ねむれない蛇

佐々

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選べない手を伸ばしたまま

#01

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 パーティー当日、支度を終えた美玲はホテルで迎えを待っていた。叔父は準備があるらしく、先に会場に向かっていた。
 この日のために用意した新しいドレスや靴、きれいに整えられた髪の毛やメイクを見るたび美玲の心は高揚したが、それと同時に湧き上がる嫌な緊張感を忘れられずにいた。
 あの日、繭を置き去りにしたことを叔父からひどく叱られた。誰かからあんな風に強い言葉を浴びせられるのは初めてで、美玲は涙が止まらなかった。
 同時に、繭を助け出したのが凛太朗だと聞いて激しい嫉妬と怒りを覚えた。
 繭なんて、地味で冴えないし、美玲がいなければおしゃれも、男の子と話す機会もないくせに。なぜ彼女ばかりが凛太朗と親しくなるのか。
 でも本当は知っている。
 彼女の肌が透けるように白いことを。セミロングの髪は艶やかで、すらりと伸びた手脚は指先まで繊細な作りをしていることを。彼女を構成するもの一つ一つの美しさを認めまいとすればするほど、自分との違いをまざまざと見せつけられるようで、美玲は悔しくてたまらなくなる。


 パーティー当日、凛太朗はホテルまで迎えに来てくれた。
 美玲はそれだけで胸がどきどきしたし、彼が今日一日、自分の側に居てくれるのだと思うと嬉しくてたまらなかった。
 しかし、支度が終わるまで少し待っていてもらおうと思い、部屋に招き入れた凛太朗が真っ先に声をかけたのは美玲ではなかった。
「繭も行くのか?」
 鏡の前でネックレスのチェーンを留めるのに苦戦していた彼女は、凛太朗に声をかけられても振り向くことなく、鏡越しに彼を一瞥しただけだった。
「いけませんか?」
「いや?」
 繭の平然とした態度を、凛太朗はまるで気にしている様子がない。心をざわつかせる美玲を置いてきぼりにして、彼は繭の背後に立つとネックレスの金具を留めてやった。
「ありがとうございます」
 繭はそこで初めて少し振り返ってお礼を言った。
 あの凛太朗がこんなに近くに居るのに、微塵の動揺も見せないどころか疎ましげにすら見える彼女の振る舞いに美玲は驚きを禁じ得ない。
 凛太朗も凛太朗で、彼女の決して好意的ではない態度を意に介した様子もなく、親しげな笑みを浮かべている。
「意外だな。お前こういうの嫌いだと思ってた」
「確かに得意ではないですけど、何事も経験ですから」
「ま、繭ちゃんは人見知りだから、ほっとくとずっと部屋にこもってるんですよ。だから美玲が誘ったんです」
 疎外感に耐えられず、美玲は口を挟んでいた。
 凛太朗は一瞬だけ美玲を見て、それからまた繭に視線を転じさせると笑みを浮かべた。
「人見知り? お前が?」
「人の顔を見て笑わないでください。失礼ですよ」
「お前いつまでも猫かぶってる気だよ」
「リンさん! 余計なこと言わないで!」
 親しげに言葉を交わす二人を、美玲は呆然と眺める事しかできなかった。
 なんだこれは。
 繭はすっかり凛太朗と打ち解けた様子で話している。凜太朗も笑っている。美玲はあんな風に笑う凛太朗を知らない。あんなに気安く話しかけられたこともない。自分の知らないところで一体、二人に何があったのだ。
 たまらなくなって、美玲は凛太朗の腕を掴んだ。
「リンさん、早く行きましょう? 今日は私を守ってくれるんでしょ?」
 横目で繭を窺うと、彼女はこちらを見てすらいなかった。
 面白くない。同時に安堵もしていた。凛太朗は先日、美玲が繭を置き去りにしたことについて言及しない。
 よかった。彼が繭を助けたのは単なる気まぐれに過ぎない。決して彼女が大事なわけではないのだ。


 凛太朗と一緒に車に向かうと、運転席に知らない女が座っていた。
「誰?」
 美玲は自然と眉を顰めていた。
「紹介する」
 車から降りてきたのは金髪で長身の女だった。凛太朗の隣に並んだ彼女はサングラスを外して微笑んだ。
「初めまして。今日あなたたちの警護を担当するレイよ」
 髪が短く、化粧も薄い。纏っているものもドレスではなくシンプルなパンツスーツだ。それでも彼女は美しかった。
「美玲です。よろしく……」
 差し出されるまま彼女の右手を握ってはたと気づく。
「リンさんは?」
 今日、自分たちを守ってくれるのは凛太朗ではなかったのか。
「もちろん、リンも一緒よ。でも一人より二人の方が安心でしょ?」
 優しい言葉をかけてくれるレイを、美玲は一瞬で気に入らないと思った。しかしそんな自分を凜太朗に見せたくないのでちゃんと笑顔を作った。
「わぁ、女の人なのにボディガードなんですか? すごいですね!」
 本当は微塵もそんなこと思っていない。美玲のそばには凛太朗だけで十分だ。早く視界から消えて欲しい。
「頼りないかしら?」
 レイはそんな美玲の本音を見透かしたかのように言う。
「まさか! でもヒールで走ったりできるんですか?」
 純粋な好奇心を装って尋ねると、レイは笑った。
「不安にさせてしまったのならごめんなさい。でも大丈夫よ」
 彼女の華やかな容姿も長い手足も何もかもが当て付けのように思えて仕方なかった。早く消えてほしい。
 そんな自分の本音が伝わったのか、レイは「今日は楽しんでね」と言って車に乗り込んだ。


 美玲と繭を乗せてパーティー会場であるホテルへ向かう途中、凛太朗はレイの顔色が良くないことに気づいた。
「体調悪い?」
 後ろの二人に悟られないよう、そっと尋ねるとレイは凛太朗を一瞥してすぐ視線を前に戻した。
「大丈夫よ」
 否定した彼女の表情は硬い。眉間に皺を寄せ、時折寒そうに体を震わせている。
「嘘だろ」
 指摘しながらエアコンの温度を上げる。
「ちょっと休憩する?」
 時間にはまだ余裕がある。軽い気持ちでした提案はすぐに却下された。
「平気だって言ってるじゃない」
 苛立たしげに睨んでくる彼女は本当に余裕がなさそうだった。普段の彼女なら、自分を気遣う相手にそんな物言いはしない。
「ごめんなさい……」
 彼女はすぐに悔いるように言い、片手で額を押さえた。
「大丈夫。少し貧血気味なの」
「あー……」
 彼女の体調不良の原因を察して凛太朗は言葉を詰まらせた。
「あの私、薬を持ってるので、よかったら……」
 凛太朗がかつて、姉がレイと同じ症状に見舞われた際の対処法を必死で思い出そうとしていた時、後部座席から控えめな声が聞こえた。
 振り返ると繭が小さなポーチから錠剤を取り出すところだった。
「鎮痛剤です。一錠でも結構きくと思います」
 凛太朗は手を伸ばして薬を受け取った。
「ありがとう。レイ、薬飲める?」
「気持ちだけもらっておくわ。飲むと頭がぼんやりしちゃうのよ。運転中は危ないでしょ」
「なら着いてから」
「ええ、本当に我慢できなくなったらね。これは貰っておくわ。ありがとう」
 レイは凛太朗の手から掴み上げた錠剤を上着のポケットにしまった。
「ついてないわ、ほんと……」
 ため息まじりに言った彼女は相変わらず険しい顔をしていたが、凛太朗はそれ以上口出ししないことにした。かわりに、少しでも彼女の負担を減らせるように自分に出来ることがないかと考えた。
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