界

冒険記録1-2.異世界へ行く理由

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 そう言われた途端、先程まで余裕たっぷりな表情を見せていたヨシュアの顔が、苦虫をつぶしたように歪む。女性が言うように、ヨシュアはずっと罪を犯し続けていた。それの罪滅ぼしをしろと言われるのは至極当然の事だった。その事に対し、不満そうに女性を睨む。

「そんな事を言うのであれば、なおさら行く気は起きんな」
「貴方にとって興奮するものが異世界に多くあるとしてもですか?」

 ハッ! と小馬鹿にしたかのようにヨシュアは短く笑い、先程まで寝ていたベッドに寝転がり、背を向けて目をつむる。その姿勢から、もう何も聞く気はないといっているかのようだった。そんな彼の背に彼女はぼそりと呟いた。ヨシュアの肩がピクリと動く。それを見た彼女は更に情報を与えた。
 
 異世界にはヨシュアが生きている世界にはいない生き物がいる。
 食事は美味しいものばかり。
 海に出ることもできるほど自由。
 
 少しずつ出される話に興味が出てきたのか、顔だけを女性に向ける。

「お話を元に戻しましょう。貴方が罪をつぐなう理由ですが、ここに映し出される二つの映像を見てからお答えします」

 興味を示しているヨシュアに説明の続きをし始める。女性が手に持っている水晶玉が、突然白く輝き、別世界の映像が流れ始めた。そこにはくわを持ち、一生懸命畑をたがやしている農民。鉄のつるはしを持ち、坑道こうどうに入っていく鉱夫達。鉄の鎧を着て剣を腰に携え、談笑しながら道を歩く者達が映し出されていた。

「先程の場面から50年ほど経ったものです」

 女性がそう言うと、もう一度水晶玉が輝き、映像が流れる。道具や行動が変わらない風景が映し出されていた。

「どこに違いがあるというのだ。最初に見せられた映像と何も変わらないぞ」
「賢い貴方なら簡単かと」

 水晶に顔だけ向けていた状態から体を起こし、彼女を正面に見据える。見られている彼女は妖しく笑い、ヨシュアがどのような答えを出してくるか楽しみだという顔で待っていた。

  射貫くような眼差しで彼が見ても、表情を変えない目の前の彼女に睨むことを諦めたのか、視線を水晶玉に戻し、思考する。

「……同じ風景や人の行動。やはり、何も変わっていない。どこもおかしな所は……いや、何も変化がないというのがおかしい。何故何も発展していないのだ。この世界に学者は? 研究者は?」

 目の前にいる女性に問いかけるが、目をつむり、ゆっくり首を横に振る。

「そのようなことがあり得るのか……」
「残念ながら」

 そのことを聞いたヨシュアは眉間に皺を寄せ、顎に手を置くと目を瞑る。しばらく黙り、頭の中を整理するかのように独り言を呟くが、いつまでたってもまとまらないのか、目を開き、女性に視線を向けた。

「2つ目の理由は?」
「2つ目は一人でも構いません。この世界で親しい友人を作り、その友に知恵を授けてほしいのです」
「よほどのことがないかぎり、私は友を作ろうとは思わないし、知識を与えたいと思えないのだが」

 ため息をついたヨシュアは、首を横に振る。まるで興味がないといわんばかりに。

「それでは意味が無いのです」
「どういうことだ」

 彼女の言葉の意味が分からないと首を傾げ。

「これから貴方が向かう世界は、他人と共存し、生活しなければ生き残ることが難しい所です。分かりやすく例え話をしましょう。貴方と貴方の仲間がいて、目の前には巨大で力の強い熊が1頭います。それには別々の所に弱点があり、2人で協力し、同時に弱点を突かなければなりません。幸いにも、貴方はその熊に対処する知識を持っています。ですが、仲間は持っていません。そのような場面に出くわした時、どうしますか?」

 彼女から先程から何度も繰り返される問いかけだ。目の前の女性はヨシュアに考えさせることを楽しんでいるのか、ひっそりと笑っている。

「……弱点を教え、相手が最も得意だということで対処させる」
「そういうことです」

 ヨシュアが言った答えに満足したのか女性がニコリと笑った。

「それが常に行われる世界とは……やはり面倒だな。今ここで戻せとわめいても、戻れなさそうだしな。仕方がない。その提案に乗るとしよう。どちらにしても、行かなればならないのだろう? ここに私を呼んだという事は」
「ええ」

 清々すがすがしい顔で女性は頷いている。その顔に少しだけ苛立ちを覚えた彼だったが、先程から感じている何かに考えをさえぎられ、何も言えなかった。

「別世界に行くにあたって、貴方にこれを授けます」

 ヨシュアの左手を優しく手に取って包み込むと、彼には理解できない言葉を女性が唱え始めた。その行動をじっと見つめていると、白く淡い光が女性の指の間からこぼれ、少しだけ周りが輝いている。

「これは、指輪……?」

 彼女が手を離すとヨシュアの手に真っ黒に輝く指輪がはめられていた。

「ええ。中指にはめる指輪には、円滑な友人関係を築けるようにという願いが込められています。そして」

 途中で彼女が言葉を止めると指輪が紅く輝き始め、それはジワジワと熱を持ち始めて中指から腕を伝ってヨシュアの首の大部分を埋めるかのように鎖の模様が刻まれていく。

「あ、熱い……! 腕が、焼けるっ!」
「それを貴方の罪に対するかせだと思って下さい。外そうとは思わないでくださいね」

 女神のごとく微笑む顔だが、その裏にある悪魔のような考えに背筋が凍るヨシュアだった。

「……末恐すえおそろしい、女、だな。――1つだけ、行く前に、あんたの名を、知りたい」

 痛みと熱さがまだ残る左腕をかばいつつ、ヨシュアは女性に問いかける。

わたくしの名はアテリア。多くのことを司る神と知られていますが、ここでは知識の神とさせて頂きます」
「知識の神アテリア。……なるほど。あんたと会話し始めた時から震えが止まらなかったのは只者ではないと、無意識に感じていたが故か」

 うつむいたヨシュアは、微かに震える自分の両手を見つめていた。手から体へと伝う震えを抑えることなく、長い間顔を伏せてベッドを見つめている。最初は小さかったが、少しずつ大きくなる自身の笑い声を周りに響かせた。

「女神アテリアよ! 貴女のことを調べさせて欲しい! 先程までは知ろうと思わなかったが、名を知ったことで俄然興味が湧いて来たのだ」

 勢いよく顔を上げた彼は、少年の様な眼差しで女神を見つめる。その純粋な目に危うく負けそうになった女神だったが、思いとどまり、口を閉じた。伊達に神をやっていない。

「貴方のそれは神に対しても発動するのですね」
「それはそうさ! 相手が誰であろうと、興味を持った相手の全てを知りたいと思うのは、私が常に知識を得ることに飢えているからだ!」
「その貪欲さは別世界で発揮してくださいね」

 女神がヨシュアに微笑みかけ、彼の目を手で覆うと、興奮していたヨシュアの体から少しずつ力が抜けていき、崩れるようにベッドに倒れていくのが目に見える。

「ま、まて……まだ、ききたい、ことが」

 後ろにゆっくり倒れていく中でヨシュアは、助けを求めるかのように女神に手を伸ばす。

「全ての罪を償えるよう見守っていますよ、貪欲どんよくで怖い者知らずの海賊ヨシュア」

 眠りについた彼の隣に座りながら頭を撫でている。その顔はやんちゃな息子を愛おしく想う母親のようだった。
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