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短編
#05
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朝方、カイが帰宅すると玄関に靴が散乱していた。
居候している真のマンションは土禁である。カイは初めてここに来た時それを知らなくてとても怒られた。翌日掃除をさせられる羽目になったため、今では潔癖な真のために部屋の清潔さには気を使っている。
玄関だって昨日、家を出るまでは真の普段履いている靴が数足出ているくらいだったのに、今は真の靴と、それより明らかにサイズのでかい革靴と、真っ白なスニーカーが入り乱れている。
大きい方の革靴はジーノだろうか。彼曰く、真は自分の部屋に人を入れることが好きではないらしい。
「靴くらいちゃんと脱げよ……」
来客を嫌う真が招いた人間は一体どんな人間だろう。靴を揃えて壁際に並べ、カイはリビングに向かった。
扉を開けた途端、酒と煙草の混じったひどい臭いに襲われカイは息を止めて窓辺に走った。
全ての窓を開放し、ようやく呼吸を再開する。
差し込む陽光を頼りに改めて部屋の状態を確認し、その惨状に呆然とする。キッチンカウンターの上にはワイングラスや空のボトルが散乱し、雑に盛られた生ハムやオリーブが皿の上で乾燥している。普段はインテリアとして美しくすらある陶器の灰皿は吸い殻であふれ、しかも一度ひっくり返したのか、周囲のテーブルまで灰にまみれている。
床には脱ぎ捨てられたシャツやスラックス、そして何かの罠のようにダンベルが落ちている。カイは危うく足をぶつけそうになったそれを端に転がし、ついでに持ち主不明の衣類をソファに移動させた。一体どんなどんな経緯があれば酒盛りをしていて筋トレに発展するのだろう。
ため息をつき、まだ寝ているらしい真とその客人が起きてくる前に片付けてしまおうワインボトルに手を伸ばす。その時、寝室や脱衣所に繋がる扉が開いた。
「ジーノ、なんか着る物……」
濡れた髪をタオルでぬぐいながら出てきたのは下着姿の男だった。
「誰?」
てっきりリビングに居るのがジーノだと思っていたのだろう。長身の男はカイを見るなり眉を顰めた。
「あんたこそ……」
誰だと問おうとして、カイは彼の顔に見覚えがあるような気がした。黒髪、細い鼻梁、薄い唇。涼しげな、ともすればきつい印象を受ける瞳。初めて彼の写真を見たとき、似ていない兄弟だと思った。黙っていれば上品で柔らかな雰囲気の真と違い、彼の弟は鋭く冷たい面立ちをしていた。
「シンさんの弟?」
SNSの写真でしか見たことない真の弟は、実物のほうが数倍魅力的だと思った。長身で、手脚が長く、頭が小さい。痩せているように見える体は意外にもきれいに筋肉がついている。割れた腹筋を伝う水滴からカイは慌てて目を逸らした。
「あんたも俺のこと知ってんの?」
真の弟はキッチンに入ると冷蔵庫から水を取り出した。パンイチのままそれを呷る彼に、まず服を着ろとかなんでそんな堂々としてるんだなどという野暮な疑問は湧いてこない。全て許されるほどのイケメンぶりだった。
ふとその長い首の痣が目についた。赤紫色に変色したそれは首の片側から鎖骨にかけてわりと広範囲に及んでいる。場所と色味からしておそらくキスマークだ。一体誰に。そう思ったのは一瞬で、カイはすぐにこの部屋を初めて訪れた夜、彼の兄がベッドの中で弟の名を口にしていたことを思い出した。
「で、あんたは誰なの?」
カウンターの上の煙草を取り上げた弟に睨まれる。カイはすぐに言葉が出てこなかった。
彼は真の弟で、当然のようにイケメンで、スタイルが良くて、えげつないキスマークがついている。情報量の多さに頭がついていかない。
こんな男前を相手に真は一体どんなセックスをするのだろう。下品な妄想が止まらないカイは、舌打ちの音でようやく我に返った。
「カ、カイって言います。シンさんの運転手をさせてもらってます」
長い指先で煙草を弄ぶ彼は観察するようにカイを見つめている。
「すみません、まさかシンさんの弟さんに会うなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって。あの、凛太朗さんですよね? シンさんからいつも聞いてます。いやぁ、仲が良くて羨ましいですよ」
精いっぱいの笑顔が引きつっていないか不安になる。出だしで失敗したからか、凛太朗の目が怖いのだ。完全に嫌われている気がする。ひどい。俺が何をしたって言うんだ。ちょっとイケメンに見惚れて妄想しただけじゃないか。
「えっと……」
沈黙に耐えかねて口を開いてみたはいいが、何を言えばいいのかわからない。凛太朗はカウンターに寄りかかり、煙草に火をつけている。彼はもうカイに一瞥もくれない。少し泣きそうな気分になっていると、再び扉が開いて、今度はジーノが現れた。
「お前ら何やってんだ?」
真の物と思われるサイズの合わないスウェットパンツを履いた彼は、上半身には何も身につけていない。こいつらはなんなんだ。そんなに筋肉を見せつけたいのか。しかしそんなことよりもカイはジーノの登場に救われた気がした。
「おはようございます!」
全力の挨拶をかますカイをジーノは決して無下にしたりしない。
「おはよう。今帰ってきたのか?」
「はい、ロマーノの所でちょっと経理の勉強を……」
「ああ、シンは数字にうるさいからな。お疲れ」
にこやかに応えてくれるジーノに先ほどとは別の意味で泣けてきた。やっぱり優しいイケメンは最高だ。
「リンとは初対面だろ? 挨拶したか?」
「あ、はい。一応……」
歯切れの悪い返事をするカイにジーノは苦笑を浮かべると、凛太朗とカイを向かい合わせに立たせた。
「リン、改めて紹介させてくれ。シンの運転手のカイ。ちょっと色々あって一時的にここに住んでる。カイ、シンの弟のリンだ。ほら、握手」
ジーノに促され、凛太朗は渋々といった様子でカイの手を握った。
「二人とも仲良くしろよ。歳も近いんだし」
「え、そうなんすか? リンさんいくつですか?」
「今年で二十一」
「じゃあ俺の方が一つ下ですね」
凛太朗は興味がなさそうに煙草を吸殻で一杯の灰皿にねじ込んだ。
「あー……そういえばリンはなんでパンイチなんだ? 風邪引くぞ」
気まずい雰囲気を察したジーノが話題を変えた。そう言うジーノだって上に何も着ていないが、カイは突っ込まないことを心に決めた。
「着替え借りようと思って。てかジーノも着てないじゃん」
カイのかわりに凛太朗が指摘した。
「俺はこれから風呂入るんだよ。昨日シンに借りたスウェットは?」
「暑いからTシャツとか借りようと思って」
「ああ、それならクローゼットに……」
ジーノと凛太朗が部屋を出て行く。扉が閉まるのを見て、カイは安堵のため息をついた。
居候している真のマンションは土禁である。カイは初めてここに来た時それを知らなくてとても怒られた。翌日掃除をさせられる羽目になったため、今では潔癖な真のために部屋の清潔さには気を使っている。
玄関だって昨日、家を出るまでは真の普段履いている靴が数足出ているくらいだったのに、今は真の靴と、それより明らかにサイズのでかい革靴と、真っ白なスニーカーが入り乱れている。
大きい方の革靴はジーノだろうか。彼曰く、真は自分の部屋に人を入れることが好きではないらしい。
「靴くらいちゃんと脱げよ……」
来客を嫌う真が招いた人間は一体どんな人間だろう。靴を揃えて壁際に並べ、カイはリビングに向かった。
扉を開けた途端、酒と煙草の混じったひどい臭いに襲われカイは息を止めて窓辺に走った。
全ての窓を開放し、ようやく呼吸を再開する。
差し込む陽光を頼りに改めて部屋の状態を確認し、その惨状に呆然とする。キッチンカウンターの上にはワイングラスや空のボトルが散乱し、雑に盛られた生ハムやオリーブが皿の上で乾燥している。普段はインテリアとして美しくすらある陶器の灰皿は吸い殻であふれ、しかも一度ひっくり返したのか、周囲のテーブルまで灰にまみれている。
床には脱ぎ捨てられたシャツやスラックス、そして何かの罠のようにダンベルが落ちている。カイは危うく足をぶつけそうになったそれを端に転がし、ついでに持ち主不明の衣類をソファに移動させた。一体どんなどんな経緯があれば酒盛りをしていて筋トレに発展するのだろう。
ため息をつき、まだ寝ているらしい真とその客人が起きてくる前に片付けてしまおうワインボトルに手を伸ばす。その時、寝室や脱衣所に繋がる扉が開いた。
「ジーノ、なんか着る物……」
濡れた髪をタオルでぬぐいながら出てきたのは下着姿の男だった。
「誰?」
てっきりリビングに居るのがジーノだと思っていたのだろう。長身の男はカイを見るなり眉を顰めた。
「あんたこそ……」
誰だと問おうとして、カイは彼の顔に見覚えがあるような気がした。黒髪、細い鼻梁、薄い唇。涼しげな、ともすればきつい印象を受ける瞳。初めて彼の写真を見たとき、似ていない兄弟だと思った。黙っていれば上品で柔らかな雰囲気の真と違い、彼の弟は鋭く冷たい面立ちをしていた。
「シンさんの弟?」
SNSの写真でしか見たことない真の弟は、実物のほうが数倍魅力的だと思った。長身で、手脚が長く、頭が小さい。痩せているように見える体は意外にもきれいに筋肉がついている。割れた腹筋を伝う水滴からカイは慌てて目を逸らした。
「あんたも俺のこと知ってんの?」
真の弟はキッチンに入ると冷蔵庫から水を取り出した。パンイチのままそれを呷る彼に、まず服を着ろとかなんでそんな堂々としてるんだなどという野暮な疑問は湧いてこない。全て許されるほどのイケメンぶりだった。
ふとその長い首の痣が目についた。赤紫色に変色したそれは首の片側から鎖骨にかけてわりと広範囲に及んでいる。場所と色味からしておそらくキスマークだ。一体誰に。そう思ったのは一瞬で、カイはすぐにこの部屋を初めて訪れた夜、彼の兄がベッドの中で弟の名を口にしていたことを思い出した。
「で、あんたは誰なの?」
カウンターの上の煙草を取り上げた弟に睨まれる。カイはすぐに言葉が出てこなかった。
彼は真の弟で、当然のようにイケメンで、スタイルが良くて、えげつないキスマークがついている。情報量の多さに頭がついていかない。
こんな男前を相手に真は一体どんなセックスをするのだろう。下品な妄想が止まらないカイは、舌打ちの音でようやく我に返った。
「カ、カイって言います。シンさんの運転手をさせてもらってます」
長い指先で煙草を弄ぶ彼は観察するようにカイを見つめている。
「すみません、まさかシンさんの弟さんに会うなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって。あの、凛太朗さんですよね? シンさんからいつも聞いてます。いやぁ、仲が良くて羨ましいですよ」
精いっぱいの笑顔が引きつっていないか不安になる。出だしで失敗したからか、凛太朗の目が怖いのだ。完全に嫌われている気がする。ひどい。俺が何をしたって言うんだ。ちょっとイケメンに見惚れて妄想しただけじゃないか。
「えっと……」
沈黙に耐えかねて口を開いてみたはいいが、何を言えばいいのかわからない。凛太朗はカウンターに寄りかかり、煙草に火をつけている。彼はもうカイに一瞥もくれない。少し泣きそうな気分になっていると、再び扉が開いて、今度はジーノが現れた。
「お前ら何やってんだ?」
真の物と思われるサイズの合わないスウェットパンツを履いた彼は、上半身には何も身につけていない。こいつらはなんなんだ。そんなに筋肉を見せつけたいのか。しかしそんなことよりもカイはジーノの登場に救われた気がした。
「おはようございます!」
全力の挨拶をかますカイをジーノは決して無下にしたりしない。
「おはよう。今帰ってきたのか?」
「はい、ロマーノの所でちょっと経理の勉強を……」
「ああ、シンは数字にうるさいからな。お疲れ」
にこやかに応えてくれるジーノに先ほどとは別の意味で泣けてきた。やっぱり優しいイケメンは最高だ。
「リンとは初対面だろ? 挨拶したか?」
「あ、はい。一応……」
歯切れの悪い返事をするカイにジーノは苦笑を浮かべると、凛太朗とカイを向かい合わせに立たせた。
「リン、改めて紹介させてくれ。シンの運転手のカイ。ちょっと色々あって一時的にここに住んでる。カイ、シンの弟のリンだ。ほら、握手」
ジーノに促され、凛太朗は渋々といった様子でカイの手を握った。
「二人とも仲良くしろよ。歳も近いんだし」
「え、そうなんすか? リンさんいくつですか?」
「今年で二十一」
「じゃあ俺の方が一つ下ですね」
凛太朗は興味がなさそうに煙草を吸殻で一杯の灰皿にねじ込んだ。
「あー……そういえばリンはなんでパンイチなんだ? 風邪引くぞ」
気まずい雰囲気を察したジーノが話題を変えた。そう言うジーノだって上に何も着ていないが、カイは突っ込まないことを心に決めた。
「着替え借りようと思って。てかジーノも着てないじゃん」
カイのかわりに凛太朗が指摘した。
「俺はこれから風呂入るんだよ。昨日シンに借りたスウェットは?」
「暑いからTシャツとか借りようと思って」
「ああ、それならクローゼットに……」
ジーノと凛太朗が部屋を出て行く。扉が閉まるのを見て、カイは安堵のため息をついた。
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