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あの季節
#03
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案内されたのは無人のオフィスの一画だった。パーテーションで仕切られた薄暗いスペースには無機質な机と椅子が数脚置かれている。
座って待つよう言われたが、大人しく従う気にもなれず、制服を着た若い警官に喫煙所の場所をきいた。
廊下の途中にあった喫煙スペースに入り、真は壁に背中を預けて煙草をくわえた。
ライターを探してポケットを探っていると田村が現れた。
「よう、久しぶりだな」
がたいの良い男が入ってくると狭い喫煙所が更に窮屈に感じられる。相変わらず刑事というより輩のような風体の男だ。
「弟はどこです?」
「怪我の手当を受けてる」
ここで対処できるくらいの軽傷だとわかっていても、一瞬わかりやすく表情が曇るのを止められなかった。案の定、田村に気づかれた。
「言ったろ? ガキの喧嘩だ。大した怪我じゃない。お前の弟も、相手もな」
「一体なにがあったんですか」
「さぁな、詳しい話はこれからだ。他の連中からきいた話でなんとなく概要はわかったが、肝心のお前の弟はずっとだんまりで、何考えてんだかわかりゃしねー。昔のお前そっくりだな」
にやつく髭面を睨み付ける。
「お前は昔よりわかりやすくなったな。安心しろ、悪いようにはしない」
煙草を消した田村が喫煙所の出口に向かう。真はとうとう火をつけられずに終わった煙草を仕方なくケースに戻し、彼の後を追った。
「刑事さん、ここ禁煙?」
「当たり前だ馬鹿、というかお前未成年だろ調子のんな」
「ちぇー」
簡易的な手当を受けた凛太朗は、痣だらけの顔でへらへらと笑う。
簡素な机を挟んで正面に座った田村は軽口をかわしながら相手を観察した。
高校生にしては顔立ちも所作も大人びて見えるが、楽観した刹那的な言動は年相応に見えた。そのくせ同世代の子供にはない瞳の奥の翳りが、田村にそのふるまいの意図を勘繰らせる。
「そろそろ事情を話す気になったか?」
この部屋に連れてこられてからずっと、凛太朗はなぜ彼がここに連行される羽目になったのか、その詳細を語ろうとしなかった。
田村の何度目かの問いかけにも答えず、凛太朗は背もたれに寄りかかり、乱れた前髪を直している。
「何があった?」
「何って、知ってるでしょ? あいつらに聞いたんじゃないの?」
「一方の話だけを鵜呑みには出来ない。お前の口からききたいんだよ」
「さっきもきいたよ、それ」
「そう思うなら同じことを言わせるな」
「怒ったの?」
「いや? ただ俺も暇じゃない。ガキの相手を延々としてられるほど、俺の時間は余っていない」
伺うように凛太朗を見ると、彼は整った顔に微笑を浮かべた。
「俺、許せないことがあるんだよね」
ゆっくりと口を開いた彼は、どこか他人事のような軽々しさで話し始めた。
凛太朗がクラブに着いたのは日付が変わる頃だった。
今日もどこで知り合ったか思い出せないような友達と遊んで、酔っ払って、誘われるまま店に入った。
顔のきく友人のゲスト扱いで年確をパスして、貰ったドリンクチケットでスミノフを飲んで、適当に踊ってたら女の子に声をかけられて、一緒に踊ったり話したり、誰かが持ってきたショットを空けたりしてたらあっという間に酔っ払って足元がふらついた。
「リンくん大丈夫?」
心配してくれる女の子に大丈夫だからと笑ってフロアを出る。実際かなり酔っていたが気分は悪くなかった。ただ真っ直ぐ歩けないし、フロアの光と音で更に平衡感覚がなくなりそうなのでいったん酔いをさまそうとトイレに向かった。
オープンしたての店のトイレはきれいで広々していた。照明を反射してぬらぬらと光る床が濡れているように見えて、滑って転ばないかとかどうでもいいことを考えながら手洗い場で顔を洗う。冷たい水が顔の火照りと共に酔いも冷ましてくれそうだった。
もう少し休憩しようとオブジェのような椅子に座って煙草を吸っていると、複数の男に支えられて一人の女がトイレに入ってきた。
「みくちゃんトイレ着いたよー」
一人で立っていられないほど泥酔しているらしい彼女はそのまま男たちの手を借りて個室に入る。苦しげに咳き込む彼女の背中を、男たちが楽しそうにさすっている。
「大丈夫? 気持ち悪い?」
「お前どさくさで触りすぎじゃね?」
「えーだってめっちゃ気持ちいいんだもん。みくちゃんおっぱい大きいし」
「ふつーに揉んでんじゃん」
「俺にも触らして」
最早介抱に見せかけることすらやめた男たちの手が大胆に彼女の体に触れる。
「うわ、やば」
一人の男が背後から両手で胸を揉む。徐々に遠慮をなくした手が服を捲り上げて白い肌を晒す。
「やだっ……」
女が声を上げ、わずかに身を捩って抵抗する。若いとは思っていたが、まだ子供、下手をすると酒を飲める年齢にも達していないように見える。
「大丈夫だよーほら、まだ気持ち悪いでしょ? 具合良くなるまで一緒居るからね。ちょっと服緩めたほうが楽になるし」
「お前最低だな」
仲間内で笑いながら、男たちは彼女の肌を暴いていく。
「やっ、ほんとにやだ……」
弱々しい抵抗はすぐに封じられる。細い腕を掴まれ、口を塞がれた彼女の目に涙が滲む。
「ねぇ、何やってんの?」
声をかけると、一瞬、男たちの動きがぴたりと止まった。一斉にこちらを向いた彼らはすぐにへらへらと笑う。
「見てわかんでしょ? 介抱だよ介抱。なんなら混ざる?」
「俺らの後でよければ使わせてやっても」
「黙れよ」
煙草を捨て、立ち上がる。
「嫌がってるのわかんないの? てか酔わせないと女の子に触らせてもらえないなんて、ほんとかわいそうだね、あんたら」
「あ?」
安い挑発に乗った男が近づいてきて、拳を振り上げる。
「調子のんなよガキが!」
隙の多い打撃をかわし、鳩尾を抉るように殴打する。
膝をつく男に周囲は騒然とし、他の男たちが叫びながら向かってくる。一人避け、もう一人に蹴りを入れ、体当たりされて動きが止まる。腰の辺りを掴まれたまま、別の男に殴られる。二発目を食らう前に纏わりつく男の顔面に膝を入れ、向かってきた男に足を掛ける。姿勢を崩した男を蹴り上げる。
それからも何度か殴る蹴るの応酬があり、気づくと自分以外の全員がトイレに倒れていた。
途中の記憶は曖昧だが、唯一、視界の端に一瞬映った少女の泣き顔だけは鮮明に頭に焼き付いていた。
座って待つよう言われたが、大人しく従う気にもなれず、制服を着た若い警官に喫煙所の場所をきいた。
廊下の途中にあった喫煙スペースに入り、真は壁に背中を預けて煙草をくわえた。
ライターを探してポケットを探っていると田村が現れた。
「よう、久しぶりだな」
がたいの良い男が入ってくると狭い喫煙所が更に窮屈に感じられる。相変わらず刑事というより輩のような風体の男だ。
「弟はどこです?」
「怪我の手当を受けてる」
ここで対処できるくらいの軽傷だとわかっていても、一瞬わかりやすく表情が曇るのを止められなかった。案の定、田村に気づかれた。
「言ったろ? ガキの喧嘩だ。大した怪我じゃない。お前の弟も、相手もな」
「一体なにがあったんですか」
「さぁな、詳しい話はこれからだ。他の連中からきいた話でなんとなく概要はわかったが、肝心のお前の弟はずっとだんまりで、何考えてんだかわかりゃしねー。昔のお前そっくりだな」
にやつく髭面を睨み付ける。
「お前は昔よりわかりやすくなったな。安心しろ、悪いようにはしない」
煙草を消した田村が喫煙所の出口に向かう。真はとうとう火をつけられずに終わった煙草を仕方なくケースに戻し、彼の後を追った。
「刑事さん、ここ禁煙?」
「当たり前だ馬鹿、というかお前未成年だろ調子のんな」
「ちぇー」
簡易的な手当を受けた凛太朗は、痣だらけの顔でへらへらと笑う。
簡素な机を挟んで正面に座った田村は軽口をかわしながら相手を観察した。
高校生にしては顔立ちも所作も大人びて見えるが、楽観した刹那的な言動は年相応に見えた。そのくせ同世代の子供にはない瞳の奥の翳りが、田村にそのふるまいの意図を勘繰らせる。
「そろそろ事情を話す気になったか?」
この部屋に連れてこられてからずっと、凛太朗はなぜ彼がここに連行される羽目になったのか、その詳細を語ろうとしなかった。
田村の何度目かの問いかけにも答えず、凛太朗は背もたれに寄りかかり、乱れた前髪を直している。
「何があった?」
「何って、知ってるでしょ? あいつらに聞いたんじゃないの?」
「一方の話だけを鵜呑みには出来ない。お前の口からききたいんだよ」
「さっきもきいたよ、それ」
「そう思うなら同じことを言わせるな」
「怒ったの?」
「いや? ただ俺も暇じゃない。ガキの相手を延々としてられるほど、俺の時間は余っていない」
伺うように凛太朗を見ると、彼は整った顔に微笑を浮かべた。
「俺、許せないことがあるんだよね」
ゆっくりと口を開いた彼は、どこか他人事のような軽々しさで話し始めた。
凛太朗がクラブに着いたのは日付が変わる頃だった。
今日もどこで知り合ったか思い出せないような友達と遊んで、酔っ払って、誘われるまま店に入った。
顔のきく友人のゲスト扱いで年確をパスして、貰ったドリンクチケットでスミノフを飲んで、適当に踊ってたら女の子に声をかけられて、一緒に踊ったり話したり、誰かが持ってきたショットを空けたりしてたらあっという間に酔っ払って足元がふらついた。
「リンくん大丈夫?」
心配してくれる女の子に大丈夫だからと笑ってフロアを出る。実際かなり酔っていたが気分は悪くなかった。ただ真っ直ぐ歩けないし、フロアの光と音で更に平衡感覚がなくなりそうなのでいったん酔いをさまそうとトイレに向かった。
オープンしたての店のトイレはきれいで広々していた。照明を反射してぬらぬらと光る床が濡れているように見えて、滑って転ばないかとかどうでもいいことを考えながら手洗い場で顔を洗う。冷たい水が顔の火照りと共に酔いも冷ましてくれそうだった。
もう少し休憩しようとオブジェのような椅子に座って煙草を吸っていると、複数の男に支えられて一人の女がトイレに入ってきた。
「みくちゃんトイレ着いたよー」
一人で立っていられないほど泥酔しているらしい彼女はそのまま男たちの手を借りて個室に入る。苦しげに咳き込む彼女の背中を、男たちが楽しそうにさすっている。
「大丈夫? 気持ち悪い?」
「お前どさくさで触りすぎじゃね?」
「えーだってめっちゃ気持ちいいんだもん。みくちゃんおっぱい大きいし」
「ふつーに揉んでんじゃん」
「俺にも触らして」
最早介抱に見せかけることすらやめた男たちの手が大胆に彼女の体に触れる。
「うわ、やば」
一人の男が背後から両手で胸を揉む。徐々に遠慮をなくした手が服を捲り上げて白い肌を晒す。
「やだっ……」
女が声を上げ、わずかに身を捩って抵抗する。若いとは思っていたが、まだ子供、下手をすると酒を飲める年齢にも達していないように見える。
「大丈夫だよーほら、まだ気持ち悪いでしょ? 具合良くなるまで一緒居るからね。ちょっと服緩めたほうが楽になるし」
「お前最低だな」
仲間内で笑いながら、男たちは彼女の肌を暴いていく。
「やっ、ほんとにやだ……」
弱々しい抵抗はすぐに封じられる。細い腕を掴まれ、口を塞がれた彼女の目に涙が滲む。
「ねぇ、何やってんの?」
声をかけると、一瞬、男たちの動きがぴたりと止まった。一斉にこちらを向いた彼らはすぐにへらへらと笑う。
「見てわかんでしょ? 介抱だよ介抱。なんなら混ざる?」
「俺らの後でよければ使わせてやっても」
「黙れよ」
煙草を捨て、立ち上がる。
「嫌がってるのわかんないの? てか酔わせないと女の子に触らせてもらえないなんて、ほんとかわいそうだね、あんたら」
「あ?」
安い挑発に乗った男が近づいてきて、拳を振り上げる。
「調子のんなよガキが!」
隙の多い打撃をかわし、鳩尾を抉るように殴打する。
膝をつく男に周囲は騒然とし、他の男たちが叫びながら向かってくる。一人避け、もう一人に蹴りを入れ、体当たりされて動きが止まる。腰の辺りを掴まれたまま、別の男に殴られる。二発目を食らう前に纏わりつく男の顔面に膝を入れ、向かってきた男に足を掛ける。姿勢を崩した男を蹴り上げる。
それからも何度か殴る蹴るの応酬があり、気づくと自分以外の全員がトイレに倒れていた。
途中の記憶は曖昧だが、唯一、視界の端に一瞬映った少女の泣き顔だけは鮮明に頭に焼き付いていた。
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