114 / 164
短編
乃木くんの秘密
しおりを挟む
情緒不安定になる前の高校生の凛太朗とクラスメイトの女の子の話です。
乃木くんは誰にでも優しい。
可愛い子にも、そうでない子にも、男の子にも女の子にも優しい。
運動が得意で、勉強もできて、いつも友達と笑い合ってる。見た目もかっこ良くて、彼に憧れる女子生徒はたくさんいる。
そんなきらきらした彼とは対照的に、私にはなんの取り柄もない。勉強も、運動も、容姿も、何一つ人より秀でたところがない。乃木くんと私は違いすぎて、別の世界の人間にように思えてならなかった。
乃木くんの秘密を知ったのは高校一年の冬だ。
私はその時まで乃木くんとろくに話したことがなかった。もちろん挨拶くらいはするが、それも乃木くんが声をかけてくれたら返事をするという感じで、友達も少なく、クラスでも目立たない存在の私が、乃木くんに声をかけてはいけないような気がしていた。
家から歩いて十分ほどの所にある映画館に、私は月に二回ほどのペースで通っていた。映画館と言っても都心にある最新設備のシネコンではなく、ショッピングモールに併設されているそれだ。
郊外にある大型のショッピング施設に比べると小規模だが、週末は家族連れやカップルでそれなりに賑わいを見せるその施設は、正面入口の前に人工芝の広場が設けられている。昼間は子供たちが追いかけっこやボール遊びに興じ、陽が落ちると周囲のベンチに座ってクリスマスに向けたイルミネーションを眺めるカップルが多くなる。
週末に一人でここを訪れるのは少し勇気がいるので、私はいつも平日の夕方に足を運んでいた。
学校が早めに終わり、アルバイトもない日、気になっていた映画が上映されていると学校帰りにネットで席を取り、ふらっと観に行ったりする。
映画の後は別の階にあるカフェでコーヒーとクッキーを買い、映画のレビューやネット上の考察を眺めるのがお決まりの流れだった。
我ながら陰キャ丸出しな時間の過ごし方だと思うが、私にはそれくらいしか楽しみがない。
友達と騒いだり、SNSに写真を投稿したり、そういうのは私とは縁のないものだ。根暗な私は平凡でつまらない日常を平和に過ごすのが性に合っている。心を揺らす出来事はフィクションの世界だけで十分だ。
ある冬の日、私はいつものように映画館を訪れていた。いつも洋画ばかり観ている私が珍しく邦画の上映に足を運んだ日だった。
話題のミステリー小説が原作の映画はかなり楽しめたが、予想以上に心を重たくする内容だった。
妻と娘を殺された父親が犯人に復讐するという、比較的ありきたりな題材なのに、美しい映像と、主演を始めとした俳優陣の真に迫る演技から目が離せなかった。
主人公である父親は犯人への怒りや憎しみを抑えきれず、激情のまま犯人を追う。しかし最後まで良心を捨てらない彼の葛藤や、悲しい殺意が薄暗い雪山の情景とあいまって私は涙が止まらなかった。
映画は幸せな結末を迎えないまま終わり、エンドロールの間に涙をふいた私は照明のともった館内を、まばらな客と共に抜け出した。
トイレに寄ってからエスカレーターに乗り、いつものように階下のカフェに入る。半端な時間のため客席は空いていた。周囲に人のあまりいない席を選び、早速スマホで先ほど観た映画を検索する。
評価の別れるレビューに目を通し、次に観る映画を調べていた時、ふと斜め向かいの席に座る男性の靴が目に入った。
濃い茶色のブーツで、同色系の細身のパンツに包まれた長い脚を組んだ彼の顔を見たとき私はとても驚いた。それは同じクラスの乃木くんだった。
私服の彼はテーブルに薄いラップトップを広げ、キーボードを叩いていた。
なぜ彼がこんな所に、とか何をしているのだろうとか色々な疑問が浮かぶが、直接本人に尋ねられるはずもなく、私はしばし呆然と、ディスプレイを見つめる彼の真剣な横顔を眺めていた。
キーボードを打つ手を止めた乃木くんが小さく息を吐き、ディスプレイから目を離す。何気なく周囲に向けられた彼の視線と、私の瞳がぶつかった。
私はようやく我に返り、慌てて目を逸らした。自分でも気づかないほどじっと見つめてしまっていたことが恥ずかしかった。
思わず俯く。彼と仲のよい女の子なら、笑顔で声をかけることができるのに、私にそんな勇気はない。あいさつ程度しか言葉を交わしたことのないイケメンのクラスメイトに自分から話しかけるなんて高難度のミッションはクリアできない。
消えてしまいたくなるような気まずさと羞恥で鼓動が高鳴る。自分のコミュ力の低さを呪い、ひたすら時が過ぎるのを待っていると、ふと私のテーブルの向かい側の椅子が引かれた。
驚いて顔を上げると目の前に乃木くんが座っていた。
「あ、やっぱり木村さんだ。なんで無視すんの?」
「え、あ、えっ……」
言葉が出てこない。乃木くんの顔も見られない。未だかつてこんな距離で彼と話したことがあっただろうか。いや、ない。彼だけでなく他の異性とも私は必要最低限以上の会話をしたことがない。
黙り込む私を見て、乃木くんは少し困ったような声を出す。
「ごめん、急に声かけちゃって。怖がらせるつもりじゃなかったんだけど」
「こ、怖いわけじゃ、ないです……」
「なんで敬語?」
全く同感である。しかし適切なコミュニケーションの取り方がわからない。
「ご、ごめんなさい……」
ようやく出てきたのは謝罪の言葉だった。そんなことしか言えない自分を殴りたくなる。
「いや、俺の方こそごめんね」
私のせいで乃木くんにまで謝らせてしまった。
私はどうしてこんなに駄目なんだろう。卑屈で、クラスメイトとすら上手く話せなくて、そんな自分が嫌なのに、変わることができない。
私は一生このままなのだろうか。このまま、誰とも分かり合えずに一人で生きていくしかないのだろうか。
それが当たり前で、自分にはお似合いの生き方だと思う。でも、本当は自ら孤独を選んだわけではない。
私はただ逃げているだけだ。それ以外の選択肢を選んだ際に起こりうる、良くない出来事を勝手に想像し、怖くなって一人の道に逃げる。今までずっとそうしてきた。気づいたらその道しか歩けなくなっていた。
でも本当は、私もクラスのみんなのように友達と遊んだり、くだらないことで笑い合ったり、好きな人の話をしてみたい。乃木くんとも普通に、他愛のない話ができるようになりたい。
「じゃあ、また学校でね」
乃木くんが席を立つ。最後まで怒りもせず、呆れた顔ひとつ見せない彼に、私は思わず立ち上がった。
「の、乃木くん!」
思いのほか大きな声が出て自分で驚いてしまった。恥ずかしい。熱を持った頬を隠すように俯き、腰を下ろす。
周囲の視線が痛い。絶対に変な奴だって思われた。乃木くんにも今度こそ呆れられたかもしれない。いや、どんだけコミュ障だよとか嘲笑われているかもしれない。
「びっくりした、すごい声でたね」
私の予想とは裏腹に、返ってきたのは優しい声だった。恐る恐る顔を上げると、同じ席に座った乃木くんが私を見つめていた。
「木村さんってこの近くに住んでるの?」
二の句がつげない私にかわり、乃木くんは自然に問いかけた。
「え、あ、はいっ、歩いて十分くらいの所に……」
「そうなんだ。便利でいいね。今日はどうしたの? 買い物?」
「え、映画を、観にきました……」
乃木くんが笑う。
「また敬語になってる」
「あっ、ごめんなさ……」
「謝らなくていいよ。なんの映画みたの?」
「えっと……」
私がタイトルを告げると、乃木くんは少し驚いた顔をして、それから明るく笑った。
「それ俺も観たよ! すごい、初めて学校で同じ映画知ってる人に会った」
「の、乃木くんも映画が好きなの?」
「うん。友達にはあんまりいないから、なんか嬉しい」
「私も、嬉しい……」
快活に笑う乃木くんを見て、強張っていた私の顔も自然と緩んだ。
乃木くんは誰にでも優しい。
可愛い子にも、そうでない子にも、男の子にも女の子にも優しい。
運動が得意で、勉強もできて、いつも友達と笑い合ってる。見た目もかっこ良くて、彼に憧れる女子生徒はたくさんいる。
そんなきらきらした彼とは対照的に、私にはなんの取り柄もない。勉強も、運動も、容姿も、何一つ人より秀でたところがない。乃木くんと私は違いすぎて、別の世界の人間にように思えてならなかった。
乃木くんの秘密を知ったのは高校一年の冬だ。
私はその時まで乃木くんとろくに話したことがなかった。もちろん挨拶くらいはするが、それも乃木くんが声をかけてくれたら返事をするという感じで、友達も少なく、クラスでも目立たない存在の私が、乃木くんに声をかけてはいけないような気がしていた。
家から歩いて十分ほどの所にある映画館に、私は月に二回ほどのペースで通っていた。映画館と言っても都心にある最新設備のシネコンではなく、ショッピングモールに併設されているそれだ。
郊外にある大型のショッピング施設に比べると小規模だが、週末は家族連れやカップルでそれなりに賑わいを見せるその施設は、正面入口の前に人工芝の広場が設けられている。昼間は子供たちが追いかけっこやボール遊びに興じ、陽が落ちると周囲のベンチに座ってクリスマスに向けたイルミネーションを眺めるカップルが多くなる。
週末に一人でここを訪れるのは少し勇気がいるので、私はいつも平日の夕方に足を運んでいた。
学校が早めに終わり、アルバイトもない日、気になっていた映画が上映されていると学校帰りにネットで席を取り、ふらっと観に行ったりする。
映画の後は別の階にあるカフェでコーヒーとクッキーを買い、映画のレビューやネット上の考察を眺めるのがお決まりの流れだった。
我ながら陰キャ丸出しな時間の過ごし方だと思うが、私にはそれくらいしか楽しみがない。
友達と騒いだり、SNSに写真を投稿したり、そういうのは私とは縁のないものだ。根暗な私は平凡でつまらない日常を平和に過ごすのが性に合っている。心を揺らす出来事はフィクションの世界だけで十分だ。
ある冬の日、私はいつものように映画館を訪れていた。いつも洋画ばかり観ている私が珍しく邦画の上映に足を運んだ日だった。
話題のミステリー小説が原作の映画はかなり楽しめたが、予想以上に心を重たくする内容だった。
妻と娘を殺された父親が犯人に復讐するという、比較的ありきたりな題材なのに、美しい映像と、主演を始めとした俳優陣の真に迫る演技から目が離せなかった。
主人公である父親は犯人への怒りや憎しみを抑えきれず、激情のまま犯人を追う。しかし最後まで良心を捨てらない彼の葛藤や、悲しい殺意が薄暗い雪山の情景とあいまって私は涙が止まらなかった。
映画は幸せな結末を迎えないまま終わり、エンドロールの間に涙をふいた私は照明のともった館内を、まばらな客と共に抜け出した。
トイレに寄ってからエスカレーターに乗り、いつものように階下のカフェに入る。半端な時間のため客席は空いていた。周囲に人のあまりいない席を選び、早速スマホで先ほど観た映画を検索する。
評価の別れるレビューに目を通し、次に観る映画を調べていた時、ふと斜め向かいの席に座る男性の靴が目に入った。
濃い茶色のブーツで、同色系の細身のパンツに包まれた長い脚を組んだ彼の顔を見たとき私はとても驚いた。それは同じクラスの乃木くんだった。
私服の彼はテーブルに薄いラップトップを広げ、キーボードを叩いていた。
なぜ彼がこんな所に、とか何をしているのだろうとか色々な疑問が浮かぶが、直接本人に尋ねられるはずもなく、私はしばし呆然と、ディスプレイを見つめる彼の真剣な横顔を眺めていた。
キーボードを打つ手を止めた乃木くんが小さく息を吐き、ディスプレイから目を離す。何気なく周囲に向けられた彼の視線と、私の瞳がぶつかった。
私はようやく我に返り、慌てて目を逸らした。自分でも気づかないほどじっと見つめてしまっていたことが恥ずかしかった。
思わず俯く。彼と仲のよい女の子なら、笑顔で声をかけることができるのに、私にそんな勇気はない。あいさつ程度しか言葉を交わしたことのないイケメンのクラスメイトに自分から話しかけるなんて高難度のミッションはクリアできない。
消えてしまいたくなるような気まずさと羞恥で鼓動が高鳴る。自分のコミュ力の低さを呪い、ひたすら時が過ぎるのを待っていると、ふと私のテーブルの向かい側の椅子が引かれた。
驚いて顔を上げると目の前に乃木くんが座っていた。
「あ、やっぱり木村さんだ。なんで無視すんの?」
「え、あ、えっ……」
言葉が出てこない。乃木くんの顔も見られない。未だかつてこんな距離で彼と話したことがあっただろうか。いや、ない。彼だけでなく他の異性とも私は必要最低限以上の会話をしたことがない。
黙り込む私を見て、乃木くんは少し困ったような声を出す。
「ごめん、急に声かけちゃって。怖がらせるつもりじゃなかったんだけど」
「こ、怖いわけじゃ、ないです……」
「なんで敬語?」
全く同感である。しかし適切なコミュニケーションの取り方がわからない。
「ご、ごめんなさい……」
ようやく出てきたのは謝罪の言葉だった。そんなことしか言えない自分を殴りたくなる。
「いや、俺の方こそごめんね」
私のせいで乃木くんにまで謝らせてしまった。
私はどうしてこんなに駄目なんだろう。卑屈で、クラスメイトとすら上手く話せなくて、そんな自分が嫌なのに、変わることができない。
私は一生このままなのだろうか。このまま、誰とも分かり合えずに一人で生きていくしかないのだろうか。
それが当たり前で、自分にはお似合いの生き方だと思う。でも、本当は自ら孤独を選んだわけではない。
私はただ逃げているだけだ。それ以外の選択肢を選んだ際に起こりうる、良くない出来事を勝手に想像し、怖くなって一人の道に逃げる。今までずっとそうしてきた。気づいたらその道しか歩けなくなっていた。
でも本当は、私もクラスのみんなのように友達と遊んだり、くだらないことで笑い合ったり、好きな人の話をしてみたい。乃木くんとも普通に、他愛のない話ができるようになりたい。
「じゃあ、また学校でね」
乃木くんが席を立つ。最後まで怒りもせず、呆れた顔ひとつ見せない彼に、私は思わず立ち上がった。
「の、乃木くん!」
思いのほか大きな声が出て自分で驚いてしまった。恥ずかしい。熱を持った頬を隠すように俯き、腰を下ろす。
周囲の視線が痛い。絶対に変な奴だって思われた。乃木くんにも今度こそ呆れられたかもしれない。いや、どんだけコミュ障だよとか嘲笑われているかもしれない。
「びっくりした、すごい声でたね」
私の予想とは裏腹に、返ってきたのは優しい声だった。恐る恐る顔を上げると、同じ席に座った乃木くんが私を見つめていた。
「木村さんってこの近くに住んでるの?」
二の句がつげない私にかわり、乃木くんは自然に問いかけた。
「え、あ、はいっ、歩いて十分くらいの所に……」
「そうなんだ。便利でいいね。今日はどうしたの? 買い物?」
「え、映画を、観にきました……」
乃木くんが笑う。
「また敬語になってる」
「あっ、ごめんなさ……」
「謝らなくていいよ。なんの映画みたの?」
「えっと……」
私がタイトルを告げると、乃木くんは少し驚いた顔をして、それから明るく笑った。
「それ俺も観たよ! すごい、初めて学校で同じ映画知ってる人に会った」
「の、乃木くんも映画が好きなの?」
「うん。友達にはあんまりいないから、なんか嬉しい」
「私も、嬉しい……」
快活に笑う乃木くんを見て、強張っていた私の顔も自然と緩んだ。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
ショタ18禁読み切り詰め合わせ
ichiko
BL
今まで書きためたショタ物の小説です。フェチ全開で欲望のままに書いているので閲覧注意です。スポーツユニフォーム姿の少年にあんな事やこんな事をみたいな内容が多いです。
身体検査が恥ずかしすぎる
Sion ショタもの書きさん
BL
桜の咲く季節。4月となり、陽物男子中学校は盛大な入学式を行った。俺はクラスの振り分けも終わり、このまま何事もなく学校生活が始まるのだと思っていた。
しかし入学式の一週間後、この学校では新入生の身体検査を行う。内容はとてもじゃないけど言うことはできない。俺はその検査で、とんでもない目にあった。
※注意:エロです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる