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鈍色の街
#07
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住居と思われる建物の密集したエリアは陽当たりの悪い陰鬱な場所だった。中途半端な高さのビルが乱立していて、一つの棟の階段を登っていると、別の棟の屋上に続いていたりと何の計画性もなく作られた建物であることを感じさせた。屋上にはテレビのアンテナが立ち、その上空に電線も走っている。O9やその他の主要都市は景観条例で電線がないというのに、ここは本当に現行政府から見捨てられた街なのかもしれない。
凛太朗はひとまず階段を登り切って屋上に出た。この辺りは他に高い建物もないため街を一望することができた。貧困を絵に描いたような街から見るツインタワーはなかなか複雑な光景だと思った。
「君がシンの弟?」
突然声をかけられ、凛太朗は咄嗟に距離を取った。上から下まで真っ白な服を着た得体の知れない男が立っていた。
「そんなに警戒しないでよ。俺は敵じゃないよ」
優しく微笑んだ男は、男と断定するには中性的な顔だちをしていた。真っ黒な髪が短いことと、華奢だが女にしては骨ばった体と、低い声から判断したに過ぎない。
「誰だあんた」
肌の白い、美しい男に尋ねる。敵じゃないと言われてすぐに信用できるはずがない。自分を知っている人間ならばなおさらだ。
「俺? 俺はカラスだよ」
「烏?」
凛太朗は眉をひそめた。上から下まで真っ白な服を着ているこの男が、正反対の色の鳥の名を名乗ることが不思議だった。
「昼間は白、夜は黒い服しか着ないんだ」
凛太朗の疑問を見透かしたように男は続けた。
「なんで?」
「そうすれば、夜に俺を見かける人間が居ても、俺だって気づかれることはないだろ?」
再び近づいてきた男が凛太朗の頰をなでた。甘くないのに心地よい、不思議な香りのする男だった。少しだけ頭がぼんやりするような気がした。
「いい匂いがする」
素直に感想を述べると、男が微笑んだ。
「よく言われる。俺に触られると気持ちいいって。もっと試してみる?」
「どうやって?」
「俺、マッサージ屋をやってるんだ」
「マッサージ?」
「足つぼとかアロマとか色々あるよ。いつも店のお姉さん方に呼ばれることが多いんだけど、店舗もあるから、来てくれたらサービスするけど?」
「なんか怪しいからいい」
「失礼だなぁ。俺人気だから予約取るの大変なんだよ? リンも一度受けたら絶対はまると思うけどな」
「なんで俺のこと知ってんだよ……」
「ジーノに聞いたんだよ。クラウディオの財布を盗んだ子供を探してるんだろ?」
「知ってるのか?」
「だからジーノから連絡があったんだって」
「違う。子供の居場所を知ってるのか?」
烏は黙った。
「知ねえのかよ……」
使えねえな、と思った凛太朗に背を向けて烏は歩き出した。少し迷ったが手がかりがないのは凛太朗も同じだ。この街のことを何も知らない自分が一人でいても仕方ないと思い、男について行くことにした。
立体的な迷路のように入り組んだ建物の通路や階段を、男は迷いのない足取りで進んでいく。一体どこへ向かうつもりなのだろう。あの子供のいそうな場所に心当たりでもあるのだろうか。
「この街はどう?」
烏が振り返ってきいた。
凛太朗は生活感のある窓や、階段の途中で怪しげな商売をしている老人や、元気に走り回る子供たちを眺めた。
「想像してたよりはだいぶ活気がある印象かな。市場も賑わってたし、そこまで排他的な感じもしない」
少なくとも今まで見てきた街よりは人々が普通の生活を送ることのできる環境が整っているような気がした。街並みは古くあちこち欠陥だらけだが、先日繭を探して足を踏み入れた地域よりずっと人の営みが感じられる。
「市場やこの辺の住宅地はフィオーレやカンドレーヴァの管轄だからね。よその連中も好き勝手できないんだ。クラウディオは安全な場所を通って君を仕事場に案内しようとしていたんだろうね」
「この街は全部そうじゃないの?」
「残念ながら管理できてるのは一部だよ。この街の人口のほとんどはアミル人で構成されてる。君も知ってると思うけど、内戦が終わった今でも民族間の争いは結構深刻でね、シンラ派のファミリーを目の敵にしてる人間は少なくないんだ。だから一般人であっても不用意に立ち入れば危害を加えられる可能性もある」
「フィオーレの敵はアミル人ってこと?」
「一概には言えないよ。同じシンラ派のファミリーでも面白くないと思ってる連中は多い。ユーリはまだ若いけどやり手だから首都圏とその近郊エリアの縄張りは実質独占状態にある。ボス同士の会合ではだいぶ嫌味を言われるみたいだね」
「なんか大変そうだな。俺は難しい話はよくわからないけど」
烏が笑った。
「意外だな。リンはもっと知的で繊細な子だと思ってたよ」
「なんだよその勝手なイメージ。ていうか馬鹿にしてる?」
「いや、良いと思うよ。物事を深刻にとらえて足踏みするより感情に任せて行動したほうが事態は好転する傾向にあるからね」
「つまりどういうこと?」
「君は君の思うように好きにやれってことだよ。これから先何を見ても、何が起こっても、自分のやりたいように行動しなよ。きっとそれが君がこの国に来た理由の一つになるはずだよ」
烏の言うことはやはりよくわからなかった。
凛太朗はひとまず階段を登り切って屋上に出た。この辺りは他に高い建物もないため街を一望することができた。貧困を絵に描いたような街から見るツインタワーはなかなか複雑な光景だと思った。
「君がシンの弟?」
突然声をかけられ、凛太朗は咄嗟に距離を取った。上から下まで真っ白な服を着た得体の知れない男が立っていた。
「そんなに警戒しないでよ。俺は敵じゃないよ」
優しく微笑んだ男は、男と断定するには中性的な顔だちをしていた。真っ黒な髪が短いことと、華奢だが女にしては骨ばった体と、低い声から判断したに過ぎない。
「誰だあんた」
肌の白い、美しい男に尋ねる。敵じゃないと言われてすぐに信用できるはずがない。自分を知っている人間ならばなおさらだ。
「俺? 俺はカラスだよ」
「烏?」
凛太朗は眉をひそめた。上から下まで真っ白な服を着ているこの男が、正反対の色の鳥の名を名乗ることが不思議だった。
「昼間は白、夜は黒い服しか着ないんだ」
凛太朗の疑問を見透かしたように男は続けた。
「なんで?」
「そうすれば、夜に俺を見かける人間が居ても、俺だって気づかれることはないだろ?」
再び近づいてきた男が凛太朗の頰をなでた。甘くないのに心地よい、不思議な香りのする男だった。少しだけ頭がぼんやりするような気がした。
「いい匂いがする」
素直に感想を述べると、男が微笑んだ。
「よく言われる。俺に触られると気持ちいいって。もっと試してみる?」
「どうやって?」
「俺、マッサージ屋をやってるんだ」
「マッサージ?」
「足つぼとかアロマとか色々あるよ。いつも店のお姉さん方に呼ばれることが多いんだけど、店舗もあるから、来てくれたらサービスするけど?」
「なんか怪しいからいい」
「失礼だなぁ。俺人気だから予約取るの大変なんだよ? リンも一度受けたら絶対はまると思うけどな」
「なんで俺のこと知ってんだよ……」
「ジーノに聞いたんだよ。クラウディオの財布を盗んだ子供を探してるんだろ?」
「知ってるのか?」
「だからジーノから連絡があったんだって」
「違う。子供の居場所を知ってるのか?」
烏は黙った。
「知ねえのかよ……」
使えねえな、と思った凛太朗に背を向けて烏は歩き出した。少し迷ったが手がかりがないのは凛太朗も同じだ。この街のことを何も知らない自分が一人でいても仕方ないと思い、男について行くことにした。
立体的な迷路のように入り組んだ建物の通路や階段を、男は迷いのない足取りで進んでいく。一体どこへ向かうつもりなのだろう。あの子供のいそうな場所に心当たりでもあるのだろうか。
「この街はどう?」
烏が振り返ってきいた。
凛太朗は生活感のある窓や、階段の途中で怪しげな商売をしている老人や、元気に走り回る子供たちを眺めた。
「想像してたよりはだいぶ活気がある印象かな。市場も賑わってたし、そこまで排他的な感じもしない」
少なくとも今まで見てきた街よりは人々が普通の生活を送ることのできる環境が整っているような気がした。街並みは古くあちこち欠陥だらけだが、先日繭を探して足を踏み入れた地域よりずっと人の営みが感じられる。
「市場やこの辺の住宅地はフィオーレやカンドレーヴァの管轄だからね。よその連中も好き勝手できないんだ。クラウディオは安全な場所を通って君を仕事場に案内しようとしていたんだろうね」
「この街は全部そうじゃないの?」
「残念ながら管理できてるのは一部だよ。この街の人口のほとんどはアミル人で構成されてる。君も知ってると思うけど、内戦が終わった今でも民族間の争いは結構深刻でね、シンラ派のファミリーを目の敵にしてる人間は少なくないんだ。だから一般人であっても不用意に立ち入れば危害を加えられる可能性もある」
「フィオーレの敵はアミル人ってこと?」
「一概には言えないよ。同じシンラ派のファミリーでも面白くないと思ってる連中は多い。ユーリはまだ若いけどやり手だから首都圏とその近郊エリアの縄張りは実質独占状態にある。ボス同士の会合ではだいぶ嫌味を言われるみたいだね」
「なんか大変そうだな。俺は難しい話はよくわからないけど」
烏が笑った。
「意外だな。リンはもっと知的で繊細な子だと思ってたよ」
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「いや、良いと思うよ。物事を深刻にとらえて足踏みするより感情に任せて行動したほうが事態は好転する傾向にあるからね」
「つまりどういうこと?」
「君は君の思うように好きにやれってことだよ。これから先何を見ても、何が起こっても、自分のやりたいように行動しなよ。きっとそれが君がこの国に来た理由の一つになるはずだよ」
烏の言うことはやはりよくわからなかった。
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