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6章

72.ソレは正気への過程

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 大きなベッドの中央に眠る雫は、凄惨なあの日の出来事がまるでなかったかのように、綺麗な顔をしていた。

「触れても大丈夫か?」

 問いかける相手はチビカラス。

『晃殿がそうなさりたいなら』

 生きているのか試すように、首筋に脈を診るように触れてみた。 随分と冷たく、滑らかで人形のようなのに、触れる首筋はユックリと、本当にユックリと脈打っている。

 首筋を昇るように撫で、頬を撫でる。

 唇を触れれば柔らかく、微かに濡れて誘っているかのように開かれ、ユックリとした呼吸が指に触れる。

 晃は大きく息を吸って吐いた。

 人形のように眠っている雫が艶めかしく思え、性的な欲求を刺激され、深呼吸を繰り返す。

『なされぬのですか?』

 チビガラスに聞かれ、思わずムニッと手でつかめるサイズのカラスを掴み、顔を合わせる。

「お前は俺を何だと思っている」

『……なさりたいようにすればよろしいでしょう』

「それで、後でお前等に殺されろと?」

『まさか、そんな事、する訳ございません』

「なら、そうやって雫に男を斡旋していたのか?」

 苛立ちを溜息に混ぜ、テーブルに置かれていた煙草に手を伸ばし、灰皿と共にベランダへと大股で歩き出す。 気づけば部屋からは人が居なくなっていた。

『まさか、姫はまだ経験がありませぬ。 そうですね、出来るならお優しくして差し上げた方がよろしいかとお思いますぞ……』

 ベランダの手すりに思い切り突っ伏し、手すりにチビガラスを置いた。 顏と顏が近いが……と言うか、嘴が鼻のようだなと笑いそうになる。

「なんなんだよ。 お前等は……」

『カラスでございます』

「だな……。 だが、聞いているのはそんなことじゃないから」

 姿勢を正し煙草に火をつけ、大きく吸い煙をチビガラスとは反対の方へと吐いた。 燃えた煙草の灰を灰皿に落とし、気持ちを落ち着けようともう一度煙草をくわえる。

『ですが、あの女に篭絡をされるぐらいなら、姫に手を出された方がマシだと思いますが?』

 そう言われ思い切りむせ込んだ。

「何故知っている」

 救いたい、支えたいと幾度となく誘われた。 拒絶した理由は、茨田杉子がそう誘うのは刑務所のものと激しい喧嘩になった後、暴力衝動が増した時だったから……欲望に耽り、何をするか……どんな衝動を持つか、自分でもわからなかった。

『危険な場所におられるのですから、お守りするため少しばかり深く感覚を繋げさせていただいております』

「はぁ? それってどういうことだ!!」

『アナタ様は、理性を、思考を欠いておいでだ。 ずぶずぶと沼に進んでいくかのようにとても危なかしい』

「だから、俺に何をした?!」

『よく、お考え下さい……。 あの者はアナタを恩人、英雄だと言いながら、アナタのために何をしていると言うのでしょうか?!』

「質問に応えろ!!」

 勢いよくチビカラスを掴んだ。

「このまま、ひねりつぶすぞ」

『そうなさりたいなら、そうなさるといい』

 森のカラスが、嘲笑うかのようにカーカーと声を上げた。

「何者だ?」

『カラスでございます。 ただ……姫が死からも再生するように、私共も通常の獣とは異なると、ご理解くださいませ。 信じられぬようであれば、キュッと握りつぶしてみればよろしいでしょう』

 チビガラスが笑ったように思えた。

 姿こそ小さいにも関わらず、その影はとても巨大な生き物のように思えた。

「動物虐待で訴えられてはたまらないからな、止めておく。 止めておくから、オマエも人を挑発するような事は言うな」

『それは、無理でございます』

「……なぜ、そうなる……」

『かの方は、恋人を助けてくれた英雄だと、アナタに感謝を伝えました』

「止めろと言っている!!」

『アナタを支えると……なのに、なぜ、その先にあるのが、不可能に近い要求なのですか? 支えると言いながら、無茶を強いるのですか? この地の権力者が自らの所有物を手放すために、どのような対価を要求するのか分かっているのですか? ソレを英雄だと持ち上げ、感謝している、支えになる、だから……恋人の肉を手に入れて欲しい。 そう告げている女と関係を持たれると言うのを放っておくことができましょうか!!』

「……わかっている。 黙れ」

 煙草は吸わずに終わり近くまで燃えていて、晃は灰皿の上で火を消し煙草を置き、側に置かれた椅子に腰かけ空を仰いだ。

 ちょっんっと移動してきたカラスが、目の前に座ったかのように見えた。

『では、姫とやっちゃいましょう』

 むにっとチビガラスを手につかみ、そのままベランダの外に投げ捨てた。 普通の鳥ではないと自己申告があったのだから、大丈夫だろう。
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