ねむれない蛇

佐々

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おさない凶器

#10

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 ジーノと別れ、凛太朗は日課になりつつある筋トレメニューをこなしていた。真がいる時は実戦形式での練習ができるが、残念ながら今日は一人だ。
 午前中の予定を終えて一度上に戻るとラウンジにユーリが居た。驚く凛太朗にユーリはすぐに気づき、人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。
「お疲れ。練習終わった?」
 ユーリが見上げてくる。色素の薄い髪や瞳は愛らしくすら映るのに、彼のスーツは今日も美しい。
「はい、いったん終わりですが……」
「じゃあお昼食べに行かない?」
 友人を誘う時のような口調で言ったユーリにとっさに反応できず、「だめ?」と無駄に上目遣いで問われる羽目になった。
「いえ、だめじゃないですけど……」
「じゃあ行こう!」
 ユーリは嬉しそうに笑う。凛太朗はフィオーレのボスは暇なのかもしれないと、真に知られたら殴られそうなことを考えた。
 ユーリが仕事の電話をかけている間に、凛太朗は大急ぎでシャワーと着替えを済ませた。
 ラウンジで仕事をしながら待っていたユーリと合流して彼の車に乗り込む。運転手はおらず、彼は一人でここに来たようだった。
「またシンに怒られるかな」
 先日も単独行動を真に咎められたことを思い出したのか、ユーリが言った。
「まぁいっか。今日はリンと一緒だし」
「俺がお役に立てるでしょうか」
「はは、ご飯行くだけだし大丈夫だよ。そんなに気負わないで」
 それは無理な話だった。


「ここは天ぷらが美味しいんだよ」
 新しい畳のにおいのする和室でユーリが微笑む。テーブルを挟んで向かい合った凛太朗はいまだ状況がよく呑み込めていなかった。一体自分はなぜここにいるのだろう。
「えっと……」
 言葉に詰まる凛太朗を見かねてか、ユーリが続ける。
「リンは天ぷら好き?」
「はい、好きです」
 英語を習いたての小学生みたいな文法で返したら笑われた。
「そんなに緊張しないでよ。ご飯の味がわからなくなるよ? 俺と同じものでいい?」
「はい、ありがとうございます……」
 店員に、ユーリは慣れた様子で二人分の注文を済ませる。そして窓の外に広がる見事な庭園へ視線を向けた。
「日本の料亭にはかなわないかもしれないけど、なかなか良い店だと思わない?」
「ええ、驚きました。ヨーロッパにこんなに本格的な日本食の店があるなんて思ってもみませんでしたから」
 ユーリの言う日本の高級料亭を知らない凛太朗からしてみれば、季節の花が活けられたゆとりのある個室も、手入れの行き届いた庭も、日本のそれよりも日本らしく整えられているように思えた。
「クラウディオにきいたんだ。日本食の店に行きたかったんでしょ?」
 昨日の話がもうユーリの耳にも入っているのか。凛太朗は自分の軽率な発言を悔いた。
「すみません、気を遣わせてしまって」
「堅いなぁ。もっと適当に相手してよ。初めて会った時はもう少し普通だったじゃない」
「それは、なんというか」
 あの時はまだ、彼のことをよく知らなかったのだ。今だってよく知っているとは言い難いが、真の立場や、今後のことを考えると慎重にならざるを得ない。人はこうやってつまらない大人になっていくのだろうなと、まだ学生の分際で、世に出て働く大人に聞かれたら鼻で笑われそうなことを考えた。
「ま、最初は仕方ないか。ちょっと寂しいけど、おいおい慣れてくれればいいよ。君とは一度、ゆっくり話がしたいと思ってたんだよね」
 お茶の注がれたグラスを揺らしながらユーリが言う。香りを楽しむためにワイングラスに入れられたそれは、今まで飲んだことのない味がした。
「どうして」
 なぜ自分を食事に誘ってくれたのだろう。こんな、一目で高級とわかる店で、真の弟とはいえまだ彼にとってなんら役に立っていない自分と、多忙な時間を割いてまで昼食を共にすることに一体どんな意味があるのだろう。
「嫌だった?」
 テーブルに身を乗り出すようにして、ユーリが顔を覗き込んでくる。童顔の愛らしい顔に見つめられるとどうしていいかわからなくなる。
「からかわないでくださいよ」
「ごめん、いや、ほんとに急に誘って迷惑だったらどうしようと思ってたんだ。君はまあ、シンの手前断ることはないだろうと踏んでいきなり迎えに来たはいいけど、内心うぜーとか思われてたら結構へこむからさ」
 ユーリが笑う。
「迷惑だなんて」
「ほんと? SNSのフォロー返してくれないから嫌われてるのかと思ってた」
 凛太朗はお茶を吹き出しそうになった。
「いや、あの、間違ってフォローされてるのかとばかり……」
「そんなわけないじゃん! ガチフォローだよ!」
「すみません、すぐフォローさせて頂きます」
「え、ほんと? やった!」
 スマートフォンを取り出し、ユーリのアカウントをフォローしたついでに彼のページを見てみる。食事の写真ばかり並んでいるが、そんなどこにでもあるようなアカウントの割に、フォロワー数が多すぎる。身バレしてるんじゃないかこれ。
「ていうかシンはやってないんだよね?」
「みたいですね」
 昔から彼はそういうものに興味がなさそうだった。プライベート用の携帯も未だスマートフォンじゃない物を使っている。
「なんだ、やっぱりやってないのかー。いくら言っても始めてくれないからてっきり裏アカでもあるのかと思った」
 凛太朗はまたお茶を吹きそうになった。
 裏アカ。ユーリの口から裏アカ。
「裏も表もないから大丈夫ですよ」
「よかった。俺の知らないシンがいるのはちょっとやなんだよね」
「心配しなくても、兄は本当にあなたを信頼して、尊敬もしてますよ」
「ま、時間かけたからね。そうじゃないと困るよ」
 嫉妬深いメンヘラ女みたいなせりふを口走ったかと思えば、合理的な経営者のようなことを言う。凛太朗はますます目の前の男がよくわからなくなった。同時に、自分の目的を思い出す。
 この国で、真のそばで今後も生きていく上で、この男から信用を得ることは必須だ。自分との昼食の時間にユーリがどんな目的をもっているにせよ、それに気を取られて貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。高級店の雰囲気や、それをものともしない彼の従容とした振る舞いや、反対のふざけた言動に飲まれて手をこまぬいている時間はないのだ。
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