ねむれない蛇

佐々

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おさない凶器

#20

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 ユーリは少女に連れられ、古くなったビルの地下にいた。元は店舗やオフィスが入っていたらしいビルは、かつてのテナントの物と思われる段ボールや、その他のガラクタが打ち捨てられた雑多な空間と化していた。
 廊下を進むと扉の外れた部屋があった。ここにも段ボールや用途不明の土嚢が積み上げられている。電気が通っているところを見ると、今でも別の用途で使用されているのかもしれない。ここが彼女たちの拠点なのだろうか。それにしては市街地に近く、見張りもいない。武器の類も見当たらないことから、一時的に利用される場所だと推測する。
 部屋の奥まで黙って歩き、命じられるまま跪く。全身から滴る雨が打ち放しのコンクリートに染みを作る。毛先を伝って落ちてくる水滴が鬱陶しい。前髪をかき上げ、少女を見ると相変わらずなんの表情も浮かべていない。
 彼女は大きめのレインコートを脱ぎ、ユーリの後ろに回り込んだ。身を屈めた彼女に後ろ手に縛られる。
「もっときつく結んだほうがいいよ」
 せっかくの助言にも少女は耳を貸さない。かと思えば彼女の銃は無造作に床に放置されている。ユーリは嘆息しそうになった。
 隙だらけだ。ここに来るまでの間、武器の所持はチェックされたが二台目のスマートフォンには気づかれずじまいだった。着信があっても震えず、音も出ないモードに切り替えたそれを、ユーリは上着に隠し持っていた。
 無人の車や繋がらない電話を訝しんだ部下がここに気づくのも時間の問題だ。それがヨウと凛太朗の二人であればいいと思う。しかし二人より先にもっと優秀な部下が乗り込んでくる可能性もある。
 これはおそらく、入念に練られた計画に基づく作戦ではなく、感情的に引き起こされた突発的な行動だ。明らかな一般人の少女の起用や、今になっても仲間の一人も出てこないことからも容易に想像がついた。相手はフィオーレに恨みを持つアミル人の集まり、武器を所持していることからテロリストの類だろう。とはいえ今朝、この街で騒ぎを起こしたグループとは別の組織のはずだ。ユーリにとってそこに大した差はないが。
 完璧とは言い難い出来でユーリの手首を縛った少女が銃を取り上げ、再びユーリの前に立つ。細い腕に似合わない武器、撃てるのだろうかといらぬ心配をしてしまう。
「君はアミル人だよね。ずっとこの街に住んでるの?」
 少女は答えない。ユーリは構わず続けた。
「ご両親の他に、家族や親族は?」
 家族の話題を出すと初めて、彼女の表情にかすかな変化が見られた。怒りや憎しみ、その奥にある悲しみが透けて見える。
「仲間が来るのを待ってるんでしょ? 退屈だから少しくらい話し相手になってよ」
「お前と話すことなど何もない」
「いいよ、俺が勝手に話すから。俺ね、母親がアミル人とのハーフなんだ」
 ユーリの父は日系だが、母はアミル人とシンラ人とのハーフだった。
「父は日本人のハーフでね、俺も小さいころ、よく日本に遊びに行ってた。日本って知ってる? アジアの島国で、ご飯が美味しいんだ。そして平和な国だった。かつての戦争の歴史が嘘のように、急速な発展を遂げた大国だよ。あのまま俺が日本で育ったら、俺の未来は今とは全然違ったものになってたのかもしれない。そう思うと不思議だね。きっと今日、君に会って言葉を交わすこともなかった」
「……それがどうした。私はお前に会いたくなどなかった」
「俺は今日、君に会えてよかったよ。哀れな少女の未来を、少しでも明るいものに変えたいからね」
 少女はユーリを睨み、銃を構えた。
「知った風な口をきくな。お前たちが、お前たちさえいなければ」
「俺たちがいなければ、君の家族は死ななかった? 彼らが死んだのは俺たちのせいか?」
「お前らシンラのマフィアのせいだ。お前らが、この国が私の家族を殺した」
「今まで、君たちアミル人のテロリストたちが出した犠牲は、俺たちが殺した人間の数より遥かに多い。俺たちは決して、民間人に銃を向けたりしない。確かにこの国はまだ不安定だ。政策にも問題がある。しかしいくら時間がかかっても、少しずつでも前に進んでいればそれは確かな成長だ。人は時間をかけて成長していく。子供の背が伸びるように、優れた形へ変わっていく。君が大人になった時、自分と一緒にこの国の成長も感じられるはずだ。約束するよ」
「綺麗事を言うな! お前らに、お前に何がわかる……アミル人だというだけで虐げられ、貧しく、危険と隣り合わせの日々を強いられる私たちの苦しみがお前にわかるか!」
 ユーリは自然と微笑んでいた。少女はきつくユーリを睨みつけている。
「俺はちょうど君と同じくらいの歳の頃、家族を先代のフィオーレに殺されたよ。俺は一人だけ生かされ、なぜかフィオーレに引き取られた。それからは、いつ殺されてもおかしくない日々だった」
「だからどうした。そんなことで同情を買えると思ってるのか?」
「同情? 君は、いや君たちは、自分たちを同情に値する境遇だと思ってるの?」
 少女が瞠目する。
「現実を受け入れず、耐え忍ぶ強さもなく、かといって打開策を講じる脳も、それを行動に移す覚悟もない。まるで駄々をこねる子供だ。そうやって拗ねて、周りを非難していれば救われると、本気で思ってるの?」
「黙れ! お前にそんなことを言う資格はない!」
「なら君たちにもそんな資格はないよ。俺を非難するのは勝手だ。それで気が済むならいくらでも俺を責めればいい。でも、君たちにどんな主義主張があっても、それは無関係の人を巻き込み、命を奪っていい理由にはならない。君はなぜ銃を取った? それは自分の意思? それとも言われるがままそうしたのか?」
 少女は立ち尽くしている。銃を構えていた腕は、少し前からその重みに耐えかねたかのように肘が曲がっていた。
「もしよく考えもせず、一時の感情に流されているだけだとしたら、引き返せるのは今だけだ。君を引き込んだ大人がどんな言葉を使ったか知らないが、復讐なんかより、君はただ、家族や他のアミルの人々と、毎日平和に暮らしていきたかった。違う?」
「でも……もう無理だ……家族は死んでしまった。もう私には……」
 ユーリは揺れる少女の瞳を見つめた。
「いいかい、生きていれば理不尽な目にあうことはたくさんある。傷つけられたり、大事なものを奪われることだってある。でも、それでも人は生きていかなければならない。どんな時でも、何があっても生きるんだ。他人や環境のせいにして思考を止めるな。前を向く方法を考えろ。それを放棄して引き金を引けば、君は本当に戻れなくなる。もう二度と、かつて君が望んだ平穏な日常を送ることはできなくなる」
 始めなんの感情も読み取れなかった彼女の顔は今や、年相応の幼気な子供のそれに変わっている。
「君に声をかけた連中は、君の幸せや今後の人生より、自分たちの偏った思想のために君や、その他の罪もない人々を犠牲にすることを選んだ。でも俺は、君にそんな人生を歩んでほしくない。俺は君の幸福を願ってる。俺を信じて」
 出来るだけ優しく言うと、少女の顔が泣きそうに歪んだ。
「わ、私はどうすれば……もう時間が……」
「時間?」
「フィオーレのボスを捕らえたことを知って、仲間がここに……」
「君に銃を与えた人間だね?」
 少女が頷く。
 その時、足音が聞こえた。硬いブーツの靴底が、劣化した階段を下りてくる音だった。
 途端に怯えた表情を見せる少女にユーリは笑って見せた。
「君の名前は?」
「ナタリア……」
「ナタリア、大丈夫、俺を信じて」
 先ほどと同じ言葉を伝えると、少女は滲んだ涙を振り払い、顔を上げてしっかりと頷いた。
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