ねむれない蛇

鈍色の街

#11

「他に怪我したとこないよね？」
「うん。今日は奇跡的に無傷だった」
「無傷？」
　烏が笑う。
「最後のはノーカンだろ。事故みたいなもんなんだから」
「そういうことにしておこうか。それにしても、あんなに怒ってるクラウディオを見たのは初めてだよ。あいつは超お人好しの真人間だからね」
「なんで俺がぶん殴られなきゃいけないわけ？」
　今でも自分が間違ったことをしたとは思っていない。クラウディオの主張がどうあれ、あの時、あの場面において、凛太朗は自分の選択と行動が最良だったと信じている。
「リンにもそのうちわかるようになるよ。今より、大切なものが増えたらね」
「なんだよそれ……」
　急に疲れを感じ、ベッドに体を倒す。
「やばい、眠くなってきた」
「少し休んでく？　クラウディオには俺から伝えておくよ」
「いや、いい……仕事見せてもらうって約束だし……」
　色々なことがありすぎて忘れていたが、今日の目的を思い出す。
「そういえば、あんた知ってたのか？」
　ふと思い出した記憶に引っ掛かりを感じて尋ねると、烏は片づけをする手を止めずに凛太朗を一瞥した。
「何を？」
「あの時、クラウディオの財布を盗んだ子供の所にまっすぐ向かっただろ？　本当はあの子の居場所を知ってたのか？　それに、あの男たちの商売のことも……あいつら確か、アインツって言ってた。黒幕はアインツなのか？」
　一通りの片づけを終えた烏は再びベッドに腰かけた。
「少し前からね、ユーリに頼まれてた仕事があるんだ」
「フィオーレのボスに？」
　烏はやはりフィオーレの構成員の一人なのだろうか。それにしては、誰かに忠実に仕えるような印象とはかけ離れている男だった。
「最近、貧しい子供を狙った人身売買が問題になっててね、あの兄妹みたいに親が作った借金のかたに売られる子供が続出したんだ。その取引相手の一つが君も知ってるアインツの偉い人だっていう話がユーリの耳に入った。俺はそれを裏付ける証拠集めをしてたってわけ」
「最初からあの兄妹に目をつけてたのか……？」
「まさか、俺は彼らに目をつけてたあのチンピラ共を見張ってただけだよ」
「どっちだって同じだろ？　あんたは、あの子たちがどういう未来を辿るのか、全部わかってたくせに、何もせず傍観してたのかよ……」
「中途半端なところで手を出して逃げられたら意味ないからね。親切心はなんの解決にもならないよ」
「だからって、あんたなら、フィオーレならもっと上手くやれただろ！」
　烏の胸倉を掴んだ瞬間、凛太朗はベッドに寝ていた。目の前に美しい顔があり、彼の使う薄刃のナイフが、頭の横のベッドに深々と突き刺さっていた。
「君はフィオーレを慈善団体か何かだとでも思ってるの？　フィオーレはマフィアだよ。それ以上でもそれ以下でもない。奴らの商売を規制したいのは、べつに哀れな子供たちを救うためじゃない。縄張りの側で、連中に好き勝手させるわけにはいかないというフィオーレのくだらない面子と、政府からの圧力かあったからだ」
　形の良い唇の端を上げて、烏が笑う。
「そんなに人助けがしたいならさっさと国に帰りなよ。貧しさで子供を売る親も、それを食い物にする大人もいない平和な国に。このままここに居ても、また拉致られて殺されるのが落ちだ」
「黙れよ」
　今度こそ烏のシャツを掴み、間近に迫る黒く濡れた瞳を睨みつける。
「あんたどの立場から言ってるわけ？　別に俺のことなんてどうでもいいくせに、大きなお世話なんだよ。　あんた言ったよな？　俺は俺のやりたいようにやれって。だからそうした。なんの力もない子供を暴力でどうこうしようなんて、そんなクソみたいな考えの奴らをぶん殴って何が悪い？　俺は俺の目的のためにここにいる。それを他人にとやかく言われたくねぇんだよ！」
　しばし驚いたような顔をしていた烏はやがて、満面の笑みで凛太朗を抱きしめた。
「なんだよ！」
　肩を掴んで押し返すと、まっすぐにこちらを見つめる瞳と目が合った。
「君は優しい。そしてどうしようもないくらい愚かだ。クラウディオと同じだね」
　微笑む彼の瞳の暗がりに、凛太朗の計り知れない闇が潜んでいるような気がした。