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選べない手を伸ばしたまま
#05
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アルは貧しい街で生まれた。母親はアミル人で、父親は知らない。母はシンラの人々の言うところのテロリストの一員だった。
幼い頃から武器の扱いと、シンラへの報復が自分たちの生きる目的なのだと教えられた。
実際に自分達は貧しかったし、裕福で安全な地域に住むシンラ人を妬ましく思うことはあった。でも一概にシンラの全てを目の敵にするのは短慮であると理解したのは、ここ最近のことだった。
内戦が終わり、少しずつシンラの人々と関わる機会が増えて初めてわかった事だが、彼らは幼い頃から教えられてきたような、争いを好む野蛮な種族でも、選民的な思想を抱いているわけでもなく、平和と合理的な発展を望む普通の人々だった。
戦争が終った今、アミル派の残党等と呼ばれる者たちの活動は決して盛んではない。
アルももし、全く別の場所で生まれ育ち、教育を受けていたら銃に触れる機会もなく、一生を終えていたかもしれない。
しかし、この国には確かに戦争の歴史があり、犠牲になった人々がいる。アルの母親もその一人だった。
アルが生まれたのは内戦の最中で、母はテロ行為の末に命を落とした。
「何も悲しむことはない。彼女は誇り高く死んだのだ」
仲間から何度もそう聞かされた。
死にはなんの意味もない。ただ残された者が悲しみ、心に傷を負うだけだ。
子供の頃、懐いていた猫が誰かの銃の試し撃ちの的にされて死んだ時、アルは唐突に理解した。
この場所で、彼らの中で、命はあまりに軽い。
戦争は終わった。多くの犠牲の上に、人々は平和や国の発展を求めて友好の輪を広げようとしているのに、アルの居るこの場所は未だ亡霊のような敵を追いかけている。
先日もどこかのグループが自爆テロを起こしたらしい。国の発展に伴って、それを面白く思わない者たちが再び争いの火種をばら撒こうとしている。
彼らの行いは政治的な活動ではない。暴力に訴えるだけでは誰も話を聞いてくれず、何も解決しないのに、そんな事もわからない彼らを馬鹿馬鹿しいと思う。
これまでの戦争の歴史を、母を含めた多くの人々の犠牲をもってしても、彼らにそれを悟らせるには足りないのか。では一体あとどの位の血が流れれば、彼らは自分たちの愚かさに気づくのだろう。
そんな事を考えてみたところで、アルにはどうすることもできない。いかに愚かな行為だとしても、アルの生きてきた世界はあまりに狭い。
今さら他の国、他の世界のことを知ったって、外で生きていけることの保証にはならない。アルはこの場所意外で生きる術を知らないし、ここでは彼らが法律だ。
戦争をしていたのはもう何年も前の話だ。アルにとってはシンラも、彼らに有利な政策をすすめる政府に協力するマフィアもどうでもいい。自分の境遇を逆恨みしたりもしていない。
幼い頃にこの世を去った母の顔も覚えていない。
アルには何も大切なものがない。だからここに居る。
フィオーレを陥れる作戦への参加を命じられた時、アルはなんの疑問も抱かず従った。
簡単な作戦で、勝利は確実だと仲間は浮き足立っていた。アルにはどちらでもいいことだった。作戦が成功しても、失敗し、命を落とすことになっても、アルにはなんの感慨もない。
そう思っていたはずなのに。
作戦は問題なく進行していた。薄暗い部屋で、アルは壁に設置されたモニターの前に座っていた。
複数のモニターはホテル内の監視カメラの映像を映し出している。
パーティー会場や廊下、エレベーター、エントランス等、至る所に設置されたカメラによって一つの部屋に居ながらにしてホテル内のほぼ全ての状況を把握することが出来る。
内通者から事前に入手したフィオーレの配置とBR社の手引きのもと、アルと仲間たちは難なくこの部屋へ侵入した。
ここに居るのはグループの幹部を含めた数名のみだ。残りはフィオーレ制圧のため、BR社と共に作戦開始の合図を待っている。アルも本来なら前線に配置されるはずだが、他に比べて多少、機械の扱いに長けていたためこの部屋から状況の把握と支援を命じられていた。
予定の時刻はもう近い。残り数分のところで無線から声が聞こえた。
「ワクワクするなアル! お前も楽しんでるか?」
弾んだ声の主は同世代の仲間のテオだった。物心ついた頃から一緒に育ち、小難しい話が嫌いで、グループのリーダーに心酔し、いつもきらきらした目で彼の話をきいていた。行動力は人一倍あるが世間知らずで非合理な彼の振る舞いを、アルはなぜか憎めなかった。
「無駄口を叩くな。もうじき合図がある」
「あのフィオーレを俺たちの手で嵌められるんだぜ? これが笑わずにいられるかよ!」
「お前……油断するなよ」
呆れて出た言葉だが本心だった。作戦は盤石で、今のところ何の問題もない。しかし慢心は死を招く。
「いいさ、例え死んでも、作戦が成功すればそれでいい」
「おい」
「お前だってそうだろ? だから今日の作戦に参加した」
それは否定出来なかった。しかし、その時なぜか、彼の命が失われることを惜しいと思った。
「すぐに無線が使えなくなる。だから今のうちに言っておく。死ぬなよ」
テオからの返答はなく、間もなく通信が断たれた。
会場の照明が落ち、目の前のいくつものモニターに、暗視モードに切り替わったカメラ映像が映っている。闇に乗じてパーティー会場に乗り込むアルの仲間と警備に扮したBR社の男達が、混乱する客や従業員、フィオーレの人間を襲撃する。
モニターを眺めていた仲間の幹部達は、フィオーレの構成員が倒れる度に声を上げ、ユーリ・フィオーレが拘束されると部屋中で歓声が沸いた。雄叫びを上げて喜ぶ者、神に感謝する者、涙を流してかつての仲間の名を叫ぶ者までいる。
彼らのように手放しで喜ぶ事ができるほど、アルはフィオーレにもこの国にも執着していなかった。
ふと、妙な違和感を覚えてあたりを見回すと、少し前に部屋に入ってきたはずの、東洋人の男がいつの間にか消えていた。カイというその男は自分達にフィオーレの情報を流す内通者で、ホテルの照明や無線の制御を担っていた。
この後の彼の動きをアルは知らないし、間もなくここに連れて来られるだろう、かつての仲間と顔を合わせるのを避けたかっただけかもしれない。そう自分を納得させ、アルはモニターに視線を戻した。
幼い頃から武器の扱いと、シンラへの報復が自分たちの生きる目的なのだと教えられた。
実際に自分達は貧しかったし、裕福で安全な地域に住むシンラ人を妬ましく思うことはあった。でも一概にシンラの全てを目の敵にするのは短慮であると理解したのは、ここ最近のことだった。
内戦が終わり、少しずつシンラの人々と関わる機会が増えて初めてわかった事だが、彼らは幼い頃から教えられてきたような、争いを好む野蛮な種族でも、選民的な思想を抱いているわけでもなく、平和と合理的な発展を望む普通の人々だった。
戦争が終った今、アミル派の残党等と呼ばれる者たちの活動は決して盛んではない。
アルももし、全く別の場所で生まれ育ち、教育を受けていたら銃に触れる機会もなく、一生を終えていたかもしれない。
しかし、この国には確かに戦争の歴史があり、犠牲になった人々がいる。アルの母親もその一人だった。
アルが生まれたのは内戦の最中で、母はテロ行為の末に命を落とした。
「何も悲しむことはない。彼女は誇り高く死んだのだ」
仲間から何度もそう聞かされた。
死にはなんの意味もない。ただ残された者が悲しみ、心に傷を負うだけだ。
子供の頃、懐いていた猫が誰かの銃の試し撃ちの的にされて死んだ時、アルは唐突に理解した。
この場所で、彼らの中で、命はあまりに軽い。
戦争は終わった。多くの犠牲の上に、人々は平和や国の発展を求めて友好の輪を広げようとしているのに、アルの居るこの場所は未だ亡霊のような敵を追いかけている。
先日もどこかのグループが自爆テロを起こしたらしい。国の発展に伴って、それを面白く思わない者たちが再び争いの火種をばら撒こうとしている。
彼らの行いは政治的な活動ではない。暴力に訴えるだけでは誰も話を聞いてくれず、何も解決しないのに、そんな事もわからない彼らを馬鹿馬鹿しいと思う。
これまでの戦争の歴史を、母を含めた多くの人々の犠牲をもってしても、彼らにそれを悟らせるには足りないのか。では一体あとどの位の血が流れれば、彼らは自分たちの愚かさに気づくのだろう。
そんな事を考えてみたところで、アルにはどうすることもできない。いかに愚かな行為だとしても、アルの生きてきた世界はあまりに狭い。
今さら他の国、他の世界のことを知ったって、外で生きていけることの保証にはならない。アルはこの場所意外で生きる術を知らないし、ここでは彼らが法律だ。
戦争をしていたのはもう何年も前の話だ。アルにとってはシンラも、彼らに有利な政策をすすめる政府に協力するマフィアもどうでもいい。自分の境遇を逆恨みしたりもしていない。
幼い頃にこの世を去った母の顔も覚えていない。
アルには何も大切なものがない。だからここに居る。
フィオーレを陥れる作戦への参加を命じられた時、アルはなんの疑問も抱かず従った。
簡単な作戦で、勝利は確実だと仲間は浮き足立っていた。アルにはどちらでもいいことだった。作戦が成功しても、失敗し、命を落とすことになっても、アルにはなんの感慨もない。
そう思っていたはずなのに。
作戦は問題なく進行していた。薄暗い部屋で、アルは壁に設置されたモニターの前に座っていた。
複数のモニターはホテル内の監視カメラの映像を映し出している。
パーティー会場や廊下、エレベーター、エントランス等、至る所に設置されたカメラによって一つの部屋に居ながらにしてホテル内のほぼ全ての状況を把握することが出来る。
内通者から事前に入手したフィオーレの配置とBR社の手引きのもと、アルと仲間たちは難なくこの部屋へ侵入した。
ここに居るのはグループの幹部を含めた数名のみだ。残りはフィオーレ制圧のため、BR社と共に作戦開始の合図を待っている。アルも本来なら前線に配置されるはずだが、他に比べて多少、機械の扱いに長けていたためこの部屋から状況の把握と支援を命じられていた。
予定の時刻はもう近い。残り数分のところで無線から声が聞こえた。
「ワクワクするなアル! お前も楽しんでるか?」
弾んだ声の主は同世代の仲間のテオだった。物心ついた頃から一緒に育ち、小難しい話が嫌いで、グループのリーダーに心酔し、いつもきらきらした目で彼の話をきいていた。行動力は人一倍あるが世間知らずで非合理な彼の振る舞いを、アルはなぜか憎めなかった。
「無駄口を叩くな。もうじき合図がある」
「あのフィオーレを俺たちの手で嵌められるんだぜ? これが笑わずにいられるかよ!」
「お前……油断するなよ」
呆れて出た言葉だが本心だった。作戦は盤石で、今のところ何の問題もない。しかし慢心は死を招く。
「いいさ、例え死んでも、作戦が成功すればそれでいい」
「おい」
「お前だってそうだろ? だから今日の作戦に参加した」
それは否定出来なかった。しかし、その時なぜか、彼の命が失われることを惜しいと思った。
「すぐに無線が使えなくなる。だから今のうちに言っておく。死ぬなよ」
テオからの返答はなく、間もなく通信が断たれた。
会場の照明が落ち、目の前のいくつものモニターに、暗視モードに切り替わったカメラ映像が映っている。闇に乗じてパーティー会場に乗り込むアルの仲間と警備に扮したBR社の男達が、混乱する客や従業員、フィオーレの人間を襲撃する。
モニターを眺めていた仲間の幹部達は、フィオーレの構成員が倒れる度に声を上げ、ユーリ・フィオーレが拘束されると部屋中で歓声が沸いた。雄叫びを上げて喜ぶ者、神に感謝する者、涙を流してかつての仲間の名を叫ぶ者までいる。
彼らのように手放しで喜ぶ事ができるほど、アルはフィオーレにもこの国にも執着していなかった。
ふと、妙な違和感を覚えてあたりを見回すと、少し前に部屋に入ってきたはずの、東洋人の男がいつの間にか消えていた。カイというその男は自分達にフィオーレの情報を流す内通者で、ホテルの照明や無線の制御を担っていた。
この後の彼の動きをアルは知らないし、間もなくここに連れて来られるだろう、かつての仲間と顔を合わせるのを避けたかっただけかもしれない。そう自分を納得させ、アルはモニターに視線を戻した。
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