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後編

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 手が……触れたあの日。
 他の町から救援要請があり、夜遅かったにも関わらずティス様は出かけて行った。 共に行きたいと言う願いは拒否された。

「安全が確認できない場所に、あなたを連れて行く事はできません」

 なぜか切なそうにティス様は笑っていた。

「一緒に、仕事をしたいのに……」

 甘えたように言えば、髪が撫でられ、頬が撫でられ、頬に軽く唇が触れ、唇は耳元にうつりそして囁いた。

「コチラでの調査が許されれば、一緒に居る事ができますよ」

 それは甘い声で、砂糖が紅茶に溶けるように、私の中に溶けていく……。

「ぇっ」

 ティス様を見つめる私の顔は、きっと凄く赤かっただろうと思う。

「では、行ってきます。 大人しく待っていてください」

 もう一度、頬に口付けがされた。



「一緒にいたいのに……」

 私はティス様と共に仕事をしたいと、元となっているだろう魔術式の解析と予防術式の制作に励んだ。

 朝になり、夜を迎え……。
 翌朝、使いの者が訪れる。

 ティス様が招かれたのは、この別荘地をまとめる領主の元で、所在と無事を伝えに来た使いの者は、大人しく屋敷で待っているようにと書かれた手紙を私に渡し、代わりに治療院で幹部を務めるブライト侯爵宛ての手紙を持って行った。

 使いの者は、私と年が近くて……いいなぁ……ティス様に必要とされて、私には手伝いを求めてはくれないのだろうか?



 ティス様の手紙が王都に届いて数日後。

 調査員が送り込まれてきた。
 代わりに、ティス様が王都に戻された……らしい。

 ティス様は国のモノであり、王のモノ。

 だから、魔力を持たない民のために、身を粉にする事は許さぬと言う事だった。 民がいなければ国が亡ぶ、そんな当たり前の事を説得させるのに、ティス様と父君であり治療院の幹部であるブライト侯爵は随分と苦労をしたのだと……私は……回復薬を届けに行った町で噂として聞いた。

 何も知らない事が切なかった。 病が流行している中、余りにも身勝手だと知りながら、私よりも他の人達がティス様の事を知っている事に嫉妬した。



 ティス様は、色々と苦労をなさっているのですね。

 でも……どうして私に手伝えと言ってくれないのでしょう?
 どうして私は、ティス様を恨めしく思ってしまうのだろう?

 嫌な気持ちが胸をしめた。

 病に苦しむ人達よりもティス様が気になるなんて……まるで理屈に合わない。 合理的でない。 理不尽で感情的で……まるでアンジェのように不可解じゃない。



 私って、最低……。


 頭の中がごちゃごちゃする。
 混乱し感情が乱れる。

 それが嫌で、無心に予防術式を作った。

 完成品を王都に届けて貰ったけれど、実際に術式が使われたのは1月後。 術式の安全を確認するために必要な時間だったらしい。

 術式を完成させても、ティス様を思えば気持ちがモヤモヤとして、スッキリしなかった。 気持ちが、感情が揺れて落ち着かない。



 ティス様に次にあったのは、それからもう1月の時が必要だった。



「魔術ウイルスの件は、収まりつつあります」

「ティス様」

 お会いしたかった……。

 ティス様がひそひそと耳元で囁いた。

「とても美味しい菓子を買ってきました。 乳母に見つかると叱られてしまう。 私の部屋でヒッソリと食べませんか?」

「はい」

 落ち着かない感情は、喜びにあふれていた。

「王都に戻った折には、今回の礼もかねてお茶に誘いたいと陛下がおっしゃっておいででしたよ」

「どうしましょう?」

 不安の言葉を口にしながら、私が思っていたのはティス様からのお褒めの言葉が無かった不満。

 そんな事を思う私が……嫌だった。
 私は、オカシイ……。

 お茶を飲み、菓子を食べ、穏やかに語り合う。



 息が辛い……。
 私自身の決意が揺れる。

 ダメ……決めたのですから。



「ティス様、これを」

「コレは?」

 優しい声での問いかけが、凍り付く。

 私がティス様に差し出したのは辞表。

「これは、どういう事ですか?」

 表面に堂々と辞表の文字が書かれているのだから、分からない訳がない。

 ティス様は、今まで見たことのない不機嫌そうな顔をし、怒りをあらわにしていた。

 私は、ティス様のそんな顔を今まで見たことが無い。
 でも、私は、嬉しかったのだ……その瞬間。



 あぁ、ティス様が、強い感情を持って私を見てくれた。



 ソレを恋心だと知らないまま、自分が狂っていくのが苦しいと、立ち去る事を決めたのに嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。

「お休みをいただいている間、考えたのです。 今回のウイルス術式、この国では収まりを見せましたが、魔術治療研究がなされていない国では、多くの民が苦しむことになるのだと……だから、私はそんな国を巡り救いたいと思ったのです」

 言い訳だ。
 醜い言い訳。

 何処までも彼に良く見られたいのだと言う……醜い私の欲望。

「あなたがそんな事をする必要等ありません。 他国であっても、救いの手を差し伸べる手段は、いくらでもあります。 あなたが治療院を止める必要などありません。 私には、あなたが必要なのです」

 静かに重い声は怒っていた。
 威圧的な視線。

 怖い……のに、必要とされることに私は喜んでいる。

「何をむきになっておいでなのですか? 新人の私の代わりなど幾らでもいます」

 私は醜い……。

「理由を……」

 私は醜い……。
 ティス様には!! 知られたくない!!

「理由は先ほど告げました」

「なら、それは意味がないと説明しましたよね?」

 ゆっくりとした動きでティス様が立ち上がり、歩み寄ってくる。 私も慌てて席を立ち逃げようとすれば腕が掴まれた。

 私の腕を掴む手。
 ずっと、手を重なる瞬間にドキドキしていた手……なのに。
 離すのを惜しがっていたと言うのに。

 今は、なんだか怖い。

「ぁっ」

 逃げ場を求め視線を巡らせる。

 壁とティス様との間に、僅かな隙間があった。
 そこをすり抜けようとした。

 だけど、その瞬間腕が掴まれ、壁に縫い付けるように抱き寄せられる。

「な、なんですか……こんな……」

 乱れた呼吸音が聞こえた。

「言っていませんでしたか? 私があなたに好意を抱いていると言うことを。 それとも、もっと分かりやすく接するべきだったでしょうか?」

 腕を掴み、肩を使い、私の身体は固定されていた。
 ティス様の空いた片手が、私の頬を撫で顎に触れ上向かせる。

「ぁっ……」

 息が辛い。

 視線が、呼吸が、近い。

「私を、捨てるのですか?」

 耳元で切なく甘い声で、ティス様が囁く。

 頬と頬が触れていた。
 女性とは違う肌。
 自分とは違う体温。

 心臓が早い。

「なにを……」

 言っているの?

 問いかけは遮られた。

 唇が塞がれ、濡れた感触が唇に触れ……唇をこじ開け入り込む。 紅茶の香りと林檎のジャムの味が、舌先に絡まる。 ぬるりとした感触が口内をしめ息が上手くできなかった。

 軽い身じろぎすら許されず、身体は固定され、温かく濡れた舌は口内を擽り舐め、舌を絡め取り、吸い上げる。

「んっ……」

 微かな痛みは、背筋を甘く痺れさせた。

「ぁっ……」

 身体の力が抜け、床の上に座り込みそうになれば……身体は抱き上げられ、ベッドへと誘われた。
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