ねむれない蛇

佐々

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選べない手を伸ばしたまま

#02

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 パーティーは滞りなく進んでいた。
 護衛対象の少女二人は、始めこそ一風変わった造りのホテルに興味津々であちこち会場を歩き回っていたが、今やすっかり暇を持て余していた。無理もない。言葉もあまりわからない、知り合いもいないパーティーで充実した時間を過ごせるほど、彼女たちは大人ではない。
「客室の方にもう一つプールがあるんだけど、行ってみる?」
 レイが声をかけると、ラウンジできれいな色のカクテルを飲んでいた美玲と繭が顔を見合わせた。
「どうする……?」
 繭が美玲に問いかけた。美玲は繭を一瞥しただけでそっぽを向いてしまった。
「行かない」
 子供のような態度に苦笑が漏れる。
「嫌われたものね」
 隣の凛太朗にだけ聞こえるように呟くと、彼は美玲に向かって口を開いた。
「ほんとにいいのか? 俺は客室の方は行ったことないから、見てみたいんだけど」
 もちろんそれは嘘だ。凛太朗は幾度かホテルを訪れているし、全ての場所を歩いている。しかし、それを知らない美玲の顔は一瞬で明るさを取り戻した。
「リンさんが行きたいなら行く!」
「決まりね。あなたもいい?」
 何も意見を発さない繭を伺うと、彼女は肩を震わせた。
「も、もちろん、皆さんが行くなら……」
 彼女は終始この調子だ。大方、美玲に引き立て役として連れ回されているのだろう。地味ではあるが、そこそこきれいな顔立ちをしているのに、もったいない。もっと堂々と自分の意見を伝えれば、それを魅力的に思いこそすれ、疎ましがる者などいないだろう。
 いや、女というだけで、強い主張を嫌う者は一定数いる。男は特にそうだ。力で押さえつけ、屈服させようとしてくる男を、一体何人見てきたことか。
 目の前の内気な少女はかつての自分に少しだけ似ている気がした。


 客室の連なる片側廊下は森に面している。あたりは既に薄暗かった。
「もう少し早く来ればよかったわね。ここからの景色も素晴らしいのよ」
 長い廊下には所々にベンチやテーブルが置かれ、眺望のための場所が用意されている。
 反対側に広がる海も美しいが、雄大な森の景色にも心を揺さぶられる。できれば日が落ちる前にそれを見せてやりたかった。
 客室側は今回のパーティーには使われていないため、招待客の姿もない。警備は主要な階段やエレベーター付近に数名配置されている程度だ。
 今のところ、状況に変化はない。近くを通るたびに口笛を吹いたり下品な口をきくPMCの連中は不快だが、それでもいざという時、役に立つのは元々いる警備会社の人間より彼らの方だろう。
「信用はできないけど……」
 レイの漏らしたひとり言は凛太朗に聞かれていた。
「連中は味方じゃないんだろ?」
「知ってるのね」
「ジーノに聞いた。あいつらはパーティーの直前にわざと騒ぎを起こして、警備の足りなくなったアインツに近づき、潜り込んだって」
「そうね。でも大丈夫。リンは余計な心配しないで、目の前のお嬢様を守ることだけに集中しなさい」
「レイ」
「大丈夫よ。あなたのことは、私が守るから」


 客室側のプールはメインホールのそれよりはシンプルな作りだが、ライトアップされ、夜の中に浮かび上がる水のきらめきはわずかばかりでも、少女たちの退屈を紛れさせることに成功したらしい。
 廊下の手すりから身を乗り出して階下のプールを眺め、写真を撮ってはしゃぐ姿は年相応に可愛らしいと思う。
「プールサイドまで行ってみる? 屋上に庭園もあるのよ」
 一通り写真を撮って満足したのか、美玲はベンチに腰を下ろした。
「えー美玲疲れたーお腹もすいたー」
「そういえば何も食べてないわね。戻って休憩しましょうか」
 提案すると、繭が口を開いた。
「あの……」
 おずおずと手を上げた彼女は言いにくそうに続ける。
「お、お手洗いに、行きたいです」
「いいわよ。私が一緒に行くわ」
 レイが言うと、美玲は嫌そうな顔をした。
「トイレにまでついてくるんですかぁ?」
「当たり前でしょ。あなたはいいの?」
 レイの問いかけは不機嫌そうに無視された。
「リン、少し頼むわ。何かあったらすぐに連絡して」
「ああ」
 頷いた凛太朗の表情がわずかに緊張するのがわかり、レイは微笑んだ。
「すぐに戻るから」
 彼を安心させるように背筋を伸ばし、確かな足取りでレイは繭を連れてトイレに向かった。


 繭が個室に入るのを見届けると、レイはその場にしゃがみ込みそうになるのをどうにかこらえた。
 立っているだけで精一杯で、これでは凛太朗に気をつかわせるのも無理はないと思う。
 下腹部の刺すような痛みに耐えながら、繭から貰った錠剤を口に運ぶ。
 鎮痛剤の類は眠気を引き起こす気がしていつもは避けているが、もうそんなことも言っていられない。
 このまま動けなくなるくらいならさっさと飲んでしまえばよかった。
 錠剤を飲み下し、深呼吸をする。冷たい水で手を洗い、鏡の中の自分に言い聞かせるように呟く。
「しっかりしろ」
 こんなことで仕事を放棄する訳にはいかない。彼女たちは、凛太朗は、自分が守らなければならない。女というだけで好奇の目で見られ、野次を飛ばしてくるPMCの連中になんて任せられない。
 あの子たちは私が守る。
 改めて決意した途端、視界が揺らいだ。
 意識が飛び、気づいたら床に寝ていた。
 視界がぼやけ、目蓋を開いているのが難しくなる。
 動きの鈍くなった頭に、繭から貰った薬のことがよぎる。
 しまった。
 後悔に意味はなく、レイの意識は失われかけていた。
 痛みが走るほど手のひらに爪を立てる。しかし既に力が入らない。
「リ、ン……」
 無線で凛太朗に呼びかけようとするも、声はほとんど出なかった。
 個室の扉が開き、繭が出てくる。倒れたレイを見ても慌てた様子はなく、彼女のヒールは落ち着いた音を立てる。
 ぼやけた視界が最後にとらえたのは、冷たく自分を見下ろす彼女の顔だった。
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