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あの季節
#04
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「正しいことをしたと思うか?」
田村に問われ、凛太朗は苦笑した。
「わかんないよ。俺は目の前であの子が好き勝手されて泣き喚くのを見たくなかっただけだし。正しいかどうかを決めるのは刑事さんでしょ?」
「彼女はお前に感謝してるそうだ」
「やめてよ。そんなつもりじゃない」
本当に、そんな恩着せがましいことを考えていたわけじゃない。ただ許せなかった。彼女が目の前で理不尽に傷つけられることが。正義感などないし、そんなものがなんの役にも立たないことを、凛太朗は身をもって知っていた。
「お前の行動は褒められたもんじゃない。理性的に考えればいくらでもやりようはあっただろう。頼れる人間も居たはずだ。感情だけで突っ走って暴力に訴えれば、お前はあいつらと同じになるんだぞ。例えそこにどんな理由があったとしてもだ」
「刑事さんの言う通りだと思うよ。理性なんてもんがある世界ではね。でも、それがない場合はどうすればいいの? 黙って、目の前でかわいそうな人間が壊されるのを見てればいい? 一分、一秒でも惜しいのに、理性的に考えて、然るべき方法で助けを求めて、彼女がその地獄から抜け出せるまで、一体どのくらい時間がかかるの?」
あの夜、楓は凛太朗の目の前で壊された。恐怖で動けなかった凛太朗に、もしもを語る資格はない。けれど、もしあの時、凛太朗が冷静に、助けを呼ぶことが出来たとして、それを待つ間、傷つき、壊され続ける楓の姿を、黙って見ていることが出来ただろうか。
「その仮定の話をすることに何の意味がある?」
「意味なんてないよ。でも、わからないし、許せない。なんで同じ人間に対してこんな事が出来るのか理解できない。刑事さんなら教えてくれるかと思って」
額を押さえた田村が息を吐き、諦めたように煙草をくわえ、火をつける。
「禁煙じゃないの?」
凛太朗の指摘は無視された。しばし頭を抱えていた田村は顔を上に向け、ゆっくりと煙を吐いた。
「前にもあったのか?」
「何が?」
「今日と同じようなことが。同じじゃなくてもいい。誰かを助けたり、助けられなかったりしたことが」
凛太朗は黙り込んだ。
「調べた限りじゃ何もなかった。補導歴もなし」
田村は手元の資料をめくる。
「学校も良いとこだし、一見なにも問題なさそうなのに、お前は何を抱えてるんだ?」
見透かすような視線は不思議と嫌ではない。感情を取り払った、仕事に徹している目だ。勘や憶測で勝手に同情したりしないことを、人として好ましく思う。
「何もないですよ」
答えると、田村はまたため息をつき、首の後ろを右手でさすった。
「人を殴った経験は?」
「ありますよ。ただの喧嘩ですけど」
「わかってるんだな。今日のことが、ただの喧嘩じゃなかったって」
「どういう意味です?」
「人を傷つけることの代償を考えたか?」
「そうですね……」
凛太朗は少し考え、いすから腰を浮かせて田村の耳もとで囁いた。
田村が部屋から出てくるなり、真は喫煙所に連れ込まれた。乱暴に体を押され、壁に背中を打ち付ける。
「いっ、たいなぁ……なんなんです?」
「お前らこそ、一体なにを隠してる?」
鋭く睨まれ、真は掴まれていた胸倉から田村の手を離させた。
「リンが何が言いましたか? 経験豊富な刑事さんが、子供の話を鵜呑みにするなんて」
「お前とあいつは違うだろうが!」
今日一番の剣幕で怒鳴られ、真はようやく、彼の話に耳を傾ける気になった。
「あいつの経歴は真っ当で、なんの問題もなかった」
「ひどいなぁ。俺の経歴だって問題はないですよ?」
「俺が今まで何度、お前と話をする羽目になったと思ってる。お前のあれこれが表に出てないのは単に運が良かったからだ。あいつと比べて綺麗な過去だと言えるか? あった事すべてをあいつに話せるか?」
「そんな必要ないでしょう」
「そうやって、お前は全部隠してきたんだろう。弟に知られたくなくて。でもあいつはどうだ? 叩けば埃の出るお前と違って、今まで何も間違ってこなかった。これからもそうだったはずだ。今日ここに来る経験も必要なかった。あいつの未来を考えればわかるだろ。一瞬の過ちなら十分やり直せる。でもこのまま道を踏み外そうとしてるなら、そうならないようにするのがお前の役目だろ!」
「偉そうに……」
再び胸倉を掴まれる。
「弟を巻き込むなって言ってんだよ!」
「好きで巻き込むわけねぇだろ!」
舌を打ち、田村の手から逃れる。
「人のことをあれこれ詮索する前に自分の仕事をして下さい。あんたの仕事はなんです? 俺に倫理や道徳を説くことですか? 違うでしょう。もっと現実的な話をしましょうよ」
「お前らにとってはこれが現実だろうが」
「そうですね。だから早く済ませて家に帰りたいんですが」
睨み合っているとガラス戸をノックする音が聞こえた。手を振る凛太朗と、若い警官が慌てた顔で立っている。
「なんだ」
舌を打ち、田村が外に出る。警官と話し始めた彼を無視して、真は煙草に火をつけた。凛太朗と目が合うと、彼は穏やかに微笑んだ。
田村に問われ、凛太朗は苦笑した。
「わかんないよ。俺は目の前であの子が好き勝手されて泣き喚くのを見たくなかっただけだし。正しいかどうかを決めるのは刑事さんでしょ?」
「彼女はお前に感謝してるそうだ」
「やめてよ。そんなつもりじゃない」
本当に、そんな恩着せがましいことを考えていたわけじゃない。ただ許せなかった。彼女が目の前で理不尽に傷つけられることが。正義感などないし、そんなものがなんの役にも立たないことを、凛太朗は身をもって知っていた。
「お前の行動は褒められたもんじゃない。理性的に考えればいくらでもやりようはあっただろう。頼れる人間も居たはずだ。感情だけで突っ走って暴力に訴えれば、お前はあいつらと同じになるんだぞ。例えそこにどんな理由があったとしてもだ」
「刑事さんの言う通りだと思うよ。理性なんてもんがある世界ではね。でも、それがない場合はどうすればいいの? 黙って、目の前でかわいそうな人間が壊されるのを見てればいい? 一分、一秒でも惜しいのに、理性的に考えて、然るべき方法で助けを求めて、彼女がその地獄から抜け出せるまで、一体どのくらい時間がかかるの?」
あの夜、楓は凛太朗の目の前で壊された。恐怖で動けなかった凛太朗に、もしもを語る資格はない。けれど、もしあの時、凛太朗が冷静に、助けを呼ぶことが出来たとして、それを待つ間、傷つき、壊され続ける楓の姿を、黙って見ていることが出来ただろうか。
「その仮定の話をすることに何の意味がある?」
「意味なんてないよ。でも、わからないし、許せない。なんで同じ人間に対してこんな事が出来るのか理解できない。刑事さんなら教えてくれるかと思って」
額を押さえた田村が息を吐き、諦めたように煙草をくわえ、火をつける。
「禁煙じゃないの?」
凛太朗の指摘は無視された。しばし頭を抱えていた田村は顔を上に向け、ゆっくりと煙を吐いた。
「前にもあったのか?」
「何が?」
「今日と同じようなことが。同じじゃなくてもいい。誰かを助けたり、助けられなかったりしたことが」
凛太朗は黙り込んだ。
「調べた限りじゃ何もなかった。補導歴もなし」
田村は手元の資料をめくる。
「学校も良いとこだし、一見なにも問題なさそうなのに、お前は何を抱えてるんだ?」
見透かすような視線は不思議と嫌ではない。感情を取り払った、仕事に徹している目だ。勘や憶測で勝手に同情したりしないことを、人として好ましく思う。
「何もないですよ」
答えると、田村はまたため息をつき、首の後ろを右手でさすった。
「人を殴った経験は?」
「ありますよ。ただの喧嘩ですけど」
「わかってるんだな。今日のことが、ただの喧嘩じゃなかったって」
「どういう意味です?」
「人を傷つけることの代償を考えたか?」
「そうですね……」
凛太朗は少し考え、いすから腰を浮かせて田村の耳もとで囁いた。
田村が部屋から出てくるなり、真は喫煙所に連れ込まれた。乱暴に体を押され、壁に背中を打ち付ける。
「いっ、たいなぁ……なんなんです?」
「お前らこそ、一体なにを隠してる?」
鋭く睨まれ、真は掴まれていた胸倉から田村の手を離させた。
「リンが何が言いましたか? 経験豊富な刑事さんが、子供の話を鵜呑みにするなんて」
「お前とあいつは違うだろうが!」
今日一番の剣幕で怒鳴られ、真はようやく、彼の話に耳を傾ける気になった。
「あいつの経歴は真っ当で、なんの問題もなかった」
「ひどいなぁ。俺の経歴だって問題はないですよ?」
「俺が今まで何度、お前と話をする羽目になったと思ってる。お前のあれこれが表に出てないのは単に運が良かったからだ。あいつと比べて綺麗な過去だと言えるか? あった事すべてをあいつに話せるか?」
「そんな必要ないでしょう」
「そうやって、お前は全部隠してきたんだろう。弟に知られたくなくて。でもあいつはどうだ? 叩けば埃の出るお前と違って、今まで何も間違ってこなかった。これからもそうだったはずだ。今日ここに来る経験も必要なかった。あいつの未来を考えればわかるだろ。一瞬の過ちなら十分やり直せる。でもこのまま道を踏み外そうとしてるなら、そうならないようにするのがお前の役目だろ!」
「偉そうに……」
再び胸倉を掴まれる。
「弟を巻き込むなって言ってんだよ!」
「好きで巻き込むわけねぇだろ!」
舌を打ち、田村の手から逃れる。
「人のことをあれこれ詮索する前に自分の仕事をして下さい。あんたの仕事はなんです? 俺に倫理や道徳を説くことですか? 違うでしょう。もっと現実的な話をしましょうよ」
「お前らにとってはこれが現実だろうが」
「そうですね。だから早く済ませて家に帰りたいんですが」
睨み合っているとガラス戸をノックする音が聞こえた。手を振る凛太朗と、若い警官が慌てた顔で立っている。
「なんだ」
舌を打ち、田村が外に出る。警官と話し始めた彼を無視して、真は煙草に火をつけた。凛太朗と目が合うと、彼は穏やかに微笑んだ。
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