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前編

04

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 研究成果は出していても、ブライト侯爵家の名があっても、今の私は半人前。 治療師として患者の病の情報を調べ、診断を下す事は許されてはいない。 私に許された行為は、治療師研修中の札を胸につけ、先輩治療師の背後に控え、先輩治療師が診断を下した治療指示を適切に実行する事だけ。

 そして特別な患者には治療師が定められており、外来で患者を迎えるのは2級以下3級以上の治療師とされている。 そんな治療院では、外来に訪れる患者の数は決して多くは無い。

 

 今日は、いつもと違っていた。

 魔物の巣から任務を終えて帰ってきた騎士達が、列をなして身に貯め込んだ瘴気の浄化を待っている。 それこそ見習いの治療師たちも総出でお出迎え状態で大忙しになるのだけど、治療院は午後からは休業とされた。

 騎士達は辛いだろうけど、急いで浄化を必要とするわけではなく、治療士達を必要以上に消耗させる必要が無いと判断されたからだ。



 疲れた……。

 疲労回復用の飴を舐めながら、側に置かれた飲み物を口にする。



 クスクスと笑う声が聞こえた。



 優遇されているのですから、ソレを良く思わない者がいるのは世の真理。 それは理解しております。 それでも嘲笑うかのようにクスクスと悪意を込めた笑い声が耳に届けば気分が良い訳等ありません。 とは言え、今の私は、気力、体力、精神力に魔力までも消耗しきっていて臨戦態勢すらとる事が出来ない。

 敗北を理解している……とでも思われたのでしょうか? これ見よがしに嫌味っぽく世間話がされる。

「治療に訪れる騎士達の中に、マーティン・ブライト様を見かけなかったのだけど。 これってあの噂は本当なのかしら?」

「ぇ? それってどんな噂ですの?」

 そう語りだすのは、年若い……とは言っても先輩にあたる女性治療師達。 年配の治療師達はブライトの名をかたりだす事にギョッとした顔をしている。

 だからと言って、今の私は先輩方を諫める元気はありません。 ただ彼女達のさえずりに耳を傾けるのみ。 それでも……マーティンが関わる噂と言えば、脳裏に浮かぶのはアンジェの事。

 息がつまり、鼓動が早くなり始めていた。

 世間では、どの程度の噂が広まっているのか? その状況が分からなければ、夫の浄化は昨晩ベッドで済ませましたわ。 等と虚勢を張る事が出来るのだけど……女子寮に入り込むマーティンの姿を見たものがいたなら、もし、一緒にアンジェの妊娠を祝う者がいたなら……私が恥を晒すだけ。

 だからと言って、余りの長い沈黙もまた私を悪く言いたい相手に付け入る隙を与えると言うもの。 どうしましょう!! と焦るばかりの私に助けが入った。

「弟にどんな噂があるのでしょうか?」

 背後から現れるマーティス室長。

「ぁ……」

 振り返れば、口元は微笑んでいるものの眼鏡の奥の瞳が笑っていない。

「いえ、何もありません」

 焦る先輩方。

「何も無いのに弟が噂されるのですか?」

「いえ!! マーティン様ではなく!! 彼女ジェシカの問題なんです!!」

「へぇ、うちのお嫁さんに問題があるのですか。 ソレは是非伺いたいものですねぇ~」

「その……彼女は、夫に愛されていないと言う噂がありまして」

「そうなのですか?」

 私に聞かれても困ります……。

 そっと視線を伏せて見せる。

「夫婦の事を人様に語る訳にはいきません」

「へぇ~、やっぱり、噂は本当なんだぁ~」

 マーティス室長の前なのに……少し考えれば問題のある発言だと分かるものを……彼女もつかれているのかしら? 

「あんなに熱烈に愛を語っていたのに、そんなに軽い恋心でプロポーズをしていたとはなんとも情けない!! 盛大な結婚式費用を親に出させ、多くの貴族に来訪頂き、祝いまで頂き、侯爵家の名に傷がつくと言うもの。 しっかり弟に話しを聞かないといけません!!」

 スルリと恋愛事情から、一族の事情へとすり替えれば、先輩治療師たちも大焦りだ。

「ですが!! マーティン様が、彼女への恋心を失っても仕方がない事ではありませんか? 髪はボロボロ、肌はくすみ、服は地味な挙句ヨレヨレで薄汚れ、100年の恋が冷めても文句を言えませんわ」

 時系列のおかしさをかなぐり捨ててます。

「それは……困りましたね。 彼女が浄化を施した患者は、あなたたちの3倍以上。 休憩も取らせず酷使させた私の責任です。 悪い事をしてしまいましたね。 マーティンには私から話をしておきましょう」

 治療名簿を手に語れば、先輩治療師達の顔色はますます悪くなる。

「いえ、それほどたいそうな話ではなく、彼女達はマーティンが治療に訪れていなかった事に対して、不和を感じたと言っているだけなのです」

「なるほど、そう言う事ですか。 ジェシカさんは優しいですねぇ~。 弟は任地からの帰宅後すぐに実家に顔を出すようにと母が伝えていましたからね。 きっとマーティンの治療は母が行っているのでしょう。 母も以前はこの治療院で治療師をしていたのですよ」

 マーティス室長は、前半部分を彼女達に、後半部分を私に伝えて見せた。

 マーティンが実家に戻っていたのは本当ですか?!

 希望を持ちそう問いかけそうになったけれど、必死になって問えば折角していただいたフォローが台無しになると言うものだ。

「ジェシカさん、良く頑張りましたね。 疲れたでしょう。 今日はユックリと休んでください」

 マーティス室長が私を逃がそうとする全てを言い終える前に、甲高い声で呼びかけられた。

「ジェシカ!!」

 そして、何時ものように駆け寄ってくる小動物的女性が1人。

 まるで走ると転ぶ呪いでもかけられたかのような人なのに、彼女は走る事を止めない。 そして案の定転びそうになり……マーティス室長が襟首をつかみ、勢いを殺し、床にペタリと落とした。

「ひどぉ~い。 お兄様ったらぁ」

 そう言いながらアンジェは泣き真似をしてみせ、抱き上げて欲しいと両手をマーティス室長に差し出し……そして、無視されていた。

 以前であれば、仕方がないわねと私が助け起こしていたのだけど……今日は彼女に触れる事にすら抵抗があり、彼女を見下ろす私の目は冷ややかで顔色はきっと悪いに違いないでしょう。

「そこの君達。 どうやら君達はこの女性の味方のようですし、彼女が起きる手助けをして差し上げてはどうですか? ついでに、相談なり治療なりを行ってあげて、彼女の職場に送り届けてください」

「な、んで私達が!!」

「ジェシカさんは、あなた方の3倍以上の仕事をしているんですよ? こうやって無言で立っているだけでも辛いはずです。 それに、先ほどの発言を聞く限り、あなた達はうちのお嫁さんの敵。 なら、きっとその女性と仲良く出来るでしょうからねぇ~。 では、よろしくおねがいしますね」

「ぇ、ちょっ、待ってください」

 私は慌てて状況を止めようと声を上げた。 アンジェがマーティンの子を孕んだと言う事を広められるのは……問題がある事ぐらい疲れ切った身体と頭でも判断がつくと言うもの。

 力加減を間違った私は大声を出していて、注目を集めてしまい混乱状態に陥ってしまう。

「ぇ、あ……すみません。 大声をあげてしまって。 昨日、彼女の相談を聞くと約束をしたもので……。 その、彼女が起きる手助けをしてもらえれば、それだけで十分です」

「そうですか。 では、そのようにお願いしますね。 それと……本当に顔色も悪いですし、ジェシカさんさえ不都合がなければ、私が一緒に話しを聞きますよ」

「いえ、大丈夫です。 お気遣いありがとうございます」

 そう語っている間に、すぐ側では女性治療師たちの手を拒みながら男性治療師に起こすよう命じているアンジェの姿があった。

「何よ、皆冷たいんだから。 ちょっと、私のようなか弱い乙女が冷えたらすぐに病気になってしまうんだから、早く手をかしなさいよ!!」

 何アレ? とでも言うような視線をアンジェが集めている中。 そっと中心からそれた私にマーティス室長は囁いた。

「彼女が厄介な人物である事は、うちの家のものであれば誰もが知っている事。 何かあれば遠慮なく相談してください。 一人で抱え込むのは厳禁ですよ」
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