ねむれない蛇

佐々

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おさない凶器

#09

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 話し合いは予想以上に険悪な雰囲気だった。
「そちらへの依頼はパーティーの成功のはずだ。参加者全員の安全は無論、施設へも被害を出されては困る」
「先ほども申し上げた通り、事態はかなり深刻です。お客様の安全は保証します。いざという時は盾になってでもお守りしましょう。ですが、有事の際には多少の被害は覚悟してもらわねば……」
「だからそれをなんとかするのが君たちの仕事だろう?」
「お言葉ですが、我々も万能ではありません。出来ることと出来ないことが」
「乃木くん、君はこのパーティーの重要性を理解しているのか? この一等地に我々がどれほどの時間と労力と費用をかけ、このホテルを建てたのか、君たちならわかるだろう? このホテルが今後、この国にもたらす利益は莫大なものだ。それがわかっているから政府も予定通りのホテルの開業を望んでいる。我々とてそうだ。だからこそこの国で最も勢いのある組織の一つである、君たちに今回の仕事が回ってきた。君たちにとってもこれは重大な仕事のはずだ。言い訳を並べる前にまずは最善を尽くす努力を見せるのが道理だろう。私は何も無茶な要求をしているわけではない。君たちに君たちの仕事をしてほしいだけだ。政府のお膝元の組織として、それは当然のことだと思うが、まさか君は違うのかな? 乃木くん」
 場が凍るようなやりとりの中、真の顔がひきつるのがわかった。普段の彼なら舌を打ち、相手の胸倉を掴んでいる場面だが、さすがに真もそこまでフィオーレを無視した振る舞いは出来ないのだろう。
「狸じじぃが」
 貼り付けたような笑顔のまま日本語で呟かれた声が聞こえたのは、隣に座るカイだけだったはずだ。


「こっちが下手に出てりゃ好き勝手言いやがってあのクソジジィ! だったらてめーらだけでやれってんだよ!」
 鮮やかな緑に囲まれた美しい景色も、彼のいら立ちを鎮めることはできないようだ。ホテルの客室が配置された片側廊下の突き当りで、真は真新しい柱に怒りをぶつけている。
「機嫌悪いなぁ」
 柱を蹴り続ける真を眺めてジーノが笑った。彼は森に面した廊下の壁に背中を預け、煙草を吸っている。
「こんなセキュリティガバガバの作りしてるくせに滅茶苦茶な要求しやがって! 失敗したら全部こっちのせいかよ! そんなにテロが怖けりゃ中止にしやがれ!」
「郊外だからな、そんなに強固な作りでなくても大丈夫だと思ったんだろ」
「自分らの意味不明な油断が招いた結果じゃねぇか! なんで俺たちがそのフォローをしなきゃならねぇんだよ!」
「なんでもいいけど柱に傷をつけるなよ。完成したばっかなんだから」
 窘めるようにジーノが言うと、ようやく柱を蹴るのをやめた真がベンチに腰を下ろした。しかし彼の怒りはまだ収まっていないらしく、その矛先はカイに向いた。
「てめーは何やってんだよさっきから」
「や、あの、俺はただ写真を……」
 森に面した長い廊下は屋外と繋がる空間として、緑豊かな自然を楽しむための工夫がなされている。緩やかにカーブする廊下に落ちる光の美しさや、森の景色を記録に残したくてスマートフォンで撮影していたところだった。
「あ、シンさんも一緒に撮りましょうよ! はい笑ってー」
 真の隣に腰を下ろし、フィルターをかけたカメラの画面を向ける。猫の髭を生やした真は加工のせいでもはや性別不詳だ。色白の肌や美しい目元が強調された愛らしい顔立ちにカイは吹き出した。
「シンさんかわいすぎ、女の子みたっ」
 シャッターを押そうとしたところで頭を叩かれた。
「いてっ」
「てめーはマジでなんなんだよ! 修学旅行じゃねぇんだぞ!」
「じ、冗談ですって! シンさん! 勘弁して!」
 胸倉を掴まれスマートフォンも奪われる。
「そんなに写真が撮りたきゃ俺が撮ってやる」
 カメラを構えた真が至近距離でシャッターを押す。
「ほらどうした、笑えよ!」
 頰をつねられた変な顔を連写され、無駄な写真でフォルダが埋め尽くされた頃、カイはようやく解放された。
 真の側を離れ、壁に寄りかかるジーノの方に避難する。
「仲良いなお前ら」
「笑ってないで助けてくださいよ」
「随分シンに信用されてるんだな。どうやって取り入ったんだ?」
 優しく微笑むジーノに問いかけられ、カイは思わず目をそらした。
「な、なんの話っすか?」
「あいつ、基本的に外面はいいんだよ。だから心を許した人間にしか、あんな顔は見せない」
「そうは思えませんが……」
 真は相変わらず苛々とした様子で煙草を吸っている。
「あ、ジーノさんは写真OKですか?」
「俺と写真撮りたいの? 仕方ないな」
 煙草を消したジーノは長い腕でカイのスマートフォンを構え、もう一方の手でカイを引き寄せた。距離の縮まったジーノからは高級感のある良い匂いして、勝手に動揺するカイをよそに、ジーノは完璧な笑顔を作ってシャッターを押した。
「これでいい?」
 スマートフォンを返されてもカイはしばらくぼんやりしていた。度を過ぎたイケメンと対峙したミーハーなモブ女みたいな心境だった。
「大丈夫か?」
 顔を覗き込まれようやく我に返る。
「あ、ありがとうございました!」
 深々と頭を下げてお礼を伝えると、ジーノが自分のスマートフォンを取り出した。まさか写真を送るために連絡先の交換を? などとまたしてもモブ女みたいなことを考えていたカイをよそに、ジーノはスマートフォンを耳に当てた。どうやら電話がきていたようだ。
「……ああ、一緒だ」
 灰色がかった青色の瞳を細め、ジーノはしばし相手の話を聞いていた。
「なるほど。わかった」
 やがて短く断ると、ジーノは廊下の手すりから外を眺めていた真に近づいた。
「シン、ユーリからだ」
 煙草をくわえた真が訝しげにジーノを見る。
「お前、携帯の電源切ってるだろ。繋がらなくて俺にかかってきたぞ」
「げっ」
 慌てて自分のスマートフォンを取り出した真は、電池の切れた画面を確認してカイを睨みつけた。昨夜、充電を頼まれていたのを忘れて、テーブルに放置してしまっていたのだった。
 冷や汗を流すカイを睨んだまま、真がジーノの電話を受け取る。
「お電話かわりました。いえ、とんでもないです……はい、はい……」
 電話に集中しだした真は真剣な顔で相手の話をきいている。彼がここまで慇懃に対応する人間は多くない。
「かしこまりました。仰せの通りに」
 最後まで丁寧に答えた真が通話を終えたスマートフォンをジーノに返す。一瞬だけ視線を重ねた二人は煙草を吸い殻入れに落とし、言葉を交わすことなく廊下を歩きだした。
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