ねむれない蛇

佐々

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短編

#06

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 あの日乃木くんに借りたマフラーを返すタイミングがつかめない。
 それがここ最近の私の悩みだった。
 一度でも私が使用した物をそのまま返すのは気が引けて、それでもクリーニングに出すのは大げさな気がするし、かといって自宅で洗濯するのも怖い。
 そうこうしている内に二日、三日と過ぎていき、気づけば一週間が経とうとしていた。
 今日こそ返そう! そう心に決めて、私は授業の終わりを待った。
 この学校にはチャイムがない。かわりに終業間際は時計を見つめる生徒が多くなる。私も類に漏れず、黒板や先生の顔より時計に注意を集中させていた。
 この日最後の英語の授業は定時でしっかり終了した。先生が翌週に向けたアナウンスをする中、早々に帰り支度を終えた人間がいち早く教室を出て行く。
 私は心臓が恐ろしいほどの速さで打ちつけるのを感じていた。教室の外にあるロッカーに持ち帰る必要のない資料を仕舞うかわりに、紙袋に入れたマフラーを取り出す。
 今日は金曜日だ。渡せなければまた週明けまで乃木くんに会えない。なんとしてでも今日マフラーを返そう。
 そう思うのに、私の脚は凍りついたように動かない。早くしないと乃木くんが帰ってしまう。でもなんと言って声をかければいいのだろう。間が空き過ぎてどうしたらいいのかわからない。
 あの日あんなに楽しく会話したのが嘘のようだ。あれから私たちの関係は特に何も変わっていない。ただのクラスメイト。乃木くんは変わらず優しいし、挨拶もしてくれるが、私から乃木くんに声をかけることはできないままだ。
 そうこうしている内に乃木くんは数人のクラスメイトと共に教室を出てきた。
「腹減ったー。なんか食ってかね?」
 コートに袖を通しながら白石くんが言う。
「賛成! リンも行くでしょ?」
 片手をポケットに入れてスマホを眺めていた乃木くんに、クラスメイトの三村さんが袖を引いて誘う。
「家で食べるから俺はパス」
「は? お前ほんと最近付き合い悪いな。そんなに姉ちゃんと一緒に居たいのかよ」
「姉さん仕事遅いからそんなに一緒にならないよ」
「これだからシスコンは」
「殴るぞてめぇ」
「えーリンってシスコンなの? なんかショック」
 三村さんが乃木くんの腕を掴む。
 スマホをしまった乃木くんと目が合う。
「あ、木村さんも帰るとこ?」
 声をかけられ、私は大げさにびくついてしまう。
「は、はいっ」
「そっか。気をつけてね」
「うん……」
 不自然な間に耐えられずにいると、三村さんが可愛らしく笑いながら手を振ってくれた。
「木村さんばいばーい」
「ば、ばいばい……」
 手を振り返してはたと気づく。このチャンスを逃せばもう二度と、乃木くんへの接触は図れないかもしれない。私は紙袋を掴み、乃木くんに近づいた。
「の、乃木くんっ」
 乃木くんが振り返る。
「こ、これっ……」
 私は紙袋を乃木くんに差し出した。受け取った乃木くんが中身を確認し、ああ、と声を漏らす。
「なに? マフラー?」
 横から覗き込んだ三村さんが首を傾げる。
「そういえば貸してたっけ。ありがとう」
 乃木くんは微笑んで、取り出したマフラーを首に巻き付けた。
「こ、こちらこそ、ありがとう」
「どういたしまして」
「他にもなんか入ってない?」
 三村さんの言葉で、乃木くんが紙袋から小さな箱を掴み出す。
「あっ、それは、ちょっとお礼のつもりっていうか、深い意味はないんだけど、お母さんに美味しいってきいたから、その、嫌いだったら捨ててもらってよくて」
 借りたものの返却方法として何が適切がわからなかった私は、少しお洒落なパッケージのお菓子を一緒に投入したのだった。でもよく考えたらやり過ぎ? 気の遣いすぎで却って不自然だったかもしれない。言い訳を並べる私に三村さんが笑っている。
「木村さんめっちゃ喋るね。てかなんか意外。リンと木村さんってそんなに仲良かったんだ」
「気をつけなよ。こいつ意外と手早いから」
 白石くんの脚を蹴った乃木くんが私に笑いかける。
「ありがとね。美味しく頂きます」
「うわ、お前が言うとなんかやらし」
 白石くんはまた乃木くんに蹴られて言葉を失っている。
 それから私は手を振って乃木くんたちと別れた。彼らの声が遠ざかると私はその場にへたり込みそうになった。胸のドキドキが治らない。
 反省点は色々あるが、ひとまずミッションクリアだ。私は安堵のため息をつき、あの日と変わらぬ乃木くんの優しい微笑みを思い出して、ひとり頬を緩ませた。
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