ねむれない蛇

佐々

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たとえ全てが嘘であっても

#10

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 シャンプーと微調整を終えてクロスが取り払われた。椅子が回らないので凛太朗は自分の体を動かして仕上がりを確認した。
「どう? 気に入った?」
「うん。今までの髪型で一番好きかも」
「あら嬉しい。シン、出来たわよ」
 ナインが呼びかけると真が近づいてきた。
「イケメンっぷりが上がったと思わない?」
「俺の弟は元々イケメンだっつーの」
 そう言いながらも真の口元には笑みが浮かんでいる。
「似合うよ、リン」
「ありがとう」
 面と向かって褒められると少し恥ずかしい。
「はいはい、いちゃつかないでちょうだい。あんたも切ってくの?」
「当たり前だろ。時間ないからさっさとしろ」
「ほんとに似てない兄弟だこと」
 凛太朗と交代で今度は真が席につく。
 凛太朗がカウンタースツールに腰掛けると、ナインがアイスコーヒーを淹れてくれた。その様子を見ていた真が不満げにナインを睨む。
「扱いに俺と差がありすぎだろ」
「リンは可愛い、あんたは可愛げがない。決まってるでしょ」
 憎まれ口を叩きながらも、ナインは凛太朗の時と変わらず、優しい手つきで真の髪を切っていく。
 二人は長い付き合いのようだ。仕事の話を含めた近況を話す真はいつになくリラックスしているように見えた。それだけで、彼がナインを信用していることがわかる。ジーノといいナインといい、真はこの国にちゃんと気心の知れた人間がいるようだ。
 日本で暮らしていた頃、彼は自分の家族にすら取り繕った顔しか見せなかった。それは凛太朗に対しても同様で、人当たりのいいよそ行きの笑顔を向けられるたび、凛太朗の胸は小さく痛んだ。でも今の真には、本音で話し、ぶつかることのできる相手がいる。それは喜ばしいことのはずなのに、よく冷えたアイスコーヒーはいつもより苦く感じられた。


 ナインの店を後にし、スーツを取りに向かった。再度試着して真の前に出ると、彼は今度こそ満足げに微笑んだ。
 その後、休憩がてら入った店で真が飲み物を買ってくれた。レモンティーにタピオカの入ったドリンクだった。店内の窓際に並んだスツールに腰掛け、それを飲む。
「こっちでもタピオカはやってんの?」
 先日、ジュリオが出してくれたのもタピオカ入りのジュースだった。
「日本ほどじゃないけど、少しずつ浸透してきてるな。うちやジーノのとこでも店を出してる」
「マジで? この間飲んだのはそれだったのかな」
「どこで飲んだんだ?」
「カンドレーヴァで。ジュリオが持ってきてくれたんだ」
「新作の味見役にされたな」
「あーね。美味しかったからいいけど」
「俺が買ってやったのは美味くないのか?」
「美味いよ。飲んでみる?」
 妙なところで対抗心を抱く真に笑いながらボトルを差し出すと、真は凛太朗の手首を掴み、ストローをくわえた。
「ん、さっぱりしてて美味いな。俺のも味見するか?」
「それなに味?」
「ただのアイスコーヒー。ミルク入ってるけど」
「いらない。牛乳嫌い」
「それでよくこんなに大きくなったな」
 頭をなでられ、くすぐったさに目を細める。
「その時計、使ってるんだな」
 真は懐かしそうな顔で凛太朗の腕時計を見つめた。黒いベルトのダイバーズウォッチは、高校入学当初に真から貰った物だった。
「うん。俺これ以外に時計持ってないし。さすがに高校生がつけるもんじゃないと思ったから、大学までとっといたけど……」
「そうだったのか? つけてるとこ見ないから、てっきり気に入らなかったのかと思ってた」
「まさか。でも貰った時は正直ちょっとひいたよ。こんな高価な物、初めてだったから」
 腕時計に視線を落とす。黒い文字盤のダイバーズウオッチは、誰もが知るブランドの定番の時計にしてはカジュアルだし、価格も低めなほうだが、それでも若いサラリーマンの平均的な月収の数倍に相当することを知っていた。
「そんなことだろうと思った。今だから言うけど、それ、親父からなんだよ」
「は?」
 凛太朗は腕時計と兄の顔を見比べた。
「乃木さんが?」
「ああ。それを知ったらお前は絶対受け取らないから、俺が贈ったことにしてくれって頼まれたんだ。俺も半分くらいは出したけど」
「なんで……」
「お前、親父から何か貰ったりするの避けてただろ?」
「それは……」
 再婚相手の連れ子である自分が、実の子供と同じ愛情を受けるわけにはいかないと思っていたからだ。
「学校も、俺たちってか親父の都合で引っ越して、知らない土地の私立校に通うはめになったのに、お前は学費高くなるからバイトするとか奨学金借りるとかいらん気ばっか回してたし」
「俺は、乃木さんの子供じゃないから……」
「親父の息子だろ。あの人は雪音さんと再婚したんだから。雪音さんの子供はあの人の子供でもある」
 そんな理屈の話ではない。実の子供と義理の息子と、父親がどちらにより愛情を注ぐべきかは誰の目にも明らかだ。しかし真は呆れたようにため息をついた。
「あのなぁ、お前は親父や楓のことを家族だと思ってなかったのか?」
「家族だと思ってたよ。心から」
 乃木は優しい男だった。本当に母を愛し、凛太朗にも実の子と分け隔てない愛情を注いでくれた。それは楓も同様で、彼女は出会った時からずっと、どんな時でも優しく凛太朗に寄り添ってくれた。彼らと家族になることができて幸せだった。
「同じだよ。親父や楓も、お前を家族だと思ってた。血の繋がりなんて関係ない。お互いがそう思ってんなら何を遠慮する必要がある? 親父のあんな顔、初めて見たぞ」
 真が笑う。凛太朗の頭に、プレゼントの渡し方について真に相談する、乃木の深刻そうな顔が浮かぶ。その光景を微笑ましく思うと同時に、罪悪感に胸を締め付けられた。
「それをまぁ、お前は使うことなく後生大事に仕舞い込んでたわけね」
 そうだ。この時計をくれたのが乃木だとしたら、きっと彼は、自分がそれを使っているところを見たかったに違いない。
「申し訳ないことしたな……」
 乃木が生きている間に、彼の前で時計をつけたことはなかった。真に頼み込んで贈ってくれた物なのに、乃木の厚意に感謝することも、応えることもできなかった。もう今となってはお礼も、大事にしていることを伝えることもできないのに。
「仕方ないさ、死んじゃったんだから」
 カウンターに頬杖をつき、真は窓の外を眺めながら言った。
「気に入らなかったわけじゃないんだろ?」
「すごく気に入ってるよ」
「なら良かった。きっと親父も、お前にそう思ってほしくて贈ったんだ。もちろん俺もな」
 高校生には相応しくないとか、自分にはまだ似合わないとか、意地を張らずに喜んでおけばよかった。子供の頃はもっと素直にそれが出来た気がする。おもちゃを買ってもらったり、遊びに連れて行ってもらったり、野球を教えてもらったり。自分と遊んでくれる時、乃木はいつも嬉しそうだった。
「ありがとう……義父さん」
 口に出して呼んだのは初めてだった。どうしても、彼の実子でないという引け目が、凛太朗にその呼び方を許さなかった。
 真は項垂れた凛太朗の頭を優しくなでた。その手の感触が、子どもの頃、乃木にそうされた時の記憶と重なった。
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