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04.

29.愛を恐れる

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「マナーって、大切なのね」

 ボソリと、マティルは呟いた。

 事情を知れば、幼い同級生に対し不快になれなかった。
 怒るに怒れなかった。

 父が商売人でなければ。
 人の機嫌を取る事を仕事の一部としていなければ……。
 父ではなく、母の夫が同程度の爵位を持つものだったなら。

 きっと庶民と同じような生活をしながら、領主としての傲慢さを持ち合わせ、守るべきマナーの意味を知る事はなかったと思う……。

 マティルは嫌な自分にならずに済んだ事に安堵した。




 午後の講義。

 芸術の授業を取っているバウマンは、庭園の中でスケッチをしており、ブラームはベンチに腰を落とし、足を組みバウマンを眺めていた。

 大公と言う地位にある自分を、バウマンは一切気に欠ける様子なく真摯に視線を一点に向けている。 良くも悪くも彼と言う人柄が分かる。

 どうしようもない奴なら、マティルを奪う事を戸惑う事はないものを……。 今、バウマンに気持ちが動いているマティルに、愛しているとアピールをしても逆効果にしかならないだろう。

「随分と熱心なんだな」

 ボソリと呟くようにブラームが言えば、以外にも返事が返された。

「絵を描くのは、子供の頃から好きでした。 そこに、意味を与えてくれたから、今はもっと好きです」

 真摯な声で発せられる好きと言う音に、マティルはドキドキするのだろうか? そう考えれば心が痛んだ。

「バウマン」

「はい」

「マティルの事は好きか?」

「えぇ、好きですよ」

 幼い頃から好きだったと言う絵と同じ熱量で好きだと言葉にしたことに気づいているだろうか?

「そうか……」

 喉の奥が締め付けられたかのような気分になって、ブラームは聞かなければ良かったと思った。 それでもブラームはバウマンをじっと見続ける。

 不意に思い立って、ポケットからリンゴを取り出し、ブラームはバウマンへと下からゆっくりとした動作で投げた。

「バウマン」

 バウマンは振り返り、リンゴを受け止めた。

「どうして気づいた?」

 何時もは振り向かないブラームが振り向くから、笑いながら聞いた。

「コレは頂いていいやつですか?」

「あぁ、食べるといい。 それで、」

「音が、したから」

「耳が良いんだな」

「えぇ」

「騎士の素質には、五感のいずれかが強化される場合もあるそうだ。 目でなくて残念だったな」

「音も絵に影響させることが出来ればいいのですけどね」

 シャクリとリンゴを噛む良い音がした。

「ははっ、いい音だ」

「ブラーム様の声も良い音ですよ」

 そう言って、青いインクとペンを取り出し、目の前にない深く濃い青色が白に滲み溶けるような花の絵を見せつける。

「それが、俺の声だって?」

「えぇ」

「なら……マティルの声は?」

 連なる小花(藤の花)がとろけるように流れる絵が描かれている。

「色は?」

「白、茶色、ピンク、髪の揺らめきのように流れ、甘く甘く……はぁ……」

 そのウットリとした表情は、愛情だとブラームは思った。

「以外だな。 お前は、マティルに興味が無いのかと思っていた」

「まさか、彼女は私の女神ですよ」

 その言葉にブラームは肩を竦め、笑った。

「……私は……」

 カラカウようにブラームが言ったのは、自分の気持ちを誤魔化すため。 なら、バウマンが拗ねたように落ち込んだように声を発したのは?

「自信がないのか?」

 返事は無いが、落ち込んだ様子で頭を下げていた。

「違います……」








 バウマンは暴力行為の罰としてブラームの側使いとして登録された。 表面上は罰であるが、完全なまでの保護行為。

 学園の金級の寮にあるブラームの部屋の隣室だけでなく、続き部屋を作業部屋として使えるよう交渉し、正式な許可を取ってもらった。 おかげで最良の環境で、絵を描き、布地の絵付けを行い、染色作業に励む事が出来る。

 バウマンにとってブラームは、初めて欲しいものを与えてくれた人だ。

 マティルもバウマンの欲しいものを与えているだろう。 そう言う人もいるかもしれない。 だけど、バウマン自身マティルを『女神』と表現したが、マティルからバウマンが得た利益はマティルの利益にもなる。

 それに比べブラームは損得に関係なく……いや、むしろ、ブラームにとって損しかないだろう状況で、バウマンを保護し、様々なものを与えてくれている。

 ブラームが与えてくれる無償の提供は、バウマンにとって何よりも欲しいもの。 疑似的に親を見ていた。



 大きな布地を前にバウマンは、考えるのを止めて花柄模様を入れていく。



 ベール家の長男として生まれたバウマンは、マティルとの婚約が成立した事で初めて次期侯爵の地位が与えられた。

 バウマンは、癇癪が多い子だった。 癇癪の理由は耳の良さを理由とする。 大きな音がイヤだと言うマティルの言葉をバウマンは良く理解できる。 だから、素直に謝罪した。

 幼少期のバウマンは音を怖がった。

 投資の失敗により、名ばかりの侯爵家となったベール侯爵夫婦の喧嘩は絶える事は無く、大声で叫び続ける親の声は癇癪の元だった。 侯爵夫婦は、癇癪を起すバウマンを悪者として夫婦仲を取り戻した。

 そして、癇癪を起すバウマンの叫びから耳を塞ぐために、バウマンを遠ざけた。 バウマンの慰めとなったのが絵だった。 そしてバウマンの両親は、バウマンの癇癪の理由を知る事無く、当たり前の礼儀作法を教え込む事で制御したのだ。

 時に礼儀作法は、虐待の理由に使われた。



 集中力が欠け始めた頃。



 バウマンはユックリと筆をおき、息をついた。

 背を伸ばし、時間を確認したバウマンは、ブラームの執務室へと向かいノックをする。

「はいはい……どうした?」

「コーヒーを淹れようと思うのですが、如何ですか? 必要なら、何か食べるものもいただいてきますが?」

「あぁ、頼もう」

 騎士の素質を持つものは、特殊な筋肉を所有するため燃費が悪く、何時でも食事が可能な金級の寮を代金を支払う事なく使わせてもらえるようになった事も、バウマンの精神を安定させた理由の1つである。

 バウマンにとってブラームは、自分を損得抜きに保護者以上に自分を保護してくれた恩人で、尊敬するべき相手だ。



 気づいている。



 ブラームが、私の婚約者となった女性を愛していると言う事を。
 私が集中しており、聞いていないだろうと交わされた愛の言葉を聞いていた。

 マティルに好意を抱いている。
 最高の女性だ。
 良い理解者だ。
 見た目も愛らしい。

 彼女が居れば、社会的に認められるだろう。



 だけど……、欲情を向けたくはない……。

 初めて得た保護者を、尊敬する男性を失うのが怖くて……。
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