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43.視線の先

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 寄せられた藤原法一の息遣いは、甘く、荒く、そして酔っていた。

 酒に飲みなれない大学生のようにガッツいているように思え、私は混乱を覚える。 何時もと違う彼が、私に何をするか?

 怖い……。

「あぁ……とても、熱く荒々しい大地の匂いがする」

 藤原法一の息遣いは興奮し、荒々しく、そして長かった。

 彼の歓喜を帯びた陶酔的な声と、荒い吐息が耳に触れ困惑を誘う。

「先生……」

 怯えたように、小さく呼びかける。

「どうかしたかね?」

「なぜ……」

「なぜ、匂いを嗅ぐのか知りたいのかな?」

 私は頷く。

「私は彼に嫌われているからね」

「それは……殺意を向けたからでは?」

 自業自得。

「殺意は向けていない。 再生を促しただけだ」

 先生の声には揺らぎが無かった。

「先生が、理解できません……」

「私が理解を望んだかね?」

 背筋が震える冷ややかな声だった。
 喉が締まるように辛く……言葉が出なくなる。

 恐怖を感じている。

 何故?

 コレから私がどうなるのか? 先生の様子を見るべきなのかもしれない。 だけど、寄せられる顔は見る事も出来ず、先生は私を見ようとしていない。 

 私を見ないままで、私の髪をかき上げ、首筋、耳の裏に顔を寄せ、先生は大きく息を吸い、そして……私の肌を舐めた。

「ぁ、ぃ、いや!!」

 先生の胸を両手で押して跳ね除け逃げようとした。

 膝の上に座っていた私は落ちそうになって、先生は片手で私を抱きしめ、抱き寄せ……そして、私の両手をテープで止めた。 肌に張り付くような痛みはないのに、剥がれる様子はない……。

「無駄だ。 静電気を使ったテープは、通常のテープよりも強固だから」

「ぁ、な、なんで……」

 先生の顔を見上げれば……何時もと変わらない微笑みが浮かべられているだけ……。

 あれ?

 何時もの……何時も……こんな感じだったかしら?

 よく、思い出せない。

 それでも今の先生は、私を見ているように思えなかった。

 だから……、この行為に対する私への意味はない。

 落ち着くのよ……雫。
 私は自分に言い聞かせる。

「雫が、私から逃げた事がありますか? 貴方の変化が不安なのですよ……私は……。 それで人ではない晃は、どんな風に貴方に自分の香りをつけたのですか?」

 私は黙り込む。

「悲しいですね……。 今まで、そんな風に黙り込むような事は無かった。 何が、君を変えた?」

 乾いた唇が頬を撫でて来た。

 先生の声が……聴いたことのない色を纏っている。

 怒り?
 苛立ち?

 怖い……。

 何が?

 変化が?
 見捨てられる事が?
 怒らせる事が?

「話してくれなければ、カウンセリングになりません」

 耳元で囁く、憂いを帯びた深く重暗く感じる声は……私の脳を痺れさせる。

「何も、見えなかったから……」

 私の髪を、先生は指にユックリと絡め取る。

「だから?」

「……何をされたか分からないの……」

「そう、分からないから怖くなかった? それとも人でないから怖くなかった?」

 先生の顔が、近づいて来る。

 私は……怯えていた。
 体温が下がって行くような気がした。
 反面、鼓動ばかりが早くなる。

「今も、大人の男は怖いかい?」

 手袋をしたまま先生は、私のキャミソールの胸元に触れた。

 布地が揺れ、肌が撫でる。
 ビクッと身体が反応し、私の顔は強張っていただろう。

 それを見て先生は嬉しそうに微笑む。

「あぁ、怯えているね」

「今日の……先生は、オカシイわ」

「そうかね?」

 そう言いながら、耳元の首筋の匂いを嬉々とした様子で嗅ぎ、髪に鼻先を埋めてくる。

「私は何時もこうだ」

 チュッと音を立てて耳もとにキスをし、大きく息をする。
 恍惚とした様子が耳元で感じる呼吸から知る事が出来た。

「雫が、気づかなかっただけだ。 そして、彼等は気づいている」

 瞳を閉じながら先生は微笑んで見せた。
 私は、自分が惨めな生き物のように、そんな風に思えて、心が落ちていきそうになる。

「あぁ、愚かで可愛い小鳥。 私は、君を大切に思っているよ。 さぁ……昨日の事を私に教えてくれ」

 先生はネクタイを、スルリと外し……そして、私の目を塞ぎ……視力を奪う。 視界が奪われた事で、私の心は奇妙に落ち着きをとりもどした。

 心が心地よい暗闇に落ち込むように。

 視界が塞がれるだけで、私は恐慌状態に陥りそうな状況から復帰し、そしてコーヒーの香ばしい匂いに気づく程まで自分を取り戻す。

「先生は……優しい人ね……」

「君は特別な患者だからね」

 甘く優しい声は脳に響き、私を甘やかし……安堵を与える。

 優しい……。 そう語る私を変だと言う人がいる事を、私はここの町に来て知った。 学ばずとも、ここにいるだけで、優しい人達と一緒にいるだけで、理解できた。

 それでも、私は先生を優しい人だと思ってしまう。

 故郷の研究者が、私と2人だけになりこんな状況に身をおいたなら、苦痛に叫び、恐怖に泣く私を見て歓喜の声をあげながら、目をくりぬき、舌を抜き取り、切り離した部分に口づけ、飴のように口に含んだだろう。

 皮の手袋が外される音がした。

 首筋に触れる指先は、妙に固く、そして冷たく感じる。

 十数年、彼の患者をしているけれど、彼の手が直接私に触れる事は初めてだった。

「どうして、先生の手は冷たいの?」

「心の優しい人の手は、冷たいと言うね」

 カラカウような口調、そして……。

「鼓動は戻ったようだ。 君は視界に支配されているらしい。 だからと言って、そこに逃げるのは君のためにはならない。 それでは、晃を真の意味で受け入れる事は出来ないだろうからね」

「……何を言っているのか分からないわ」

「そう、なら、私に任せなさい……何時ものように……」

 甘い囁きが続けられた。
 そして続けられる言葉は……甘さを残したまま、晃を求める。

「晃は、どうした? どうして、耳に、首筋に強い香りを残した?」

「分からないわ。 見ていないもの」

 乾き、硬い唇が、首筋に触れ滑るけれど……それは、とても無機質のように感じ、逃れるように首を振ってしまえば、バランスの悪い膝の上に座っていた私は、落ちそうになり……先生の腕が私の背に触れる。

「ぁっ……」

 声を漏らした雫を前に、藤原法一が歓喜を露わに笑った事を雫は知る事はできない……。

「背中に、触れられたのかい? どうやって? どんな風に」

 ユックリとした落ち着いた何時もの声……に、何時もと違う色を纏っている。

 指先がキャミソールの上から背を撫でる。 マッサージをするように、身体を温めるように触れてきた晃の熱とは違い、先生は壊れ物に触れるように、小さなふわふわの雛鳥を撫でるようにそっと布地を撫でていく。

 私が感じるのは、先生の指ではなく、布地の感触。

 昨晩。

 熱と快楽を教え込まれた身体は、布地の揺らめきさえ反応してしまう。

「先生、くすぐったいわ」

「彼は、どう触った?」

「分からないわ」

 私は同じ言葉を繰り返す。

「彼は、人として雫に触れたか?」

「分からないわ」

「では……人に触れられる感触を知ってみるかね?」

 甘く優しく耳元で先生は問うけれど……。
 首筋や耳元にキスをするけれど……。

 人との関わりが少ない私だって、気づく事ができる……。



 先生は、私を通して晃を見ているのだと。
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