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鈍色の街
#10
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クラウディオに連れられて向かったのは少し歩いた場所にある娼館だった。それなりに経年劣化はあるものの、凛太朗がこの街で見てきたどの店よりまともな外観だった。
「おやおやなんだい。ひどい有様だね」
出迎えてくれた初老の女はクラウディオの連れてきた面々を見るなり苦い顔をした。
「悪いなマリア、ひとまずこいつらの手当を頼む」
「お前がいながら堅気を巻き込んだのかい?」
「ああ、情けないよ、本当に」
「べつにあんたのせいじゃ……」
全部自分の責任だと言いだしかねない様子のクラウディオに思わず口を開くと静かに睨まれ、凛太朗は口をつぐんだ。
「こっちは初めて見る顔だね。例の新顔かい?」
マリアと呼ばれた女に問われ、凛太朗は反射的に愛想笑いを浮かべた。
「初めまして、凛太朗です」
「マリアだよ。なんだい、シンの弟って言うからどんな子が来るかと思ってたのに、良い子そうじゃないか。先にその顔をなんとかしないとね。男前が台無しだ。骨は折れてないんだろうね?」
「はい。あの、俺はいいんで先に子供たちを……」
「心配しなくても人出は足りてるよ。レジーナ! この子達を頼むよ!」
マリアが声を上げると店の奥から若い女の声が聞こえた。
「はーい!」
やがて眼鏡をかけた女が出てきた。ジーンズにTシャツというラフな装いの彼女は度の強い眼鏡のせいもあって娼館で働いているとは思えないほど野暮ったく見えた。
「えっ、何これどうしたの?」
「悪いなレジーナ、俺のせいでちょっと厄介なことになっちまって」
クラウディオが申し訳なさそうな顔をする。
「それはいいんだけど、この子すごく血が出てる。大丈夫なの?」
レジーナは服についたミーナの血を見て気遣わしげに言った。
「平気だよ。この子の血じゃないから」
烏が言った。レジーナは一瞬無言になったが、その後笑顔を見せた。
「そう、じゃあ早く他の怪我を手当しないとね! 二人とも歩ける?」
兄妹が頷くのを見て、レジーナは二人を別室に連れて行った。
「さて、リンの手当は……」
「俺がやるよ」
名乗り出たのは烏だった。
「そうかい。じゃあ頼んだよ」
「上を借りるね。リン、おいで」
店の中にある階段を登り、二階へ向かう。
「一階は客室、二階は住居になってるんだ」
烏が説明してくれる。板張りの廊下は定期的に掃除やワックスがけがされているのか艶があって清潔だ。廊下の両側にいくつもの扉があり、それがここで働く女たちの部屋になっているようだった。意外に入り組んだ構造の廊下を烏について進む。廊下の途中にちょっとした談話スペースや共用と思われるキッチンなどもあり、そこも掃除が行き届いているようだった。物が散乱したりごみが捨てられずに残っているところは一つもない。マリアや先ほど下で会ったレジーナという女がしっかり管理しているのだろうか。
やがて一つの扉の前で烏が足を止め、凛太朗を中に通した。
「入って」
窓から差し込む陽の光で電気をつけなくても暗くない部屋に入り、ベッドに座る。密閉された部屋には熱気がこもっていてじわりと汗が滲んだ。シングルベッド一つとクローゼット、小さな冷蔵庫、化粧台が置かれただけの部屋には生活感がなく、今は使われていない場所のようだ。
「ちょっと待ってて」
そう言い置いて烏はどこかへ行ってしまった。すぐに戻ってきた彼は小さな桶とタオルを持って戻ってきた。桶には水が張られている。
「何か飲む?」
桶を置いた烏が冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを取り出す。
「まあ水しかないんだけどね」
ペットボトルを凛太朗に渡し、烏は大きな窓を開け放った。喧騒とともに風が入ってきて室内の蒸し暑さが少し緩和される。
烏は凛太朗の隣に腰を下ろすと絞ったタオルで凛太朗の顔を拭き始めた。火照った肌に冷たいタオルが心地よい。
「痛い?」
尋ねたくせに烏の手つきはべつに優しくはなかった。
「いや、平気だよ」
これくらいなんともない。この国に来た初日に受けた傷に比べれば転んだようなものだ。
「我慢強いね、リンは」
「ガキ扱いするなよ」
「怒ってるの?」
「当たり前だろ」
「そうじゃなくて、俺が好きにやれって言ったからその通りにしたんだろ? でも結局クラウディオに怒られちゃったから」
「そんなの……」
べつにそんなことで腹を立てたりしない。
「あんたがどんなつもりで言ったのかわからないし、でも俺は誰に何を言われようと、俺のしたいようにするよ」
「やっぱりリンは俺が思ってたより面白いね」
「なんだよそれ」
烏は答えず、一度水で洗ったタオルを再び凛太朗の顔に押し付けた。
「ちょっと冷やしてて。口のとこ切れてるから消毒する」
消毒液に浸した綿が傷口に触れるとさすがに染みた。
「いって……」
思わず漏らすと烏は嬉しそうな顔をした。
「なに笑ってんだよ」
「内緒」
消毒が終わると湿布のようなものを貼られて治療は終わりになった。この程度の処置なら自分でも出来たと思ったが、あえて言わないことにする。この男は相変わらず得体が知れなくて完全に信用することはできないが、触れられると眠気に襲われるほど心地よかった。
「おやおやなんだい。ひどい有様だね」
出迎えてくれた初老の女はクラウディオの連れてきた面々を見るなり苦い顔をした。
「悪いなマリア、ひとまずこいつらの手当を頼む」
「お前がいながら堅気を巻き込んだのかい?」
「ああ、情けないよ、本当に」
「べつにあんたのせいじゃ……」
全部自分の責任だと言いだしかねない様子のクラウディオに思わず口を開くと静かに睨まれ、凛太朗は口をつぐんだ。
「こっちは初めて見る顔だね。例の新顔かい?」
マリアと呼ばれた女に問われ、凛太朗は反射的に愛想笑いを浮かべた。
「初めまして、凛太朗です」
「マリアだよ。なんだい、シンの弟って言うからどんな子が来るかと思ってたのに、良い子そうじゃないか。先にその顔をなんとかしないとね。男前が台無しだ。骨は折れてないんだろうね?」
「はい。あの、俺はいいんで先に子供たちを……」
「心配しなくても人出は足りてるよ。レジーナ! この子達を頼むよ!」
マリアが声を上げると店の奥から若い女の声が聞こえた。
「はーい!」
やがて眼鏡をかけた女が出てきた。ジーンズにTシャツというラフな装いの彼女は度の強い眼鏡のせいもあって娼館で働いているとは思えないほど野暮ったく見えた。
「えっ、何これどうしたの?」
「悪いなレジーナ、俺のせいでちょっと厄介なことになっちまって」
クラウディオが申し訳なさそうな顔をする。
「それはいいんだけど、この子すごく血が出てる。大丈夫なの?」
レジーナは服についたミーナの血を見て気遣わしげに言った。
「平気だよ。この子の血じゃないから」
烏が言った。レジーナは一瞬無言になったが、その後笑顔を見せた。
「そう、じゃあ早く他の怪我を手当しないとね! 二人とも歩ける?」
兄妹が頷くのを見て、レジーナは二人を別室に連れて行った。
「さて、リンの手当は……」
「俺がやるよ」
名乗り出たのは烏だった。
「そうかい。じゃあ頼んだよ」
「上を借りるね。リン、おいで」
店の中にある階段を登り、二階へ向かう。
「一階は客室、二階は住居になってるんだ」
烏が説明してくれる。板張りの廊下は定期的に掃除やワックスがけがされているのか艶があって清潔だ。廊下の両側にいくつもの扉があり、それがここで働く女たちの部屋になっているようだった。意外に入り組んだ構造の廊下を烏について進む。廊下の途中にちょっとした談話スペースや共用と思われるキッチンなどもあり、そこも掃除が行き届いているようだった。物が散乱したりごみが捨てられずに残っているところは一つもない。マリアや先ほど下で会ったレジーナという女がしっかり管理しているのだろうか。
やがて一つの扉の前で烏が足を止め、凛太朗を中に通した。
「入って」
窓から差し込む陽の光で電気をつけなくても暗くない部屋に入り、ベッドに座る。密閉された部屋には熱気がこもっていてじわりと汗が滲んだ。シングルベッド一つとクローゼット、小さな冷蔵庫、化粧台が置かれただけの部屋には生活感がなく、今は使われていない場所のようだ。
「ちょっと待ってて」
そう言い置いて烏はどこかへ行ってしまった。すぐに戻ってきた彼は小さな桶とタオルを持って戻ってきた。桶には水が張られている。
「何か飲む?」
桶を置いた烏が冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを取り出す。
「まあ水しかないんだけどね」
ペットボトルを凛太朗に渡し、烏は大きな窓を開け放った。喧騒とともに風が入ってきて室内の蒸し暑さが少し緩和される。
烏は凛太朗の隣に腰を下ろすと絞ったタオルで凛太朗の顔を拭き始めた。火照った肌に冷たいタオルが心地よい。
「痛い?」
尋ねたくせに烏の手つきはべつに優しくはなかった。
「いや、平気だよ」
これくらいなんともない。この国に来た初日に受けた傷に比べれば転んだようなものだ。
「我慢強いね、リンは」
「ガキ扱いするなよ」
「怒ってるの?」
「当たり前だろ」
「そうじゃなくて、俺が好きにやれって言ったからその通りにしたんだろ? でも結局クラウディオに怒られちゃったから」
「そんなの……」
べつにそんなことで腹を立てたりしない。
「あんたがどんなつもりで言ったのかわからないし、でも俺は誰に何を言われようと、俺のしたいようにするよ」
「やっぱりリンは俺が思ってたより面白いね」
「なんだよそれ」
烏は答えず、一度水で洗ったタオルを再び凛太朗の顔に押し付けた。
「ちょっと冷やしてて。口のとこ切れてるから消毒する」
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「いって……」
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「なに笑ってんだよ」
「内緒」
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