ねむれない蛇

佐々

文字の大きさ
上 下
70 / 164
おさない凶器

#21

しおりを挟む
 予想通りというかなんというか、車にユーリの姿はなかった。無人の車のシートの上で、置き去りにされた彼のスマートフォンだけが未だ誰かからの着信を知らせて震えていた。
 ヨウはため息ひとつなく、素早く車から離れると次の目的地に向けて走り出した。小さな背中は未だ激しい雨をもろともせず進んでいく。そのやけに頼もしく見える背中を追いつつ、凛太朗は彼女が悲しむことのない結末を願った。


「ここだ」
 ヨウが足を止めたのは薄汚れたビルの前だった。外壁に残る色褪せた看板から、元は何かの店舗やオフィスとして使われていたことが伺える。入り口のシャッターは下り、カラフルな落書きが施されていた。
「ボスはおそらくここにいる」
 妙に確信した言い方だが、ユーリのスマートフォンだけがここに置き去りにされている可能性も否定できない気がした。
「ボスはおそらく携帯を隠し持っている。彼が何者かに連れ去られたのだとすれば、居場所の特定を恐れて電源を切ったり、破壊するのが普通だ。しかし彼の携帯は未だ電波を出し続けている」
「つまり携帯を持ってることに気づかれてないってことか。相手が俺たちを攪乱するために携帯だけここに置いて行った可能性は?」
「否定はしきれないが、おそらくないだろう」
「なんで?」
「勘だ」
 ヨウは建物の外壁に沿って歩き始めた。
「元よりそれほど綿密に練られた計画ではないと思う。ボスを連れ去った連中の目的が彼の立場を利用したものであるなら、今になってもフィオーレになんの接触もしてこない理由がわからない」
 確かに、彼の身柄と引き換えに要求できるものはたくさんありそうだ。この国におけるフィオーレやユーリの力を完全に理解したわけでもない凛太朗にもそのくらいの想像はつくのだから、この国の住人ならばより具体的な見返りを望むことができるだろう。しかし、連中の目的がそうでないのだとすれば。
「奴らはボスを殺す気だ」


 部屋に入ってきた男は一人だった。他の人間は見張りとして外にいるのかもしれない。自由を奪われた丸腰の相手なら、たとえそれがフィオーレのボスであっても用心は不要ということか。なめられたものだな。ユーリは薄く笑みを浮かべた。
「よくやったな」
 男は武骨な手で少女の頭をなで、怯えた様子の少女が今にも取り落としてしまいそうになっていた銃を、再度しっかりと握らせた。
「こいつはお前が殺せ」
 男の言葉に少女の目が見開かれる。しかし、驚いたのは彼女だけではなかった。
「ちょっと待ってよ、まさかいきなり殺すつもり? 俺が誰だかわかってる?」
「この期に及んで命乞いか?」 
 蔑むように見下ろしてくる男の思考が理解できない。 フィオーレのボスを人質にしているというのに、利用することもなく殺すだなんて、こいつは馬鹿なのか?
「え、だって俺だよ? せっかく捕まえたのに何もせず殺しちゃうの? 身代金を要求したり、捕まってる仲間を解放させるための交渉材料にしたり、利用価値いっぱいあるじゃん。もったいないよ!」
 力説するユーリを不審げに見ていた男は、少女に視線を転じさせた。
「おい、本当にこいつがユーリ・フィオーレなのか? 人違いじゃないだろうな」
「ま、間違いない。事前に確認した写真の顔にも似てるし、何より彼はユーリ・フィオーレの車に乗っていた」
「そうだよ、俺がユーリ・フィオーレだ。どこからどう見ても本人だろ」
 どこか自信なさげな彼女を後押しするように言うと、男はため息をついた。
「そうか……」
 短く言った男が銃口を向ける。
「ユーリ・フィオーレ、俺はお前を誤解していた。フィオーレのボスはもっと頭のきれる男だと思っていたが、貴様は違うようだ」
「何を勘違いしてるのか知らないけど、結論を出すには早いんじゃない?」
「勘違いしているのは貴様の方だ。俺たちは貴様らのように薄汚いビジネスで儲けることが目的じゃない。俺たちの目的はこの地にアミル人のための独立国家を築くことだ。そのためにシンラ派に傾倒した政府や、その犬に成り下がった組織を排除する必要がある。シンラ派の最大勢力の一つであるフィオーレを取ったとあれば、仲間の士気は一気に上がるだろう」
「俺の価値は死体だけだと?」
「お前の首はアミルの同胞全員の希望になる。光栄に思え」


 建物の裏側に搬入用と思われる入口があった。左手のエレベーターは使用された形跡がないのに対し、右手の扉の前には男が一人立っている。ユーリはそちらに居る可能性が高い。
 相手は一人とはいえヨウとの体格差は大きい。さすがに市街地のため小銃を担いでいたりということはないが、武器は絶対に持っているだろう。
「どうする?」
 奥の様子を伺いながらヨウを振り返ると、彼女は正面から男に突っ込んで行った。呆然とする凛太朗をよそに、彼女は意表を突かれた男の股間に蹴りを入れ、身を屈めた男の頭を更に蹴り飛ばした。一瞬で地面に倒れた男の眼前に銃を突きつけ問いかける。
「ドン・フィオーレがここにいるな?」
 質問というより確認の意図できいた彼女は、男が頷くのを見るや、ほとんど意識を失いかけていた男の頭を、銃のグリップの底で容赦なく殴りつけた。男は完全に動かなくなった。
「やばすぎだろ……」
 子供にしか見えない少女のあまりの強さにちょっと引きながら近づくと、彼女は目を眇めながら手に持った銃を眺めていた。先ほどの衝撃でフレームが歪んでしまったのかもしれない。倒れた男の銃を拝借し、凛太朗を見る。
「私が先に行く。お前は援護しろ」
「え」
 了解も待たずに扉を開ける。薄暗い空間に地下へ続く階段がある。階下は何やら騒がしい。既に自分たちの侵入は気づかれているのかもしれない。
 案の定、自動小銃を持った男が階段を上ってきた。踊り場付近でこちらに気づいた男は迷わず銃口を向けてくる。しかしヨウはそれより早く引き金を引いていた。腕や肩に被弾した男に向かって階段を駆け下り、膝蹴りを食らわせる。
「マジかよ」
 強いというか怖い。ヨウが男の頭を撃ち抜いたとき、更に二人の男が階下から現れるのが見えた。仲間を殺されたことを知るや、怒りを露わにしながら一斉に彼女を狙う。
「リン!」
 彼女は分厚いコンクリートの手すりの陰に身を潜め、凛太朗を呼んだ。階下の男たちは未だこちらに気づいていない。凛太朗は男たちに向けて引き金を引いた。一人の脚に弾が当たり、もう一方の銃口が凛太朗を捉えた。構わず撃ち続けようとした時、ヨウの怒号が飛んできた。
「伏せろ!」
 慌てて手すりの陰に隠れると、弾丸に削り取られた手すりの破片が降ってきた。少し離れた場所で立ち上がったヨウが撃ち返す。弾は当たったようで、辺りは急に静かになった。
 銃を下ろしたヨウが階段を上ってくる。
「立てるか?」
「ああ」
 差し出された手は小さく華奢で、しかし熱くて力強かった。凛太朗は自分が震えていないか不安になった。
「お前……」
 案ずるような顔で言いかけた彼女は結局、続きを口にすることなく階段を下り始めた。凛太朗もそれに従った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

欲求不満の人妻

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

【完結】魔力無し判定の令嬢は冒険者を目指します!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:1,793

お弁当屋さんの僕と強面のあなた

BL / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:3,090

恋より友情!〜婚約者に話しかけるなと言われました〜

k
恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:154

バカな元外交官の暗躍

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

【完結】猫になったら怖い上司の愛に気付きました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:439

てんし(だとおもわれるものとの私のにちじょう)

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

姉さんの代替品

BL / 連載中 24h.ポイント:234pt お気に入り:58

処理中です...