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あの季節
#03
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クリスマスの夜、仕事を終えた楓は手早く荷物をまとめ、コートとマフラーを掴んで会社を飛び出した。
イルミネーションの輝く道を、人の間を縫って駆け抜ける。信号待ちの間に確認した時計の針は間もなく二十時を刺そうとしていた。
再び駆け出し、閉店間際の店に入る。幸い店内にはまだ客がいて、店員もにこやかに声をかけてくれた。
ほどなくして閉店時間を過ぎてしまったが、楓はなんとか目当ての商品を購入することができた。
会計を済ませると包装された商品を持った店員が出口まで送ってくれた。
「ありがとうございました」
商品を受け取り、頭を下げる彼にお礼を言いたいのは楓の方だった。
「こちらこそありがとうございました。助かりました」
「またいらして下さいね。良いクリスマスを」
再び深々と頭を下げる彼にもう一度感謝を伝え、店を後にする。
大通りに向かって歩きながらスマートフォンで電話をかける。相手はすぐに応答した。
「あ、もしもし、姉さん?」
「ごめん、いま仕事終わったの。待たせちゃってない?」
今日は凛太朗と真と三人で食事に行く約束をしていた。
「大丈夫だよ。俺たちもいま向かってるとこだから」
凛太朗の声と共にわずかなエンジン音が聞こえてくる。
「車で来たの?」
「うん。兄さんと待ち合わせして……兄さん、あとどれくらい?」
凛太朗の声が少し遠くなる。続いて真の声が聞こえた。
「混まなければ十分以内」
「聞こえた? 寒いからどっか入っててくれていいよ」
「うん、ありがとう。でも大丈夫よ。急がなくていいから、安全運転で来て」
「兄さん急いで! 姉さんが凍える!」
凛太朗の要求に嫌そうな顔をする真の様子が頭に浮かんで思わず口元が綻ぶ。真は実姉の楓から見ても難しい弟だった。人当たりは良いのにどこか壁を感じる。でも凛太朗はそんなのお構いなしに距離を縮めてくる。最初はうまくあしらっていた真も、次第に面倒臭そうな顔を隠さなくなり、そこを過ぎると穏やかな、優しい顔で凛太朗を見つめるようになっていた。
「じゃあ、後でね」
待ち合わせ場所に向かう足取りは軽い。週末で明日は仕事もない。この後は大好きな家族と楽しい夕食が待っている。外回りで疲れた体も、仕事の悩みも全く気にならない。
「あ、ねーねーお姉さん」
立ち止まる度に声をかけてくるナンパ野郎も、パリピ大学生にもそこまで苛立たない。
オフィス街だから普段はナンパも紳士的な男が多いが、週末でしかもクリスマスなだけあって、チャラい大学生が出没している。いきなり肩に触れてくる男の手を払い落とす。
「急いでるんで」
そう言ってひと睨みすれば大抵の男は引き下がる。せっかく良い気分だったのに水を差さないで欲しい。クリスマスの夜にブランドショップの紙袋を持って速歩きをしている女が暇に見えるのか。待ち合わせの相手は恋人ではないけれど、楓にとってはそれ以上に大切な人たちだ。
「気ぃ強いお姉さん大好き。どこ行くの?」
驚いたことにナンパ男はまだ食い下がる。さすがにこれ以上歩調は速められない。
「ねぇ、無視しないでよ」
正面に回り込んだ男に道を塞がれる。腕を掴まれそうになった時、背後から冷ややかな声が聞こえてきた。
「なにやってんの?」
凛太朗が楓に伸ばされた男の腕を掴む。
「この人になんか用?」
「いてててっ、ちよ、お兄さん痛い」
「凛太朗、大丈夫だから」
声をかけると凛太朗は眼光の鋭さはそのままに、男の腕を放した。
「彼氏来るならそう言えばいいのに……」
ぶつぶつ言う男に凛太朗が舌打ちすると、男は足早にその場を離れた。凛太朗は苛立ちを鎮めるように大きく息を吐き、それから楓を見た。
「大丈夫だった?」
その声音にはもう先ほどまでの刺々しさはない。むしろ楓を気遣う穏やかな口調に安堵した。
「うん。ありがとう」
「もー心配だよ、姉さん一人で歩かせるの」
「いつもは自分で対処してるよ。今日はたまたましつこかっただけだから」
「いつもとか言って、頻繁にこんな目に遭ってんじゃん」
「大丈夫だって。子供じゃないんだから」
まだ納得がいかなさそうな凛太朗に、楓は話題を変えようと辺りを見回した。
「真は? まだ来てないの?」
「車置いてくるって。歩いてる姉さん見かけたから、俺だけ先に下ろしてもらった」
「そうだったの、ありがとね」
もう一度お礼を言うと凛太朗はようやく表情を緩めた。
「遅くなってごめん。行こうか」
凛太朗が歩き出す。楓も決して小柄な方ではないし、ヒールを履いている分身長は高くなっているが、それでも凛太朗には及ばない。幼い頃から彼を知っているだけに、改めて成長を実感してしまう。
「そのコートおしゃれだね」
凛太朗はチェック柄のチェスターコートにスキニーパンツを履き、黒のブーツを合わせていた。首に巻かれた水色と茶色のマフラーが、暗くなりがちなコーディネートを華やかに見せている。
「ありがとう。姉さんも……」
褒めてくれるのかと思ったが、凛太朗は気まずそうに目を逸らしてしまった。弟の可愛らしさに微笑んで、楓は歩く速度を上げた。
イルミネーションの輝く道を、人の間を縫って駆け抜ける。信号待ちの間に確認した時計の針は間もなく二十時を刺そうとしていた。
再び駆け出し、閉店間際の店に入る。幸い店内にはまだ客がいて、店員もにこやかに声をかけてくれた。
ほどなくして閉店時間を過ぎてしまったが、楓はなんとか目当ての商品を購入することができた。
会計を済ませると包装された商品を持った店員が出口まで送ってくれた。
「ありがとうございました」
商品を受け取り、頭を下げる彼にお礼を言いたいのは楓の方だった。
「こちらこそありがとうございました。助かりました」
「またいらして下さいね。良いクリスマスを」
再び深々と頭を下げる彼にもう一度感謝を伝え、店を後にする。
大通りに向かって歩きながらスマートフォンで電話をかける。相手はすぐに応答した。
「あ、もしもし、姉さん?」
「ごめん、いま仕事終わったの。待たせちゃってない?」
今日は凛太朗と真と三人で食事に行く約束をしていた。
「大丈夫だよ。俺たちもいま向かってるとこだから」
凛太朗の声と共にわずかなエンジン音が聞こえてくる。
「車で来たの?」
「うん。兄さんと待ち合わせして……兄さん、あとどれくらい?」
凛太朗の声が少し遠くなる。続いて真の声が聞こえた。
「混まなければ十分以内」
「聞こえた? 寒いからどっか入っててくれていいよ」
「うん、ありがとう。でも大丈夫よ。急がなくていいから、安全運転で来て」
「兄さん急いで! 姉さんが凍える!」
凛太朗の要求に嫌そうな顔をする真の様子が頭に浮かんで思わず口元が綻ぶ。真は実姉の楓から見ても難しい弟だった。人当たりは良いのにどこか壁を感じる。でも凛太朗はそんなのお構いなしに距離を縮めてくる。最初はうまくあしらっていた真も、次第に面倒臭そうな顔を隠さなくなり、そこを過ぎると穏やかな、優しい顔で凛太朗を見つめるようになっていた。
「じゃあ、後でね」
待ち合わせ場所に向かう足取りは軽い。週末で明日は仕事もない。この後は大好きな家族と楽しい夕食が待っている。外回りで疲れた体も、仕事の悩みも全く気にならない。
「あ、ねーねーお姉さん」
立ち止まる度に声をかけてくるナンパ野郎も、パリピ大学生にもそこまで苛立たない。
オフィス街だから普段はナンパも紳士的な男が多いが、週末でしかもクリスマスなだけあって、チャラい大学生が出没している。いきなり肩に触れてくる男の手を払い落とす。
「急いでるんで」
そう言ってひと睨みすれば大抵の男は引き下がる。せっかく良い気分だったのに水を差さないで欲しい。クリスマスの夜にブランドショップの紙袋を持って速歩きをしている女が暇に見えるのか。待ち合わせの相手は恋人ではないけれど、楓にとってはそれ以上に大切な人たちだ。
「気ぃ強いお姉さん大好き。どこ行くの?」
驚いたことにナンパ男はまだ食い下がる。さすがにこれ以上歩調は速められない。
「ねぇ、無視しないでよ」
正面に回り込んだ男に道を塞がれる。腕を掴まれそうになった時、背後から冷ややかな声が聞こえてきた。
「なにやってんの?」
凛太朗が楓に伸ばされた男の腕を掴む。
「この人になんか用?」
「いてててっ、ちよ、お兄さん痛い」
「凛太朗、大丈夫だから」
声をかけると凛太朗は眼光の鋭さはそのままに、男の腕を放した。
「彼氏来るならそう言えばいいのに……」
ぶつぶつ言う男に凛太朗が舌打ちすると、男は足早にその場を離れた。凛太朗は苛立ちを鎮めるように大きく息を吐き、それから楓を見た。
「大丈夫だった?」
その声音にはもう先ほどまでの刺々しさはない。むしろ楓を気遣う穏やかな口調に安堵した。
「うん。ありがとう」
「もー心配だよ、姉さん一人で歩かせるの」
「いつもは自分で対処してるよ。今日はたまたましつこかっただけだから」
「いつもとか言って、頻繁にこんな目に遭ってんじゃん」
「大丈夫だって。子供じゃないんだから」
まだ納得がいかなさそうな凛太朗に、楓は話題を変えようと辺りを見回した。
「真は? まだ来てないの?」
「車置いてくるって。歩いてる姉さん見かけたから、俺だけ先に下ろしてもらった」
「そうだったの、ありがとね」
もう一度お礼を言うと凛太朗はようやく表情を緩めた。
「遅くなってごめん。行こうか」
凛太朗が歩き出す。楓も決して小柄な方ではないし、ヒールを履いている分身長は高くなっているが、それでも凛太朗には及ばない。幼い頃から彼を知っているだけに、改めて成長を実感してしまう。
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「ありがとう。姉さんも……」
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